5 空の端

5 空の端



鳥の声、自転車のベルの音、いつもの朝。


「おはよう、宏登」

「あ……おはよう」


そうか、昨日桃子が来たんだった。

俺よりも早く目覚め、近くのコンビニへ買い物へ出かけてきたと笑顔を見せる。

ビニール袋から出されるパンと牛乳。

フライパンから届く、目玉焼きの匂い。


「ねぇ、宏登」

「何?」

「まだ病院とかに通い続けるんでしょ」

「まぁ、完全とは言えないから、検査もあるし……どうして?」

「昨日……体を見て……」


体を見て、怪我していたところに触れるのが辛かったと、桃子はぽつりとつぶやいた。

足に残る手術の跡とか、確かに以前の俺と違う部分を見たのかもしれないな。


「お金も、かかるわね」

「いや、俺は取引先に行く途中だったから労災扱いで、
費用は会社がみてくれる事になったんだ」

「そうなの?」


それならばよかったと、桃子は笑顔を見せ、手際よく朝食の準備を済ませてくれた。

久しぶりだな、こんなふうに生野菜が並ぶ朝食なんて。

横を見れば、笑顔の君。

互いのスケジュール帳を見せ合って、次に会う日を決めてみた。





朝のラッシュも、隣の親父のしつこいくしゃみも、今日はどうでもよかった。

桃子が戻ってきて、また一緒に笑えるのかと思うと、それだけで気分がいい。


「おはよう」

「あ……国定さん、おはようございます」


同じカウンター業務の柴田が、永原の記入した書類の不足分を指摘する。


「永原にはそう言ったの?」

「はい、これじゃ不足だってそう言ったんですけど、これ以上書きようがないからって。
そう返されちゃうとどうしたらいいか。国定さん、言ってもらえませんか?」

「俺が?」

「だって、二人は親しいでしょ」


親しいわけではありません。事故に巻き込まれただけです。

そう柴田に説明しようとしたけれど、時間の無駄だな。


「わかった、説明しておく」


東京支店での研修では、マニュアルどおりで済んだのだろう。

きっと、この書類も別支店なら、記入がないかもしれない。

深見本部長が全員に徹底している、『横浜支店』特別マニュアルのようなものだ。


「……ということなんだ。数字を埋め込む横にある空欄。
むしろここを埋める作業の方が大切なんだよ。どうしてお客様が納得できなかったのか、
成功している事例よりも、失敗している事例の方が、学ぶことも多いだろう」

「面倒くさいですね、いちいち……」


面倒くさいのはお前だろうが、永原!

いちいち突っかかりやがって。


「とにかく出し直しだ。これじゃ受け取れない」

「わかりました」


なんとか納得させて、書類を永原へ戻した。

その日も数名の客がカウンターに現れたが、永原が契約を取ることは一つもなく。





「なぁ、やる気を出すには、どうしたらいいんだ」

「やる気? 何、お前やる気出ないの?」


その日の昼休み、剛といつもの店へ入る。

『前向き』というキーワードを出すのはNGなのだ、これで理解しろ。


「そうか、そうか、もやもやしているんだな、宏登。
よし! 体が本調子になったらと思っていたけれど、そんなことを言うのなら、
今すぐにでも連絡するぞ、どう?」

「何? 何かあるのか」

「合コン! 俺の大学時代の同級生がさ、スチュワーデスになっているわけ。
同僚が結婚したからかどうか知らないけれど、急にやる気になってきているみたいでさ」

「コンパ?」

「そうだよ、お前も今一人身だろ。男のやる気は女がいないとね……
枕ばっかり抱いて寝ていたって仕方ないだろうが」


『男と女』か……確かにそれは言えるかもしれない。

昨日、桃子が来てくれたことで、俺は今朝、気分よく仕事に向かえた。

これって十分前向きになっているということで、

『本当の幸せ』って、そんな意味なのかもしれない。


「そうだよな、男には女、女には男だよな」

「そうそう、コンパ行こうぜ、宏登!」

「いや……俺はいい」

「は?」


俺はいいんだよ、間に合っている。

永原だ、あいつが問題なんだ。

あいつにも『春』が来たら、きっと前向きになるだろう。

人生を楽しもうって気にも、なるんじゃないか。


その日の午後、東京本社へ向かう用事が出来た俺は、永原を連れて行くことにした。

相手は誰だってよかったのだが、あの老婆との任務を遂行するためには仕方がない。


「今日はいい天気だな」

「そうですか? あの辺、雲がありますよ」


確かに広い空にはいくつか雲があるけれど……


「まぁ、そうだけれど、大きく見てしまえば晴れているだろ。
こういう日は仕事をさっさと終えてさ、デートでも行きたいよな……」


あれ? 永原がこっちを睨んでいる。

あまりにも露骨過ぎたか。


「国定さん、そういう質問って、セクハラになりますからね」

「セクハラ?」

「そうですよ、個人情報を聞き出そうとしているんじゃないですか」

「個人情報って、たとえだろうが、たとえ」


全く、かわいげのない女だな。

こいつを相手にする男って、いったいどんなやつなんだ。


「個人的なお付き合いをしている人はおりません。以上、永原青葉情報です、
これでいかがですか?」



……はい、ありがとうございます。



近寄るな、話しかけるな、とにかく前へ進め。

永原の歩く姿勢を見ていると、そんな気さえしてきてしまう。


「お前、寂しくないのか……そんな突っ張って」


ポロリと口から出た言葉だった。

永原の一言一言が、まるで鎧をつけているようで、

かわいげがなくて、面白みもなくて……


「鏡、見てみろよ」


永原は何も言わないまま歩き続ける。

低めのヒールの音がコツコツと響き、その鎧がさらに堅いものだと、

付け足しているように思えた。





約束の日が来るまで、あと……128日


6 あの日のこと

半年後の『リミット』、宏登が ↓ マークのような幽霊にならないように……(笑)
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コメント

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出来そうで出来ない

永原さん、男性で痛い思いしたのかな?

一言一言突っかかる、かなりのエネルギーだよね。

前向きに生きる、って簡単なようでなかなか出来ない事なのよ。

何があったのか

yonyonさん、こんばんは

>永原さん、男性で痛い思いしたのかな?

まだ、青葉の過去などは明らかになっていないんですよね。
まぁ、今の調子だと、宏登にとっては、やっかいな相手です。
これからだんだんと、わかってくることもありますので、
のんびり付き合って下さい。