93 愛のひと箱

93 愛のひと箱



午後8時を回ったが、菅沢さんは樋山さんを連れたまま、編集部には戻ってこない。

特に、急ぎの仕事があるわけでもない私は、ポストに入れる郵便物だけ持ち、

編集部を出る。

『手をたたきましょう』の横断歩道が近付き、上を見ると作業着を着た人が数名、

金網の前と後ろに立っていた。



そうだよね、田ノ倉さんが変なことを考えるはずもないんだから。

私、どういう精神状態なんだろう。





……都会の冬の空。ネオンに負けてしまって、星なんて見えないし。





心の中も……

見えないなぁ……





次の日、決意を固めた及川さんは、予定よりも相当早い時間に編集部を出た。

細木さんは心配だからついていこうかと提案したが、菅沢さんは首を振る。


「やめておけ、あいつが自分で立ち上がったんだ、信じてやらないと」

「そうか、それもそうだよな。あいつが自分で理解して、
殻を破ろうとしているわけだし」


……理解?

及川さんは、何を理解したと言うのだろう。

今の口っぷりだと、細木さんもこうなったいきさつを知っているのかも。


菅沢さんはそれからすぐに編集部を出てしまい、

細木さんは、いつものように『ポッキー』の袋を開けた。

そういえば、今日は先日行われた健康診断の結果が出るはず。


「細木さん、健康診断の日に言われてましたよね、少し体重を落とすようにって。
いいんですか、朝からそんなに食べちゃって」

「健康診断? あぁ、そんなこともあったねぇ……」


細木さんは今まで、わざと取材を入れて、あえて健康診断を避けてきたが、

それを本社の担当者に指摘された今年は、渋々受けることになった。


「本人が健康だって言っているのにさぁ、何を調べるって言うんだよなぁ。
あの今年の担当、重箱の隅をつついて、嫁さんとケンカになるタイプだよ、
悪い姑って感じだし……保険料を納めているから受けろだと、ほっとけって言うんだよ」


……と午前中までは鼻息を荒くしていたが、

午後、編集長が結果を持って現れると、細木さんの表情は一変する。

健康診断は思い切り引っかかり、来年早々再検査となった。

当たり前と言えば、当たり前のこと。

『楽しい生活』が送りたければ、とにかく不摂生をどうにかしなさいと、

レッドカードもどきの付箋をあちこちにつけられ、

悪い姑だと勝手に想像されている、健康診断担当のベテラン事務員から、

直接電話をかけられる。





「はぁ……」





さすがにこたえているのかな、落ち込んでいる細木さんって、なんだかかわいそう。

隣で『ポッキー』の音がしなくなるのは、こんなにも落ち着かないものなんだ。


「お菓子がダメだなんて……」

「ダメだって言われたんですか?」

「本当は全てカットしろなんだって、カロリーオフのお菓子もあるって言われたけど、
オフって味気ないだろ、そう抵抗したら、
まぁ、いきなりでストレスをためても意味がないから、『ひと箱』だって」


『ひと箱』あればいいじゃないですか。

たくさん入っているわけですし。


「『ひと箱』って響きは、寂しいねぇ……」


寂しいかなぁ……言い方にもよりますよ、それって。

下を向いて、小声で『ひと箱』って言うから寂しいんですよ。

こうして上を向いて……


「まぁ、細木さん。『ひと箱』って言っても、
1年で考えたら365箱も食べられるんですよ、そんなに落ち込むことじゃ……」

「365しか食べられないんだよ……」





……365しか?





「あの事務員め、家で嫁さんとうまくいっていないストレスを、
俺をいじめることではらすなんて、とんだとばっちりだよ。
俺じゃなくて、息子に言えっていうんだ」


細木さん、『ポッキー』から、どこまで想像すれば気が済むんですか。

きちんと仕事をしていて、逆恨みをされるなんて、

向こうだってかわいそうってものですよ。


「あぁ……もう! 『ひと箱』の中に、何を見つければいいんだ……あ!」

「うわぁ、なんですか、急に立ち上がって!」

「見て、和ちゃん。この形、ほら……」


細木さんが立ち上がって見せてくれた『ポッキー』は、ご丁寧に棒が少し太く、

ハートの形になっていた。何箱かに1、2本しかないという、レアものらしい。

『ひと箱』の中に、『愛』を見つけたと、急にテンションアップする細木さん。


「食べるの、もったいないね」

「じゃぁ、残しますか?」

「いや……『愛』はいただかなきゃ」


細木さんの大事な『愛』のポッキーが折れる音を聞きながら、その日の仕事を進める。

毎度同じことを繰り返すとはいえ、

全く同じにはならないところが編集のおもしろいところ。


「今日の会議、3時からでしたよね」

「あぁ、うん。郁の戻りも2時だしね。ところで信長大丈夫かな、
そろそろ戻ってもおかしくないのに」


そうだった。及川さんが出かけてから結構な時間が経っている。

何か問題があったのなら、電話でもかけてくるだろう。

だとすると、うまくいったのだろうか。


「細木さん」

「何? 『ポッキー』食べる?」

「いえ……」


そんな貴重な『ポッキー』、食べられるわけがないでしょう。

365分の1のさらに何分の1かなんですよ。


「あの、菅沢さんは、及川さんに何を言ったんですか?」

「言った?」


私は昨日、及川さんが取材に出かける気になったのは、

菅沢さんからの一言があったからだと細木さんに説明した。

細木さんは残りの『ポッキー』の中に、またハートがないかと探しながら頷き返す。


「あれだけずっと取材を避けていた及川さんが、急に一人で行くなんて、
ものすごく強烈なことを言ったとしか思えないでしょ」


強い口調でいい加減にしろと詰め寄ったのか、

これ以上避けているようなら、編集部員として失格だとかなんだとか、

断れないような一言を、ぶつけたのではないだろうか。

菅沢さんは容赦ないところがあるから……


「僕は郁が何を言ったのか、正確にはわからないけれど、
お前が『1』になれって、そんなようなことを言ったって……」

「1?」

「信長も、『BOOZ』でずっと仕事をしてきたんだ。
郁の言いたいことは、伝わったんじゃないかな」


『1』になれというのは、『一人前』になれということだろうけれど、

どうして急に今、そんなことを言ったのだろう。


出て行ってしまった菅沢さんの席と、いつもなら電源を入れているPC。

私は交互に見ながら、言葉の意味を考えた。



94 はみだしもの



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コメント

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何かを頑張る

及川に何を言ったのか。
1の意味はおいおい分かるかな?

諒の記憶はまだ戻らないよね。

「リセット」の間に戻っているかと・・・
都合よく思っていたが、そうはうまく行かないか(´・_・`)

どうもです

拍手コメントさん、こんばんは

>93話まできていたことにびっくりです。

書いている私もビックリです。
でも、1話が短いですから……(笑)
ぜひぜひ、これからも応援してください。

うわぁ、ごめん!

yonyonさん、こんばんは
というか、ごめんなさい。すっかり書いたものだと思っていました。

>諒の記憶はまだ戻らないよね。

そうだよね。どさくさに紛れて戻す……って手は、
考えてなかったわ(笑)
『BOOZ』も変わろうとしております。
言葉の意味は、後々。