94 はみだしもの

94 はみだしもの



菅沢さんが、及川さんをやる気にさせた一言。


『1になれ』


意味はなんとなくわかる。『1人前』になって、編集部員として働けと言うことだろう。

及川さんも自分が『BOOZ』の一員なんだってことを確かに言っていた。

でもな……


「そろそろ3時だな、信長と郁はまだか」

「あ、そうですね、郁は2時だって言ってましたけど、
まぁ華乃ちゃんの事務所にいるんでしょうから、
帰りたくなくなったのかもしれませんし……」


細木さんはそう言いながら、インスタントコーヒーを入れたカップにお湯を注ぐ。

樋山さんが編集部に顔を出してからというもの、菅沢さんは席を空けることが増えた。

『KANON』として樋山さんは『グラフィック新人賞』という賞を受賞し、

先輩と事務所を開いたのだという。

女性2人の事務所なので、何かと男が必要なのか、昔の仲間だから手伝うのか……




……細木さんが言うように、忘れていた恋心が戻ったのか




それは定かではないけれど。




「信長は、どこかで倒れているわけじゃないだろうな」

「あ、携帯鳴らしてみますか」

「そうだな……」


今日の会議は、編集長からの提案だった。

他の出版社から、『BOOZ』に似た雑誌が創刊され、売り上げも結構伸びたのだという。

いつも焦りのない秋田編集長が、ライバル登場に多少やる気を出したのか、

全員集合! の声をかけるなんて、何ヶ月ぶりのことかなぁ。

何気なく視線を動かすと、重たい扉が開き、及川さんが現れた。


「あ……及川さん」


その後ろには、菅沢さんと……なぜか樋山さん。


「そこで信長と会ったんだ。初取材で緊張して、肩でも落として戻ってくるかと思ったら、
人と話すのは、そんなに大変なことじゃないですね……だと」

「は? なんだよ、信長。どういう意味?」

「人と触れ合うことも、案外いいものだって、そう思ったんですよね……」


樋山さんのセリフに、顔を赤らめた及川さんが、嬉しそうに頷いて見せた。

へぇ……及川さんが変わるなんて、ありえないことだと思っていたのに。

世の中、何があるのかなんて、わからないものだな。


「信長が、人嫌いを克服するなんて、これはすごいことだぞ」


まさかと思っていた編集長も、細木さんも、満足そうな及川さんの表情に、

自然と声が大きく、軽くなる。


「及川さんが編集者として頑張ってくれたら、飯島さんも楽になるわよね」



私が……楽?



「だって、『BOOZ』は大変だもの、私だって経験があるからわかるわ、
女だからって理由で、急に取材時間が短くなったり、質問に制限が入ったり……
でしょ?」

「あ……はい」

「提案してあげてよかった、この成功を感謝してよね、郁」


提案? 及川さんを取材に行かせようと提案したのは、樋山さんってことですか?


「秋田編集長、会議前なのにおじゃましてすみません」

「あぁ、いやいや、こうして来てくれると、こちらから出向かずに済むから楽だよ、
なぁ、飯島さん」


確かに、DOプロダクションの女性タレント写真集、

樋山さんが動くことになっているから、ここへ来てくれたら色々と好都合だけれど、

でも……


「華乃ちゃんもコーヒー飲む?」

「あ、ありがとう、でもいいわ。少し前に郁と食事で飲んだから」


……樋山さんの言葉には、素直に従うんですね、菅沢さん。

私が同じようなことを言っても、あれこれ嫌味を足してくるのに。


「秋田編集長、すみませんでした。
事務所開きのことで、郁に手伝ってもらったので、
ここのところちょっと外出させてしまって。お金払えって言われちゃいますね」


菅沢さん、華乃さんの言葉に何も言わない。

違うとも、そうだとも……


「いやいや、事務所は落ち着いた?」

「はい、なんとか」

「そうか、明日、日向淳平を連れて田沢君が来るからさ、
そっちも進んでくれてほっとしているよ」

「はい、頑張ります……」



『会議』のはずなのに……

編集長も細木さんも、いつもなら時間を守れって怒る菅沢さんも、

誰も何も言わないまま、時間だけが過ぎていった。





秋田編集長は、これからの『BOOZ』の動き方を自己流に語り、

菅沢さんは相変わらず鋭くチェックを入れた。

初取材に燃え尽きた及川さんは、どこか上の空のような顔で二人を見ていて、

細木さんは時々訴えるおなかの音を聞き、大きくため息をつく。

樋山さんはポジのチェックをするとソファーに座っていたが、

気を遣ったのか、どうしても聞きたかったのかわからない編集長の問いかけに答え、

結構自分なりの意見を述べた。



私は、何一つ発言せずに、会議は終了した。



時計はもうすぐ5時を示す。

目の前では菅沢さんが担当の振り分け表を見ながら、指で鉛筆をクルリと回す。

編集長は会議で疲れきったのか、近くの喫茶店へ出張し、

細木さんは空になったお菓子の箱で、ドミノ倒しをする。

及川さんはPCで取材内容を打ち込み始めた。


「資料室に本を戻してきます」

「……もういいぞ、そのままあがれ」


あがれ? 帰っていいってこと?


「帰っていいってことですか」

「あぁ……」


まだ、みなさん仕事をしているのに、私だけ帰っていいんだ。

確かに、やることがあるわけではないけれど、でも……


「針平、この見出しだけどさ、
もう少し文字大きくなるように、指示変更入れてくれないか?」

「ん?」

「あ、それなら私……」


私の前を素通りし、原稿は細木さんの手に渡る。

はい、はい、帰れってことですよね、帰りますよ、それなら。


「では、お先に失礼します!」


背中に聞こえる『お疲れさま』に言葉を返すことなく、

私は半地下編集部から、本社の資料室へ向かう。

借りた書籍を元の場所に戻し、資料室を出ようとしたが、

1冊の本が少し棚から出ているのが見えた。



『日本の空』



少し前に田ノ倉さんがこの本を見ていたっけ。

あの日はパラパラとしかめくらなかったけれど……

素敵な夕焼けに、綺麗なうろこ雲の写真。

山の後ろから出てくる朝日に、海に映る月明かり。



そして……

あの日に見たような、綺麗な星空。



あの日の空とは違うこともわかっているのに、見ていると、涙が出てきそう。




お父さん……こんなときって、何を考えていればいいの?




資料室の扉が開く音がして振り返ると、そこに立っていたのは田ノ倉さんだった。



95 心の星空



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コメント

非公開コメント

星空が・・

なんとなくの疎外感。それって結構きついんですよね。

自分がいらない人みたいで・・・

写真と諒。
思い出すきっかけぐらいになるか?

コメント入れてリターンが無いとちょっと寂しい。
我が儘言ってみた(^^;)テヘ

再会

yonyonさん、こんばんは
ごめんな、今さらだけど、お返事してきました。

>なんとなくの疎外感。それって結構きついんですよね。
 自分がいらない人みたいで・・・

堂々と指摘されてはいないだけに、
和も、戸惑っています。
『星空』と諒。
何か変化が起きるでしょうか。