100 心の奥

100 心の奥



グラフィック新人賞という賞が、正直どれくらい権威のあるものなのかも、

私はよくわからない。

飛び込んだ編集部が『BOOZ』だったこともあり、現場で見かけるのは男性が多かった。

もちろん、女性スタッフがいないわけではないが、上から命令を出すのはほぼ男性で、

女性はみな、指示に従っている人たちばかりだった気がする。

でも、ここでは違う。


「もう少しライト強く当てられない?」


樋山さんの指示で、男性スタッフが数名動き出す。

中には、これで大丈夫なのかと不安そうに見上げる人もいて、

思っていたよりも、緊張感のある現場だった。


「はぁ……お疲れ様」

「いえ、私は何もしてませんから」

「そう……そういえばそうね」


樋山さんは冷たいタオルを目に当てると、いつもこうするのだと説明してくれた。

緊張感から解放されたからなのか、この間撮影した時のこぼれ話なんかも、

自然と語ってくれる。


「私ね、次から次へ向かうのに、どうも頭が勝手に忘れていくみたいなんだけど、
それを急に思い出すこともあるみたい」

「はぁ……」

「さっきの話し。ほら、郁が飯島さんに取材禁止を言ったとか、言わないとか」

「はい、何か思い出しましたか?」


タオルを目から取った樋山さんは、軽く頷きながらそれを丁寧に折りたたむ。


「直接そんなことを言った覚えはないけれど、
郁がね、飯島さんのようにスタジオへ来てくれたことがあったのよ。
その時、私、郁に礼を言ったの。あの時、目の前のことに縛られず、
カメラマンの道を閉ざさなくてよかったって」


目の前のこと……

『友成書房』に残り、菅沢さんと結婚するという選択のことだろうか。


「私の居場所は、ここだったってそう思うから」


菅沢さんはその言葉に、黙って頷いたという。

それが私の話と、どう結びつくのだろう。


「郁、飯島さんを『BOOZ』から出そうとしているんじゃないの?
本来、男性誌だし、女性スタッフがいるのは、マイナスになることも多いだろうしね」

「出す? 私をですか」

「細木さんも及川さんもいい人で、編集長も本当にいい人で、
『BOOZ』は傍からみてもチームワークがバッチリに見えるけれど、
でも、それが本当にいいことなのか、一つ一つ見てみると、違う。
郁はそう思ったんじゃない?」


私を『BOOZ』から出すこと。

樋山さんは、菅沢さんの目的はそこにあるのではないかと、そう言った。

それからしばらく世間話などして、私は電車で編集部への道を歩く。


本社の面接で失敗し、どうしようか迷いながら入った喫茶店。

そこで秋田編集長に出会い、私は『BOOZ』へ飛び込んだ。

いつか、この本社で仕事をすることを夢見ていたけれど、

いつの間にか、『BOOZ』にいることが当たり前のようになっていて、

異動することなんて、出て行くことなんて……考えてもなくて。



菅沢さんはずっと、そのことを考えてくれていたんだろうか。



私は、そのまま編集部へ戻る気持ちにはなれず、

本社の資料室にある、あの『日本の空』を見ようと、一歩ずつ階段を上がる。

少し騒がしい音が聞こえてきたので3階で足を止めると、

『SOFT』編集部の前に、実玖さんがいて、そばには若い男性が立っていた。



あの人……誰だろう。



「ちょっと飯島さん、そこ邪魔なんですけど」

「あ……あぁ、なんだ東原さんか」

「なんだとはなんですか、失礼ですね」


何よ、呼ばれてもいないのに勝手に編集部へ来て、

日向淳平のサインだけもらっていったくせに。

あなたに失礼だなんて言われると、世界中の誰よりも自分が失礼な気がするわ。

全く……

東原さんは、両手に資料を持ち、私を抜いていく。


「あ、東原さん、あの人はどなたですか」

「あの人? あぁ……『映報』の息子さんですよ、チーフの同級生」

「息子さん」


『映報』の息子ということは、実玖さんのお兄さんだ。

二人揃ってここへ来るなんて……


「もうじき、『映報』の社長もお見えになるんです。
色々と業務提携の話もあるようですし、まぁ……チーフが義理の息子になる日も、
近いってことじゃないですか」



義理の息子……



あの日、田ノ倉さんが事故に遭ってから、私の記憶は心の奥底に沈んでしまった。

それでも時が止まることはなく、思い出は浮き上がることはない。


「そうだ、飯島さん。暇なんでしょ、これ……」


東原さんに荷物持ちを頼まれそうになったから、私は知らん振りしてその場から逃げた。

いや、そうではなくて、田ノ倉さんと実玖さんたちが、

当たり前のように一緒にいることが嫌で、私はその場を逃げた。



いっそ、好きだなんて言われなければよかった。

そうだったら……



憧れのままで終わっていたのなら、こんなふうに泣きたくなることもなかったのに。

思い出も何もなければ、苦しい気持ちにも、ならなかったのに……



『ケ・セラ・セラ』



なるようにならないことも、世の中にはたくさんある。

私はそれを、今日、あらためて知ることになった。

目の前に広がる夕焼け。なんだかもの哀しい。





「ただいま帰りました……」

「和!」

「……陽君?」


田ノ倉さんの現実から逃げ出した私の前に出てきたのは、

頭に野球帽を被った、あの生意気保育園児、陽君だった。

保護者代わりの菅沢さんがいるようにも思えず、

陽君は、秋田編集長の椅子に勝手に腰かけ、楽しそうにグルグルと回り出す。


「陽君、菅沢さんは?」

「郁? 知らなぁい」


知らないって、だったら誰とここへ来たのよ。


「ねぇ、誰と来たの?」

「おばあちゃん」


陽君はそういうと、またクルリと椅子を回した。



101 小さな代弁者



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コメント

非公開コメント

陽君、何かあった?

陽君、何かあったのかな~
ただの旅行だったらいいけど・・・

菅沢さんの思惑はいかに・・・
菅沢さんの考えていることはわかりにくいからね~^^;

日向君からみたBOOZのやり取りと和ちゃん目線のやり取り
比べて読みました^m^
面白かったです^^

久し振りの保育園児

yokanさん、こんばんは

>陽君、何かあったのかな~
 ただの旅行だったらいいけど・・・

生意気保育園児が登場し、何やら起こりそうな……
それは次回で。

読み比べ、ありがとうございます。
日付が空いてしまって、忘れてしまいますよね(笑)
本当、トラブルは怖いです。
もう少し重なり合うところが出てきますので、
また、読んでみて下さい。