102 顔のない声

102 顔のない声



陽君が来たことをメールで知り、取材先から菅沢さんが戻る。

時計は夜の8時を示していた。


「悪かったな、急に」

「いえ……」


大変なことになりましたとは言えず、大丈夫ですと愛想笑いを見せてみる。

菅沢さんはすぐにお母さんへ連絡をし、

今、社長と話をしているのだということがわかった。


「陽、寝ているんだ」

「はい、ここで編集部員ごっこをしていました。
菅沢さんの原稿用紙、結構あれこれ書いちゃいましたよ、陽君が」

「あ……本当だ」


原稿用紙に覚えたひらがなやカタカナをあれこれ並べ、

意味もわからず赤ペンでゴチャゴチャなぞっている。

細木さんから差し入れしてもらったポッキーは、ひと箱だけ無くなった。


「お袋が休みを少し取れたから、熊本から陽を連れてきたんだ。
明日から3日くらい、泊まりで遊びにいくらしい」

「そうだったんですか」

「陽が、お前に会いたいってそう言って、それでここへ来たんだと。
悪いな、突然で迷惑かけて」

「いえ……」


田ノ倉さんの目の前で、陽君が発言したとき、

本当に天地がひっくり返るほどのショックを受けたけれど、

時間がこうして経っていくと、ショックは大きくなるわけではなく、

逆に『言ってくれた』という感謝に近い気持ちがわきあがってくる。

実玖さんは、あの言葉をどう聞いただろう。

田ノ倉さんが困ってしまうのは予定外だけれど。


「今日、華乃のところに行ったんだってな」

「あ……はい」


そうだった。菅沢さんから取材には出なくていいと言われた理由がわからなくて、

知っているかもしれない樋山さんを訪ねたんだった。

一日の中で、あれこれありすぎて、わけがわからなくなってしまった。


「お前が気に入らないとか、意地悪で取材に出るなと言ったわけじゃないんだ」

「……はい」


ここで語ってくれるのだろうか、私を外そうとした理由。


「以前、お前が『MELODY』へ異動する話しがあったとき、
代わりに戻った大橋を、来年の春から『BOOZ』へ迎えようと思ってる。
その代わり、飯島が『MELODY』へ入ればいい」


まだ、田ノ倉さんが私のことをしっかり覚えている頃、

そういえば異動の話が上がったことがある。

実績が残せていないから、今は移れないと、確かに断ったっけ。


「華乃も言っていただろ。長い間、女がいる編集部じゃないんだ、ここは。
だから、今度は堂々と本社へ移ればいい」


確かに、男性誌でもあり、風俗など扱うものも特殊な雑誌だ。

お店側から女性の編集者が行くと言うと、露骨に嫌な顔をされることだってある。

でも、きっと、菅沢さんの思いは別のところにあるのだろう。


「田ノ倉さんの近くだからですか、『MELODY』が……」


菅沢さんは違うと言わないまま、そばに落ちていたゴミを拾った。

陽君が書いた絵の失敗作が、広げられる。


「あいつ、絵も字も下手だな……」


田ノ倉さんのそばにいけること、以前ならきっと飛び跳ねるほど嬉しかっただろう。

でも、今は……


「今日、『映報』のみなさんが、編集部に来ていました。
業務提携の話も、あれこれ進んでいるそうですね」


それと同時に、実玖さんと田ノ倉さんのことも、進んでいるだろう。

私が知らない場所で……


「あのな……」


菅沢さんが何かを言いかけたとき、ソファーで寝ていた陽君が、

体を回転させたことで、上から落ちてしまった。

痛さよりも驚きが大きかったみたいで、眠たさも手伝うのか、泣き始めてしまう。


「あぁもう……やだよぉ……」

「わかった、陽。ほら、しっかり起きて帰ろう」


それでも、旅疲れが重なっていたのか、

ぐずったまま機嫌の直らない陽君を乗せるため、菅沢さんは結局タクシーを呼んだ。

一緒に乗って帰るかと聞かれたが、私は首を振る。


「いえ、今日はちょっと買い物があるので」


そう断りを入れて、二人を編集部から送り出す。

戻ってこない秋田編集長に、留守の間にあった電話のメモを残し、

私も10分ほど遅れて、半地下から地上へ向かった。

下からのライトがしっかりとあたり、『SLOW』のポスターがハッキリと見える。

来年はきっと、『秋月出版社』にとって、大きな年になるのだろう。

両肩にかけたリュックの紐を少しだけ直し、地下鉄の駅へ向かって歩き出す。

少し先からこちらへ向かってくる人が、田ノ倉さんだと気付くまで、

それほど時間はかからなかった。


嫌だな……あんなことがあって、会いたくなかったのに。


「こんばんは、郁は戻っていますか」

「あ……あの、少し前に帰りました。今日はちょっと忙しいみたいで」


田ノ倉さんがどこを見ているのかも、よくわからなかった。

顔を合わせづらかったのは本当だけれど、

それでも、失礼なことだけして、黙っているわけにもいかない。


「田ノ倉さん、今日はすみませんでした。大事なお客様を前に、あんなことになって……
あの、あの子、ちょっと勘違いをしていたみたいで……」


私たちの横を、車が通り過ぎる。1台ではなくて、2台、3台……

どうしよう、何か言ってもらえないと、動くことも出来ないし。


「いえ……」


やっと出てきた『いえ……』の言葉が、少し冷たい気がした。

いつもなら、笑顔と一緒だから、もう少し優しい声なのに……


「郁はいないのですね」

「はい……」


温かい言葉を期待するのは、間違いかもしれないけれど、

どうでもいいようにされてしまうと、それはまたそれで空しい気がする。

向けられた背中を、初めてしっかりと見た。


「飯島さん」

「はい」

「今日のことは、何も気にしなくていいですから」

「……はい」


こんなに『無表情』の言葉を、田ノ倉さんにかけられたことはない。

気にするなと言いながらも、背中が非常に迷惑だったと語っている。

今日の出来事が、まるで私の本当の気持ちまで迷惑なのだと言われた気がして、

背を向けた田ノ倉さんが横断歩道を渡りきるまで、結局、動くことが出来なかった。



103 静けさの空



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コメント

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追いかけていきたい

小さな期待が大きく外れて・・・
胸にしまっておいた大事な宝物が
『そんな物』になってしまった様な。

でも余所余所しい態度こそ、諒の戸惑いなのかな?
思い出せない何か。
きっと和と繋がっているであろう何か。と・・・


なかなか

yonyonさん、こんばんは

陽の言葉に、何かが動く……気持ちもあった和ですが、
帰ってきたのは寂しい言葉のみでした。

>でも余所余所しい態度こそ、諒の戸惑いなのかな?
 思い出せない何か。

諒が何を考えているのか、見えないしわからない。
和もつらいところです。