CIRCLE piece13 【一方通行】

CIRCLE piece13 【一方通行】

    CIRCLE 13 一方通行



東北新幹線のホーム。戻っていく彼女の手を離す。扉の近くに立ち、閉まっていく窓から

手を振る藍子。


「じゃあね、昌樹。必ず電話してよ!」

「あぁ……」


そう言いながら藍子は手で電話の合図をする。次はいつ会えるのだろう……。

いや、次に会う時こそ、言わなければいけない。


さようなら……と。





岐阜県高山市に生まれ、大学で東京に出てきた俺と、秋田から同じように出てきた藍子。

自然につきあい始め、互いに就職を決めた後は、遠距離恋愛になった。


「仙台に決まったの。東北だと、大きいところは仙台しかなくて……」

「仙台か、遠いな」

「大丈夫よ、そんなに仕事に燃えているわけじゃないから、こっちへ来いって言われたら、
すぐに来ちゃうかも」


少しウエーブのかかった髪をクルクルといじるのが藍子のクセだった。俺は東京の製薬会社に

就職を決めたので、二人で生活するのも時間の問題だとそう思っていた。

しかし、藍子は変わってしまった。

元々好きだった旅行代理店に勤め、仕事を覚えていくうちに、長く伸ばしていた髪の毛も

バッサリと切り、仕事を積極的にこなすようになった。自然に会う回数も減り、

簡単に来るだろうと思っていた藍子との生活も、実現できないまま時が過ぎていく。


「昌樹、高山に戻ってこないのか?」

「エ……」

「このまま旅館、終わりにするのか?」


久し振りに戻った同窓会で、友達からそう言われた。年老いた父と母が経営する旅館は、

リピート客の多い小さなものだ。東京へ出てくるときには、考えてもみなかったことだったが、

思い出の残るあの場所が、誰にも継がれずになくなっていくのは、寂しかった。


「エ……本気なの?」

「うん、俺が戻るしかないだろ。姉貴は兄さんの仕事で、どうなるかわからないし」


舞台俳優と結婚した姉は、東京にマンションを買ったばかり。

どう考えても高山に戻ることになるとは考えにくい。


実家に戻り新しい道を見つける俺と、仕事に目覚めた藍子。

そう、そのまま別れを告げよう。そう思うのに、なかなか言葉が出なかった。

もう少しだけ……。そう思いながら伸ばし続けていた言葉。


「ねぇ、昌樹。聞いてるの?」

「聞いてるよ……」


得意先になってくれた営業部長さんが、カラオケがうまくて驚いた話、自分の上司が厳しくて、

今度こそ褒められるだろうと思っても、すぐに課題を出されてしまう話。

藍子は仕事を楽しんでいる。それに反比例するように、俺の心はますます曇っていった。





そして……。





「なぁ、藍子……俺、高山に帰ることにした」

「……エ……」


飛び込みのプールへ飛び込むように、心を無にして藍子に告げた。やっぱり辞めようなんて、

思えないように。


「昌樹、それどういう意味? 会社辞めちゃうってこと?」

「辞めるよ。俺、実家を継ぐことにした。高山で小さな旅館を経営してるんだ」


返事はなかった。当然のことだ。今まで実家が旅館で、継ぐことになるかも知れないなどと、

話したこともないからだ。


「そんな……いきなり……」

「ごめん」


藍子のトーンが下がり、受話器の向こうからはしばらく何も聞こえてこない。

俺は目の前に置いてあったたばこの箱を右手でいじりながら、その時を待っていた。


「私……自信ない、女将さんなんて」

「わかってるよ……」


そういう返事が来るのはわかっていた。だから、なかなか言えなかったのだ。距離が離れていても、

声しか聴けなくても、間違いなく君は俺の支えになっていた。

結局、それ以上は何も言えないまま電話を切り、それから何度か話し合っても、結論は同じだった。

藍子との連絡も、回数が減り、一ヶ月後には途絶えてしまった。


そして俺は、会社に退職届を出し、部屋の解約日も決めた。大学に4年ここから通い、

社会人としてさらに過ごしてきた3年。7年の思い出とも、もうじき別れることになる。


自分で決めたこととはいえ、なんでも、別れはつらいものだ。


「うん、わかってるよ。俺が付いているんだから、無理はさせないから」


東京を去る俺に、姉が心配して電話をかけてきた。もう振り返れない。

自分を追い込み決めたことなのだから。


藍子との連絡は結局取らないまま、俺は東京をあとにした。





戻った高山では、あれこれ雑用が待っていた。改装しなければならない場所もあり、

両親やベテランのスタッフと、打ち合わせを繰り返す。


「このままのサービスじゃ、新しい設備を持った旅館にはかなわないですよ」

「そうだよな……」


人を使うのは難しい。戻ってきた息子に、小さな期待をかけている親の目に、弱気なことを言えずに、

少しずつストレスが溜まっていく。





そして、手探りで経営に参加し始め、2ヶ月が経った頃、予約名簿の名前を確認する、

俺の指が止まった。



榎本藍子……。



藍子が4ヶ月振りに目の前に現れた。小さな旅行カバンを持ち、玄関で靴を脱ぐ。


「いらっしゃいませ……」

「お世話になります」


俺は、スタッフ達と頭を下げ、客として彼女を受け入れた。部屋までの廊下を、

あちこち見ながら進んでいく藍子。


「素敵なお庭ですね……」

「あ、これはうちの自慢なんですよ。四季それぞれの花を咲かせ、木々も季節ごとに
違う顔を見せるんです」

「そうですか……」


何も知らない仲居は、藍子に旅館の説明を始めていた。会っていた頃より、少し痩せた気がする

彼女は、俺と一度も顔を合わせることなく、部屋へ入っていった。


「旅行会社の人なんだってさ、ねぇ、偵察?」

「偵察って何よ」

「近頃、そうやってあちこち調べて行くみたいよ。実際にツアーに入れる旅館やホテルも、
気に入らないところはバッサリ切り捨てるんだって」


仲居達の休憩場所では、珍しい女性の一人旅の藍子に、感心が集まっているようだった。





「そうか、君が昌樹か」

「はい、これからもよろしくお願い致します」


昔から贔屓にしてくれている年配の社長夫婦。俺は、自分が跡を継ぐために戻ってきたことを告げる。

自分たちの商売も、去年息子が継いでくれることになったと、嬉しそうに話しているのを聞きながら、

横には笑っている父と母がいた。


常連客への挨拶を終え、事務室へ向かう俺の前に、中庭を眺めている藍子がいた。


「久し振り、昌樹」

「あぁ……」


言葉を交わすだけで、笑いあっていた頃がよみがえっていく。同じサークルに入り、

くだらないことをしていた毎日。就職を決め、一緒に喜び、終電に乗り損ねた。


初めて部屋に泊めたのも彼女で、初めて結婚を意識したのも彼女だった。

今はもう、過ぎたことなのだけれど……。


「小さい頃から、ここで育ったの?」

「エ……あぁ、うん。母がここの娘なんだ。父は婿に入って、二人で切り盛りしてきた。
俺も姉貴もこの旅館で育ったんだ」

「各部屋の景色も、趣があって、落ち着いてるのね。家族連れって感じではないけど、
ちょっと人生を振り返りたい人とか、子供が手を離れた御夫婦なんかには、すごく落ち着く作り」


冷静に旅館を分析する藍子。彼女が旅行代理店に勤めていたことを、ここで、

あらためて感じることになるとは……。


「だとしたら……食事はもう少し薄味の方がいいんじゃないかしら」

「……」

「食事の印象は、旅行の思い出をすごく左右するものなのよ。お客様からの感想でも、
ほとんどが食事のことなの。あれが美味しかった……また食べたいって」


着慣れない浴衣姿が、恥ずかしいのだろうか。襟を気にしながら直している藍子。

そんな仕草を、妙に色っぽく感じてしまう。


「私の上司がね、いつも言うの。自分が泊まりたいと思うところじゃなければ、
絶対に客に勧めてはいけないって。だから出来るだけ色々と調べて、
土地のスタッフに話しを聞いて、それからお客様に勧めるべきだって」

「そう……。よく、その上司のことを話すんだな、藍子は。前にも……」


俺は途中で話しを止めた。何を今さら、彼女の毎日を探ろうとするのだろう。

彼女がこれから誰に興味を持ち、誰と時を過ごすのか……

そんなことを知る権利はないはずなのに。



でも今、俺は確実に、嫉妬していた。

もう、離してしまった人なのに。



「部長は結婚している方よ。東京や名古屋にも勤務して、あちこちのことを知っている。
私も最初は怒られて、呆れられて……。でも、色々と教えてもらったの。
仕事に興味を持てたのも、仕事に自信がついたのも、その人のおかげ」


俺は何も言えずに黙っていた。藍子が何を語ろうとしているのか、見えないまま、

時間だけが過ぎていく。


「今日はこの旅館を、自分なりに査定しに来たの」



『実際にツアーに入れる旅館やホテルも、気に入らないところはバッサリ切り捨てるんだって』



昼間、仲居達が言っていた言葉を思い出す。藍子が仕事で来ていたことを知り、

少しだけ期待をかけていた気持ちが、あっけなく崩されていく。


「君の会社のツアーなんて、うちじゃ受けられないよ」

「そうでしょうね」


藍子は中庭へ出られる戸をゆっくりと開けていく。カタカタ……と音をさせ、開かれた場所から、

秋の夜風が入りこんできた。その風が、藍子の乾ききってない髪を揺らし始めていく。


「辞表を預けてきたの……上司に」

「エ?」

「就職したいところがあるって、そういって……」


その時のことを思いだしたのか、藍子は軽く笑うと、小さく頷いている。


「そうしたらね、無職にならないように、再就職が決まったら、ちゃんと受け取るって、
そう言ってくれた。だから、正直に言ってくれていいのよ、昌樹。ダメならダメって……」


藍子の視線を追い、見上げた空には、少し雲がかかった月が見えていた。

東京のように余計な明かりはなく、月の優しい光りが、俺たち二人を照らしている。


「昌樹、ここに就職させてもらえませんか……私」


藍子はそう告げると、少し微笑みながら俺の方を見た。

『再就職』というのは、もう一度寄り添ってくれるということなんだろうか。


「これでもあれこれ悩んだのよ。いきなり旅館の跡取りになるからさようなら……なんて、
ものすごくズルイ……そう思って」

「……ごめん」


俺も俺なりに悩んでいた。告げるまでの勇気がなかなか出なかった。でも、藍子にしてみたら、

それはやっぱり突然のことで……。


「連絡を取らなくなって、懸命に仕事をしたけど、気がつくと高山の資料ばかりめくっていた。
何度も地元の支店に電話して、予約の状況を聞いたり、ライバルをあれこれ調べたり……
バカでしょ、頼まれてもないのにね」

「……」

「そんな私の様子がおかしいと思ったみたいで、上司にどうしたのかって聞かれたの。
だから事情を話した」

「……」

「だったら、自分の目で確かめて来るべきだって言われた……」


藍子との連絡を取らなくなってから、彼女も悩みながら過ごしていたことを、少しずつ知っていく。


「私……」


藍子の言葉が止まった。次は自分の番だと思った俺は、月を見たまま彼女に気持ちを語っていく。


「君が、仕事を楽しんでいる……そう思うようになったんだ。就職を決めた当初は、
すぐにでも東京へ出てくるなんて笑っていたのに。会う度に、仕事のことを話すことが増えて、
あえる時間も減って……」

「……うん」

「この旅館を継ぐって言っても、どうなるか予想がつかなかった。だから、ついてきて欲しいなんて、
言えなくて」

「……うん」

「それに、女将になる自信がないって、言っただろ」

「そうよ、そう言った」

「じゃぁ、どうして……」


予約台帳を握りしめ、俺は前を向く。『ついてきてほしい……』そう言えなかった想いが、

また、溢れそうになる。


「とりあえずもう一度、話しをしようと思ってここへ来た。あなたの考えも、何も聞いてなかったでしょ。
でもね、出迎えてくれた昌樹の顔。すごく不安そうだったんだもの……。
なんだ、やっぱり私が側にいないと、ダメなんじゃないかって。しっかりとそう思っちゃった」


藍子は俺の表情を思いだしているのか、前を向いたまま、笑っている。


「先に言っておくけど、立派な女将さんになんてなれないわよ。ただ……」

「ただ?」

「他の女性じゃ、昌樹の隣は似合わない……。ここへ来て、強く、強く、そう思った」

「藍子……」

「あなたの隣は……私じゃなくちゃ……」


覚悟を決め、そう言った藍子の顔は、今までで一番輝いて見えた。その言葉を聞いた俺は、

ゆっくりと彼女に手を伸ばし、久し振りに抱きしめる。

自分勝手に決め、歩き始めた一方通行の道を、追いかけてくれるとは……。

藍子の変わらない髪の匂いが、自然に心を落ち着かせてくれた。





次の日、藍子の部屋へ向かうと、すでに荷物はまとめられ、携帯を握りしめたまま、

座っている彼女がいた。


「ねぇ、昌樹。部長が出たら、ちゃんと挨拶してね」

「あぁ、わかってる」


藍子は嬉しそうに一度頷くと、会社へ電話をかけ始めた。何度目かの呼び出しの後、

誰かが出た声が聞こえてくる。


「あ、おはようございます。榎本です。あの……部長はもう出社されてますか?」


電話だと言うのに、藍子はピシッと背筋を伸ばす。


「おはようございます。今、高山です。急に休みをいただくことになって、申し訳ありませんでした」


丁寧に頭を下げ、上司と話している藍子。俺はその電話を聞きながら大きく深呼吸をする。

藍子が尊敬する上司とは、一体どんな人物なのだろう。声だけとはいえ、これから話すのだと思うと、

少し緊張した。


「はい、無事再就職決まりました! ありがとうございます、深見部長……」


藍子が高山へ来たのは、それから2ヶ月後のことだった。

                                      piece14 へ……





しあわせ……って、人それぞれだよね

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コメント

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拍手コメントさんへ!

こんばんは!
浮上してくれて、ありがとう。

サークルから飛び出して、自分のお部屋を持ってみました。v-308
3月いっぱいで、向こうはリセットになってしまうので、それまでに引っ越しv-449
完了しないとならないから、ちょっと大変です。v-356

どうぞ、ごゆっくり、お楽しみくださいね!