127 ズルイ人

127 ズルイ人



田ノ倉さんは1月3日、阪井家の新年会に出たのではなく、外出していた。


事故に遭ってから、仕事に戻った後、

自分の記憶の中にかけている部分があることに気付き悩んだこと、

なんとか取り戻そうと必死になったが、思えば思うほど深みにはまり、

気持ちが追い込まれたこと。

私にとって、空白になっている日々が、こうして埋まっていく。


「そんな僕を、実玖は黙って支えてくれていました。
幼い頃から、妹のようにしか思っていなかったけれど、
そばにいてくれることに、どこか安心感があって……」


確かに、田ノ倉さんを支えたのは実玖さんだっただろう。

一緒に病院へ通い、気持ちに余裕がない状態の田ノ倉さんを、よく励ましていた。


「思い通りにならない苛立ちをぶつけたり、
今思うと、本当に悪かったと言えるようなことばかりしていて。
実玖が眠れないような状態になったのも、この頃だったそうです」


実玖さん、それをきっかけに、睡眠薬を飲むようになったのか……


「飯島さんに言われましたよね、『ケ・セラ・セラ』だと」

「……はい」

「事故から助かったこと、今生きていることを喜ばなければ、つまらないって。
僕はその言葉を聞いたとき、その通りだという思いと、
何か懐かしい気持ちが蘇ってきたのです」



『ケ・セラ・セラ』



田ノ倉さんと過ごす日々の中で、私が何度も使った言葉だ。



「その頃から、少しずつ消えていた部分を思い出すことが増えてきました。
あの『日本の空』を見たときも、同じような懐かしさがあって、
忘れていた自分の感情が、だんだんと元に戻ってきて……」


話を進めてくれる田ノ倉さんの目は、あの頃の優しい目だった。

愚痴をこぼす私に、大丈夫だと励ましてくれた頃の、優しい目。


「『映報』の社長が秋月へ来てくれた日、郁の甥っ子が食堂にいて僕を指差しました。
その時、自分の中でまとまらなかった色々な記憶が、一つになりました」



『あ、この人知っている。和とデートした人だ』



何も知らない陽君が、田ノ倉さんを指差した日。

驚いた顔は、今でも覚えている。



「僕の心にあった、大切なものが……戻りました」



『大切なもの』

私と笑いあった日々を、田ノ倉さんは思い出してくれたんだ。


「その後、会社の提携と実玖との縁談は切り離して欲しいと、僕自身が話をしました。
互いに企業として手を組むことは必要だけれど、個人的な感情はまた別のものだと。
実玖も笑って、受け入れてくれたと……そう思って……」


菅沢さんと私が、社長室で話を聞いたのは、

確かにそんなことだった。

あの時の田ノ倉さんは、とっても自信に満ちていて、

何か迷いの中から抜け出せたような、そんな顔をしていた。


「行きたい場所が、車でないといけない場所だったので、
年末から少しずつ車を運転して、1月の3日、そこへ向かったんです。
でも……実玖が睡眠薬を大量に飲んでしまって、
救急車で運ばれたと母から電話が入って、そのまま戻ることに……」


隣の常田さんが会ったというのも、きっと田ノ倉さんだろう。

私に会いに来てくれたとき、実玖さんの出来事で、東京へ戻らないとならなくなって……


「病院に運ばれた実玖は、顔が真っ青でした。意識が戻った後もずっと、
精神的に落ち込んでいて、人と会えないような時間が続いて……」


突然の出来事が、田ノ倉さんをウソつきにしたんだ。

本当は、敬が見かけたのも田ノ倉さんなのに。



ズルイ……

神様には怒られるかもしれないけれど、そうとしか思えない。



「実玖は、何も納得できていなかったんだと、その時に気付きました。
だから、体も心も元通りになるまで、
今度は僕がそばにいてやらないと、ならないのではないかと……」


実玖さんはズルイ。

思い出すまででいいって、そう言ったのに。

田ノ倉さんがこんなふうに思い込むまで、追い込んでしまうなんて……



ズルイ……



「いくら諒にご丁寧な説明をされても、汚い話だなそれは」

「郁……」

「情に訴えて、がんじがらめにするなんて、企業同士のやり取りでもなんでもない。
そんなものに振り回されているお前もお前だ」

「郁、ちょっと言いすぎじゃないの。諒だって……」

「諒、お前何度言わせたら気が済むんだ。お前が身勝手な行動を取ることで、
お前だけが迷惑をこうむるのならそれでもいいさ。
でもな、結局、こうして園田先生をはじめとした漫画家たちが、
その決定に従わないとならなくなる。周りが損をするんだぞ」

「だから、それに関しては……」

「お前を待っていたその大切な人も、お前の記憶から消えたことが苦しくて、
悲しくなる気持ちが、わからないのか」



『お前を待っていた、大切な人……』



「何がどこにも出かけていないだ、どうしてあの時、そんなことを言った。
大事なものがあるのなら、なぜそれを守ろうとしない」


菅沢さん……きつい。今の田ノ倉さんには、きつすぎます。


「お前はわかってやっているんだ。誰なら自分の行動を許してくれるのか、
無意識にわかってやっているんだろう。そばにいたのはあの女だと? 違うだろうが。
勝手にお前に張り付いて、こっちと関わりを持たせてくれなかっただけだ。
お前が全てを思い出すのが嫌で。ただそれだけなんだぞ」

「郁……もうそこまでに……」

「辛いと……どうして言ってこなかった」


黙っていた園田先生から、止める手が入った。

田ノ倉さんは、何も言い返さない。


「帰ろう……こいつとこれ以上話していたら、殴りかかりそうだ」

「菅沢さん……」


菅沢さんに掴まれた腕、私はそれを払うことも出来ず、そのまま玄関へ向かう。

振り返ると田ノ倉さんは下を向いていて……

園田先生も何も言わなくて……


勢いよく出た菅沢さんは、怒りを地面にたたきつけているように歩いていたけれど、

何メートルか先になると、その歩幅が小さくなって、

乗ってきた車の前につく頃には、すっかり力のない足取りに代わる。



「ごめん……」



立ち止まった菅沢さんの顔は、とても寂しそうに見えた。いや、悔しそうにも思えた。

私と同じように、田ノ倉さんを助けてあげたいのに、

どうしようも出来ないもどかしさみたいなものが、出ている気がして。


「どうして私に謝るんですか」

「お前は、残るべきだったから」


ここまで聞いたのなら、確かに全てを聞きたいという気持ちもあった。

でも……


「あぁ……」


菅沢さんが見上げるのは、私たちの心とは正反対の真っ青な空。

その透明感が、逆に辛い。


「あいつは昔からそうだった。自分さえ我慢すれば、それでいいと思ってしまう」


ドアノブをつかんだ手はそこから外れ、窓ガラスに勢いよくあたる。


「……ったく。俺もそれを知っているのに、どうしてきついことだけ言って、
出てきたんだか」


窓ガラスに映る自分の顔を軽く殴るような仕草をした後、

菅沢さんはまた、下を向いてしまう。


「いや……どうしてお前のこと、引っ張ってきたんだろう」


田ノ倉さんと菅沢さんは、全く違うように見えるけれど、

実は似ているところがたくさんある。園田先生が前にそう言っていた。


「飯島」

「はい」

「お前は戻れ、戻って諒から話を聞け。
どれだけ待ったのか、悔しさも腹立たしさも、ぶつけてやればいいんだ。
あいつは思い出したんだし……」


二人が似ているところ、それは……自分よりも、他の人が先になってしまうこと。


「俺は、先に戻るから」


菅沢さん……

思い出したのだから、それでいいと言うことですか。


「スープでも買って帰りましょう」


私は、空いている助手席に乗り込み、しっかりと横にいる菅沢さんを見た。


「飯島……」


気持ちは嬉しいけれど……




でも……

私は今、あなただけを帰す気持ちにはなれません。




「ほら、編集長が買ってくれたスープですよ。
細木さんも及川さんもこの間、とっても美味しいって言っていたじゃないですか」


田ノ倉さんの言葉、まだ聞き足りない気持ちも確かにあるけれど、

それでも……


「『BOOZ』に戻りましょう」


ハンドルを握っていた菅沢さんが動き出すまで、

私は黙って外を見続けた。






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コメント

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No title

ズルイ人。
諒?私に言わせればそれはももちゃんだね。

大体優しくて王子様タイプを決して幸せにしない。

郁みたいに少し拗ねたタイプの人が、
横からかっさらって行くんだ。多分・・・

諒、郁の言った事良ーく噛みしめて!!!

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この先、どうなるーー;

テラスの君、窮地・・・
心の中は葛藤だらけだろうね・・・
菅沢さんから、ああ正論をぶつけられちゃね~
和ちゃん、どうする?

No title

こんばんは
郁の言葉はきついけれど、諒には嬉しいものではないかと思います。
和はどちらを選ぶのかな。
難しい

No title

yonyonさん、こんばんは

そうか、私『ズルイ人』なのかぁ……
まぁ、それはそれで仕方がないな。
最後まで、頑張ります。

No title

ナイショコメントさん、こんばんは

>優しいことは、裏を返すと決められないこと。

追い込まれてしまった諒なので、
こういう形になってしまいました。
真実を知った和と郁。
もちろん、話をした諒も含めて、思い通りとはなかなかいかないものです。

はい、最後までよろしくお願いします。

No title

yokanさん、こんばんは

>心の中は葛藤だらけだろうね・・・
 菅沢さんから、ああ正論をぶつけられちゃね~

和の知らない歴史が、二人にはありますからね。
郁もつい、きつい言葉になりました。
諒を思い、そして和を思い……なのです。

最後までお付き合いください。

No title

pocoさん、こんばんは

違うと言われ続けて、実は……の真実。
和も混乱していると思います。
どちらかを選ぶのは難しいですが……
さて……