143 電話の声

143 電話の声



リュックを背負い、階段をかけ下りる。

田ノ倉さんの目に、鼓動が速まった。

ずっと、心のどこかで期待していたことが、少しずつ現実になっていく……

それは私の望んでいたことだった。




でも……




『準備室で勝負して、『BOOZ』へ戻って来い』




私は、菅沢さんとそう約束した。

田ノ倉さんと仕事をして、それでも戻って来いと言われ、私は確かに頷いた。





『手をたたきましょう』の音楽を聞きながら横断歩道を渡り、

『BOOZ』編集部へ向かう。入り口にはカギがかかったままで、

中に入ることは出来ない。

私は携帯電話を取り出して、菅沢さんの番号を押した。

何回かの呼び出し音が鳴り、『はい』の声が聞こえる。


「菅沢さん、飯島です」

『あぁ……どうした』

「あの、まだ仕事中ですよね」


すぐに戻ると思った答えが、すぐには戻らない。

いや、ほんの1、2秒のことだったはずだけれど、私にはとんでもなく長く感じた。


『……あぁ』

「今、話をしてもいいですか?」

『うん』


本当は顔を見て報告したかった。

『映報』が、『スプラウト』という企画を理解し、動き始めたこと。

昨日は、そのために田ノ倉さんと『映報』へ向かったこと、

真っ暗な『BOOZ』編集部の前で、言いたいことを言い切った。


『そうか……よかったな』

「はい」


それに……


「田ノ倉さん、また車の運転をし始めたそうです。
立ち止まってばかりはいられないって。それって進歩ですよね」

『あぁ……』


菅沢さん、もう少し何かこう……


「運転技術に自信が戻ったら、また送ってくれるなんて言われて……」


そう、送ってくれるって……


『……そうか、それはよかったな』



……よかった……そう、よかったんですよね。

だって、田ノ倉さんが、以前のように明るく笑ってくれるんですから。


『諒がやる気を出したのなら、うまく流れるよ。
大丈夫だ、俺にいちいち報告しなくていいから、しっかりガンバレよ……』

「……はい」


なんだろう、会話になっているはずなのに、どこかぎこちなく感じてしまう。

ちょっとした冗談とか、嫌味とか言われないと、しっくりこない。

電話はそこで終わった。



私は携帯の電波を確認する。アンテナは3本しっかりと立っているのに、

声が遠い気がしたのは、いや、気持ちが遠い気がしたのはなぜだろう。

『いちいち報告するな』って、なんだか迷惑だって言われたみたい。



通り過ぎていく車の音がやけにうるさくて、早くこの場所から逃げたくて、

私は駅まで走った。





今朝は、絶対に菅沢さんをつかまえる。

声だけだからおかしいんだ、ただでさえ愛想のない人なのだから。

ちゃんと話をしなければ、違和感が広がるだけ。

本社ビルを通り過ぎ、そのまま『BOOZ』へ向かう。


「おや、和ちゃん、今朝は早いね」

「はい」


素人レポ隊からの原稿が出揃った朝、さすがに忙しそうだ。

いつもなら喫茶店に立ち寄る編集長も、この時間からここにいるんだもの。


それなのに……

出社時間は過ぎているけれど、菅沢さんの姿が見えなくて……


「これ、誤字チェックだけしましょうか」

「いいの? 和ちゃん。『準備室』だって仕事あるだろ」

「ありますけれど、大丈夫ですよ、菅沢さんが来るまで……」


原稿チェックしながら、時計を見てしまう。

電車の事故? それとも寝坊? 何しているんだろう。


「細木さん……これ」


時計がさらに動いた頃、編集部の扉が開き、目の前に菅沢さんが現れた。

昨日、タクシーから見かけた服装と、全く同じ姿で……




「おぉ……郁」

「ごめん、遅くなった」


菅沢さんは編集長の前に茶色の封筒を置く。

中には、樋山さんが撮影した写真の見本が入っていた。


「そうか、昨日で撮影は終了か」

「全て撮りおえました。あとは日向淳平のドラマの撮影も始まっているので、そっちを。
選別作業も、一気にやってしまいました」



昨日は、樋山さんと一緒だったんだよね、菅沢さん。



「何、何、華乃ちゃんとずっと一緒だったわけ? 郁。もしかして、朝まで?」

「……あぁ、今朝もメシなんていらないって言ったのに、
食べてから行けって言うから遅くなった」

「何? じゃぁ泊まったの? 朝食作ってもらった?
それなのになんだよその言い方、ありがたく思えよ」




……泊まったんだ、樋山さんのところに




菅沢さんのことを、今でも好きだと言っていた、樋山さん。

この間も……

そんな人の気持ちをわかっていて、泊まるなんて……


「飯島、お前、朝からいるのか」


はい、いるんです。


「わかっています、迷惑なんですよね、ここにいたら。
回数を減らす約束をしましたから、すぐに帰ります。
でも誌面責任者が遅いので、みなさんが忙しそうでした」


遅くなるのなら、遅くなるとか、連絡くらい寄こすのが普通でしょ。

ちょっと着替えてくるとか、それが無理なら……


「どうしてお前に、イライラされないとならないんだ?」


イライラ……?

だって……


「俺がどこから来ても、何をしていても、お前に問題なんてないはずだ」


私の横を、当たり前のように通りすぎる菅沢さん。

この場所は……

『BOOZ』は、私の帰る場所じゃ、なかったのですか……



わからなくなってきた。






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