146 流れる雲

146 流れる雲



「ただいま」

「お帰り、和ちゃん」

「おばさん、先にお風呂へ入ってもいい?」

「いいけど、食事は?」

「うん……仕事しながら色々とつまんでいたら、お腹いっぱいになっちゃった」


その日の仕事を終えて、津川家へ戻った。

『お腹がいっぱい』だったのは本当だけれど、お菓子をつまんだからではない。

菅沢さんの残してくれたメモに、気持ちがいっぱいいっぱいになった。



『無くしたと思ったものも、根気よく待ち続ければ出てくるものだ』



田ノ倉さんが過去を忘れようと破いてしまった『日本の空』。

菅沢さんはそれを、どこかの古本店で、見つけたのだろう。



『自分の気持ちに素直になれ、諒はもう大丈夫だから』



メモには、この2行だけが残されていた。

あの日……

菅沢さんが、どこか落ち込む樋山さんを編集部へ連れてきた日。

菅沢さんはきっと、私の気持ちを確かめようとしたのだろう。


樋山さんが突然来たことに……

いや、樋山さんが菅沢さんを、今も思い続けていることに、

私は動揺して避けてしまった。

そう、菅沢さんの思いを自分で避けてしまった。言い訳なんて通用しない。


「はぁ……」


湯船につかりながら、頭の中を整理しないと、のぼせてしまいそう。



『こっちだけ見ていろ』



菅沢さんは、あの言葉を封印するつもりなんだ。

『日本の空』が戻ったように、田ノ倉さんへの気持ちも戻ると、

そう言いたいのかな。

確かに、近頃の田ノ倉さんの笑顔を見ていると、本当に嬉しくなる。

今はまだぎこちないけれど、私はあの日々が戻ることを、望むことになるのだろうか。



……素直に……か。



菅沢さんに『素直』なんて言葉を使われると、意味もなく腹立たしくなる。

その言葉に、一番遠そうな人じゃないの、自分が。



『素直』



「1ヶ月かぁ……」


戻ってくる頃には、6月になっているわけだよね。

『秋月出版社』へ入社して、1年になるんだ。


1年……


この1年振り返ってみると、本当に私、菅沢さんにいつもおんぶと抱っこだった。

ピンチになれば、勝手に助けてくれると信じ込んでいたし。

あの人が頷いてくれたら、それで絶対に大丈夫だと、思い込んでいた。

田ノ倉さんが過去を忘れてしまって、

それをどう受け止めていいのか、わからなかった日々。

仕事だけではなくて、それ以外にも助けてもらってばかりで。



でも今、助けてもらいたくても、菅沢さんはいない。


「よし!」


湯気にボーッとしていた自分の頬を、何度かパンパンと叩いてみる。





それでも、その日は結局、あまり食事がノドを通らないまま、眠ってしまった。





『準備室』のアニメはすでに数作が完成し、

いよいよ学生たちの出番が近付いてきた。何度か打ち合わせに向かったときも、

社会との関わりが持てるという喜びに、目をキラキラさせていて、

本当に企画を推してよかったと、そう思えた。


「うん……太陽がまぶしいね」


仕事の休憩時間、大好きな屋上へ足を運ぶ。

春の柔らかい日差しから、少しずつ夏の眩しさへ変化していく。


「やはりここですか」


田ノ倉さんが、『STAR COFFEE』の紙袋を持って、屋上に現れた。

私は白いテーブルの椅子に手を向け、『どうぞ』と勧めてみる。


「今は一番いい季節ですね、ここで食事をする」

「はい……」


本当にそうだな、鳥の声も聞えるし、遠くを走る電車の音もなんだか楽しそう。


「郁……カナダへ行ったそうですね」

「……みたいです」

「みたい?」

「はい、気付いたら行ってました」

「飯島さんに、何も言わずに行ったのですか」

「……はい」


ちょっとためらった。何も言わなかったといえば言わなかったけれど、

もしかしたら、言えなかったのかもしれない……

煮え切らなかった私の態度に、菅沢さんが決断をしてしまった。

今まで、あれこれ、言いたいこと言ってきたのに。


「日向淳平の事務所と、コラボの仕事があったんです。
実はそれ、私がチーフになっていたんですけど、
『準備室』へ異動することになって、結局、菅沢さんに任せてしまいました」

「そうなんですか」

「考えてみたら、いつも迷惑をかけっぱなしで。
今頃、大きな荷物をおろして、のんびりしているんじゃないですか?」


カナダかぁ……

馬にでも乗っているんだろうか、それとも……


「迷惑をかけっぱなしということは、ないと思いますよ」


田ノ倉さんの優しい言葉に、私は何度も首を振る。

菅沢さんが行ってしまった事実を聞いてから、浮かぶのは……


「初めてルポを取りに行ったときも、のらりくらりしてルポを出してくれなくて、
そこへ急に現れたんです。『いい加減にしろ』って相手をビシッと怒ってもらって、
なんとか納まりました」


『どんどん亭』の堺さんの驚いた顔、今でも覚えている。

まさか今、こんなふうにお世話になるなんて、あの時は考えられなかったけれど。


「あ……そうです、『MOONグランプリ』の日も、
ほら、東原さんたちに服装のこと何も言われていなくて、
私、どうしようかと思っていたら、菅沢さんが……」

「そうでしたね」

「そうですよね、来てくれたんですよ」


そう、来てくれた。

敦美おばさんに偶然出会って、私のことを聞きだして、

それで、会場まで来てくれた。


その後も、台風で大騒ぎになる取材場所から、先に帰してもらったり、

あのストーカー騒ぎの時も、電話で異変を知り、かけつけてくれた。



優しさの数倍あるような『文句』とか『怒り』を一緒にして……だけど。


「田ノ倉さん、やっぱり私、迷惑ばっかりかけてます」


迷惑をかけっぱなしで、カナダに行かせちゃった。

あれだけ支えてもらったのに、お礼も言わずに異動だなんて。


「飯島さん……」

「……はい」

「サンドイッチ、手からこぼれそうですよ」

「あ、本当だ……」


いけない、いけない、大事なランチが。


「カナダは今、どんな天気ですかね」

「そうですね」


田ノ倉さんの問いかけに、私は真っ青に輝く空を見上げる。

流れていく雲に、『菅沢さんをよろしく』と頼みたい気分だった。






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