【again】 2 父親の存在価値

【again】 2 父親の存在価値

     【again】 2



直斗からハナがいないことを告げられ、大地は少しだけ寂しそうに、仕方なく部屋へ帰ろうと

背を向けた。


「すぐに戻ってくるぞ、中で待ってるか?」

「……いい。勝手に人のうちにあがっちゃダメだって、ママに言われてるから」

「そうか……」


直斗はドアに手をかけたまま、大地が向かいの部屋へ入っていくのを見つめていた。

どこか寂しそうに人を見る目は、小さい頃の自分によく似ている。なぜだがふとそう思った。





「そうか、母子家庭なんだ」

「そうなんだよ。絵里ちゃんも頑張り屋だし、大地君もいい子でね。あんな奥さんと子供を残して、
死んじゃうなんて。御主人もさぞかし心残りだろうね」


大地の目が、どこか寂しそうに見えた理由を知り、少しだけ心が痛む直斗。

タバコを吸うためにベランダへ出ると、団地の駐輪場の壁に、ボールをぶつけながら

一人で遊んでいる大地を見つけた。



『ねぇ、お母さん。一緒に遊ぼうよ……』



そんなふうに、母にすがりついていた小さい頃の自分を思い出す。


「おばあちゃん、俺、ちょっと外出てくるわ」

「……直斗」


直斗は階段を下り、一人で遊んでいる大地を見た。

その気配に気付いた大地が、チラッと直斗を確認する。


「なぁ、キャッチボールしようか」

「……」

「お兄ちゃん、結構上手いぞ」

「お兄ちゃんじゃないよ、おじちゃんだろ」


今時の小学生は、結構生意気な口を聞くものだと、思う直斗。それでも大地の目は、

完全に自分を期待している。それが妙におかしい。


「おじさん、したいなぁ、キャッチボール。せっかくここまで来たのに」

「……」

「ダメ?」

「じゃぁ、いいよ! してあげるよ!」


嬉しそうに大地は駆け寄り、直斗にビニールボールを手渡した。黄色いゴムマリのボールには、

マジックで『いけむらだいち』と書いてある。


「よし、いいか!」

「うん!」


嬉しそうな笑顔の大地に向かって、直斗はゆっくりとボールを投げてやった。


台所でキャベツを刻みながら、ふと手を止めると、大地の楽しそうな声が響いてきた。

絵里はベランダへ向かい下を見る。そこには知らない男と、楽しそうにキャッチボールをしている

大地の姿があった。慌ててサンダルを履き、上から大地に声をかける絵里。


「大地……」


その声に大地は、上を向くと、嬉しそうに手を振ってきた。


「ママ! 楽しいよ!」


直斗は立ち上がり、上にいる絵里に頭を下げた。一見、優しそうに見える男性だが、

絵里は軽く会釈し下へ向かう。


「大地ったら……」


近頃、子供に関連する事件が増えている。それでなくても、自分しかいない大地に、

何かあったら……。階段を駆け下り、絵里はキャッチボールをしている大地の手を止め、

自分の方へ引き寄せた。


「ママ、離してよ」

「あの、どちら様ですか? 団地の方ですか?」


明らかに自分を疑っている絵里の視線に、直斗は納得するようにうなずいた。


「石岡直斗です。いつも祖母がお世話になっているそうで。すみません、勝手に大地君と
遊んでしまって」

「……石岡。あ、ハナさんのお孫さんなんですか?」

「はい……」


ハナの孫という人なら、大地と遊んでくれても、おかしくはない。つい、人を疑ってしまった

自分が恥ずかしくなり、思わず下を向く絵里。


「さっき、祖母を訪ねてくれたんですけど、ちょうど俺しかいなくて。ベランダからのぞいたら、
大地君が一人で壁にボールをぶつけていたので」


大地の方を向き、少し寂しげな顔をする絵里。

直斗はそんな絵里に気付くと、大地をいきなり抱き上げた。


「大地はママが好きなんだよな! ママは美人なんだよって、ずっと俺に言うんです」

「エ、そんな」

「大地が嘘つきじゃないんだって、よくわかりましたよ」


直斗はそう言いながら、笑顔を見せる。そんな直斗の言葉に、絵里も少しだけ緊張から解放され、

笑顔を返していた。





「ねぇ、ママ」

「ん?」


布団に入り、絵里の方を向く大地。以前は一緒の布団じゃないと、泣いていたのだが、

小学校に入り、やっと一人でも先に寝られるようになった。


「直斗、また来るかな」

「直斗さんでしょ。呼び捨てにしちゃ悪いわよ」

「いいんだよ、僕がリーダーになったんだ!」

「……もう!」


2歳になる前に父親を亡くした大地にとって、直斗は初めて相手をしてくれた若い男性だった。

そんな大地の嬉しそうな表情を、どこか複雑な気持ちで見つめる絵里。



『絵里さん、再婚してもいいのよ。ただし、大地は置いていってね……』



伸彰が亡くなった後、姑は絵里にこう言った。一人息子が亡くなり、

残されたのは大地だけだったとはいえ、絵里にはとうてい納得できない提案だった。



『私は再婚なんてしません。だから大地も渡しません!』



大地と二人で生きていこう。そう誓いながら戦ってきた5年間。保育園のイベントでは、

父親に混じり競技に参加してきた。父親がいないから……。絶対にそんなふうに言われたくない。

でも……。


初めてあった直斗に、簡単に心を開く大地。自分の限界を悟りながら、ため息をつく絵里だった。





東京都千代田区にあるオフィス。ここには不動産会社、『プログレス』の本社がある。


「もしもし、俺だ。亘はどうした」

「あ、部長は4号店の方に」

「いつまでノロノロやってるんだ。さっさと本社に戻ってこいと伝えろ!」

「はい」


社長である篠沢高次は朝から電話に追われていた。狙っている土地の買い手が出そろい、

いよいよ勝負が始まるのだ。


「頼むぞ、大田。お前の采配次第で、これから先の道筋が決まるんだ」

「はい……」


高次の片腕である大田は、指示書を受け取ると、足早に社長室を出て行った。

目の前にある受話器を取り、短縮の番号を押す。


「……直斗か?」





爽やかな風の吹く午後、大地に言われたノートを買い、絵里は家に向かって歩いていた。


「あ、ママ!」


振り向くと、重そうなランドセルを背負い、一生懸命走ってくる大地。


「お帰り! 大地!」


絵里は荷物を下に降ろし、かけてきた大地を抱き上げる。勢いよく走ってきたからか、

思っていたより重く感じ、フラフラっとよろけそうになる。


「……はぁ、重たくなった」

「そうだよ、1年生だもん!」

「そうか、そうだよね」


いつまで抱き上げることが出来るだろう。その時、大地を軽々と抱き上げてくれた直斗の顔が

ふっと浮かんで消えた。


大地は絵里の少し先を歩き、ある店の前で足を止める。

そこはスポーツ用品店で、ショーウインドーには、有名選手モデルのグローブが置かれていた。


「かっこいいなぁ……」


日曜日ともなれば、近所の河原で少年野球の声が聞こえてくる団地。絵里は大地の頭を

ポンと軽く叩き、先に行くよと声をかけた。





「もう一度交渉してくれ、それでダメだというなら、こっちでなんとかする。……お疲れさま」


直斗は携帯を閉じ、スーツのポケットにしまい車から降りた。

足早に歩きながら、ホテルのロビーを素通りしエレベーターに乗る。

11階で降りると、まっすぐにある部屋へ向かう。右手でドアを2度ノックすると、

スッとドアが開き、中から女性が現れた。


「なんだよ楓。急に呼びだしてきて……」

「呼びだして、急病とでもウソつかないと、直斗に会えないでしょ。何よ、接待だの、
打ち合わせだの、人の予定をメチャクチャにするくせに」


そう言うと楓は、ゆっくりと直斗の首に腕を回していく。


「ねぇ、いつでも会えるように、いつになったらなれるのよ……」

「……またその話しか」


直斗は楓の腕を首から外し、上着を脱ぎソファーへと投げた。そしてネクタイを緩め、

楓の腕を引きよせると、それ以上何も聞きたくないのか、唇をあわせようとした。


「……直斗、ねぇ、話してるでしょ」

「こっちが先なんだろ。だから、ここで待ってたんじゃないのか? 本当に急病なら、
今すぐ病院へ連れていくぞ!」


楓はそんな直斗に、呆れたように背を向けた。強がる楓の態度に、

直斗はソファーへかけた上着を手に取り、ドアの方へ向かう。


「ちょっ……ちょっと直斗、どこに行くのよ」

「用がないなら帰る。ふざけた電話をするなら、二度と出ない!」

「いや、帰らないで!」


その声に、直斗は動きを止め、チラッと楓を確認する。楓は一度大きくため息をつくと、

直斗が手に持っていた上着を取りあげた。


「……会いたかったの。もう、どうしてこう意地が悪いのかしら」


勝ち気な楓を突き落としたこの瞬間が、直斗の快感へと変わっていく。二人はベッドへ横になり、

楓は何も言わないまま、直斗のネクタイを外し、左手で下へ落としていた。


自分から誘わないと、なかなか会えない男。楓にとって直斗は、いつの間にかプライドを捨てても、

会わないとならない男になっていた。


直斗を無条件に受け入れていく楓。二人の欲望がからみあい、吐息が重なり合っていく。

楓の心の熱は、揺り動かされる度に、直斗に奪われていった。





乱れたシーツの上に、寝転がったまま直斗を見ている楓。直斗はまくらに背をつけ、

タバコに火をつける。


「あなたが好き……。私のことも、愛してるって言ってくれたじゃない。うちの会社と手を組めば、
有利になるのもわかってるでしょ? ねぇ、どうして、まだ、決心してくれないの?」


直斗の右手に、自分の指をからめていく楓。


「なぁ、楓。お前は俺が好きなのか? それとも……跡取りが好きなのか?」

「直斗、それどういう意味?」


直斗はその言葉を聞き終える前に、絡み合っている右手で楓の顎をグッと持ち上げた。


「跡取りが好きなら、もう少し黙って見てろ。あれこれ指図しないでくれ」


直斗が指に挟むタバコの煙は、天井に向かってまっすぐに伸びていた。





「亘さん、ねぇ、亘さん!」

「何?」


仕事から戻った亘をつかまえたのは母親の真弓だった。面倒くさそうに視線を合わせる亘。


「お父様、怒ってるのよ。また、何かしたの?」

「……出来ることは、出来ることなりにしているけど。どうせ、
あの人は僕が何しても気に入らないんだよ。いいんだって、うちには兄さんがいるんだから……」

「何言ってるの! 跡取りはあなたなのよ。どうしてあんな男に……」


このセリフは何度聞かされただろう。亘は母親を振り切ると、自分の部屋へ消えていった。


篠沢家の跡取り息子。誰からもかわいがられ、全ては自分のものだと思いこんでいた幼い頃。


「亘、お前の兄さんだ」


今から10年前、父から突然紹介された男は、母親の違う4つ年上の兄だった。

いきなり兄弟だと言われても、互いに何も知らない。



『直斗君は優秀ですね……』

『社長の血を引いている……』



ギラギラするような兄の目に、吸い込まれそうになる自分。亘はベッドに横になり、

目を閉じたまま動こうとはしなかった。





天気のいい日曜日。絵里は朝から洗濯機を回し、布団を干していた。大地は小さなテーブルで

宿題をしている。鉛筆を鼻と口の間に挟み、ふざけている姿に、絵里は吹き出すように笑っていた。


「ねぇ、大地。ママ、お給料もらったんだ。だから、誕生日のプレゼント買ってあげるよ」

「エ? 本当?」


嬉しそうに駆け寄ってくる大地に、絵里は頬をこすりつける。


「グローブ……でしょ?」

「うん!」

「じゃぁ、お洗濯終わるまで待ってて!」

「うん」


大地が嬉しそうに飛び跳ねた時、玄関のチャイムが鳴り出した。


「あ、僕が出る」

「最初にどちら様ですかって聞きなさいよ!」


絵里は大地に遅れるように、ベランダから玄関へと向かっていく。


「ママ! ほら、見て!」


目の前に現れたのは、グローブをはめた大地だった。わけがわからず、大地に問いかける絵里。


「どうしたの?」

「直斗がくれた!」

「エ?」


玄関に出ていくと、そこには直斗が立っていた。絵里は慌てて頭を下げる。


「すみません、日曜日に」

「あの、あれ……」

「この間、誕生日が5月だって聞いたので」

「困ります」


絵里は喜ぶ大地からグローブを取りあげ、直斗に突き返した。


「俺も一緒にやりたくて買ったんです。そんなに高い物じゃないし……」

「いただく理由がありません。何もお返し出来ませんし、やめてください」

「……ママ」

「ダメよ、大地。ママがちゃんと買ってあげるから、ね!」


大地は不満そうに絵里を見ると、直斗からグローブを奪い靴を履き、階段を駆け下りていく。


「直斗、キャッチボールしようよ!」

「大地!」


絵里は大地を止めようとサンダルを履いた。


「いいじゃないですか。もらってください」

「でも……」

「俺も、父親がいないんです。だから、大地の気持ちがなんとなくわかるから。
あんまり深く考えずに、受け取ってください」


そう言った直斗の目は、どこか遠くを見つめている……。

絵里はそう思いながら、その場に立っていた。





3 見えない糸の色 へ……





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