6 Plot 【企み】

6 Plot 【企み】



カレンダーは5月になり、風は春から夏へと動き始める。

悠菜は取引先に向かっていた体を、慌てて本社へ戻した。

交渉中に昴からのメールが入り、以前、一緒に出かけた『HONEY』のオーナーから、

提案を受け入れる話が入ったと、連絡を受けたからだ。

『善は急げ』だと、慌てて営業部へ戻ると、昴はすでに準備をした状態で待っていた。


「すみません、別件で出かけていたので」

「そんなに慌てなくても大丈夫ですよ。しっかり釣りましたから」

「……はい」


昴の一言に、悠菜は落ち着きを取り戻し、その頼れる背中を追いながら、

一緒に電車へ乗り込んだ。

あの時焦って電話などしなくてよかったと、

吊り輪につかまりながら大きく息を吐く。


「住友さん」

「はい」

「一緒に行動するのは、今日だけにしてください」


昴の提案は、悠菜にとって驚きだった。これからも一緒に交渉し、

製品を入れてくのだと思い、さらに最初から取引先と組んでいた昴が、

主導権を握るものだと疑わなかった。


「どういう意味ですか? これからは畑野さんだけで行かれると、そういう意味ですか」

「いえ、これからは住友さんだけで向かってください。
あの商品のうまみに気付いたのですから、
おそらく相手はその商品をメインに仕入れてくるでしょう。
私の勧める商品は別ですから、二人で交渉に入れば、きっと後から摩擦になる」


昴は、あの取引先からは自分が身を引くと、平然と言ってのけた。

悠菜は、冷静な昴に対し、人の営業先を奪うような気持ちはないと弁明する。


「奪われたなどとは思っていませんから、気にしないでください。
あの取引先が、私の担当から抜けただけです」

「抜けた? いや、それは」

「誰が担当でも、どんな経緯でも、そんなことはどうでもいい。
結果がついてくること、会社にとって必要なことはそれだけです」


悠菜は、すでに終わったことだと言い切る昴に対し、何も言うことが出来なくなる。

子会社では、全ての社員が取引先の増減に目の色を変えていた。

今の営業部でも、他人の成績を気にしないものはいない。

悠菜はこうなることを予想せずに、昴に仕掛けたことを後悔しながらも、

言いあいをしても、勝てる気は全くしなかったため、

『すみませんでした』と頭を下げた。





悠菜は、子会社で奮闘した勢いを生かし、それなりの成績を上げるようになった。

あの取引で、仕入れ商品を変えた『HONEY』を手放した昴だったが、

トータルの成績は、相変わらずトップを走る。

ただがむしゃらに働き、疲れたなどとこぼすことなく動き続ければ、

結果は着いてくると思っていた悠菜にとって、

その方法とは全く違う手段で成績を上げる昴の存在は、

ライバルというよりも、憧れに近いものに変わりつつあった。


「畑野さんのこと?」

「そう、あの人ってどんなふうに営業するのかなって」


同じフロアで働く女子社員たちに、そう昴のことを尋ねると、

とにかく勉強家で、ありとあらゆることに精通し、

どんな人とも話題を合わせることが出来るのだと、説明される。


「どんな人でも?」

「そう、たとえば社長さんでも、跡取り社長と、
自ら会社を興した人とは考え方が違うんだって、
そんな人の裏を読むことがうまいって、よく笠間さんが言っているよね」

「笠間さん? あぁ、営業部の」


悠菜は、よく昴に話しかけている笠間のことを思い浮かべた。

ベタベタと一緒に行動しているわけではないが、

確かに一番話をしているように見える。


「わかった、ありがとう!」


残りのランチを全て食べ、コーヒーを飲み干すと、

悠菜は同僚より先に店を出て、そのまま営業部へ戻った。





「畑野さんのこと?」

「はい」


給湯室へ向かおうとした笠間をつかまえて、悠菜は昴のことを尋ねた。

笠間は、自分が入社したとき、昴が指導員として一緒に行動してくれた縁で、

今でもよく話すのだと語る。


「指導員? そんな制度があるんですか」

「あるんじゃなくて、あったんだよね。豊川部長になる前までは。
まぁ、豊川部長から嫌われているから、
もし、制度を復活させても、畑野さんがなることはないと思うけれど」


悠菜は、入社してからのことを思い出し、確かにその通りだと頷いた。

社長の縁故だけで席を確保する豊川が、くだらないことを昴に言い続ける姿を、

何度も見た覚えがある。

その努力は報われず、昴にはほとんど無視されていたが、

他の社員ならば、精神的に追い込まれそうなくらいだった。


「豊川部長、OK出してくれそうもないですね」

「うーん……気まぐれなところもあるから、絶対にダメとは言わないけれど、
まぁ、畑野さんに関して言えば、ほぼ無理だろうな」

「どうしてもって頼んでみてもダメですかね。
私、その月の給料ゼロでもいいですからって」

「ゼロ? それはまた……」


昴の仕事を学べたら、1ヶ月の無給なんて、すぐに取り返せる気がすると、

悠菜は笠間にそう告げる。


「頼むだけ、頼んでみます」

「あ……」

「なんですか?」

「あ、いや、ううん……」


笠間は歯切れの悪い言葉を残し、先に給湯室を出て行ってしまう。

悠菜は誠意を持って豊川に話をしようと、そのまま営業部へ戻った。





「畑野の下で?」

「はい、畑野さんの仕事を、ぜひ近くで学びたいのです。
正直、子会社から来て、自分は出来ると思い込んでいたところがあって。
実は、先日『HONEY』に新しい提案が出来たのは、
畑野さんがフォローをしてくれたからなのです。自分のやり方だけに固執せず、
色々なことを得て、成長したいと……」


悠菜は豊川の前に立ち、正直に話をした。

昴は席を外していて、豊川はその空席を一度見たあと、不満そうに口を曲げる。


「わざわざあいつにつかなくても、営業の方法くらい学べるでしょうが」


曲がった口を支えるために、豊川は肘をつくと、その顎を乗せる。

明らかに嫌がっていることは、悠菜にも感じ取れた。


「学べるだけではなくて、掴みたいのです」

「掴みたいねぇ……」

「はい、掴みたいです」

「ほぉ……どうしても」

「はい、どうしても」


豊川は、悠菜のことをなめるような目で見ると、

もう少し具体的に話を聞かせて欲しいと席を立った。

悠菜は豊川もその気になってくれたのかと思いながら、後をついて行く。

エレベーターの扉が開き、一緒に乗るように指示を受けると、

何も疑うことなく、悠菜は豊川に続いた。


「あの……どこへ」

「小会議室だ、みんなの前であれこれ話をしていても、集中できないし。
今はそういう制度を使っていないからね、君だけ特別扱いをしていると、
周りから思われても嫌なんだよ」


豊川は肩を軽く動かし、両手を組み指をならす。

悠菜は、ただ黙ったままで、その仕草を見続けた。





昴が席へ戻ったのは、それから5分後のことだった。

納品書のサインが抜けていると、悠菜に告げようとしたが空席で姿も見えない。

遅めの昼食でも取っているのかと席へ戻ると、笠間がすかさず飛んで来た。


「畑野さん、住友さんと話をしましたか?」

「住友さん? いや、何かあったのか」

「さっき、どうしても畑野さんの下で営業を勉強したいって、そう言って」


昴はその話を聞き、もう一度悠菜の席を見た。

仕事を片付けていったというより、物は出しっぱなしで、

続いている状況に見えてしまう。


「豊川部長に頼むんだって言っていましたけど、無理ですよね。
あの人、畑野さんのこと嫌っている……あ、すみません」

「豊川?」


そう言われて豊川の席を見ると、その席も空いていた。

椅子は座った状態から立ち上がったままで、デスクに納められず横にずれている。

こちらも何か継続中のように見えてしまう。


「何分くらい前の話だ」

「……っと、かれこれ、5分、いや10分くらいになりますかね」



昴の脳裏に、2年前のことが蘇った。



たまたま専務に呼び出され、小会議室の前を通りかかったとき、

中から女性の声が聞こえ、何かがぶつかるようなガタガタという音がした。

誰も使っていない印になっているのに、なぜか胸騒ぎがしてノックすると、

何秒かの沈黙が流れ、男の叫び声が聞こえ、

乱れた服装の女子社員が、目の前に飛び出してきた。


昴のノックに、驚き動きを止めた豊川から、狙われた女子社員は逃げ、

パワハラを含めたセクハラは、最悪の事態を避けることが出来たが、

その事実を知った社長は、被害を受けた女子社員に口止め料を支払い、

豊川自身には何もお咎めもなく、汚い行為は、闇に葬られる。


しかしその日から豊川は、全てを知り黙っている昴に対し、

さらなる敵対心を向けることになった。





「あの……」


悠菜が思っていたよりも、小会議室は小さく、机も奥に一つあるだけだった。

豊川はじっと悠菜を見ながら、鍵をロックする。


「どうしても、畑野に学びたいんだろ」

「……あの」

「住友さんの願いをかなえて欲しいというのなら、
それを押し通さないとならない、俺の気持ちも処理してくれないとね……」


なぜか笑みを浮かべながら近付く豊川に、悠菜は恐怖を感じ、

1歩、さらに1歩と後ずさりする。

しかし、小会議室は狭く、ほんの数歩下がった場所で足は動かなくなった。


「そんな顔で見るなよ、たいしたことをしてほしいわけじゃないんだ。
君が普段、男にやっていることを、やれと言うだけだよ」


悠菜は右に右にと体をずらすが、それも数歩で動かなくなる。

飛び出た柱にぶつかり、後ろにも横にも動けなくなった。


「畑野にさぁ、何を教わるつもりなんだ」

「営業です」

「営業ねぇ……」


豊川は怪しい笑みを浮かべ、追い込んだ獲物の悠菜に向かって近付いてくる。


「あいつに近付いて得をすることなんて、ないんじゃないかな……それよりさぁ」


豊川の腕が悠菜をつかみ、声をあげようとした口を、片方の手に塞がれる。

首筋に生温かい豊川の息づかいが聞こえ、その唇と舌先の感覚が、

悠菜の恐怖心をあざ笑うかのように届く。


「震えないでくれよ、いつもの元気な住友さんじゃないみたいだ。
怖くなんてないよ。ちょっとだけ遊ぼうと誘っているだけなんだし……。
畑野なんかに頼らなくたって、君の仕事がしやすいように、俺がしてあげるからさ」


豊川はつかんだ悠菜の腕を、ズボンのベルトへ動かした。

悠菜はそれを払うようにし、体を必死に動かそうとする。


「住友さんが入ってきたときからさ、タイプだなって思っていたんだ」


豊川の力は思ったよりも強かった。

悠菜の両足の間に、無理やり自分の足を入れ、動きを封じ込める。

手馴れた動きに、悠菜の恐怖心はさらに増していく。


「大きな声を出しても、下には届かないよ。
そうか、住友さんはまだ、会社全体の構造がわかっていないんだね。
この5階は、社長がほとんどプライベードで利用するから、社員の出入りはないんだ」

「いい加減に……」


悠菜は必死に首を動かすと、口を動かした。


「君の目の前にあるカメラが見えないのかな」


悠菜が顔をあげると、確かにこちらへレンズを向けた小型カメラがあった。

豊川はそれに背を向けているため、レンズは悠菜の顔だけを捉えているように見える。


「余計なことをするのなら、楽しい遊びをした証拠を、
ネットにでも流すことだって可能なんだよ……。
そうしたら、俺だけが見るのではなくて、君のみだらな映像が、
世界中に流れてしまうけれど、それでもいいの?」


それまで必死に抵抗しようとした悠菜だったが、

抵抗できない状態に脚が震え出してしまう。

豊川は荒い息を悠菜の顔にかけながら、ベルトへ向けた手を、

ファスナーにまで触れさせようとする。


「い……」


悠菜の必死の声が、豊川の体重に押さえ込まれようとしたとき、扉を叩く音がした。

そして、『豊川部長』という声が聞こえる。

一瞬、豊川がひるんだ隙に、悠菜はその体を突き飛ばすと、扉に向かって走り、

ロックされたカギを回し、外へ出た。

扉の前に立っていたのは昴で、救われたと思った悠菜の力が抜ける。


「住友さん」


昴は左手で、その体を支えた後、大丈夫かと声をかけた。

悠菜は無言のまま何度か頷き、昴の腕を必死に掴む。


「畑野……」


豊川の表情は、怒りに満ちていた。

1度ならず2度までも昴に邪魔をされたと、唇をかみしめる。


「申し訳ありません。どうしてもサインをいただかないとならない書類がありまして。
おそらくここだろうと、妙な予感がしたものですから」


はじめからわかっていたという昴の態度に、

豊川は悔し紛れに、そばにあったデスクを蹴飛ばした。

悠菜は身を昴の後ろに隠しながら、恐怖に震え続ける。


「住友さん、あなたが提出してくれた書類に、ミスがありました。
すぐに戻って訂正をお願いします」


昴の目が、すぐにここを離れろと指示しているのだとわかり、

悠菜はそのままエレベーターの方へ走っていく。

豊川はそれを追うことなく、平然と昴の横を通り抜け、

エレベーターがある方とは逆に向かって歩き出した。

開きっぱなしの扉を、昴は黙って閉める。


「畑野」

「はい……」

「お前がいくら会社にとって優秀な社員でもな、俺は絶対にお前の上司だ。
お前はここにいる以上、俺に頭を下げて生きていくんだぞ、それだけは覚えておけ!」


豊川は吐き捨てるようにそう言うと、そのまま角を曲がり消えていった。

昴は豊川を見ることなく、エレベーターの方へ向かう。

豊川の言うことに、間違いはなかった。

どれだけ『salon』で優秀な成績を納めようとも、

昴が会社の社長になることなどあり得ない。

無能であり、人間として破綻している男でも、彼が『豊川』の名を持つ以上、

その立場が逆転することなど、考えられなかった。


エレベーターのある場所へ歩いて行くと、

先に席へ戻ったと思っていた悠菜が、昴のことを待っていた。


「畑野さん」

「なぜここにいる。書類のミスを直してほしいと言ったはずだ」

「私、このまま引き下がれません。これから高村専務のところへ行って……」

「今あったことを全て話してくる、そう言いたいのか」

「はい……」


昴は廊下に人がいないことを確認すると、悠菜に向かって首を振った。

悠菜はどうしてなのかと、悔しそうに手を握りしめる。


「そんなことをしても、君が会社を辞めさせられるだけだ」

「私が? どうしてですか」

「それがこの会社の仕組みだからだ」


一流企業『salon』。

初代、先代と、社長の座は『豊川一族』が務めてきた。

昴は、豊川がいくら悠菜にセクハラをしたと訴えても、

高村は何も出来ないと、悠菜に語る。


「豊川に、こんな癖があることを知らない上司はいない。
むしろ、2年前の出来事に比べたら、住友さんは完全な未遂だ。
これ以上騒ぎ立てても、君に有利な条件は一つも出てこない」

「畑野さんは、私に黙っていろと、そう言うのですか」


昴は、ポケットから財布を取り出すと、気持ちの収まらない悠菜に、千円を手渡した。

悠菜は意味がわからず、不思議そうな目を向ける。


「これでコーヒーでも飲んでくればいい。
きっと、自分が何をすべきなのか、その答えが見えてくる」

「コーヒー……ですか」

「営業部に戻ってくるときに、ブレンドを1杯買ってきてくれないか」


昴はそう言うと、エレベーターに乗り込み、悠菜も慌てて中に入る。

二人を乗せたエレベーターが営業部のある3階に到着した。


「頼むな」


昴はそのまま扉の外に出て行き、折ったお札を握りしめた悠菜は、

エレベーターに乗ったままになった。



悠菜はエレベーターを降りた後、昴が以前連れて行ってくれた店へ向かった。

小さなテーブルにカップを置き、しばらく湯気だけを見続ける。

豊川の態度に怒り、このまま専務室に飛び込もうとしたが、

確かに昴の言うとおり、誰も受け入れないだろうと思い出す。

見たくもない表情を見せられ、聞きたくない言葉を聞かされたが、

それだけで会社を敵に回せるほどの力はない。



『自分が何をすべきなのか、その答えが見えてくる』



昴の言葉を思い返しながら、悠菜はコーヒーカップに口をつけた。





ヒールの音をさせ、営業部に向かう悠菜の手には、

昴から頼まれた『ブレンド』の入った紙袋が握られる。

あんなことをした後なのに、豊川は平然と椅子に座り、資料らしきものを読んでいる。

昴は悠菜が戻ったことに気付き、その動きを目で追った。

悠菜は紙袋を自分のデスクに置き、そのまま豊川の前に立つ。


「……なんだ」

「豊川部長、先ほどお願いした件、許可していただけますか」


悠菜は、くだらないセクハラに屈するものかと豊川のことをにらみ付けた。

豊川は、その目から視線を外し、資料を見たままになる。


「もし、許可していただけないのであれば……」


言葉を止めた悠菜の顔を、豊川は下から見上げ、何を言い出すのかと凝視する。


「まだ消えていないうちに、証拠を持って、それなりの場所へ向かいます」


悠菜はブラウスの襟の右側を、少し肩が見えそうになるくらいまで引いた。

豊川の生温かい息が吹きかけられ、唇と舌がその場所に触れた場所だ。

豊川は悠菜の思い込んだような強い目に、見ていた資料で顔を隠す。


「やりたいようにやればいい、ようは成績があがるかどうかだ」


豊川はこれ以上関わりたくないと席を立ち、そのまま営業部を出て行った。

悠菜はそれを確認すると、デスクに置いた紙袋を持ち、昴の席へ向かう。


「畑野さん、頼まれたコーヒーです」


悠菜は、悪夢から完全に吹っ切れた表情を見せ、

昴はそれを受け取りながら、一度小さく頷いた。





『Flow』
時は誰にも、流れ続ける……
いつも訪問ありがとう。パワーの源、1日1回の『ポチ』……してくださると嬉しいな。

コメント

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あきれた~(@@)

(@@;)なってこった~、豊川のヤツ~(ー_ー)!!
あきれて何も言えんわ

そんなのに負けちゃ~ダメ
悠菜、がんばれ!!

昴の冷静な行動にホッとした~^^

こういうやつなのです

yokanさん、こんばんは

今回の『Flow』は、美容室で読む、女性誌の読者投稿を読んだところから書き始めました。
『なんてこった!』と思わせる豊川ネタも、そういった部分から膨らませました。

世の中は、信じられないやつ……がまだまだいるようです。

『それでも上司』な豊川の魔の手から逃げた悠菜。
気持ちの動きが出てきます。
これからもおつきあいくださいね。