【agaiin】 3 見えない糸の色

【again】 3 見えない糸の色

     【again】 3



「ママ、おやすみ」

「おやすみ、大地」


大地はいつもお気に入りのぬいぐるみをそばに置き、眠っていた。男の子とはいえ、

まだ小学校1年生。そんなふうに思っていた絵里だったが、今日からその場所には

直斗がくれたグローブが置かれている。

大地が嬉しそうに直斗と遊んでいるのを見る度に、絵里の心は少しずつざわつき始めた。


自分のいたらなさと、限界を知らされるのと同時に、自分のものである大地を、

盗られてしまうような錯覚。

ふすまを閉め、台所に戻り、残された皿を洗い始める絵里だった。





「おはようございます」

「あ、池村さん。これ」

「エ?」


同僚の真希から手渡されたのは、懇親会と書かれている小さな紙だった。

年に一度、会社が費用を持ち、従業員達を食事会に誘ってくれるというものらしい。


「結構おいしところへ行くんだよ。私もね、入ったときはビックリしたの。今のご時世、
そんなサービスを授業員にする職場なんてないでしょ?」

「……うん」


日時を見て、すぐに紙を折りカバンにしまう。小さな大地がいる絵里は、夜に家を空けるわけには

いかなかった。


「やっぱりダメ?」

「うん。大地一人で留守番は無理だし、それに、そんな食事会に行かせていただくほど、
お店に貢献してないもの」

「そうか。池村さん来るなら行こうと思ったけど、じゃぁ、私もやめようかな」

「エ、やだ、矢吹さんはいいじゃない。もう2年も勤めているのに。堂々と行けば」

「だって……」


そう言いながら、少し先で、ベラベラと話しているパート達を見る真希。

絵里はそんな真希の思いに気付き、少し口元を緩め笑った。





「こんにちは」

「どうぞ座って、ハナさん」


絵里は店から戻ると、隣のハナをお茶に招待していた。ハナの孫である直斗に、

大地がグローブをもらったことを話し出す。


「あ、そう……。いいじゃないの、直斗の気持ちだから受け取ってやって」


ハナは嬉しそうに何度か小さく頷いた。絵里は、少し濃いめにお茶を入れ、ハナの前に置く。


「なんだか申し訳なくて。大地が誕生日は5月だって、直斗さんに言ったみたいなんです。
何かお返しをと思ったんですけど、まだ2回しかお会いしたこともなくて。
年令はおいくつなんですか?」

「年? えっと……いくつだっけねぇ。たしかうさぎ年だった……と」

「……あ、じゃぁ、私と一緒です。今年32歳じゃないですか?」

「そうなのかね。ごめんよ、もう、記憶がしっかりしてなくて」

「いえ……」


自分より下に見えた直斗が同じ歳だったことに、少しだけ驚く絵里。亡くなった伸彰とも

同じ年令ということになる。大地と楽しそうにキャッチボールをしている姿を思いだし、

もし、彼が生きていたら……。そんな想いが頭をよぎる。


「まだ結婚もしてないんだよ。全くねぇ……。早くいい人を見つけて、落ち着いて欲しいんだけど。
こればっかりは……」


そんなハナの心配がわかる絵里は、そうですねと頷き返す。


「絵里ちゃんのように、明るい頑張りやさんが、直斗のそばにいてくれたら……」


ハナのそんな淡い期待の視線を感じ、絵里はスッと立ち上がる。


「でも、優しいお孫さんですね。おばあちゃんを心配して、顔を見せてくれるなんて」


「あの子もね、父親をずっと知らずに育ったんだよ。おせっかいかもしれないけど、
きっと大地君に小さい頃の自分を、重ねているのかもしれないね」

「……」

「ああやって、よく顔は見せてくれるんだけど、どんな仕事をして、どこに住んでいるのかも、
実はわからないんだよ」

「エ?」


買ってきた羊羹を切る絵里の手が、一瞬止まる。


「私もこの年になって、あれこれ知りたくもないし、直斗が一生懸命生きてくれたら、
もうそれで言うことはないから……」

「そうですか……」


ちょっと不思議に感じた絵里だったが、あまり聞き出すのもよくないのではと、話しを止めた。


「ママ、この紙、絵を描いてもいい?」

「どれ?」


大地が持ってきたのは、今朝スーパーでもらった懇親会の用紙だった。

その紙に文字が書かれてあるのを見るハナ。


「あ、大地君。これはダメじゃないの。何か書いてあるよ……ねぇ、絵里ちゃん」

「ダメなの?」


大地は手にクレヨンを持ったまま、絵里の方を向く。


「いいんですよ。それ、懇親会のお誘いだったんですけど、私、参加しませんし」

「あら、『モンテボー』じゃないの。ここのケーキ美味しいのよ、絵里ちゃん」


ハナも知っている有名店。絵里は少しだけ興味を示す。


「そうなんですか?」

「どうして行かないの?」

「夜ですから。大地を一人にはしておけないですし……」


絵里は冷蔵庫からジュースを取り出し、大地のコップに注ぎ入れた。現実は現実。

ふっと浮かんだ興味を、絵里は自分自身でしまい込む。


「大地君、この日、おばあちゃんのお家でママを待ってようよ。それで、ケーキをお土産に
買ってきてもらうっていうのはどう?」

「うん、いいよ! ママ、それでいいよ。僕、おばあちゃんのところに行く!」

「大地!」

「行ってらっしゃい、絵里ちゃん。子供を抱えていると、こんなおしゃれに食事をするなんてこと、
なかなかないわよ」


お土産に買ってくるだろうと、ハナと大地はケーキの話しで盛り上がっていた。





「これが、先日の資料です」

「わかった。後で確認しておく」


直斗は一度頭を下げ、社長室を出ようとドアノブに手をかけた。


「直斗、児島建設のお嬢さんとは、それからうまくいってるのか?」


児島建設の社長の娘。それは楓のことだった。直斗が初めて参加したプロジェクトの、

パーティーで出会った5つ年下の女性。個人的につきあい始めて、そろそろ2年になる。


「会ってますよ」

「お前が望むのなら、話しを進めてもいいんだぞ。児島建設の娘さんなら、相手として不足はない。
むしろ、我々にとって、あの会社と縁続きになれることは、プラス要素も大きいからな」

「……」

「どうだ……」


直斗はドアノブから手を離し、高次を見る。常に会社の利益を求め、使えるコマは全て使う男。

息子である自分の結婚も、この男にとっては、何かのイベントごとでしかないのだろう。

思い通りにのし上がってきた強さが、顔に表れている。


「そんなに焦る必要はないんじゃないですか? 楓が一番いいと、思っているわけではありません」

「……」

「まだ……考える時間はあると思っているんですが……」


楓が自分にとって、最高の相手だとは思っていない。

そう宣言する直斗を、満足そうに見つめる高次だった。





「いい? じゃぁ、約束!」

「うん……」


今日は懇親会の日だった。仕事を終えたら、そのまま食事に向かう絵里は、学校へ行く大地に

しっかりと言い聞かせる。


「寄り道したりしないで、ちゃんと帰ってくること。おばあちゃんはママと違うから、
あれこれわがまま言って困らせないこと。それと……」

「おやつは、玄関に置いた袋を持って行くこと! でしょ?」

「……そう、よく出来ました」


大地は何度かしっかりと頷き、学校へ向かっていった。絵里は洗濯を終え、火の元を確認すると、

足早にスーパーへ向かっていった。


「エ……お坊ちゃまが?」

「そうなんだって。ビックリしちゃった。なんだか緊張しちゃうよね」


更衣室では、いつものメンバーが雑談に花を咲かせていた。絵里は挨拶だけ済ませると、

さっさと着替え、更衣室を出て行こうとする。


「あ、池村さん。ねぇ、あなた、前にお坊ちゃまに話しかけられたんだって?」

「エ……あぁ、そうですね」

「ねぇ、何を話したの? 食事にでも誘われた?」


興味津々な顔で、問いかけてくる女達。聞かれたくもないことを聞かれ、腹が立ちながらも、

絵里には何も言い返せない。


「池村さん。この間、男の人と話してたわよね、仲良さそうに」

「……」

「あ、言っちゃった……」


同じパート仲間の荒井は、わざとらしく口を手で隠す。絵里の驚く顔を見て得意気に笑った。


「あら、やっぱり彼氏いるのね。そうよね、まだ若いんだもの」

「……いえ、そんな……」


すぐに他の年配のパートが、決めつけたようなコメントを乗せてくる。


「大地君だっけ? 楽しそうにキャッチボールなんかしてたよね」


彼氏と思われたのは、直斗のことだった。どこで誰が見ているかわからない。

絵里はそう思い少し嫌な顔をする。


「あら……ごめんなさい。余計なこと言って。ほら、行きましょう!」

「はーい……」


女達は、クスクス笑いながら、更衣室を出て行った。





招待されたのは、中庭を備えたフランス料理の店だった。

メインを食べた後、デザートの準備をする間、絵里は一人で中庭を散歩する。


「こんばんは」


後ろを振り向くと、そこには『お坊ちゃま』と呼ばれていた亘が立っている。

絵里は軽く頭を下げ、横を通り過ぎる。


「そんなに避けられる理由はなんなんだろうな」

「……避けているわけではないですけど、特にお話もないので」


ハッキリものを言う絵里に、亘は微笑み軽く頷く。


「どうして僕が今日、ここへ来たのかわかりますか?」

「いえ……」

「あなたと話しをしてみたかったんです」


大きな会社を経営している社長の息子。自分の人生になにも関わりのない男からのそんなセリフ。


「野菜を並べているあなたを見た時、角度をつけていたのがすごく印象的でした。
僕は全店舗でみなさんの仕事ぶりを見てきましたけど、あなたが一番うまかった」

「……そんな、褒めていただくようなものじゃないです」


絵里は下を向いたまま、すぐにそっけない答えを返し、

これ以上話しかけないでほしいと態度で示す。


「あなたなら、僕を助けてくれるかもしれない……そう思ったんですけど」


助けるという言葉に、絵里は納得が行かずに亘を見た。何も力のない自分が、

こんな男性の力になれるとは、想像も出来ないからだ。


「いくら払ったら、協力してくれますか?」

「……エ?」

「あなたは、いくら出せば、僕のために動いてくれますか?」


亘は優しくそう問いかけてきた。その表情はあまりにも真剣で、絵里をしっかりと見つめた目は、

まっすぐに向かってくる。


「いくらなのか……言ってください」

「……お名前を教えていただけますか?」

「篠沢亘です」

「篠沢さん。あなたのその考えを助けられるような頭脳を、私は持っていませんし、
その考えに同調する気持ちもありません。失礼だとは思いますが、あえて言わせていただきます」

「……どうぞ」


絵里は一度呼吸を整え亘の方を向く。パートとしては、あまりにも失礼なことかもしれないが、

このチャンスに思っていることをぶつけてみたかったのだ。


「こんなふうに、普段出来ないような食事に連れ出していただけることを、喜ぶ人もいるでしょう。
でも、私にとっては非常に迷惑です」

「……」

「ここのコース料理が、いったいいくらしているものなのか、わかりませんが、
食べながらずっと思っていました。この料金を、現金でいただけたら、私は残してきた息子に、
大好きなものを食べさせてやれるのに……と」


まっすぐ自分に訴えかける絵里の言葉を、亘は真剣に聞く。


「私は毎日900円の時給で、働いています。そのお金を大事に使いながら、
一人で息子を育てているんです。こんな貧乏な考えしか持てない女が、お金持ちで、
お金を自由に動かそうとするあなたの、力になれるとは……到底思えません。
変な勘違いは、やめてください」


絵里はそう言い切ると、亘に頭を下げ部屋へと戻る。残された亘は振り返り、

去っていく絵里の後ろ姿を目で追い、その場に立ったままだった。





「すみません……遅くなって」

「絵里ちゃん、寝ちゃってるよ、大地君。大丈夫かね? なんならこのまま寝かせておくのに」

「いえ……」


絵里はそう言うと、大地を抱き上げ、部屋へと戻る。あらかじめ敷いておいた布団に寝かせ、

台所の電気をつけた。



『あなたは、いくら出せば、僕のために動いてくれますか?』



食事会でそう言った亘の言葉を、絵里はふと思い出す。

冷蔵庫から小さなジュースの缶を取り出すと、少し力を入れ栓を抜いた。





4 光と影の交差点 へ……





ランキング参加中です。よかったら1ポチ……ご協力ください。

コメント

非公開コメント