13 Partner 【相手】

13 Partner 【相手】



身から出た錆びによって、営業部長を解任された豊川に代わり、

以前、営業部にいた橋場が、さいたま支店から戻り、部長に就任した。

急な人事異動だったこともあり、まだ部長職に集中できず、

しかも別の部署にいたブランクを埋めるため、

橋場は昴を部長代理といえるようなポジションに任命する。

この結果、昴の自由な時間は、一気に減ってしまった。


「これが『資料』?」

「はい、全てこれで管理されています」


あれこれ仕事のことを聞かれるのは構わないが、

昴にとって一番やっかいなのは、外へ自由に出ることが出来ないことだった。

それでも、取引先へ向かう時などはもちろん許可されるが、

戻り時間も計算されるため、仕事から離れることが出来なくなる。

就任早々、橋場に怪しまれることは避けたいと、

昴は利佳子や晴恵に会う時間を、夜へシフトした。





綾音は駅の化粧室へ入り、もう一度鏡で自分の姿を確認した。

髪の毛は乱れていないか、ルージュははみ出していないか、

化粧は他の人に比べて派手になってはいないか、最後に自分の顔を見る。

ほんの少しで出るつもりが、気付くと数分が経過していて、

慌てて待ち合わせ場所へ向かった。

ベンチには裕が先についていて、綾音は一度深呼吸をした後、

遅くなりましたと挨拶する。


「いえ、僕も今来たところですから」


ラフな格好ではあるけれど、綾音が、作業着以外の裕を見るのは初めてだった。

普段、帽子で隠れている髪も全てが見えて、隣に並ぶだけでドキドキしてしまう。


「まずはあらためて……綾音さん、コンクール代表おめでとう」

「ありがとうございます」


裕はそう言ったあと、堅苦しいことはここまでにしましょうと笑顔を見せる。

綾音もそんな裕の表情に、緊張していた気持ちが少しずつほぐれていくのを感じ、

わかりましたと微笑んだ。


「この間、調律をしに君の家へ行っただろ」

「はい」

「あの時、演奏している君の後姿を見ていたら、お兄さんに睨まれた……」

「睨まれた?」

「……気がしただけだろうけれど」


裕は以前、先輩と訪れたという『創作和食』の店へ入った。

店内は小さな区切りがあちこちにあり、ちょっとした個室のようになっている。

二人の前にメニューが運ばれ、軽い説明が行われた。

お決まりになりましたらという、マニュアルどおりの接客をした店員は、

二人に頭を下げ、厨房へ消える。


「何か、あれから言われなかった?」

「そういえば、どうしてこの業者にしたんだって、兄に聞かれた」

「うん……それで?」

「『立原』に出入りしているから、間違いない業者だろうと思うって答えたの。
おそらくそういうことは聞かれると思っていたし、答えも決めていたけれど、
ウソをついたわけではないのに、なんだかドキドキしてしまって」

「そうだね……」


裕は、計画通り演奏が聴けたことはよかったと振り返り、

綾音も素直に喜んだ。裕はメニューを広げ、とりあえず全てを見終えると、

任せてもらってもいいかと問い返す。


「綾音さん、苦手なものとか、ある?」

「特に……」

「よし、それなら飛び切り美味しい魚料理、食べてみて」


綾音は、裕の楽しそうな顔に向かって、しっかりと頷いた。





その頃昴は、利佳子と時を過ごしていた。

昴は利佳子の脚へ唇を這わせ、

ペディキュアを綺麗に塗った脚先は、少し力が入るのか軽く曲がりだす。

舌先が太ももから内側へ向かうと、利佳子の口からいつもより長めの吐息が出され、

昴の鼻先を自然に湿らせた。

満足そうに目を閉じる利佳子は、両手でシーツを掴み上げ、

もう一度長めに息を吐き出す。

昴は顔を上げ、唇を遊ばせた場所へ指だけを残すと、

刺激を待ち続けるふくらみに口づける。


「昴……」


利佳子は残された指先へ手を動かすと、それをどかすようにした。

言葉に出すわけではなかったが、何をして欲しいのか、目で訴える。

昴は首を軽く振り、その手をどかし、主導権はあくまでも自分であり、

利佳子の思い通りにはさせないと合図する。


「契約……終了するから……」

「すればいい」


利佳子の表情を見ていれば、何を考えているのかすぐにわかる。

飾り立てる宝石も洋服もない代わりに、女としての欲望はむき出しだった。

拗ねるように体を横へ向けた利佳子を軽く抑え、

昴はあらためてうなじへ唇を向かわせる。


「それでは、契約は今日で……」


昴は利佳子の耳元でそうささやき、左手で太ももに触れる。

利佳子の左足を少し持ち上げるようにすると、脚をからめた。

利佳子の求める波が、ゆっくりと訪れる。

利佳子は背中に迫る昴の腕を掴みながら首をそらし、満足そうな笑みを浮かべ、

押し寄せる波の心地よさを、夢中で受け止め続けた。



荒い呼吸の中、昴は携帯を確かめた。

時刻は21時をすでに過ぎている。


「これからは夜しかダメなんでしょ、昴」

「しばらくは無理だな」

「夜かぁ……広太郎がいる時には、外に出て行けないのよね」


自由奔放に遊びまわっている利佳子でも、さすがにパートナーの広太郎が家にいる時に、

外出することはままならないとそう言った。昴はそれは当然だと頷き返す。


「広太郎と過ごせばいい」

「無責任ね、昴は。広太郎といるのは嫌いじゃないのよ、
でも、ずっと一緒っていうのは我慢できないの」


利佳子はそう言いながら、自分の黒髪を指にからめ、弄び始めた。

昴は鏡に映る利佳子の様子を見ながら、身支度を整える。


「思い切りスポーツしたくなるときだってあるじゃない」

「スポーツ?」

「思い切り汗をかくと、色々と発散できることも多いのよ」


利佳子は、昴との時をスポーツだと表現し、

おかしくなったのか髪の毛で顔を隠し笑い出した。

昴は、ネクタイを結び、いまだに寝転がったままの利佳子の方へ顔を近づける。


「それなら、広太郎との時間は?」

「そうね、介護……かな」


利佳子はそう悪びれることなく言い切ると、舌をペロリと出した。

昴は利佳子の足元側にある布団のすそを掴み、顔を隠すように上へかぶせてみる。


「キャー、昴、何するのよ」

「ひどいことを言うからだ」

「もう!」


利佳子は慌てて布団を直し、体全体を隠すようにする。

昴はまた鏡を見ると、上着をしっかりと羽織った。


「勘違いしないでよ、介護が嫌だなんて一言も言ってませんから。
広太郎には広太郎のいいところがあるの。
いつもスポーツばかりしたいわけでもないのよ、これが不思議なことに……」


利佳子はいつも広太郎の話を昴に聞かせた。

世間一般からすると、

別の男とベッドで過ごしながらパートナーを褒めるなんていうのは、

ありえないことなのだろうが、『人の生き方』は、常に決まった形ではない。

営業をしながら、色々な人間模様を見ている昴にも、多少はわかることだった。


「昴との時間があるから、広太郎にも優しくなれるの、私。
広太郎がいなかったら……寂しいもの。
なんだろう、心の満足と体の満足は違うところにあるような気がするわ」


昴は携帯を取り出し、もう一度時刻を確認すると、

利佳子に挨拶をし、部屋を出た。

エレベーターでロビーまで降りた後、少しでも早く駅へ向かおうと小走りになる。

タクシーが勘違いをしてドアを開けたので、手で違いますと挨拶しさらに前を見た。

目の前に現れた人に、昴は慌てて身を柱の影へ隠した。



道路の向こう側を歩いているのは悠菜だった。



悠菜は道路の反対側で店へ入り、丁寧に商品を見ている。

視線がこちらへ向いているわけではないが、もし気付かれたらと思うと、

昴はうかつに動くことが出来なかった。

顔だけを影から出すと、悠菜の行動を見続ける。

悠菜はしばらくすると店内から出てきて、少し店から離れると、

手帳を取り出し、何やら書き込み始めた。


その時、昴は初めて、今の店が悠菜の取引先近くのライバル店だったことに気付く。


この通りは、ホテルを中心に成り立っているが、

昼間と夜で、利用する客の層が全く異なった。

昼間は、1本道をずらしたところにある『女子大』の学生が幅を利かせ、

店もある程度の値段に絞った商品を置いていた。

しかし、夜になるとホテルを目指す客層が現れ始める。

そのため、昼よりも夜に営業し、羽振りのいい客を目当てにする店も多い。

悠菜は、ライバルの店がどんな仕入れをし、商売を展開しているのか、

確認するためにここへ立ち寄ったように見えた。


結局昴は、悠菜が手帳をしまい、駅の階段を下りていくのを確認するまで、

その場を動くことはなかった。





「ありがとうございました、今日はここで」

「うん……」


時刻が22時近くなったこの時間、

綾音はマンションから3つほど離れた駅のホームで、

裕に食事を誘ってもらったお礼をした。

昴が仕事で遅くなることはわかっていたが、

地元の駅で、もし鉢合わせするようなことがあると面倒だと思い、

関係ない駅で別れることにする。


「綾音さん」

「はい」

「また、誘ってもいいですか?」


裕は真面目な顔でそう尋ね、綾音もその言葉を待っていたと笑顔で頷いた。

裕はよかったと安堵の表情を浮かべ、携帯で連絡しますと付け加える。


「それでは……」


路線を変える為、綾音が階段を下りようとしたとき、裕がその腕をしっかりとつかんだ。

綾音の驚いたような顔に、慌てて手を離す。


「ごめん」

「いえ……」

「あの……まどろっこしいことが好きじゃなくて。
せっかくいいお返事だったので、さらに飛ばします」

「はい……」

「お付き合いをしてください」


裕の告白は突然で、綾音は鼓動が速くなるのを押さえようと必死になる。

脈を打つ音が、聞こえてしまうのではないかと、大きく深呼吸を繰り返した。


「ダメですか? そこまではいくらなんでも、飛びすぎてます?」


綾音は首を横に振り、精一杯の答えを返すことしか出来なかった。





綾音がマンションへ帰ると、まだ、昴は戻っていなかった。

リビングの灯りをつけ、ピアノの椅子に座った。

裕が咄嗟につかんだ左腕は、勝手に熱を発しているように感じて、

じっと見てしまう。

驚きで大きく動いた鼓動は、裕の告白によって、さらに速度を上げた。

今まで、どんなコンクールや発表会でもこんな思いをしたことがないくらい緊張したが、

その後で押し寄せた嬉しさの波は、幸せの余韻で揺れ続ける。

綾音の視線がサイドボードに向かい、

一番前に置いたままの、悠菜が昴に渡したワインが目に入った。

綾音はそれを取り出すと、携帯を握る。





昴の存在に気付くことなく電車に乗った悠菜は、

満員ではないものの座ることが出来ずに、入り口近くの壁に寄りかかりながら、

心地よい揺れに自分を重ねていた。

携帯が揺れ始め、周りを気にするように受話器を開ける。


「もしもし……」

『あ、綾音です、こんばんは』

「……どうしたの?」

『悠菜さん、お願いがあるんです』

「お願い?」


思わぬ綾音の言葉に、少し傾いていた体を、悠菜は慌ててまっすぐに戻した。


『あのワイン、私が開けてもいいですか?』

「ワイン……あぁ、あの」

『はい、悠菜さんが兄に渡した、あのワインです』


綾音は、今日は嬉しいことがあったと言い、

1杯だけ飲みたくなったと正直に話した。

悠菜は、今日がどんな日だったのかを思い出し、納得すると、何度か頷く。


「そうか、調律師さんとのデート、楽しかったんだね」

『……はい』


少し小さい声ではあったけれど、綾音の嬉しさが悠菜にも伝わってきた。


「OK、OK! ぜひ飲んで! 悪酔いするようなものではないから、
飲み心地も悪くないはず」

『ありがとうございます』


電話はそこまでで、プツリと切れた。

悠菜の、それまで眠くて疲れていた体が、ウソのようにしゃきっとする。

『デートが楽しかった』と話してくれた綾音の喜びに便乗したくなり、

悠菜は、自分が飲むワインのつまみはどうしようかと、考え始めた。





昴が家につくと、リビングに座り笑顔を見せる綾音が、

ワイングラスを持ったまま出迎えてくれた。

テーブルにあったのは、悠菜がお礼によこしたワインで、

綾音は勝手に開けてしまったと、謝罪する。


「ごめんねお兄ちゃん。どうしても飲んでみたくて、開けちゃった」

「珍しいな、お前がワインを一人で飲むなんて」

「嬉しいことがあったから……かな」


綾音が思い浮かべたのは、真剣な顔で告白してくれた裕の顔だったが、

昴は、教授にでも褒められたのかと尋ねた。

綾音は、昴の後姿を見ながら、『その通り』だと話をあわせる。

昴は上着を脱ぎ、ネクタイを緩めた。


「お兄ちゃんも一緒に飲まない? これ、お兄ちゃんがいただいたものだし」


昴は、その綾音の言葉に、ライバル店で調べをしていた悠菜のことを思い出した。

無鉄砲なところもあるけれど、頑張りやであることは間違いない。


「そうだな……1杯だけ」

「うん」


綾音は昴のワイングラスを取り出すと、ゆっくりと注ぎ入れ、

二人はワインの瓶を挟むように向かい合った。


「それじゃ、畑野兄妹に乾杯」

「……あぁ」


互いに1杯だけと約束したはずが、久しぶりに向かい合えたことと、

お酒が互いに入ったことが拍車をかけたのか、思い出話が花を咲かせ、

気付くと瓶は空になる。


「あらら……もう、なくなっちゃった」


綾音は酔いが回ってきたのか、耳を赤くし、ふぅ……と息を吐いた。


「お兄ちゃん」

「何だ」

「このワインをくれた人、きっといい人よ」


綾音はそういうと空の瓶をつかみ、嬉しそうに微笑んだ。

昴は、どうしてそう思うのかと、グラスに残ったワインを飲み干し尋ね返す。


「だって、こんなふうにお兄ちゃんと向かい合って、楽しくお酒が飲めたじゃない。
そんなこと、今まであった?」


綾音が楽しそうに笑う顔を見ながら、昴はそうだなと返事をする。

目の前にいる妹の綾音は、母の希望通り『立原音楽大学』に入り、必死に学んできた。

毎日の課題に追い回され、お酒を飲んで笑うような時間など、なかったかもしれない。



『私には精一杯のワインです』



昴は、このワインを寄こした時の、悠菜の言葉を思い出す。



まっすぐで、希望を持った輝く目を持つ人。



昴は飲み終えた2つのグラスを手に持つと、

妹との思いがけない時間を持てたことに感謝しながら、割れないように流しへ片付けた。





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コメント

非公開コメント

綾音の恋に、ほんわかしているのですが、
昴に知られ手島ったらと思うと、怖い気持ちもします。

甘めと辛め?

pocoさん、こんばんは

綾音と裕の恋模様は、昴が渇いた日々のため、
余計にほんわか感じると思いますよ。
知られたら……うーん、確かに怖いかも(笑)

素質あり?(笑)

朝にベットシーンがあるところを読むのはキツイわ~(笑)
昴のテクニック?に、その素質もあったのか~と思ってしまったわ^^;

裕君のことを最初から斜めに見てるせいか
なんだか不安がつきまとうのよーー;

そうだよね

yokanさん、こんばんは

朝から読ませて悪いわぁ(笑)
私の創作にしては、そういうシーンが多いんですけど、
昴には今、色々とありまして。
『ヨッシャ!』と気合を入れて、これからも読んでね。

>裕君のことを最初から斜めに見てるせいか
 なんだか不安がつきまとうのよーー;

そうだよね、昴に比べて、あまりにもピュアな二人。
yokanさんの勘は当たるか、外れるか……
それも引き続き読んでね