14 Intention 【意図】

14 Intention 【意図】



それから3日後、綾音は『代表合宿』に向けて出発した。

昴は、橋場のフォローをしながらなんとか時間を見つけ、

利佳子や晴恵との契約を実行する。

そして、悠菜は新規契約が取れたことに気分をよくさせながら、

いつもの道を歩いた。

アパートの脇の道に、以前止まっていた黒い車を見つけ、一瞬歩みを止めたが、

特にライトなどが光ることもなかったため、すぐにまた歩き出す。

すると、静かだった車の扉からスーツ姿の男が二人現れ、

無言のまま悠菜の方へ向かってきた。


周りには誰もいないため、腕でもつかまれてはならないと、

悠菜は慌ててアパートの方へ走った。


「お待ちください。住友悠菜さんですよね」


走る悠菜の背中越しに、一人の男がそう声をかけた。

明らかに自分だとわかり、不安はさらに増していくが、

名前を呼ばれたことで、走り続けることが出来なくなる。


「はい……そうですが、何か」


こんな黒い高級車に乗ってくる男性に、声をかけられる理由などひとつもなかった。

むしろ、自分の営業が強引で、文句を言いにでも来たのかと、

近頃何かトラブルがなかったかどうか、短い時間にあれこれ考え始める。


「すみません、突然のことで驚かれたでしょう。
怪しいものではありませんので、逃げないでいただきたいのです」


悠菜は男の丁寧な口調に、体の重心をアパートの方へ向け、

いつでもスタート出来るような体制だけは崩さずに、顔だけで相手を見た。


「住友苗子さんをご存知ですよね」


『住友苗子』とは、亡くなった母の名前になる。

その名前の登場に、悠菜の心から不安よりも疑問が前になり、

体全体を男の方へ向けた。


「母を、ご存知なのですか」

「はい、あ……いえ、住友苗子さんを知っているのは私ではないのですが。
私はこういうものです」


男たちは確かに身なりもしっかりしていて、口ぶりも丁寧だった。

一人の男から渡された名刺には『株式会社 STW』という企業名が書いてある。

江口秀作という名の男は、社長秘書の肩書きを持っていた。


「社長秘書……」

「『STW』と聞いても、わからないかもしれませんが、
私たちはヨーロッパの家具や雑貨の輸入を手がけておりまして、
全国に店舗を持っています。ホテルに入っている雑貨店『ブランカ』はご存知ですか」

「はい……」


『ブランカ』という店の名前なら、悠菜にも聞き覚えがあった。

ヨーロッパで職人が作る雑貨や小型の家具を売る店で、確実な業績を上げている。

さらに、昨年は観光地で立ち上がったホテルの家具一式を、

プロデュースしたという話題も出た一流企業になる。


「それで……何か」

「私どもの社長は、渡瀬勇と申します。
今回は社長の命令により、悠菜さんを探させていただきました。
偶然、悠菜さんもお父さんを探していらっしゃるという情報も、入りまして……」


悠菜は耳に飛び込んできた情報に、一瞬で頭が真っ白になった。

この秘書の話の中身だけを、単純に信じるのなら、

『STW』の社長を務める渡瀬勇が、父親ということになる。


「あの……私には何がなんだか」

「住友苗子さんと社長との間に、生まれたのが悠菜さんであると、
先日、正式に調べた結果をいただきました」

「調べた?」

「はい……」


話をしていた秘書は、もう一人の男に合図をし、その男は小さなバッグを取り出し、

その場で中を見せた。

入っていたのは『小さな手鏡』で、悠菜が母から譲り受けたものの色違いになる。


「このような手鏡を、お持ちではないでしょうか」


悠菜は、自分の足が震えていることに気付き、懸命に心を落ち着かせようとしたが、

なかなかうまくはいかない。

暗い道に入り込み、出口が見えなくなってしまったようで、

相手の正体がわからなかった時とは違う怖さが増していく。


「この手鏡は、社長が事業を継ぐ前に、初めて外国の業者と交渉し、
仕入れた商品の一つだそうです。自分の腕を認めてもらえたことが嬉しくて、
当時、お付き合いのあった苗子さんに、色違いのものを贈ったと説明を受けました」


渡瀬勇は、『STW』を経営する一家の長男で、立場を考えた悠菜の母苗子は、

すでに悠菜を身ごもっていながらも、自ら何も言わずに身を引いた。


「住友という苗字は、悠菜さんにとっては、祖母方の苗字だそうですね。
苗子さんは当時、春田という苗字を名乗っていたので、
社長はそこから探し始めたようですが、見つけることが出来なかったそうです。
悠菜さんが生まれていたことも、別方面から情報が入ったのは、ごく最近のようでした」

「最近?」

「はい、悠菜さんが父親を探し始めたことで、手鏡とお母さんの名前がわかったのです」


悠菜が父親を探し始めたことで、その情報を持った業者が色々と捜索する中、

渡瀬勇が持っている情報と重なり、事実が明らかになったのだという。


「納得していただけましたか」

「すみません」

「はい」

「あの……こうして来ていただいて申し訳ないですが、お帰りください。
きっと、何かの勘違いです」

「悠菜さん」


秘書の江口が一歩近付き、悠菜はその分後ろへ下がる。


「私が、そんな企業の社長を務める方の、娘であるわけがありません。
こんな手鏡、他のお店にだってあるでしょうし、
母の名前だって、それほど珍しいものでもありません」

「いや、しかし」

「違います! とにかく、帰ってください!」


悠菜はそう強く言い切ると、男たちと振り切り部屋へ向かって走った。

震える手を押さえながら鍵を開け、体を奥へ押し込んだ後、

そのまま崩れるように座り込む。

幼い頃、友達が父親と手をつないで歩くところを見ると、

自分の父親もこういう人なのではないかと、思いをめぐらせた。

小さな工場で懸命に汗を流す人を見ると、同じ時に、父親も汗を流しているのかと、

勝手に考えた。

悠菜が想像していた『父親』の姿は、手を伸ばせばすぐに届くような、

そんな身近なものだった。


悠菜は頭の中に浮かぶ全てのものを消し去ろうと、

秘書からもらった名刺をにぎりつぶし放り投げると、両手で耳を押さえ、

何度も違うのだと言い聞かせる。

真っ暗な部屋の中で、どうしようもない思いを抱え、涙だけが滲み出した。





晴恵は昴の背中を必死につかみ、刻まれる波に向かって、言葉にならない声をあげる。

高まる気持ちに火照る頬を押し付け、昴の肩を軽く噛んだ。

昴は晴恵の汗ばんだ髪の毛に指をからめ、その動きを抑えようとする。

体が重なりあったまま、長い息を吐き、向かい合った二人は自然と唇を重ねた。


「空しくてたまらないの」


晴恵はベッドに横たわったまま、そう昴に告げた。

昴は携帯で時間を確認すると、天井を見上げる。

時間だけを気にしながら、他人の妻と体を重ねる自分を、

いつも見ているこのライトが、灯りをつけているのに冷たく見える。


「生きていれば、空しいことはたくさんありますよ」

「別れたい……」


晴恵はそういうと、横にいる昴の胸へ顔をうずめた。

晴恵の中に、昴に対する感情が湧き上がり始めていることは、薄々感じ取れた。

昴との時間を『スポーツ』だと笑い、

パートナーのことを愛しているという利佳子とは、明らかに違う。


「どうされたんですか」

「どうって?」

「今の生活があるのは、ご主人のおかげではないですか」

「あるのはお金だけだもの。
他に何もないのにお金があるだけっていうのは、空しい……」


昴は、その贅沢の中に身をうずめることを選んだくせに、

『お金』を嫌うような発言をする晴恵に、軽い怒りを覚えた。

その『お金』のためにこうしている自分のことを、

侮辱しているようにさえ思えてくる。


「お金がなければ、それはそれで苦労ですよ」

「ねぇ……」


晴恵の目を見た昴は、すぐに体を起こした。

個人的な感情を含まれてしまうと、この関係性が成り立たなくなる。


「申し訳ありません。あなたにとって、この時間が必要なのなら、
そんな目をしないでください」

「畑野さん……」

「私には、それに応える力はありません」


昴は、あえて強い口調で語り、晴恵の気持ちを突き放した。

あくまでも契約があるからこそ、こうして肌を合わせている。

そこに『愛情』はないのだと間接的に伝え、

晴恵をベッドに残したまま、一人、シャワールームへ入った。



唇を合わせるのにも、見つめ合うのにも理由がある。



昴は、晴恵が触れた場所、口付けた場所は全て洗い流し、

両手の指1本ずつ、爪の先までいきわたるように、シャワーの勢いを強くした。





悠菜は部屋の中でクッションをつかんだまま、時計を見た。

力の抜けた体をなんとか部屋まで運び入れたが、

気付くと、何もしないまま時刻はもうすぐ21時になる。


まだ、電車も動いているし、駅までたどりつけば、

バスだって動いているかもしれない。


悠菜は、クシャクシャになった名刺とバッグだけを手に持つと、

すぐに部屋を飛び出した。





悠菜が向かったのは、『小麦園』だった。

携帯から連絡を受けた康江は、いつもと違う悠菜の態度に、

細かいことは何も聞かずに、ただ待っているからと声をかけた。

この時間に慌てて来ること自体、何かがあったとしか思えず、

悠菜の到着を玄関の前に立ち、今か今かと待ち続けた。

車のライトが眩しく光り、まっすぐ走っていた動きが、

何かを避けるように少し膨らみ、目の前を走り去る。

その影に見えたのは、悠菜だった。


「すみません、こんなに遅く来てしまって」

「そんなことはいいのよ」

「先生……」

「どうしても来なければならないことが、起きたのでしょう」


悠菜は小さく頷くと下を向く。

押さえていた感情が、康江の声にあふれ出し、両手で顔を押さえた。



康江は、悠菜を食堂へ通し、気持ちが落ち着くまで待とうと、お茶を前に置いた。

そばにあったティッシュケースを差し出すと、向かいあって座る。

康江は悠菜の涙の声を聞きながら、ゆっくりとお茶を飲んだ。

このまま朝になっても構わないと、目の前で震えている悠菜を見守り続ける。

涙が下へ落ちきったとき、悠菜は初めて顔を上げた。


「話、出来そう?」

「はい……」


悠菜はハンカチでもう一度目頭を押さえ、

天井を見ながら気持ちを切り替えるつもりなのか、はぁ……と声を出す。


「先生、以前預けた封筒を、出していただけますか」

「お父さんの調査結果の封筒?」

「はい……」


悠菜は、黒い高級車に乗った男たちがアパート前に現れ、

そこで話をした内容を全て康江に語った。

母が、自分をお腹に宿しながらも身を引いた話、

名前を祖母方の苗字し生きてきた理由、初めて知ったようなことも多く、

戸惑ったことも口にする。


「いまだに信じられなくて。もしかしたら夢でも見ているのかと。
だから、あの封筒を見て、確認しなければならないって、そう思って」


康江は悠菜の気持ちを受け、席を立ち、自分の部屋へ戻った。

預かった封筒を引き出しから出す。

悠菜から聞いた話がウソであるとは、到底思えず、

この封筒を開けた時に、どんな言葉をかけるべきなのか考えた。


悠菜は食堂で一人になり、お茶を飲んだ。

思ったよりも長く語り続けたのかノドが乾いていて、湯飲みは空になる。

スリッパの音が廊下から聞こえ始め、その音はだんだんと近付いた。

康江は食堂へ戻り、封筒をテーブルの上に置く。


「はい」

「ありがとうございます」


悠菜は先日自分が預けた封筒を、もう一度しっかりと見た。


「悠菜さん。ここに何が書いてあっても、あなたは何も変わらないの。
それだけは忘れないで」

「……はい」


康江は手に持っていたはさみを悠菜に手渡した。

悠菜はそのはさみをしっかりと握り、ゆっくりと封を切る。

中に入っていたのは数枚のレポート用紙と、数枚の写真だった。

『STW』の本社ビルの写真、どこかのパーティーで乾杯の声を上げる勇の写真、

そして、勇が経営している店の写真が入っている。

レポートには、男たちから聞いた内容と同じようなものが書かれていた。

さらに、母が高校を卒業し、『STW』が初めてオープンした店で、

店員として働いたこと、経営修行のために店舗の運営を任されていた勇と恋をしたこと、

家庭の事情だという理由で、突然やめたことなども、記入されている。


そして、当時、一緒に勤めていたという女性から譲り受けた写真には、

オープンを記念した花輪などが映り、笑顔を見せる若い母の姿があった。


「これは私の知らない、母の顔です」

「そう……」


悠菜も年齢を重ね、人を愛することも経験した。

立場の違う男性を諦めながらも、

それから結婚することなく自分を育ててきた母の思いを考えると、自然と涙が浮かぶ。


「母は……最後までこの人を愛していたのでしょうね」

「……そうね」


康江は、悠菜が置いた写真を手に取り、苗子が笑っている若い頃の笑顔を見る。

娘に、何も言わないままこの世を去った強い気持ちを感じ、

胸の締め付けられる思いがした。


「悠菜さん」

「はい」

「あなたがまだ、小学生にもならない年齢だったら、
すぐにでもお父さんに連絡を取って、保護をお願いしなければならないけれど、
あなたはもう立派な女性でしょ。お母さんの思いを知るために、
あなたはお父さんのことを調べたけれど、それに縛られる必要はどこにもないの」

「先生……」

「会いたいと思うのなら、会えばいいし、
会いたくないと思うのなら、会わなくてもいいのよ」


康江の言葉に、悠菜はしばらく無言のまま写真を見つめた。

母の口から、決して出ることのなかった人を、

探した意味はどこにあったのかを考える。


「ごめんなさいね、アドバイスというより無責任に聞こえたかしら」

「いえ」

「私は『小麦園』を卒業していく子供たちにも、いつも同じことを言っているの。
親だから、子供だからという思いは捨てて、気持ちに正直に向き合えばいいって」


康江は、ここにも親の事情で家族から離れる子供などがいることを、

あらためて語った。

悠菜は話を聞きながら、親を憎むことをしながらも、

片方で愛しく思ってみたりする、複雑な子供心も理解出来る気がした。

そして何かを決めたのか、小さく頷く。


「私は、この人に会うつもりはありません」


自分に何も告げなかった母の気持ちを思うと、

それが一番ベストだろうと悠菜は結論付けた。

今更会って、親子の会話が出来るわけもないし、

資産家だったことで、余計なことを周りから言われることも嫌だった。

母は私生児として自分を育てたので、それも出来るだろうと考える。


「いいの? それで」

「はい、私は住友苗子の娘として、これからもずっと生きていくつもりです。
それで十分です」


康江は悠菜の言葉を聞きながら、空になった湯飲みにお茶を注いだ。

静かな食堂の中で向かい合い、ゆっくりとお茶を飲む。


「悠菜さん」

「はい」

「あなたのお母さんは、素敵な人ね」


康江がそういうと、悠菜はありがとうございますと頭を下げた。


「お母さんが愛したこの人のことを、あなたも遠くで愛してあげたらいい……」


母親が、愛し続けた人。

悠菜は、思いが叶わなかったけれど、それでも貫いた母の強さを感じながら、

しっかりと頷きかえす。


思いを告白出来ないけれど、それでも憧れを抱く昴のことを、

ほんの少し思い出した。


レポート用紙の最後には、勇の現在の様子が記されていた。

二度の離婚をしたが、子供には恵まれず、現在3人目の妻を迎えている。

年齢は31で……



名前は『渡瀬晴恵』



悠菜は何もわからないままレポート用紙を元の形に折り、

封筒の中へ押し込んだ。





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コメント

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絡み合う線

一つの点が確実に線になりましたね
悠菜と昴は今までとは違った線で繋がってしまった
これからこの線が複雑に絡み合って行くんでしょうか・・・

泥沼にならないことを祈るわ^^;

線は絡むのか

yokanさん、こんばんは

>悠菜と昴は今までとは違った線で繋がってしまった

はい。本人達はまだ、気づいてないですけどね。
泥沼になるか、ならないか……

それは読みながら確認していただくしかないと。