【again】 4 光と影の交差点

【again】 4 光と影の交差点

     【again】 4



「お弁当持った! 水筒持った! お菓子も持った!」

「……カッパは?」

「あ……」


大地は慌てて部屋へ戻り、机の上にあった雨合羽をリュックに入れる。

絵里はアイロンをかけたハンカチを、大地にズボンのポケットに押し込んだ。


「先生の言うこと、ちゃんと聞くのよ、大地」

「うん、僕初めてだもん、動物園! とっても楽しみ!」


大地のその言葉に、絵里は少しだけ胸が痛む。


父親である伸彰を亡くした後、今の生活を築くまで、色々な葛藤があった。

姑からの大地を引き取りたいという話、職務中の事故ではないため、会社からの保証もなにもなく、

住んでいた社宅を、追いだされるように出ていかなければならなかったこと。


戻った実家では、すでに兄が結婚して家に入り、自分たちはすでにお荷物になっていたこと。


役所に公営住宅をお願いして、必死に探した保育園。急に一人にされた絵里には、

子供を楽しませてやる余裕など、今までなかった。


「そうか。保育園の遠足は、水族館と遊園地だったから、動物園は初めてだもんね。
今日、楽しかったら、またママと行こう、大地!」

「ゾウきっと大きいよね。あ、そうだ。サルも見てくるからね……ママ」

「うん、ゾウさんの大きな鼻に、シューって吸い込まれないでよ!」


絵里はそんなふうに言いながら、大地をギュッと抱きしめる。


「あはは……吸い込まれないよぉ……」


大地は照れくさそうに絵里の腕の中から逃げていく。それでも明るく、

元気に育っている大地を見ながら、絵里は目頭が熱くなるのを感じた。





「バイバーイ!」

「ほら、大地。前向いて! 危ない……」


ベランダで洗濯物を干しながら大地を見送っていると、1台の車が、駐車場に停められた。

大地はそれに気づき、そこから出てくる人を、じっと待っている。


「やっぱり、直斗だ!」

「……お、大地。遠足か?」

「そうだよ!」


大地は嬉しそうに直斗に駆け寄り、飛びつくように抱きつく。直斗は、そんな大地を

しっかりと受けとめ、大きく体を1周させた。


「どこに行くんだよ」

「動物園! いいだろぉ……」

「いいなぁ……」


絵里はそんな大地を見ながら、両手を軽く握る。


「大地、遅刻しちゃう!」


直斗はその声に顔を上げ、絵里に向かって頭を下げた。絵里も同じように頭を下げたが、

すぐに視線をそらし、洗濯を干し始める。


「あ、直斗、帰ってきたらキャッチボールしよう!」


遠足よりもそっちの方が嬉しいかのように、直斗にねだる大地。直斗は姿勢を低くし、

大地の被っている帽子を直してやりながら、微笑んだ。


「悪い、今日はゆっくり出来ないんだ。また来るから、そしたらやろうな……」

「……ダメなの?」

「うん、今日はごめん」


そのやりとりを絵里は聞きながら、洗濯物を干し続ける。


「じゃぁ、我慢するよ。その代わり、また来てね」

「あぁ……約束する」


大地は直斗に手を振りながら、嬉しそうにかけだして行った。


「大地! 車に気をつけて!」


絵里は精一杯母として、小さくなっていく大地に声をかけた。





「忙しいのかい……直斗」

「ん? あぁ、まぁね」


直斗は広げていた携帯を閉じ、座っていた床から立ち上がった。ハナはお茶を入れ、

テーブルの向かいに置く。


「ねぇ、直斗。あんた、結婚はまだなのかい」


突然の質問に、一瞬、ハナを見る直斗。軽く笑いながら何も答えずに湯飲みを持ち、

窓から外を見た。階段からかけ下り、駐輪場から自分の自転車を出そうとしている絵里がいた。


「あんた32なんだね、もう……」

「そうだけど。なんだよ、いきなり」


他の自転車と重なるように入っているため、絵里はなかなか外へ引き出せない。隣の自転車を

少し動かそうとすると、その自転車が横へ倒れてしまう。


「あ……」

「何?」

「いや……なんでもない」


絵里は自分の自転車を出し、倒れた何台かの自転車をまた元のように戻す。それとは別に、

斜めになっていた自転車をきちんと直し、はみ出ていた小さな自転車を中へ入れた。


几帳面な性格なのだろう。直斗はそんな絵里を見ながら、一口お茶を飲む。


「ねぇ、結婚を約束した人でもいるのかい?」

「……いや……いない」


引き出した自転車の前かごに、絵里は小さなバッグを入れ、自転車にさっとまたがった。


「だったらさぁ……」


一度携帯を開き、時間を確認した絵里は、自転車をこぎ始め、やがて直斗の視界から消えていく。


「何が言いたいんだよ、さっきから変だよ、おばあちゃん」

「絵里ちゃんと……なんて、ダメだよね」


遠慮がちに言いながらも、ハナは直斗に大胆な提案をする。

その表情は真剣で、とてもからかっているようには見えてこない。


「絵里ちゃんって、大地のママのこと?」

「うん……」


直斗は少し呆れたように笑いながら、ハナの後ろに立ち、テーブルに湯飲みを置いた。

そして、両手で肩を優しく揉みながら、話し出す。


「大地のママ、いい人だと思うし、素敵だとも思うけど。とりあえずさ、俺、まだ初婚だよ。
いきなり小学生の父親になれってこと? 普通、そういうこと言わないだろ」

「エ……」

「普通は、反対するもんだよ。再婚の人なんて」


直斗は、ゆっくりとハナの肩を揉む。子供の頃からよく揉んでいた祖母の小さな肩。


「絵里ちゃんだからだよ。本当にいい子で、大地君もいい子で……。なんとか楽にして
あげたくてさ。直斗なら大地君の寂しい気持ちもわかってやれるしって、おばあちゃん思ったから」


直斗はそんな言い分をじっと聞いていた。小学生の頃、母に初めて連れてこられ、会った祖母。

自分には母親しかいないと思っていたのに、もう一人見つめてくれる大人がいた。


「俺なんか相手にしなくても、彼女ならいい人が出てくるよ、きっと……。
おばあちゃんが心配する必要なんて、ないだろう」

「……そうかねぇ」

「まだ、しばらく結婚なんて無理だよ。やらないといけないことが多いんだ」


そんな直斗の言葉を、ハナは小さく頷きながら聞いた。





「おはようございます」

「あ、おはよう、池村さん」


いつもの時間がスタートした。絵里は急いで作業服に着替え、すぐに仕事の準備をする。


「いや……こうじゃないな」

「これはどうだろう」


店に向かっていく廊下では、従業員達が何人か集まり、小さな展示物にあれこれ頭を悩ませる。

絵里は独身時代、ブライダルフェアの担当になり、初めて採用された日のことを思い出す。



『へぇ……絵里にこんな才能があるとはな』

『ノブ、どう? 結婚したいなって気持ちになる?』



付き合い始めて3年。伸彰は笑いながら絵里の頭をポンと叩く。



『なるなる……結婚したいなって気に。な! 絵里!』

『……』

『……俺の嫁さんに……なってくれ』



「おい! 池村さん!」

「……あ、はい!」


チーフの声に、伸彰との思い出から、現実に戻される絵里だった。





「もしもし……霧丘? 直斗です。スケジュールは調べてもらえたのかな。
近々どこかのホテルで開かれるはずなんだけど……うん……」


携帯用のイヤホンを耳につけ、直斗は高速に入る。


「必ず出席したいんだ。国土交通省の役人も何人か来るらしい。協会の水島さんから連絡があった。
それと、花岡議員も来るって噂も流れてる。あぁ……、大臣候補の……」


車線を変更し、さらにスピードを上げた。少し時間がずれると混み合って、動かなくなる場所も、

今日は珍しくスムーズに流れる。


「児島建設の着工式で、一度挨拶させてもらったことがあるけど、それからなんの進展もないし。
顔と名前だけは覚えてもらいたいんだ」


幼い頃から、自分には父親はなく、母と二人きりだと思い続け、小学生になり、

祖母の存在を知ったものの、頼るべき人のないまま大人になった。


どんな時に、誰をどこで頼ればいいのか……。そんな技だけは身についていった気がする。


『石岡直斗』。


その名前を持ち、それなりの毎日を送っていた自分。


「直斗……話しがあるの」


大学3年になった時、初めて自分の出生を知らされた。母は父親と別れたわけではなく、

始めから表に出られない存在だった。


「篠沢高次……それがあなたの父親なの」


自分が大学に行けたのは、母が頑張って働いているからだとそう思っていたが、

現実はそんなものではなく、聞いたこともないような名前に、そういえば幼い頃から、

時々訪れていた男の顔を思い出す。


「ずっと、助けてもらっていたの。だから、あの人を恨まないで」


その男が帰った次の日は、なぜか高級そうなお菓子がテーブルに置いてあった。


「どうして、そんなことを急に言うんだよ。今さら……」

「あなたの力が、欲しいんだって」


それから1年後、母は亡くなった。すでに自分の余命をわかっていたのだろう。

『石岡直斗』として、平凡に生きていくのか、それとも『篠沢直斗』として、

大きな世界に出ていくのか。すぐに選択しなければならない時がやってきたのだ。


「直斗、今日からこれがお前の家族だ」


初めて招待された家は、見たこともないような大きい家で、自分の父親だと言われた高次と、

正妻である高次の妻、真弓。そして、4つ年下の異母兄弟である亘。


「石岡直斗です……」

「あの人の息子なんて、家に入れるのは反対です! うちには亘がいるじゃないですか」

「……」

「真弓、言い方を考えろ。直斗は間違いなく俺の息子だ。お前にだって話してきただろう。
直斗と亘。能力がある者が仕事を継げばいい」


その父親の言葉を、ただ聞いたまま、弟はじっと自分を見つめる。直斗がその視線に合わせると、

亘は避けるように下を向く。家族の中に、緊迫した空気を残したまま、高次は部屋を出て行き、

立ったまま動けないでいる直斗に、真弓は冷たい言葉を浴びせる。


「お金目当てに主人に近づいて、勝手に子供を産んで、勝手に死んで。
それでも、あなたが跡取りだという権利だけは主張するつもりなんでしょ。
今までだって、ずっと世話になってきたくせに……。それじゃ、物足りないってことなの?」


直斗はその言葉に、真弓を睨み付けた。確かに援助をされてたとはいえ、

母と自分の生活は楽なものではなく、父親がいないことで、不自由さを感じ、

どれほど寂しい気持ちで育ってきたのか。


お金だけ援助してくれても、自分は抱きしめてもらったことさえ記憶にない。


『篠沢直斗』になり、自分の存在を、認めさせてみせる。直斗は、その時に覚悟を決めた。


「霧丘保と申します。これから、直斗さんにこの業界のノウハウを、全てたたき込むようにと
社長から言われましたので」

「……あなたについていけば、全てがわかるようになるんですか?」

「私の人生も、直斗さんにかかっています。全力でサポートさせていただくつもりですが……」


篠沢高次の跡取りになること。


そのことだけを考え続けてきた10年で、作ってきた自分の形。それが少しずつ、固まりつつある。

ジャンクションを過ぎ、さらにアクセルをふかし、直斗はスピードをあげた。





『私は毎日900円の時給で、働いています。そのお金を大事に使いながら、
一人で息子を育てているんです』



亘は、事務室に座り電卓を取り出し、絵里の言っていた言葉の通りなら、

どれくらいの収入を得ているのだろうと思いながら、計算する。


「11万くらいか……」


家に飾られている高価なワインは、1本でもそれ以上の価値がある。追い回されるように働き、

絵里はワイン1本分のお金を稼ぐ。


自分の財布には、現金はほとんど入っていなかった。気がついた頃から、カードを持ち、

全て後から払ってきた。いったい自分が毎日どれだけのお金を使い、生活をしているのかなんて、

考えたことすらなかった。


言われた通りに動き、日々を送っている自分に比べ、人に振り回されず、自らの足で立っている

絵里の毅然とした態度と言葉が、亘の頭をかけめぐる。


亘が仕切っている、スーパーの4店舗は、来月、売り上げ向上月間として、

営業成績を競わせることが決まっていた。亘は内線電話をあげ、統括部長である前島に連絡をする。


「前島……ちょっと部屋に来て欲しいんだ」


亘はある考えを持ち、前島を待った。





「ウソ! 5000円!」

「いやだ、嬉しい! こんなこと初めてじゃないの?」


それから1週間後、亘が提案したことが発表される。売り上げUPのアイデアをそれぞれ募集し、

検討すること。そして、4店舗で伸びが最高だった場合、従業員、パート全てに、

臨時ボーナスとして5000円を支給するというのだ。絵里達の店でも、すでに勝ったかのような

大騒ぎに揺れる。


「頑張ろうね、池村さん」

「そうね」


同僚の真希も嬉しそうに笑い、何か思いついたのか、両手でパンと音を鳴らす。


「もし、5000円もらったら、前に見たブラウス買っちゃおうかな」

「……私は……」


この間、遠足にいった大地の保育園から使っている、少し古くなったリュックを思い出す。


「大地の新しいリュック、買ってやりたい……」





「おはようございます!」


その発表があった朝は、みんなの声がひときわ大きかった。





都内ホテルにある、『サンクール』と言う名のパーティールームに、直斗は時計を確認しながら、

ゆっくりと向かう。


「篠沢直斗様ですね」

「はい……」

「どうぞ、お入り下さい」


受付を通り、会場内へ入っていく。始めは緊張していたこんなパーティーも、いつのまにか慣れた。

すぐ脇のカウンターでドリンクを取り、少しずつ中へ入る。


大きな輪の中に、影の主役である花岡議員が立っている。別会社のパーティーとはいえ、

実際にみんなが狙っているのは、この男だ。


直斗は、頼んでおいた協会役員水島の側に寄り、声をかけるタイミングを計る。


水島の視線の先を追うと、真っ赤なドレスに身を包み、少しだけウエーブのかかった

髪の毛の女性と、直斗の目があった。


軽く笑みを浮かべ、会釈する。その会釈を受け取った女性は、直斗を不思議そうに見た。


花岡瑠美……。直斗のもう一人のターゲットもここにいた。





5 男同士の小さな約束 へ……





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コメント

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はじめまして

はじめまして、日下です。
初めてカキコします。
againを読んでいたら引き込まれるように一気に読んでしまいまいた。
とても面白いです。
今後の展開が気になって、ドキドキしています。
また遊びに来ますね!
続き、楽しみにしています。

こちらこそ、はじめまして!

ヒカルさん、こんばんは!
コメント、ありがとうございます。


>againを読んでいたら引き込まれるように一気に読んでしまいまいた。
 とても面白いです。

わぁ……嬉しいです。私が参加しているサークルで連載させてもらったものなのですが、
ここにも連れてきました。結構1話が長めなので、大変ですけど、
最後までおつきあいいただけたら、嬉しいです!

現在進行中の【S&B】を更新する日以外に、1話ずつ掲載していく予定ですので、
また、のぞいてみてください。