18 Apology 【謝罪】

18 Apology 【謝罪】



次の日、昴は時間よりも早めに、『小麦園』へ向かった。

康江は、綾音は『小麦園』ではない場所にいるとそう言っていたが、

内心、自分を来させないために作ったウソだろうと考える。

それでなければ、綾音が外泊できるほどの知り合いがいるとは思えなかった。

駅でタクシーを捜そうとしたら、ちょうどバスが止まりそれに乗り込む。

案内図を確認し、6つ目のバス停のアナウンスでボタンを押した。

坂道を上りながら見る『小麦園』はいつもと何も変わらない。

昴は、綾音に会ったら、まず何を言うべきかと考えた。


「昴……」

「おはようございます」

「早いのね、ずいぶん」


子供たちの洗濯をしていた康江は、昴が早いことに驚きながらも、

すでに食事を終え、静かになった食堂へ入るように指示をした。

昴は、綾音はどこにいるのかと問いかける。


「綾音はここにいないって、そう言ったでしょ」

「ウソをつかないでください。だとしたらどこにいると……」

「昴、綾音の世界を全て知っていると思うのは、間違いよ。
あの子にはあの子の世界があるの」


康江はそういうと昴を食堂に残し、洗濯物の入ったカゴを持ち庭へ向かった。

昴は、それでも納得できないまま、携帯を開く。

いくら子供だとはいえ、『小麦園』には中学生くらいの子達も暮らしている。

闇雲に、綾音を探し回ることは出来ずに、そばにあった新聞を手に取った。





「今日は暑くなりそう」

「そうですね」


悠菜が綾音を連れて『小麦園』へ向かったのも、約束の時間よりは少し早かった。

昴と顔をあわせることは間違いないわけで、どう挨拶しようかと考える。


「悠菜さん」

「ん? 何?」

「悠菜さんには責任ないですから、私がそう言います」

「綾音さん」

「私のわがままで泊めてもらったのだもの、兄がなんて言っても、言い返す……」


綾音の語尾が少し小さくなる。

悠菜は少し不安そうな横顔を見ると、口元をゆるめた。


「言い返す……予定……でしょ?」

「はい!」


悠菜の切り返しに、綾音は笑顔を見せると、『小麦園』への坂道をのぼり続けた。


「お兄ちゃん、もう来ているんですか」

「そうよ、ずいぶん早く来たの、驚いちゃった。
本当にここに綾音がいると思っていたみたい」

「怒っています?」

「さぁ……」


玄関まで迎えに来た康江は、二人をそのまま食堂へ向かわせた。

人影に気付いた昴が顔を上げると、綾音の後ろに、悠菜がいることがわかる。

昴は、なぜ、悠菜が綾音と一緒なのかすぐには理解できずにいた。

悠菜は、そんな昴に、しっかりと頭を下げる。


「おはようございます」

「住友さん、どうして……」


康江は、悠菜とちょっとした付き合いがあると語り、

偶然ここで綾音と会ったことを話した。


「昴が連れて行ってあげたのでしょ、綾音のチャリティーコンサート」

「いえ、先生。連れて行ってくれたのではなくて、私が無理やり……」

「どっちだって一緒よ、そのコンサートで綾音を知ってくれた悠菜さんが、
ここで再会して、それで意気投合した」

「そう、意気投合したの」


綾音は昴をチラッと見た後、微笑みながら悠菜を見る。

悠菜は、康江と綾音に気持ちを知られているため、

まともに昴を見ることが出来ずにいた。


「申し訳ありませんでした。妹がお世話になって」

「いえ、お世話だなんてそんな。
私は、頼ってもらえたことが少し嬉しかったくらいで……」


悠菜が綾音の方を見ると、綾音はその通りだと嬉しそうに頷いた。

康江はとりあえず何か飲もうかと、声をかける。

昴は、3人の表情に、自分を抜きにした、綾音の世界がそこにあるのだとわかった。


「ねぇ、悠菜さん座って」

「……うん」

「……君なのか」


昴は悠菜を少しきつい目で見ると、一言そう言った。

悠菜は、何を言っているのかわからずに、黙ってしまう。


「お兄ちゃん」

「妹に、余計なことを吹き込まないでくれないか」


昴は、綾音にピアニストにならなくてもいいのではないかと助言したのは、

悠菜だとそう思った。

『立原音楽大学』のチャリティーコンサートの帰り食事をした時、

自分の発言を訂正したことを言い始める。


「君は私にこう言った。『将来は音楽の先生にでも?』って。
それを私が、『ピアニストになるのだと』言ったら、
まるで自分がなるように言っていると、確かに笑った」


悠菜は、それは違うと言いかけたが、昴の迫力に言葉が出なくなる。

『どうしても』という気迫が、反論の隙を与えてくれない。


「綾音は、ピアニストになるために今まで頑張ってきた。
『立原』へ入り、音楽家の道を歩むことは当然のことで、
それをそれ以外の道があるなどと、そそのかされてはたまらない。
責任がないのだから、余計なことは言わないでくれないか」

「お兄ちゃん、そんな言い方ひどすぎる。悠菜さんは……」

「綾音さん……」


悠菜は、昴へ怒りをぶつけようとした綾音を左手で静止した。

昴の表情を見た後、綾音と目を合わせ、わかっていると小さく頷く。


「今日は妹と話をするためにここへ来た。君には席を外してもらいたい」


なぜ昴がここまで頑なになるのか、悠菜には理解できなかった。

しかし、今ここに自分がいることで、二人のためにプラスになるとは思えず、

わかりましたと頭を下げる。


「悠菜さん」

「綾音さん、思ったことを頑張って口にするのでしょ。
畑野さんにきちんと自分でぶつからなくちゃ」


やりとりを聞いた康江が、キッチンから顔を出した。

どうしたのと昴と悠菜を交互に見ながら、声をかける。


「先生、また来ます」

「悠菜さん、あなたも相談事……」

「いえ、たいしたことではありませんから」


悠菜はそういうと、もう一度昴に向かって頭を下げた。

昴もそれにはしっかりと返礼する。

黙ったままの綾音の肩を一度軽く叩き、悠菜は食堂を出ていった。


「綾音……」


追いかけようとした綾音を止めたのは、康江だった。

綾音は不満そうな顔のまま、椅子に腰かける。

しばらくすると、悠菜が閉めた扉の音がして、食堂には3人が残った。


「何がお姉さんだ。お前が私の妹だと知ったから、
それで興味本位に話を聞いただけだろう。無責任なことを……」

「ひどい、お兄ちゃん」

「何がひどい。お前が勝手に……」

「悠菜さんは、ピアニストにならなくてもいいなんて言ってないわ。
むしろ、昨日だって、私がなりたくない理由を挙げたら、
それは逃げているだけだって、そう言ったのよ」


綾音は、悠菜が今、将来への道を決め付けてしまうよりも、

逃げずに全てに立ち向かうことが必要だと、助言したと話した。


「全力でやらなければ、きっと、お兄ちゃんには叶わないからって」

「叶わない?」

「畑野さんはいつも仕事に真剣で、だからこそ自分も頑張れるって……」


綾音の言葉に、昴はホテルから出た後、ライバル店を調べる悠菜の姿や、

仕事に対して、新しい試みをしようとしていた姿を思い出した。

その姿に少なからず自分も影響されたことは、間違いない。


「それを決め付けるように言うなんて、ひどいわよ、お兄ちゃん!」

「昴……」

「はい」

「こっちへ来なさい」


二人の会話を切った康江の顔は、真剣だった。

昴は先を歩く康江の後を、黙ってついていく。

連れて行かれたのは康江の部屋で、出されたのはダンボールだった。

上を開くと、たくさんの手紙が入っている。


「これはみんな、悠菜さんが私によこした手紙なの。
中身はもちろん見せられないけれど、彼女は昴が思っているような人ではないわ。
人様の問題に、いたずらに首を突っ込むような軽い人間ではない。
苦労して、頑張って生きている一人の女性」


康江はそういうと、悠菜との出会いを語りだした。

悠菜の母が長く入院した病院で、偶然講演会を開いたこと、

看病に疲れていた悠菜は、その言葉に励まされ、そこから文通が始まったこと、

ダンボールに残る手紙は、全てそのやりとりだと付け加える。


「大学を出て、悠菜さんは大手の電気メーカーに就職したけれど、
お母さんがすぐに具合を悪くして、看病する道を選んだ。
もう助からないってわかっていたから……」


悠菜は母親が亡くなった後、なんとか就職した『salon』の子会社で成績をあげ、

昴のいる本社に入った。そこからの出来事は、昴もよくわかっている。


「彼女にはお母さんがいたから、綾音のように『小麦園』で育ったわけではないけれど、
決して、お気楽なお嬢さんが、興味本位で首を突っ込んだわけではない。
それだけは言っておく。昴が綾音を心配する気持ちはわかるけれど、
あなたが悠菜さんに向けた言葉は、間違っているわ」


昴は、手紙の1つを手に取り、その筆跡を確認した。

何度かメモをもらったことがあるので、悠菜の字のクセは見ればわかる。

『住友悠菜』の文字が、一字一字丁寧に書いてあった。


「ここにも何度も来てくれて、子供たちと野菜を取ったり、
食事も作って一緒に食べてくれて……。悠菜さんには兄弟もいないから、
綾音が自分を慕ってくれることが、本当に嬉しかったのよ。
ううん……昴。お前が尊敬できる先輩だからって、彼女はいつもそう言っていた。
その妹だから優しくしたいという気持ち、それはむしろありがたいことではないの?」


昴は、自分の言葉に辛そうな顔をした悠菜の顔を思い出しながら、

手に取っていた手紙を、元の位置に戻した。

綾音が、自分と康江以外の人間を頼ったことが悔しかったのか、

離れてしまうことへの恐怖心があったのかと、考える。


「職場で会うのでしょう。明日にでも謝りなさい。
彼女はわかってくれる人だから……」


康江の言葉に、昴は黙ったまま頷いた。





綾音と一緒に歩く帰り道は、互いに何も語らないままだった。

康江の取り持ちで、とりあえずしっかりレッスンを受け、

『コンクール』に出場することだけは約束されたものの、

『ピアニスト』を目指すという条件だけは、綾音は首を縦に振らず、浮いたままになる。

電車の扉近くに立ち、外を見続ける妹を見ながら、

綾音の心を動かしたのは、誰なのかとあらためて考えた。





昴に追い返されるようになった悠菜は、

一人きりの部屋で、引き出しの奥に閉まった母の形見である手鏡を取り出し、

自分の姿を写した。

渡瀬勇に会うべきなのか相談しようと思っていたのに、口に出すことも出来なかった。

母が急に消えてしまったことで、思いを告白できなかった見たこともない父の思い。

綾音に対して、必死になる昴のことを思い出しながら、

悠菜は手鏡をそっと閉じた。





悠菜は、いつもより少し早めに『salon』に到着した。

給湯室へ向かおうとすると、反対側から昴が歩いてくるのが見えた。

悠菜は軽く頭を下げ、横を通り抜けようとする。


「住友さん」

「はい」

「話があるんだ、昼食の時間、合わせてもらうことは出来ますか」


悠菜は、頭の中でスケジュールを確認し、わかりましたと頷いた。





悠菜が昴と食事をするのは、初めてのことではなかった。

一緒に仕事をしていたときには、その延長上で店に入ったこともある。

それでも、昨日のことがあっただけに、仕事で頑張っている時に比べ、

気持ちは上向きとはいえない。

それぞれに注文をし終え、ウエイトレスがそばを離れた。


「昨日は、すみませんでした」


昴はそう言うと、悠菜に頭を下げた。

悠菜は、もっと具体的に何かを言われるのかと思っていたため、一瞬慌ててしまう。


「いえ……私の方こそ、綾音さんと電話をする間柄になっていたのに、
黙っていたのは、よく考えてみたら失礼だったなって」


悠菜は昴よりさらに深く頭を下げる。

昴は、その言葉に返事をすることなく、お冷に口をつけた。

悠菜は、緊張したまま下を向く。


「あなたが、綾音をそそのかしたようなことを言って、申し訳なかった。
園長先生から、『小麦園』や綾音に色々と気をつかっていただいたことも、
全て聞きました」

「……全て……ですか」


悠菜は、自分が昴に対し、個人的な思いを持っていることも聞きだしたのかと、

一瞬身構えたが、あの二人がそんなことをするわけがないと、

気持ちを落ち着かせようとする。


「何か……」

「いえ、すみません」

「私も、綾音から思ってもみなかったことを聞かされたので、色々考えることもあり、
気持ちが焦っていたのだと思います」


悠菜は、初めて聞かされたことに驚き、

冷静な判断が出来なかったという昴の理由には、十分納得できた。


「あれから、綾音さんと話は出来たのですか?」


悠菜がそう問いかけると、昴は少し首を傾げ、即答を避けた。


「これからは教授のレッスンを勝手に休むことはしないと、約束しました。
まぁ、幼い頃から長い時間ピアノに触れていれば、多少迷いも出るのでしょう。
優秀な学生も揃っているわけですし、でも……」


二人の前に先ほど注文を取ったウエイトレスが現れ、

セットのサラダをテーブルに乗せた。

丸い形をしたガラスのボウルに入ったサラダには、

色合いを調整するパプリカが顔をのぞかせる。


「綾音はピアニストになりますので……」


昴の冷静な宣言に、悠菜は顔を上げた。

二人の話し合いがどうなったのか細かい部分はわからないが、

その言葉を、素直に受け取る気持ちになれなくなる。


「なりますって、綾音さんは納得されたのですか?」

「納得するもしないもないでしょう。そのために『立原』へ行っているのですから」

「いや……でも」


悠菜の言葉を遮るように、

また別のウエイトレスが大きめの皿に乗ったランチメニューを持ってきた。

パン、メイン、サラダとバランス良く設置される。


「畑野さん、私は音楽に詳しいわけではありません。
ですから、おかしなことを質問するのかもしれませんが、よろしいですか」

「どうぞ」

「どうして、『ピアニスト』でなければならないのでしょうか。
別の生き方を選ぶことは、どうして認められないのですか」



『ママね……ピアニストになりたかったの』



昴の脳裏に、懐かしい母の声が蘇った。

子供達の前では、どんなに辛くても優しい笑みを浮かべていた母の、

寂しそうな横顔を、昴は忘れたことがない。


「亡くなった母の願いでもあり、
また、『立原』を目指すときの、綾音自身の夢でもありました。
それを叶えろと言っているだけです」

「わかります、でも……」


悠菜の脳裏に浮かぶのは、仕事の合間に、

いつも学校の話を楽しそうに聞いてくれる、自分の母の姿だった。

父親がいない寂しさを感じさせないくらい、母の存在は身近にあった。


「綾音さんは『ピアノ』を辞めると言っているわけではないですよね。
大好きな『ピアノ』を教える仕事に就きたいと、そう思いを変えただけです。
たとえ、お母さんの夢がピアニストであったとしても、
綾音さんがそれを望まないと言うのなら、
それを認めてくれるのが母親ではないですか?」


昴は、母と手をつなぎ、家への道を歩き続けた幼い日のことを思い出した。

母は、ランドセルを背負う昴の話を聞きながら、何度も頷いていた。

時折、言葉を出してきても、決して命令するようなことはなく、

昴は、ただ聞いてもらえるだけで、安心出来た。


しかし、それと同時に、『立原音楽大学』へ向けた母の言葉が浮かび、

昴の懐かしい景色を打ち消してしまう。


「畑野さんは、仕事を教えていただく前に、私にこう言いました。
答えはこうだと決めつけてしまうのは、無限にある可能性を排除してしまうことだと」


昴は、子会社から本社へ入った悠菜に、確かにそう話したことを思い出した。


「だとしたら、綾音さんが精一杯やり遂げた時、どのような将来を選ぶのか、
もう一度聞いてあげても、いいのではないですか? 『ピアニスト』なのか、
そうではないのか……」


昴はその投げかけに答えを返さず、黙っている。

悠菜は、少し言い過ぎたかもしれないと、口を結んだ。





悠菜との食事を終えた昴は、書店に立ち寄ると棚に並ぶ本を数冊手に取った。

袋を抱えたまま、営業部の席へ戻る。

笠間が何やら書類を手にしたまま近付いてくるので、どうしたのかと尋ねた。


「何デートしているんですか、住友さんと」

「……デート? 何を言っているんだ」

「見ましたよ、二人で何やら話しこんでいるところを」


笠間は偶然店の前を通ったとき、二人が向かい合っているところを見たのだと、

得意げに語りだす。


「あぁ……。少し話があったから、昼の時間を選んだだけだ」


昴は、特に深い意味はないと言いながら、マウスを動かし、PC画面を開く。


「……とかなんとか言って、本当のところは……」


笠間は昴の言葉にもすぐに引き下がらず、実のところはと尋ねてきた。

昴は笠間の方を一度見たあと、首を横に振る。


「お節介な女には、興味がない」

「は?」


昴はそう強めに言い切ると、買ってきた袋を机の引き出しに押し込んだ。





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コメント

非公開コメント

正論なんだよね

珍しく2話一気読みしてきました^^

昴の気持ちを変えるのは難しそうですねーー;

悠菜の意見は正論、確かにそうなんですが
昴にとっては、なかなかそれを受け入れることが出来ない
ピアニストにするために嫌な仕事もしてきたんだもんね~
今までの自分を全部否定されたように感じてるのかも・・・

そして、綾音の気持ちを変えたのが裕だと知ったら・・・
考えるだけど恐ろしや~

そうなのです

yokanさん、こんばんは

>悠菜の意見は正論、確かにそうなんですが
 昴にとっては、なかなかそれを受け入れることが出来ない

悠菜は、昴の事情を知りませんからね。
『FLOW』で過ごすことが生活の一部となってしまった昴には、正論は響かず……でしょうか。

さて、綾音と裕のこと。
昴が知る日は近いのか、遠いのか