25 Fun 【楽しみ】

25 Fun 【楽しみ】



悠菜は『トランプ』から戻りPC前に座ると、大きく息を吐いた。

意気込んで出かけたものの、なかなか相手も手ごわく、『OK』が出ない。

狙った獲物は大きいけれど、成果が出なければ『ゼロ』にしかならず、

このままこだわっていていいのかと思いながら、引き出しを開ける。


「あれ?」


引き出しの一番上には、悠菜も持っている『salon』のリストが入っていた。

そして、その上には『都立南公園』の地図も置いてある。


「どうしたの?」

「いえ……」


部長の橋場から進行状況を問いかけられ、正直に苦戦していることを告げた。

橋場は、それも当然だろうと頷き返す。


「諦めないで頑張りますので」

「そうですね」


悠菜は頭を下げ席へ戻ると、引き出しから地図を取り出し、

PCで『都立南公園』のホームページを開いた。

四季折々の花に囲まれた都会のオアシスは、ストレスが溜まる人たちの心を、

優しく癒してくれる。


「オアシス……か」


昴は、PCとにらめっこをしている悠菜を、時々視線の隅に入れていたが、

しばらくすると、悠菜の表情が変わり、引き出しの中からリストを取り出し、

バッグに押し込むのがわかった。

そして地図を手に取ると、そのままホワイトボードに書き込んでいく。

それがどこを示しているのか、近くまで行ってみなくてもわかる気がした。


「笠間……」

「はい」

「仕事はなんでも『楽しく』やらないとダメだな」

「は?」


昴はそう言うと、わけがわからないという顔をした笠間に領収書を手渡し、

まとめておいてくれと指示をした。





「ありがとうございました。あの地図を入れてくださったのは、畑野さんですよね」


その日の午後、悠菜は『都立南公園』から戻り、昴に声をかけた。

昴は何か得るものがあったのかと、問いかける。


「はい、花壇の手入れを担当しているメンテナンスの方にも、色々と聞いてきました」

「メンテの方?」


昴は、全体のイメージを参考にして欲しいと思い、ヒントを出したつもりだったが、

悠菜が起こした行動がそれ以上のものであることに、驚かされる。


「まぁ、半分は花の手入れ方法をお聞きしたんですけど」

「花の……手入れ」

「はい、私、ベランダに小さなプランターをいくつか置いてあるので、
その参考にもなるかな……と。一石二鳥にしたつもりですが」


悠菜はそういうと楽しそうに笑みを浮かべ、

企画書の提案内容の見直しをすると頭を下げる。


「綾音さん、頑張っていますか?」

「……のようですよ。教授にも頭を下げたようです。
納得はいかないと、文句を言っていましたが、選考会で不利にならないよう、
あいつも考えたのでしょう」

「そうですか」

「近頃は、ずっと終電近くまで大学で弾き込んで帰ってきます。
家ですればいいと言うのですが、まぁ、あいつのやりやすいように」


悠菜は頷きながら、その話を聞いた。

営業部内にかかる時計を見ると、19時に向かって、針が確実に進んでいる。


「畑野さん」

「はい」


『一緒に食事でも……』という誘いの言葉が、悠菜の口元を進むことなく消えてしまう。

昴は、黙ったままの悠菜に、まだ何か問いかけることがあるのかと尋ねた。


「いえ……」


もし、ここで昴を食事に誘い、『結構です』と断られてしまったら、

こうして話すことも難しくなりそうで、結局、悠菜は軽く頭だけを下げた。


「住友さん」

「はい……」

「聞きたいことがあるのなら、聞いてくれていいですよ。
もし、よかったら食事でもしながら聞きましょうか」


昴は仕事の書類を目の前で束ねると、そのまま引き出しへ入れた。

悠菜は『ありがとうございます』とすぐに返事をし、昴の動きに遅れまいと、

デスク周りを片付けだした。





悠菜にとって、昴と向かい合える時間は、全てに勝るものだった。

どんなものを食べているのかなど、どうでもよくて、

同じ場所で同じ話をするだけで、何も食べなくても心が満たされていく。


「綾音さんは、なれるでしょうか代表に」

「頑張ってはいるのでしょうが、正直、今回は難しいでしょう」


昴は、『立原音楽大学』の全ての学科、全ての学生から3名しか選ばれないのだと、

冷静に分析する。悠菜はコーヒーにポーションを入れ、スプーンで軽くかき混ぜた。


「全生徒から3名ですか」

「はい。しかも、ピアノ科には院生もいます。
院生の中には、すでにコンクールで賞を獲っている学生もいますし、
演奏家としてデビューしている人もいて、狭き門ですから。
大学としては『顔』としてコンクールに参加させるのですから、
選考も勢いだけでは乗り切れません」


裕との交際を正当化するために、その場の勢いで言ってしまったことを、

綾音が後悔しているのではないかと、昴は苦笑した。


「そうでしょうか」


悠菜は、綾音が勢いだけで言い切るとは思えないと、首を傾げた。

昴は、予想外の反応に、言葉の続きを止める。


「私が、最初に『小麦園』で出会った時の綾音さんは、
何かに迷っているような気がしましたけれど、今の綾音さんは、力強いというか……」

「力強い」

「絶対に頑張れるって、顔にも出ている気がします。
もちろん、前回の『演奏会』に入賞したことも力になっているのでしょうが、
人って、人を好きになると、どこからかわからないパワーが出てくると、そう思えて」


二人で食事をした時のことを思い出しながら、悠菜は綾音のことをそう表した。

始めは、昴に内緒でデートをすることにハラハラし、

どうしたらいいのか尋ねて来た綾音が、

今は、自分と裕を守るため、必死に戦っている。

それは間違いなく、裕自身が綾音を強く、たくましく変えた。

悠菜は、『好きな人』がいるというだけで、

人は素敵になれると手紙に書いてくれた康江の言葉も、思い出す。


「同じ日を過ごしているはずなのに、風を優しく感じたり、
その人に会えると思うだけで、重たかった足取りも軽くなったり……」


悠菜は、『人を好きになる』ときの思いを、そう表現した。

何気ない毎日がとても愛おしくなると、笑顔を見せる。

悠菜は、綾音のことを語っている中で、自分の想いが出ていることに気付き、

目の前に座る昴を見た。


「……その人のためなら、もっともっと頑張れるって……」


昴は、悠菜が自分のことをイメージしているとは知らずに、その発言を聞き続けた。

仕事を『楽しい』と表現し、『人を好きになる』ことで、

これだけ前向きになれると言えることが、不思議に思えてならなかった。


「住友さんは、充実しているのですね、毎日が」


悠菜は、口を結び考えるような仕草をしたが、それは一瞬に過ぎず、

すぐに『はい』と返事をする。


「畑野さんは、充実していないのですか?」


昴は、口元を少し緩めたものの、明確な返事をすることなく、その場を誤魔化した。


仕事のアドバイスを含めた話は、その後もしばらく続いたが、

コーヒーカップの底がしっかりと見えてからしばらくして、悠菜は伝票を手に取った。


「住友さん」


昴は、自分が誘ったので、こちらが払うと言ってみるが、悠菜は譲らず席を立ち上がる。


「畑野さん、今回は私に払わせてください。先日も払っていただいたのに、
またご馳走になるのは、気が引けます」

「いや、しかし……」

「次に……。あの……私が『トランプ』との交渉を無事に終えて、
契約を取ることが出来たら、その時にご馳走してください」


悠菜は、今、昴が払おうとした資金を、次に回して欲しいと言い、

頭を軽く下げた。昴の横を通りレジへ向かい、

店員に『美味しかったです』と一声かけると、手早く会計を済ませる。

昴は、『次』という約束を、間接的に取り付けた悠菜の背中を見ながら、

そばにあったバッグを手に取った。





地下鉄のホームに電車が到着し、

疲れた腰をベンチから上げたサラリーマンが乗り込んでいく。

昴も、その波に紛れ、空いているつり革を右手でつかんだ。

隣には、家族へ買ったのか、ピンクのケーキ箱を持つ男性が立ち、

椅子には、大きな袋に入ったぬいぐるみを大事そうに抱えながら

居眠りをしている子供がいる。



『畑野さんは、充実していないのですか?』



昴は、毎日繰り返される、避けようのない日常に、

『充実』などという思いを持ったことは一度もなかった。

何かをしなければならないという、追われた意識は強かったが、

満足する時間など、思い出しても出て来ない。

発車のベルが鳴り響き、電車はゆっくりと前へ進む。

色々な思いを抱えた人たちを乗せ、それぞれの『安らぎ』の場所へ向かって走り出した。





10月も末になり、青々としていた木々の葉が、セピア色の写真のように色を変え、

役割を終えたと下へ落ちていく。

商店街のおばさんは、掃いてもきりがないとぼやき、

側溝には行き場所のなくなった葉が溜まり、雨水の邪魔をする。

風が冷たさを増すその日、

『立原音楽大学』では、『クリアコンクール』の代表選考会が行われていた。

全学科から3名という狭き門をめぐって、何度もチャレンジするつわものもいれば、

綾音のように初めてチャレンジする学生もいる。

いつもは笑い声のたえない街並みも、どこか緊張感を漂わせ、

学生の真剣勝負を見守っていた。



そして……



「選ばれた?」

『そうなの、お兄ちゃん。私代表に選ばれたの』


代表に決まったと、綾音から連絡を受けた昴は、外回りをしている途中だった。

駅のホームにいたため、電車の音が大きく、受話器を押さえてみる。


「本当に選ばれたのか」

『当たり前でしょ。こんなことウソなんてつけないもの』

「まぁ……そうだけれど」

『とにかく、まずは報告だけ』

「あぁ……」


狭き門であり、主任教授に意見をしてしまった綾音が、まさか選ばれるとは思わず、

昴は言葉を失った。綾音は、明るい声のまま、悠菜に伝えて欲しいと言い始める。


「住友さんに? お前が言えばいいだろう」

『いいの、いいの、お兄ちゃんから伝えて!』


綾音はそれだけを言うと、勝手に電話を切ってしまった。

昴は、呼びかけてみるが、ツーという音しか聞こえなくなる。


「全く……」


昴は携帯をポケットにしまい、ホームに向かってくる電車に目を向けた。

昼間の車内は、さすがに空席も見つかる。

出入り口のそばに立ち、動き始める景色を目で追いながら、

予想以上に綾音が頑張ってくれたことに、自然と口元がゆるんだ。





駅を降り、『salon』へ向かっていると、携帯にメールが届く。

昴が取り出して見ると、相手は利佳子だった。



『予定はキャンセルして』



文面にはそれだけしかなく、昴は何か用事が出来たのだろうと携帯を閉じた。

エレベーターに乗り、営業部へ向かうと、中から拍手が聞こえてくる。

橋場の前に立っているのは悠菜で、拍手に向かって、小さく何度も頭を下げ、

笑顔も見せている。


「みんなも、チャレンジ精神を忘れずに、頑張ってくれ」


橋場が悠菜に対し向けた言葉を聞きながら、

昴は『トランプ』との契約がうまくいったのだと思いながら、扉の影に立つ。


「ありがとうございます」


悠菜は、そう感謝の言葉を述べ、最後に深く頭を下げた。





「畑野さんのおかげです」

「いや、住友さんの頑張りです」


昴が、セレモニーが終わった営業部に入ると、悠菜がすぐに席へ飛んで来た。

いただいたヒントが大きく役に立ったと、礼をする。


「いくらヒントを出しても、響かなければ意味は無いですから。
住友さんのやる気と、仕事を『楽しい』と思える姿勢が、
この結果を生み出したはずですよ」


悠菜は本当に嬉しそうな笑顔を見せた。

昴は、その表情に、先ほど電話をかけてきた綾音の顔が重なっていく。


「あ、そうだ、綾音も代表に選ばれたそうです」


悠菜はその報告に、驚きの声を上げた。

その大きさと突然さに、営業部内が一瞬静まりかえる。


「すみません……私」

「いや……」


悠菜は周りを見回しながら、何度か頭を下げる。

営業部内に流れた何秒間の静けさが、何事もなかったのだと気付いたことで、

また普段の動きに戻る。


「本当に代表に選ばれたのですか、全学科の3名ですよね」

「はい。綾音には、住友さんに直接連絡をするようにと言ったのですが、
浮かれているのか、私から伝えて欲しいと勝手に電話を切ってしまって」

「あぁ……」


悠菜は、綾音が浮かれていたわけではなく、

少しでも昴と話をするきっかけを持たせようとしたのだと思い、

照れ隠しに下を向いてしまう。


「すみません、綾音から、あらためて電話をさせますので」

「いえいえ、いいんです。そんなことどうだって。
綾音さんが頑張ったという事実だけで、私は十分ですから」


昴は、綾音の出来事を、自分のことのように喜んでくれる悠菜の表情に向かって、

声をかけようとする。


「今日は、綾音さんと乾杯してあげてください。ゆっくり話が出来るいい機会です」


悠菜はそういうと、満足そうに笑い、昴は動きかけた唇を軽く閉じた。





昴は、あらためて綾音に連絡をした後、とあるホテルのイタリア料理店へ呼び出した。

綾音は待ち合わせよりも5分送れて到着し、両手でごめんと謝って来る。

昴はウエイトレスにコース料理を注文し、綾音もそれに従った。

綾音は、友達が喜んでくれて話をしていたら、遅れてしまったと舌を出す。


「ねぇ……悠菜さんには伝えてくれた?」

「あぁ……」

「喜んでくれた?」

「喜んでくれたよ。彼女も今日、大きな仕事を取って来て、営業部内で褒められたんだ」

「そうなの? やだ、だったら一緒にお祝いしたらよかったのに」

「誘おうと思ったけれど、今日は二人でって、そう言ってくれて……」


綾音は、勢いのまま悠菜を誘えばと言ったのに、すでに兄が同じことを思い、

実行しようとしていた事実に驚き、言葉を止めた。

昴には、綾音が何か言いたそうにしているように思え、どうしたのかと尋ねる。


「ううん、いいの、そう……そうなんだ」

「あぁ……」


綾音は、自分が思っている以上に、

兄と悠菜の距離が近付いているのではないかと、嬉しくなった。

まだ、そんな自分の中に湧き上がっている気持ちの変化に気付いていない兄の、

ポーカーフェイスがおかしくなる。


「どうした」

「ううん……ごめん、ごめん」


料理は一つずつ運ばれ、綾音は『美味しい』を何度も言った。

材料がどんなものなのかと、女性らしい疑問も浮かびだす。


「作れるかな、これ」


昴は、綾音の胸元にかかるネックレスに気付き、彼には連絡をしたのかと聞いた。

綾音は『うん……』と軽く答え、裕も喜んでくれたと笑顔を見せる。


「お兄ちゃん」


綾音は、スープを飲んでいたスプーンを横に置き、

明日は土曜日で授業もないので、出来たら福岡で裕と会って来たいと言い出した。

昴はスプーンの動きを一瞬止めたが、すぐにすくってみる。


「行って来ればいい」

「……本当? いいの?」


昴はスープを口に含むと、そのまま無言で頷いた。

綾音は安堵の表情を浮かべ、嬉しそうに口元をゆるめる。


「彼の力が大きいことを、お前は自分で証明したのだろう。
結果を出したんだ、文句を言えるはずもない」

「うん……」

「人を好きになると、本当にパワーが出てくるものなのだな」


突然出てきた昴のつぶやきに、綾音は『何?』と聞き返した。

昴は軽く首を振り、何でもないと言い返す。

綾音は昴の前で携帯を取り出すと、明日福岡へ向かうと、裕に電話をかけ始めた。





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コメント

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こんばんは、更新いつも楽しみにしています。
昴と悠菜の距離が、近付いている。
綾音と同じ思いで読んでいましたが、その先に来るような障害が気になります。

pocoさん、こんばんは
更新を楽しみにしていただけて、嬉しいです。

>昴と悠菜の距離が、近付いている。
 綾音と同じ思いで読んでいましたが、その先に来るような障害が気になります。

昴の気持ちに、少しずつ変化が生まれています。
それはもちろん、悠菜との出会いがあったからなのですが……

この先は、語れないので、ぜひぜひお読みください。

いいことだ^^

綾音、凄いね(@@)見事にやってのけました!
愛の力は凄いのだ^^

悠菜も着実に実績を伸ばしてる
これも愛の力^^

昴は何気ない風景に目が行くようになったのか?
彼の中に変化が生まれた?
いいことだね~^^

恋する力……だね

yokanさん、こんばんは
お返事、遅れちゃって、ごめんなさい。

>綾音、凄いね(@@)見事にやってのけました!
 愛の力は凄いのだ^^

はい、綾音は変わりました。
一番、変わったと言えるかもしれません。
今までは、兄の力に黙って従っていただけでしたが、
自分を認めてくれる人の存在から、それを力に変えました。

悠菜にも、昴にも、それぞれ変化あり……

これからも、楽しくお付き合いください。