34 Fate 【運命】

34 Fate 【運命】



『同僚だという以上の感情を持つことは……迷惑になりますか?』



昴と別れた悠菜の頭の中では、何度もこの言葉が繰り返された。

憧れだけで終わるかもしれないと思っていた人が、自分を認め、

さらに傾き始めた気持ちまで告白してくれた。

『愛している』などというような、強い言葉ではなかったが、

ゆっくり距離が近付くようで、逆に言葉の重さを感じ取ることが出来た。


昴が自分の手をそっと握ってくれたその腕の力強さに、

長い間一人で頑張ってきた力が抜けていくようで、

悠菜はじっと黙ったまま、その思いを受け止め続けた。


昴と、仕事だけではなく、心もつながったのだとわかり、

年が明け色々なことが動き出したら、抱えている事実を語ろうと考える。

昴は、どんなふうに自分の話を受け止めてくれるだろうかと、

夢心地の人たちを乗せた電車の中で、悠菜はバッグをしっかり抱きしめた。





昴が部屋に戻ると、綾音はまだ戻っていなかった。

あまり遅くなると、またからかわれると思い早く戻ったが、

これならもう少し悠菜と一緒にいればよかったと、後悔する。

リビングの椅子に、脱いだ上着とネクタイを置いたまま、

もらったキーケースをあらためて取り出した。



『同僚だという以上の感情を持つことは……迷惑になりますか?』



今日という日に、こうして気持ちを明らかにしてしまうつもりなど、

そもそもなかったはずなのに、悠菜と一緒に歩いていた時間を失いたくなくて、

言葉が勝手に表へ出て行った。

それにしても、プレゼントを買うため、同じ店を選んだという偶然に、

今更ながらおかしさがこみ上げ、自然と口元がゆるむ。

今、部屋を開けテーブルの上に置いた鍵を今までのキーホルダーから外し、

もらった方に取り付ける。

綾音が演奏会でもらった銅賞の盾の横にキーケースを置き、

写真の中で微笑む母の顔をじっと見た。

言葉を語り、喜んでくれることはないが、

見慣れたはずの顔がいつもにまして穏やかに思え、

昴は、キーケースを母に見せるようにした後、脱いだスーツとネクタイをつかみ、

部屋へ入った。





そして、それぞれの年末が終わり、新しい年を迎える。

幕開けは、冬の綺麗な青空が広がる、穏やかなもので、

毎年の恒例行事をこなす人々の顔も、どこか晴れ晴れしい。





「最後の1年、どうか後悔のない学生生活が送れますように」


東京へ戻ってきた裕と、綾音は揃って『初詣』へ出かけた。

願い事を堂々と口に出す綾音に、

裕はそういったことは、心の中だけでつぶやくのではないかと意見する。


「これだけ人がいるのだもの。私の願いはこうですって言わないと、
神様には聞こえないって、そう言われていたから……つい」

「誰に」

「兄……」


裕はそれを聞くと、急に笑い出した。

綾音はそんな大げさに笑うなんて失礼だと、裕の背中を思い切り叩く。


「痛いなぁ……」

「笑うからよ、私が真剣に言っているのに」

「ごめん、だってさ、綾音のお兄さん、そんな人には思えないからさ」


裕は、昴がとても現実主義に思え、

神様に頼ったりするようにはとても見えないと、笑った理由をそう説明した。

綾音は、『初詣』を終え、お守りやお札を手にして駅へ向かう人の波と一緒に歩く。


「母が亡くなる前に、その当時住んでいた場所の近くにあった神社へ、
兄と毎日通ったの。もらったお年玉を小銭に変えて、袋に入れて……」


綾音は、何月だったかも忘れてしまったが、風が冷たかったことだけは覚えていると、

そう言った。兄が何度もお賽銭箱にお金を入れて、願い事をつぶやく姿を、

意味がわからないまま、ただ横で見ていた。

まだ幼稚園くらいだった綾音には、大きな賽銭箱が大きな口をあけ、

兄が入れる小銭を次々と飲み込んでいくのが不思議で、

カランという音を聞こうと、耳をしっかり押し付けていた。


「『お母さんを助けてください』。ただ……何度も、何度も……。
私は兄に言われるまま、両手をピタリと合わせただけで」


笑顔だった裕の表情は、本当の理由を知り、真顔に戻った。

綾音は、昴がそうやって大きな声でお願いしたおかげで、

母は一度退院して、しばらく一緒に過ごせたのだと笑顔を見せる。


「大きな声で言ったから、神様が願い事を間違えずに叶えてくれたんだって、
兄はそう言って笑って……。結局、母は助からなかったけれど、
でも、私もそれからは必ず願いごとを口にするようにしているの。
『立原音楽大学に合格させてください』とか……」


裕は、綾音の左手を力強く握り、『笑ってごめん』と謝った。

綾音はその手を握り返し、首を振る。


「俺、知らなかったから、笑ったけど、ごめん、失礼だった。
そんな話があったなんて、思いもしなかったし」


綾音と昴の過去を聞き、裕は唇をかみ締める。

綾音は、裕の申し訳なさそうな表情をわざとのぞきこむようにした後、

逆に笑顔を見せる。


「……やだ、もう、そんなふうに真剣に謝らないで。思い出話をしただけでしょ」

「でも……」

「もう、ずっとずっと昔のこと。今は私たち兄妹、幸せだもの。
母も空の上で笑ってくれているはず」


綾音はそういうと人差し指で、綺麗に晴れている冬の空を指さした。

裕もその空を見上げ、その通りだねと笑ってみせる。


「兄が、ちゃんと悠菜さんを引っ張っていけますように」

「は?」

「ううん、違う、違う。悠菜さんが兄を見捨てませんように」


裕は、いくらなんでもそんな願い事は必要ないのではないかと、口にした。

綾音は、昴は恋愛ごとに疎いから、頼んでおかないと心配だと言い返す。


「兄は真面目で融通性がきかないの。
きっと気もきかないし、楽しい話題も出来ないし、
一緒にいてもつまらないとか思われるかもしれないし……」

「綾音……」

「何?」

「お兄さんいくつだよ」

「……33」


裕と綾音は顔を見合わせて笑い、どこで食事をしようかと、改札を通り抜けた。





その頃、妹に心配をさせている昴は、綾音と裕のように待ち合わせをし、

同じように悠菜と出かけていた。

しかし、向かった場所は『正月らしい場所』ではあるが、神社でもお寺でもない。


「福袋、今年は特に好評みたいですね」

「うん……」


二人が向かったのは『HONEY』だった。

仕入れ商品を変えてから、初めての『初売り』を迎えたからだ。

客足は好調で、用意していた数は、予定の半分くらいの時間で売切れてしまう。

オーナーの佐藤は、これだけスタートがいい年は珍しいと、笑顔をみせる。

その後も、担当している店の状況を見に行ったり、

気になるライバルブランドの様子をのぞいたりしながら、

綾音たちとは違った『初詣』を過ごした。


新しい駅ビルが登場し、最後にオープンした店舗をのぞいてみると、

昴は取り扱いをしている商品のタグを見ながら、素材の確認をした。

悠菜は、常に仕事に向き合う昴を見ながら、そっと隣に寄り添って歩く。

ついこの間までなら、こんな時間だけが過ぎていくことに焦りを感じるだけだったが、

今は、たとえ仕事の話題しか出なくても、デートらしくないデートでも、

全然違和感がないのが不思議なくらいだった。


「……あ……ごめん」

「いえ……」


悠菜は、『心がつながっている』とわかっただけで、ひとつひとつの出来事が、

全て『楽しさ』だと思えることが、不思議でならなかった。





それぞれの正月休みが終わり、裕は福岡へ戻った。

そして、『salon』も仕事始めを迎え、本格的に1月が動き出す。


「今年は、『salon』にとって、勝負ともいえる年になるだろう。
企業のグローバル化によって、外資企業の参入もさらに増える可能性がある……」


営業部のメンバーが揃い、専務から新年の挨拶が行われた。

以前、営業部の部長だった豊川も久しぶりに顔を見せる。

『妊娠騒動』という、とんでもない話題を振りまいたくせに、

それはすっかり頭から飛んでいるのか、

新しい年になったから勝手にリセットしているのか、

春には戻れるだろうと、誰も期待していないことを口にした。


専務が営業部から去り、豊川も去ると思ったが、

懐かしい場所に気持ちが高ぶっているのか、

女子社員のヘアスタイルが変わったことなどをあれこれ語り、

なかなか出て行こうとしない。

昴は自分の席へ戻り、年末から気になっていた店のデータを呼び出した。


「畑野」

「はい」

「お前、いつの間にか部長代理だってな。まぁ、橋場さんが何かと忙しい部長だから、
雑用をこなせる男がいないと不便なんだろう、しっかりやれよ」


昴は新年早々、人の気持ちを逆なでするヤツだと思いながら、

それでも『ありがとうございます』と頭を下げる。


「元々、細かい作業は向いているし……それに……」


豊川の目は、そこでなぜか悠菜を捕らえた。

その目線は、何か含みを持っているように思え、

昴は、豊川の注意を自分の方へ向けようと、

『専務を追わなくていいのでしょうか』と問いかける。


「ん? あぁ……まぁ、俺は今からゴマを擦っても仕方がないしな、お前とは違う」


豊川は、自分には地位のある人間に、ゴマを擦る必要などない『家柄』があると、

嫌味を返した。逆に言うと、仕事の評価がされなくてストレスが溜まるなどと、

誰も思ってもいない内容を勝手に作り出す。


「いやいや、お前にも天性の素質があるのかもしれないぞ、畑野……」


豊川は昴を見た後、目を閉じ何度か頷いて見せた。

昴には、豊川の行動の意味が全くつかめず、反応さえ出来なくなる。


「どうせ釣りをするのなら、大物を釣らないとな……畑野」


豊川は意味のわからないことを告げると、そのまま営業部を後にした。

去り際に何か声をかけたようで、悠菜の表情が一瞬で曇って見える。


「畑野君、これ……」


豊川がいなくなったのがわかった橋場が、昴に声をかけた。

渡されたのは取引企業の一覧で、すぐに目を通して欲しいと付け加える。


「橋場部長、少しよろしいですか」


昴は、悠菜に仕事を振ることを邪魔しているのは豊川ではないかと思い、

あらためて橋場と話をすることにした。

もし、本当に豊川が春から部長に戻るのだとしたら、

今のうちに動かしておかないと、後からでは何も出来なくなる。


「うーん……」


昴が『部長代理』となり、現場に向かう時間が少なくなるため、

年末に提案した仕事の分散だったが、やはり橋場からの返事はいいものではなかった。

認めないにしても、しっかりとした理由を言わない橋場に対し、

昴の苛立ちが大きくなる。


「豊川が、何か邪魔をしているのでしょうか。私が嫌われているのはわかっていますし、
実は……以前、豊川は住友さんに……」

「いや、そうじゃないんだ、うん……」


明らかに何かを隠して見える橋場の態度に、

昴は問題があるのなら、話して欲しいと訴えた。

部長代理というポストにあるのに、

隠されているだけでは指示に従えないと言い切ってしまう。

何秒かの沈黙がそこにあり、橋場は納得したのか頷いた。


「そうだな、確かにこれじゃ君に伝わらないだろう。
僕自身、正直、君の提案がベストだと思っている。住友さんは仕事も出来るし、
女性であっても、子会社からの抜擢でも、問題などないことくらい、わかっているんだ」

「でしたら……」

「畑野君、これから言う話は、上層部からは止められている話だ。
絶対に外へは出さないでくれ。住友さん本人に確認することもやめて欲しい」


思わぬ展開に、昴は小さく「……はい」と返事をした。

橋場の言葉に、昴はこれから告げられる事実が、

簡単に流せる話ではないのだと身構えた。


「『STW』提携の話題は、畑野君も知っているだろう。
ヨーロッパ雑貨を扱う会社が、本場の衣料メーカーとコンビを組み、
トータルコーディネートの世界を売り込むことになった話だ」

「はい、先日経済紙で読みました。互いの長所を取り込むことで、
店のインテリアから全てコントロールが出来ます。実は、僕が住友さんを勧めるのは、
彼女がうちの子会社で雑貨を扱う仕事をしていたためで……」

「その『STW』の社長、渡瀬勇の娘が、彼女だそうだ」


昴が、悠菜を推薦する理由を語っている途中にも関わらず、

橋場はその発言を止め、事実を明らかにした。

渡瀬勇が、まだ会社を継ぐ前に、出会った女性との間に生まれたのが悠菜だったこと、

親子関係を知ったのは、互いにごく最近だったこと、

しかし、それを知った『salon』の上層部は、

悠菜が会社の機密を漏らすのではないかと決め付け、彼女に退社を迫ったこと、

その全てを語り続ける。

昴の耳には、事実がどんどん入っていくものの、その事実の大きさに、

受け止めることが精一杯になり、反応が出来ずにいた。


悠菜が母と二人暮しで、すでに母親が亡くなったということは、

『小麦園』で康江から聞いたことがあったが、その父親が大会社の社長だったことは、

全く知らなかった。


「渡瀬社長には、現在子供は一人もいない。自分に跡取りはないと思っていた過去から、
急に娘がいることになったんだ。しかも、住友さんは仕事が出来る。
年の離れた妻がいるらしいが、今、目の前にいる娘を、放っておくわけがない」


『年の離れた妻』

この言葉に、昴は心の奥に沈めた記憶を蘇らせた。

綾音がピアニストになるために、何もかもかけてきた『FLOW』での日々。

自分に対して、札束と非礼な言葉をぶつけた女性の名前が、

『渡瀬晴恵』だったことを思い出す。


「父親である渡瀬社長に、住友さん自身は、
世話になりたくないと言っていたけれど……」


橋場は、この事実を知り、それなりに『STW』の現状を調べたと言った。

豊川一族にいいようにされている『salon』にいるよりも、

先を見る経営をしていく『STW』の方が、よほど未来が明るいと付け足してくる。



『主人に娘がいたの……』

『これは私の復讐』



パートナーである渡瀬勇に対する不満を口にしながら、昴を求め続けた女性。

そんな不満を受け止めながら、愛してもいない女性を抱き続けた自分。



「畑野君……」


脚をからめ、欲望をぶつけあう中で、冷静に時計を見続けた日々。

自分にからみつく女の匂いがたまらなく嫌になり、シャワーを体にかけ続けた。

『綾音をピアニストにする』という目的さえクリア出来るのなら、

あの時は、たとえ悪魔にでも魂を売ろうと思い込んでいた。

昴は、晴恵の髪の香り、ふくらみの感覚、吐息の生暖かさが、

自分を取り囲んでいくような気持ちになっていく。


「どうした……」

「いえ……」


橋場は、すでに悠菜もこの事実を知り、退社を承諾していること、

それでも、営業部全体にはあれこれ詮索されたくないため、

ギリギリまで退社を明らかにするつもりがないことなどを語り続けた。

昴は、覆いかぶさる現実に押しつぶされそうになりながら、

ただ、自分を立たせているだけで精一杯になる。


悠菜が『STW』渡瀬勇の娘であるという事実と、

それを知る前に、向かってしまった自分の素直な気持ちの合間に、

昴は心を乱されたまま、橋場と別れ営業部に戻った。


入り口近くにいる悠菜はPC前に座り、何やら懸命に打ち込んでいた。



『同僚だという以上の感情を持つことは……迷惑になりますか?』



クリスマスの日、悠菜に対し正直に語った思いは、昴の本音であり、ウソではなかった。

綾音のためではなく、何かを得ようとしたわけでもなく、

ただ、心がそばに寄り添いたいと願ったことだった。

悠菜と会う日に、時計の進みなど気にしたことはなく、

暗いホテルの部屋で待ち合わせなくても、ただ、温かい手に触れるだけで、

心が満たされた。


そして、さらに触れたいと願う気持ちが、日ごとに膨らんでいく。

ただ、悠菜を抱きしめ、自分の腕の中で守りたいという思いは、確かに『愛』だった。

頭の中で情報がグルグルと回る中、

昴はなんとか自分の席に戻り、バランスを失いかけた体を支えていた腰を落とす。


「畑野さん」

「ん?」

「これ、積み立て金の延長をする人は印を押すそうです」

「あぁ……」


隣に座る笠間から受け取った書類には、営業部員全員の名前が記されている。

結婚を決め退社をする前川と、そして、悠菜の欄だけが白いままだった。





『Flow』
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コメント

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その日です

拍手コメントさん、こんばんは

>ついに来てしまいましたね、この時が。

そうですね、読み手のみなさんには事情が全て見えていますが、昴には驚きの事実だったと思います。


二人が乗り越えられることを、綾音と一緒に祈ります。

はい。抱えてしまった真実とどう向き合うのか、これからもお付き合いください。

大丈夫か?

初詣の綾音の思い出話にウルウルしちゃいました(TT)

悠菜のことを橋場部長から聞いちゃいましたかーー;
晴恵のこともあるしショックだろうな~・・・

昴が心配だわ・・・
昴が全てを知ったとわかったときの悠菜も心配・・・

兄と妹

yokanさん、こんばんは

>初詣の綾音の思い出話にウルウルしちゃいました(TT)

色々なことがあり、色々なものを背負ってきたのは、やはり昴であると、
そんなところが伝わってくれたらいいなと思いながら、書いていました。
責任感がね……ちょっと違う方向へ行ってしまったの。

どこまで知るのか、知られるのか……
緊張のまま、まだまだ続きます。