38 Confusion 【混乱】

38 Confusion 【混乱】



『……好きな人がいます』



昴の口から、咄嗟に出た言葉だった。

悠菜の顔色が変わったことには気付いたが、今更それをなかったことになど出来ない。

片桐初美から、豊川とのことを聞かされていたからなのか、

同じようなことを、話してしまった。


「……そうなんですか」


ただ、初美の話と違うのは、『100%ウソ』だということで、

昴の心に残るのは、申し訳なさだけになる。

綾音のためだと言い、『FLOW』に身を沈めていた頃の人生にピリオドを打てたのも、

妹の自由を認めてやれたのも、すべて悠菜への思いに気付いたからだった。

康江の言うとおり、自分を幸せにするために、一番必要な人だと思い、

あの日、思いを告白した。


「……それならば……仕方がないです」


悠菜は精一杯の表情を作ると、一瞬笑顔を見せた。

しかし、その笑みには何も力がなく、すぐに輝きを失ってしまう。

昴は膝に乗せた両手に力を込めた。

こうしていなければ、全てはウソだと宣言し、

その手を取り店を出て行こうとするかもしれないと思い出す。


「畑野さん」


悠菜は、残ったコーヒーを飲み干すと、ふぅ……と息を吐いた。

名前を呼ばれた昴は、言葉の続きを黙ったまま待ち続ける。


「綾音さんとは、これからもお友達としてお付き合いすることを、
認めていただけますか?」


昴は、その問いかけにしっかりと頷いた。

悠菜は、『ありがとうございます』と頭を下げ、

そばにあったバッグを手に取ると店を出ようとする。

テーブルの上に置かれたままのハンカチに気付き、昴がすぐそれを取った。


「これ……」


向かいあった時の悠菜が泣きそうな表情に思え、

昴は瞬間叩かれるような気がして身構えた。悠菜はハンカチを受け取る。


「畑野さん……今日はこれで帰ります。でも……ウソは嫌です」


昴は、そう言った悠菜に対し、必死に繕ったつもりが、

見抜かれてしまったのかと思うと、言い返すことも出来なかった。

互いに見合った表情は、どちらも辛さだけが前に出てしまう。


「失礼します」


悠菜はあらためて昴に頭を下げると、振り返ることなく店を出て行った。





悠菜は、気を抜けばあふれそうになる涙をこらえ、必死に前へ進み続けた。

昴の言葉を『ウソ』だと言い切ったものの、ウソだと言えるだけの確信はない。

しかし、今までずっと昴を見てきただけに、自分へ思いを告白しながら、

別の女性と付き合っていたとは到底思えなかった。


仕事の先輩として、悠菜が意識し始めたときよりも、

互いに色々と話をしてから自分に向けてくれた昴の目は、とても優しく、

裏切りがあるなどとは、考えられなかった。


体だけを前に前にと進み続け、改札の前に立ちパスケースを取り出す。

クリスマスの日、これを渡してくれた昴の顔こそが本当のものだと

崩れそうになる心に、必死に念じ続けた。





悠菜が店を出たあとも、昴は席を立てずにいた。

色々な方法を考えてみたものの、悠菜を傷つけない方法は結局導き出せず、

心のない繕った言葉は、全てウソだと見抜かれた。


『FLOW』にいたことを黙ったまま付き合い続ければ、

今のように向かい合っただけではなく、触れることを願うはずで、

そのような関係になってから『事実』が知られることになれば、

さらに深く悠菜を傷つけることになる。

昴は残りのコーヒーを飲み干すと、これしかなかったのだと自らに言い聞かせ、

眩しい夜景に背を向け、そのまま店を出た。





「……というわけで、残念だが、この3月で営業部から2名が旅立つことになりました。
前川さん、住友さん、挨拶をお願いします」


それから4日後、営業部では結婚で退社する前川と、

新しい道を探すと理由付けられた悠菜が、退社することが発表された。

前川は婚約指輪を営業部員に見せると、『幸せになります』と頭を下げる。

その挨拶が終わり、前川に代わって悠菜が前に出た。

昴は席に座ったまま、真実を隠す悠菜の顔を見る。


「営業部のみなさん、お世話になりました……」


悠菜は、自分が子会社から来て、鼻っ柱だけが強かった始めの頃から、

みなさんの優しさと温かさに甘え、今まで頑張ってこられたと挨拶をした。

『出来る』という言葉の意味を勘違いしたままで、入社した時の状態ならば、

仕事も失敗していただろうと付け加える。

それはまるで、指導してくれた昴への感謝に聞こえ、

突然の発表に戸惑う笠間は、横にいる男の顔を確認する。

昴は、口元を少し動かしただけで、何も表情を変えなかった。

むしろ、全て知っていたのではないかと思えるくらい落ち着いて見える。


「ここで頑張ってきたことを生かして、
新しいことにチャレンジしようという思いが出てきました。
まだ、具体的に何がとは言えませんが、また、どこかでみなさんと仕事が出来たらと、
そう思います」


悠菜が頭を下げると、営業部員から拍手が沸き起こった。

昴も少し遅れて手をたたき始めたが、笠間は両手を膝の上でしっかりと握り締める。


「畑野さん……知っていたんですか」


笠間の声に、昴は横を向き『何を知っているというのか』と問いかけた。

笠間は体ごと昴の方へ向けると、悠菜が退社することだと返事をする。


「みんなより、少し前に知っただけだ」

「あの時は知っていたんですか」

「あの時?」

「僕に、『トランプ』をふった時です」

「……いや」


納得が出来ない笠間と悠菜に、昴は仕事とはそういうものだと宣言した。

あの時は、悠菜の事情もわからずに、自分自身が混乱していた。

むしろ、あの段階で知っていたなら、『思いを告げる』こともなかっただろう。

二人の挨拶が終了し、普段の営業部が動き出し、昴も視線をPCに向ける。

笠間は無言のまま立ち上がると、悠菜の席へ向かった。


「住友さん、ちょっといい?」

「……はい」


PC画面を見るふりをしながら、昴は笠間についていく悠菜の後姿を目で追った。





笠間は、エレベーターのさらに奥にある階段へ向かい、

悠菜に退社する理由を問いただした。

悠菜は真実を隠したまま、新しいことに挑戦してみたくなったからだと、

挨拶と同じ言葉を繰りかえす。


「仕事が平等に振られていないことが原因なら、僕が一緒に橋場部長に掛け合うよ。
確かに、君が外される理由が納得出来ないのもわかるし、辛いとは思うけれど、
でも、それだけで退社するのは、あまりにも結論を早くつけすぎだとは思わない?」

「笠間さん……」


悠菜は、笠間が『トランプ』を横取りしたと気にしていることがわかっていたため、

仕事のことではないのだと説明した。仕事が不平等に感じることなど、

今までもあったことで、そんなことでは逃げたりしないと弁明する。


「だとしたら……理由は、畑野さん?」


昴の名前を出され、悠菜は一瞬返事に戸惑った。

笠間には、昴へ気持ちを傾けた頃の思いを、知られている。

この間は、ウソだとその場から逃げてしまったが、昴に別の女性がいることを、

笠間なら知っているのかと、逆に聞きたくなった。


「畑野さんと、何かあったの?」

「……違います。そんなこと……」

「畑野さん、あまりにも驚かないし、
住友さんが挨拶をしているときも、関心なさそうだったし……」


『関心がない』という言葉は、悠菜の心にチクリと刺さるようだった。

悠菜は、昴との関係が、先輩と後輩という間柄から、

無関心の相手へ下がってしまったのかと、笑顔すら作れなくなる。


「一緒に食事をしたり、色々と相談にのってもらったり、していたよね」

「あ……はい。でもそれはあくまでも先輩と後輩ですから。
それに、私が一番最初に仕事をさせてもらったお店が、元々、畑野さんの営業先で……」

「僕は、住友さんの気持ちをわかっていたから、応援しようとそう思っていた」


笠間はそういうと悠菜に背を向け、営業部の方へ歩き出した。

悠菜は、このまま笠間が昴に対して何かを言い出すのではないかと、

慌てて後を追いかける。

笠間は悠菜の心配をよそに、そのまま席へ座り、書類を取りだすと仕事に向かい始めた。





退社を決めてから、悠菜は取引先への挨拶へ回る日々だった。

『HONEY』の佐藤オーナーを始めとして、

関わってきた人たちが全て残念だと口にする。新しく担当になる営業部員もみな、

しっかりとした人だとフォローしながら、丁寧に頭を下げた。

会社へ戻る道を歩いていると、正面玄関から昴が出てくるのが見えた。

どうせ駅へ向かってくるだろうから、『お疲れ様でした』と声をかけようとすると、

昴は反対側へ歩き始める。

これからまた仕事に向かうのかと、後姿を見つめていると、

ビルの曲がり角から一人の女性が姿を見せた。

昴も、そこに女性がいることをわかっていたのか立ち止まり、

互いに何か言葉を交わすと、そのまま並んで歩き出す。

悠菜の目の前で、昴の隣に立ったのは、片桐初美だった。



『……好きな人がいます』



初美は1月から入社した。

元モデルだということもあり、スタイルもいい美人だ。

昴が悠菜に思いを告白してくれた日の後に出会い、急速に距離を縮めたとしても、

ありえないことではない。

しかも、前川達が話していたように、初美は取引先の『川口繊維』とは親戚筋になる。

仕事ではない昴の姿を見た悠菜は、目をそらしてしまおうと思いながら、

なかなかその場を離れられなかった。





昴が初美と向かったのは、先日のコーヒーショップだった。

アドレスに謝罪の文章を入れてきたのも初美で、昴はそれを受け入れる。


「先日は、失礼しました」

「いえ……」


10分でいいという条件で会ったからなのか、席につくなり初美は頭を下げてくれた。

昴は、もういいですからと言い返す。


「ありがとうございます。それなら、もうこれでなかったことにさせてください」

「はい……」


人の名前を勝手に出したことに腹を立てたが、

咄嗟にウソをつく気持ちは、昴にも理解できた。悠菜に対して繕ったセリフも、

『好きな人ができた』という、あまりにも幼稚なものだった。


「豊川部長はまだ、誘ってくるのですか」

「はい。でも、きちんとお断りしていますから、大丈夫です」

「そうですか……」


昴はテーブルに置いたカップを持つと、コーヒーを口に含んだ。

苦味のある豆の香りが、口と鼻に広がっていく。


「畑野さんに惹かれています……と、正直に話しました」


初美はそういうと、しっかりと昴を見た。

昴はまた同じことを繰り返すのかと、少し曇った表情になる。


「すみません、でも繕いでも言い訳でもウソでもないのです。
こうしてお会いして、お話が出来たら、もっとあなたに惹かれるような気がして……。
『好きな人』と表現したことは謝りましたが、あらためて近付きたいと思う気持ちは、
ウソではありませんから」


初美はそう思いを告げると、昴の表情を確認する。

前回のような駆け引きではなく、その言葉は正直だった。

昴はしばらく無言のまま座っていたが、視線を初美に向ける。


「好きな人がいます……」


昴はそう言うと、続きを語ることなく黙ってコーヒーを飲み続けた。

初美は、言葉の意味をしばらく考えた後、口を開く。


「それは、私を遠ざけようとするための手段ですか?」


自分が豊川を避けるために昴を利用したのと同じように、

昴も、この場を逃れるためにそう言ったのかと、尋ね返す。


「遠ざけようとか、そんな気持ちはありません。
ただ、『好きな人』がいると、そう言っただけです」

「お付き合いをされている方が、いるということですか」


昴は、去年のクリスマスに、悠菜と過ごした日のことを思い返した。

そばに立っていることがあまりにも自然で、隣で笑ってくれることに安心できた。

『FLOW』での日々がなければ、あの心地よい日々は、続いていたはずで、

誰にでも、自分の思いを隠さず、宣言できるはずだった。

目の前の初美が、昴のもう一つの顔を知ることなどはないはずで、

ここで別の方角へ気持ちを向ければ、これだけ気持ちが重たくなることもない。


「今は……」



『畑野さん……今日はこれで帰ります。でも……ウソは嫌です』



心を寄せた日のことを、ウソまでついて否定した自分に向けた悠菜の、

どこまでも寂しそうな表情が、目の前に浮かんでくる。


「今は……他の人のことを、考える余裕がありません」


孤独と裏切りの思いを抱えさせたまま、

『salon』を離れていかなければならない悠菜に対して、

昴は、自分だけが逃げた気がして、両手を握り締める。


「畑野さん……」

「すみません、これで失礼します」


昴は、コップをつかみバッグをつかむと、驚いている初美を残し、

そのまま店を出た。携帯を開き時間を確認すると、

会社を出てからまだ、30分も経っていない。

受け付けのいなくなった玄関を走りぬけ、エレベーターボタンを上に押す。

中に乗り込むと、すぐに閉まるのボタンを押し、営業部を目指した。

『FLOW』にいたことを、悠菜には語るべきだとそう思った。

契約者の名前までは明らかにしなくても、自分がどんな時間を過ごしてきたのか、

話してしまったほうが、互いに楽になる気がした。


「うわぁ……」


営業部の中に飛び込もうとしたとき、出ようとした笠間とぶつかりそうになる。

昴はすぐに謝ると、悠菜の席を見た。

デスクの上はすっかり片付いていて、バッグもかかっていない。


「住友さんなら、10分くらい前に帰りましたよ」


笠間に見抜かれたようなことを言われ、昴はそうではないのだとウソをつく。

忘れ物があると席まで戻ると、引き出しを開く。

どうでもいいような書類の束をバッグに押し込もうとして、

片手に紙コップを持ったまま走ってきたことに気がついた。


「畑野さん」


笠間の呼びかけに、昴は紙コップを握りつぶすと、

デスクの横にあるゴミ箱へ押し込んだ。何かトラブルでもあったのかと、

冷静を装ってみせる。


「何かあったのかと、聞きたいのは僕の方です」


二人しかいない営業部に、FAXの届く音がした。

昴は席から離れ、出てきた紙を取り出すと、退社した後の橋場の席へ置く。


「住友さんの気持ち、気付いてましたよね」


笠間は、悠菜が入ってきたときから、昴に憧れ、仕事の指導を望んだこと、

昴がどんなふうにすれば心を開いてくれるのかを気にしていたことなど、

淡々と語り続けた。昴は笠間に背を向けたまま最後まで聞き続ける。


「応えて……あげなかったってことですか」


笠間は立ち入ったことを言って申し訳ありませんと言いながらも、

昴からの返事を待ち続ける。


「……彼女とは」


昴には、笠間の表情がどんな意味を持っているのか、理解できた。

入社して以来、昴のそばで仕事を学び、いつも存在を気にしてくれていた。

そんな後輩の真剣な眼差しに捕らえられ、昴は逃げることが出来なくなる。


「……先輩と後輩として、接してきたつもりだ」


今の昴には、そう言うことしか出来なかった。

笠間はその続きがあるのかと、しばらく黙っている。

昴は、続きなどないのだとわかるように、バッグを手に持ち、時間を確認する。


「住友さんが好きです」


笠間は昴に向かって、そう告白した。

始めは同僚という気持ちで接していたが、いつも気になる存在であったこと、

それでも、悠菜の気持ちが昴に向いていることを知っていただけに、

見守るつもりでいたことを語る。


「でも……3月で退社する話を聞いて、気持ちが動きました。
このまま、フェードアウトしてしまうのは、嫌だとそう思うので……」


悠菜への思いを、隠すことなく表現できる笠間が、昴にはうらやましくてならなかった。

『FLOW』でのことがなければ、渡すことなど出来ないと、告白できたが、

自分の立場、事情を含めてしまうと、何も言い返せなくなる。

曇りのない真っ青な空を、眩しく見つめるだけの小さな自分が、

その輝きに乾ききってしまうようで、同じ場所にいることさえ辛くなった。


「……すみません」


笠間はそういうと書類を手に持ち、昴の横を追い抜き営業部を出て行った。





『Flow』
時は誰にも、流れ続ける……
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コメント

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告白

笠間君、告白するんだろうか?
きっとするよね

せっかくFLOWのことを告白しようと思ったのに
これで、出鼻をくじかれたような感じになっちゃったかな・・・

さて……

yokanさん、こんばんは

>笠間君、告白するんだろうか?
 きっとするよね

昴に対する想いも、変わってきている笠間。
さて、どうするかは次回へ続いています。
それぞれの迷いや、悩み……
お話しは底辺を漂ったまま続きますね。