48 Inclination 【傾き】

48 Inclination 【傾き】



普段ならば、オーナーの朋之はカウンターに客を座らせることを許さない。

しかし今回は、朋之自体が許したことなので、

バイトの男性はいつもと違う状況に、多少違和感を覚えながらもその場所を離れた。


「お客様、申し訳ありませんでした。席はこちらでけっこうですよ」

「はい……」


悠菜がメニューはあるのかと尋ねると、

朋之はカウンターの前部分に貼ってありますと返答する。

銅版のようなものが確かにあり、そこにはカクテルの名前があれこれ刻んであった。


「お好きなものは、ございますか?」

「よくわかりません」

「そうですか……カクテルを普段、お飲みになりますか?」

「……あまり」

「それでは私の方で、ご用意させていただきます。1杯、試してみてください」

「はい」


朋之はそういうと、カクテルの材料を取り出し、1杯作ってみせた。

出てきたものは、

『アメリカン・レモネード』という女性に人気があるカクテルだと言う。


「お客様、この店は初めてですよね」

「はい……」


朋之は、悠菜の顔を覚えていた。

昨年のクリスマス、あの噴水がある場所で、

昴と一緒に歩いているところを見かけたからだ。

昴があまりにも幸せそうな顔をしていたため、互いに声もかけずすれ違った。

突然『FLOW』を辞めたいと宣言し、そしてこの場所を去った昴の思いを、

朋之はその瞬間に、感じ取っていた。

悠菜は、出されたカクテルをしばらく見つめ、そして一気に飲み干した。

ただ、お酒を飲みにきたわけではないのだが、少し酔いでも回らないと、

言葉を出せる気がしなかった。

あっという間に、喉をカクテルが通り過ぎ、思いが現実に戻される。


「あの……」

「はい」

「もう1杯、作ってください」

「かしこまりました」


朋之は、思いつめているような悠菜の顔を見ながら、もう1杯同じカクテルを作り、

カウンターに置いた。悠菜はまた同じようにグラスを見つめた後、

一気に飲んでしまう。


「もう……1杯」


勝手な行動をする悠菜に対し、バイトの男は、明らかに不服そうな顔をする。

朋之は3杯目の酒を用意した。


「どうぞ」

「ありがとう……」


朋之は、どこかで悠菜が本題を話し始めるだろうと思い、

言われるままにカクテルを出したが、

悠菜は、同じようにグラスを見つめては流し込むように3杯目を飲んでしまい、

話は一向に始まる雰囲気を見せない。

朋之は、後ろにいたバイトの男性を店の奥へと呼んだ。


「ちょっと電話をしたいんだ。すぐに戻るから、次にもう1杯と指示を受けたら、
他のカクテルの説明を入れて、私が戻るのを待つように伝えてくれ」

「あ、はい……」


朋之は、悠菜がグラスを握ったことを確認し、店の奥へ入り、携帯を取り出した。





その頃、昴は部屋へ戻る途中だった。

仕事は順調に流れているものの、気持ちはどうしても前に向かない。

改札を抜け、一人歩いていると、携帯電話が鳴り出した。

相手は、『FLOW』の朋之で、出るべきなのかためらってしまう。

しばらく音を無視していたが、一向に鳴り止むことがなく、

昴は歩みを止めると、その電話を取った。


「はい……」

『もしもし、昴か』

「はい……」

『彼女が今、店に来ているんだ』

「彼女?」

『クリスマスにお前と一緒だった女性のことだ。
ここへ来て、いきなりカウンターに座ると自分で言い出して、
すでに3杯一気飲みした。このままでは4杯目も飲むつもりだろう』


朋之の言葉に、昴の脳裏にもあのクリスマスのことが思い出された。

『FLOW』を辞めた後、偶然、噴水の場所で朋之と出会った。

朋之の口元がゆるみ、昴はその微笑に感謝しながら、互いに無言のまますれ違った。


「いつからですか」

『来たのはまだ20分くらい前のことだ。今日初めて来た。
どういうことで、ここに来ているのかは、まだ何も言わないからわからない。
お前と今、縁がないのなら、そのまま客として注文どおり飲ませて店を出す。
それでいいいのか』


悠菜が一人で『FLOW』を訪れ、あのカウンターに座り、

一気にお酒を飲んでいるという事実を聞き、

昴は、全てを知ってしまったのだと、そう思うことしか出来なかった。

『FLOW』に顔を出すことは、事実を語ることになり避けたいところでもあったが、

お酒がそれほど強くない悠菜が、酔った状態で店を出されることを考えると、

放っておくことが出来なくなる。


「わかりました、今から行きます。
申し訳ないですが、店に残しておいてもらえませんか」

『あぁ、わかった。なんとかつないでおくから、すぐに来い』

「はい……」


昴は携帯を閉じると、今歩いてきた道をすぐに戻った。

家へ帰るために向かってくる人の間をすり抜けながら、

店の中にある時計で時刻を確認する。

夜8時少し前、今から電車に飛び乗れば、9時前には着くはずだった。

昴は、朋之がなんとか悠菜を店へ止めているうちにと、さらに走る速度を上げた。





「ふぅ……」


悠菜は朋之の予想通り、4杯目を出して欲しいと言い出した。

バイトの男性は、他のカクテルの説明をしながら時間を稼ごうとしたが、

悠菜は空のグラスをさしだし、同じものでいいと譲らない。


「他の説明は結構です。これでいいですから……」

「あ、あの……お客様」


電話を終えた朋之が店の中に戻り、不満そうな悠菜の前に立った。

悠菜が食べ物を口にすることなく、アルコールだけを入れていることを心配し、

何か口に入れないかと言った。


「いいです、気にしないでください」


悠菜は首を何度も横に振りながら、そう答え、

扉が開き閉まる様子を見ては、客の動きを目で追った。

その客が昴でないことがわかると、複雑な表情のまま、また下を向く。


「余計なことをとお思いでしょうが、そのような飲み方をされて、
体調を崩される方も多いのです。これだけの短い時間で3杯も飲まれたのですから、
少し休憩を入れたらどうですか?」


悠菜は、朋之の提案に何も答えず下を向いたままでいた。

自分のしていることが、あまりにも惨めで、滑稽な気さえし始める。

ここへきたのは、酔って意識を無くすためではない。

目の前で、冷静に対応する朋之をじっと見つめ、

この人が昴のことを知っているのだろうかと、考えてしまう。

聞かなければと思うのに、一言が出てこない。


「果実がメインになる、軽めのものを出しましょう」


朋之は、多数ある店の中から、せっかく『FLOW』を選んだのだから、

色々と作らせてくれないかと提案する。

悠菜は、同じようなことを朋之にまで指摘され、

ここでお酒を飲むのは、勢いをつけるためだったことに気付き、

『同じもの』にこだわる意味もない気がした。

朋之の提案を強く否定することなく受け入れ、両腕をカウンターに乗せると、

そのまま頭を乗せた。


「すみません……うかがってもいいですか?」

「はい、何を」

「あなたは、このお店のオーナーですか?」


悠菜は、頭を両腕に乗せ、全く別方向を見たまま、そう質問した。

朋之は、新しいグラスを用意しながら、自分が店の責任者だと返事をする。


「だとしたら、全てをご存知なのですよね……」


悠菜の目の前には、何本かのワインが置いてあり、ライトが当たっていた。

誰のものだかわからないワインを見つめていると、少しずつ瞼が重くなる。

悠菜は、頭をカウンターに置いたまま、目を閉じてしまい、

朋之は酒を作りかけた手を止め、壁にかかる時計を確認した。





昴は駅を降り、ほろ酔い気分で歩くサラリーマンを避けながら、

そのまま『FLOW』へ向かい、扉を久し振りに開けた。

カウンターの一番奥に、どこかぐったりとした悠菜が見える。


「昴……」

「朋之さん」

「大丈夫だ、あまりお酒が強くないのだろう。
酔ってしまったみたいで、もう30分以上、眠っている」


昴は朋之に頭を下げ、悠菜のそばに近付いた。

横にはいつも持っていたバッグが置いてある。

仕事の帰りに、ここへ来たのかとそう思った。


「入ってきて、いきなりカウンターに座ると言い出した。
俺に『全てを知っているのか』と問いかけてきて。
おそらくお前のことを、聞きに来たのだろうな。でも、聞く勇気が出なくて、
酒の力を借りようとしたのだろうけれど。結局、何も……」

「そうですか……」


昴は、ついにここまで来てしまったのかという思いで悠菜を見つめ、

朋之は、受話器をあげると、タクシーを1台店の前へ回して欲しいとそう言った。

二人の事情など何も知らない客が、また数名店内に入ってくる。

朋之はバイトの男性から注文を聞き、忙しそうに動き出した。


「お姉ちゃん、かわいい顔して寝ちゃって……」


奥のテーブルで酒を飲んでいた男性客二人が、

そう言いながら悠菜の方へ近付いた。

昴はその男性客と悠菜の間に割り込むようにした後、

隣に自分のカバンを置く。

ひとりなのかと思った悠菜に、男の連れがいるのだとわかった客達は、

それ以上語ることなく、店を出て行った。





昴は外に出ると、携帯を開いた。

朋之が呼んでくれたタクシーは、あと数分で到着するだろうと考える。

すっかり酔っているという状況からいって、悠菜のアパートへ帰すべきなのだろうが、

ここへ来た意味を思うと、やはり自分で話をしなければならないとそう思った。

しかし、マンションに戻れば、綾音と顔を合わせなければならず、

昴は『その場所』を考える。


「もしもし……昴です」


昴が助けを求めたのは、『小麦園』の康江だった。

悠菜が、どこからかはわからないが、自分の過去にある程度気付いたこと、

酔いが回っていて、一人でアパートへ帰した後のことが心配なことを告げる。

康江はわかったと返事をし、自分の部屋を開けてくれることを約束した。

昴は康江に礼を言い、電話を切ると、店内へ戻った。



何度か入り口が開く気配に反応した悠菜は、

まだ、完全には目覚めていない状態で、昴の姿を見た。

一瞬、驚いた顔をしたが、その表情はすぐに曇っていく。

悠菜は、椅子から立ち上がろうとするが、酔いの回った体は、

その慌てた動きに耐えられず、カウンターの椅子から崩れ落ちる。

昴は椅子から落ちてしまった悠菜にかけより、その体を支えた。

悠菜は、精一杯の抵抗をみせ、昴の手を振り切るようにすると、

もう一度、椅子につかまり立ち上がった。


「どうして畑野さんがここにいるんですか……どうしてここに……」


悠菜は、昴の顔を見ることなく、どうしてここにいるのかと、何度も声に出した。

朋之は、エンジン音の方を確認し、店の外にタクシーがついたと昴に声をかける。


「住友さん、ここを出よう」


昴は、悠菜の腕を取り、そのまま入り口の方へ向かおうとする。

悠菜は、その手を振り払い、またふらつきながらカウンターに手を置いた。


「嫌です。私は……まだ……まだ、何も」

「話なら、僕がする」


昴自身が語るという宣言に、悠菜は何度も首を振った。


「……嫌です、違います、聞きたくありません」


店内に数名いる客が、完全に酔いの回った、ふらついた足で歩こうとする悠菜を見る。

昴は、迷惑な客がいると、不満そうな店内の視線を断ち切るように、

悠菜を抱きかかえると、そのまま扉の方へ向かった。

バイトの男性が、カウンターを飛び出して、慌てて扉を開ける。


「降ろしてください、私は……」


悠菜は足をばたつかせ、なんとか下に降りようとした。

昴は、抱えた腕の力を、さらに強くする。


「だめだ、このまま店内にいたら、君は営業妨害になる」


店の外に出ると、状況を見たタクシーの運転手が、後部座席の扉を開けた。

昴はその手前で悠菜をおろし、乗るように言う。


「どこへ……」

「いいから……」

「私はどこにも行きません。話はまだ聞いていないんです」

「話なら、全て僕がする」

「いえ……」

「僕から話しを聞くつもりがないと言うのなら、何を知るためにここへ来た!」


昴の強い口調に、悠菜はそれ以上言葉を返すことが出来なかった。

強くもない酒を何杯も飲み、過ごしたくない時間を積み重ねていたのは、

どうしようもない思いを、整理することが出来なかったからだった。

悠菜は、これ以上、ここで押し問答するわけにはいかないと、

おとなしくタクシーに乗った。


「昴!」


朋之が悠菜と昴のバッグを持ち、近付いてきた。

昴は、タクシーの扉にかけた手を外し、振りかえる。


「忘れ物だ」

「あ……すみません、そうだ、彼女の勘定を」


昴はスーツのポケットから財布を取り出したが、朋之はそれを手で止めた。

申し訳なさそうな顔をした昴に対し、無言で軽く肩を叩く。


「じゃあな」

「……はい」


悠菜がなぜここへ来たのか、そして昴がなぜすぐにここへ来て悠菜を連れて帰るのか、

朋之は全てわかっていた。昴は何も聞かない朋之に頭を下げ、悠菜の隣に座った。

タクシーは静かに走り出す。

昴は運転手に行き先を聞かれ、最寄り駅を告げると、

その先にある『小麦園』の名前を出した。





後部座席の隅で、体を小さくしながら、悠菜は窓に頭をつけたままだった。

時々、手に持ったハンカチを口の前に出し、ふぅ……と息を吐き出している。

昴は、営業妨害になると言い、悠菜を無理に車へ押し込んだが、

本当は気分が悪いのではないかと気になりだす。

本来、昴が気にしていたのは、営業妨害よりむしろ他の客の視線だった。

あのままもし、ふらついた悠菜が一人、外へ出てしまったらと思うと、

一刻も早く、男たちの好奇な視線の中から、自分が守れる場所へ囲みたかった。


「気分、悪い?」


悠菜は昴の問いかけに小さく首を振り、また視線を前に向けた。

赤信号でタクシーが止まると、やっと聞こえるくらい小さな声で、

『すみません』とつぶやいた。

昴は、こうなるまで悠菜を思い悩ませてしまったことが辛くて、

何も返せないまま黙ってしまう。

静かな車内の中、悠菜の目はいつの間にか閉じていて、

そして、頭はカクンと下に動き、眠ってしまった。


「いやぁ、まいったなぁ、いつもは混む道路じゃないのに……」


タクシー運転手は、工事車両が数台脇に止まっているので、

すれ違いながら通行するため、思ったよりも時間がかかっているとそう告げた。

昴は大丈夫ですと返事をし、隣で眠っている悠菜を見る。


『FLOW』から、とにかく出ることだけを考えていたため、

一体、どこで誰から自分のことを聞いたのか、どこまでを知っているのか、

それが全くわからなかった。

体を小さくしたまま、辛い現実に耐えている姿を見ながら、

手を伸ばし、抱き締めてやりたくなる感情を必死にこらえ続ける。

悠菜を視線にとらえていると、体と心が別の行動をしてしまう気がして、

昴はあえて外を向いた。

街の中から、景色はだんだんと緑が多くなり、

タクシーは予定よりも20分くらい遅れ、康江の待つ『小麦園』に到着した。


「それじゃ、これで……」

「はい、今、お釣りを……」


タクシーが止まったことと、『小麦園』の玄関から入る灯りで、

悠菜は目を開けた。窓の外に、心配そうな康江が見える。

悠菜が姿勢を戻すと、タクシーの扉が開き、外の風が中に進入した。

昴と悠菜が降りると、タクシーの扉は閉まり、そして静かに発車する。


「すみません、先生、急に」

「いいのよ、とにかく入ってちょうだい」


康江に挨拶をする昴の後ろで、悠菜は下を向いたまま立っていた。

ここに連れてこられるのは、なんとなく予想がついていたため、驚きはしなかったが、

動揺することなく自分たちを受け入れようとする康江も、

昴の秘密を実は知っていたのかと、空しくなる。

康江は、悠菜の手を引き、中へ入りなさいと笑顔を見せた。


「私の部屋なら、子供達が入ってくることもないし、大丈夫よ」


『FLOW』ではふらついていた悠菜の足取りも、少しの睡眠が功を奏したのか、

緊張が気持ちを支えるのか、前を歩く昴の後ろをついていく。

ふすまを開き、部屋の灯りをつけると、康江は湯飲みとお茶の場所を示し、

気をつかいその場を離れた。





『Flow』
時は誰にも、流れ続ける……
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