51 Enclosure 【囲い】

51 Enclosure 【囲い】



昴はいつもの電車に揺られながら、気持ちの切り替わらない自分に対し、

苛立ちを隠せずにいた。話せるところは全て悠菜に語り、

これ以上は出来ないところまで説明したはずなのに、

まだ何か足りないような、忘れているような気がしてしまう。


「おはようございます」

「あ……おはよう」


昴は、駅の改札を出ると、眩しい夏の日差しから逃げるように、

『salon』のビルへ駆け込んだ。





悠菜はその日、一度家に戻ると、午後から遅れて出社した。

隣に座るまどかは体調でも崩したのかと心配し、すぐに声をかけてくれる。

悠菜はバッグをデスクに置き、引き出しを開けた。


「ごめんなさい、手続きを済ませていないものがあって、慌てて……」

「そうなんだ、入ってきてすぐに大きな仕事だったでしょ。
疲れが出たのかなって心配しちゃった」

「ううん、大丈夫」


悠菜は、引き出しを閉めた後、優しく自分を心配してくれたまどかに、

謝りのポーズを見せた。

まどかは元気ならばそれでいいと笑い、またランチでも行こうねと、

肩を軽く叩いた。


「みんな、ちょっと集合してくれないか」


午前中の会議を終えた広報部長の田尾は、

新しい計画が動き始めたと部員たちを会議室へ集めた。

別の行動を取ろうとした悠菜とまどかも、慌ててファイルを持ち後に続く。

田尾から聞かされた内容は、ブランカの家具を取り入れ、

イメージチェンジを成功させたホテルチェーン『ブルーアイズ』が、

軽井沢の別ホテルを新しく買い上げ、

その改装を一緒にすることになったというものだった。

ヨーロッパのアンティークな家具を取り入れた部屋は、

周りの森林景色とマッチし、軒並み好評だと雑誌でも特集された。

田尾は、『リアロ』との連携も含め、今度のプロジェクトは大きくなると資料を見せた。


「メルヘンチックね、これ」

「そうね……」


女性たちが憧れるようなイラストと展開予想図に、広報部員からもため息が漏れた。

そして、それぞれの動きが発表され、田尾が悠菜の名前を読み上げる。


「住友さん」

「はい」

「住友さんには、江口さんと一緒に、
今日会議の後に開かれる、パーティーに出てもらいます。
君は以前、『salon』に勤めていたから、『リアロ』が手がけるホテルスタッフの衣装や、
お客様にお出しする室内着などに関しても、それなりの意見が出せるだろう」


悠菜は、急な仕事に驚きながらも、田尾の言葉にただ頷いた。

江口が絡むところにいるのは、どこか居心地の悪そうな気がしたが、

あくまでも仕事の一部だと、割り切ろうとする。


「『STW』にとって、大きな動きになりそうだ、しっかり頑張りましょう」


広報部員たちは、田尾の言葉に返事をすると、

時間を気にしながら、それぞれの場所に向かって動き出した。





「江口、今日の『ブルーアイズ』の会議は、何時からだ」

「3時からとうかがっております。あと30分で出ていただかないと、
間に合いませんので」

「そうか……」


その頃、社長室では江口から時間を告げられた勇が、会議に出る準備を進めていた。

『ブルーアイズ』との仕事は2回目で、お互いに力をわかっているため、

それほど問題はないだろうとソファーに腰を下ろす。


「社長、私はあとから参ります」

「遅れてくるのか」

「はい」

「何か、別の用事でも」

「悠菜さんを、連れて行こうと思いまして……」


勇は、まだ悠菜を広報部に入れて日も浅いのに、

最初からあまり動かすのはどうなのかと心配する。

江口は、だからこそ今、動き始めた方がいいのだと言い切った。


「今? どうしてだ」

「実は、悠菜さんのプライベートに問題がありまして」

「プライベート?」

「はい。『salon』時代に、思う男性がいたようなのですが、
その相手が少し問題のある男で……」


江口の話を黙って聞いた後、

勇は問題があるとは、どういう男だと切り替えした。


「表では『salon』のトップ営業マンなのですが、
その影では、『FLOW』に出入りする男でした。名前は、『畑野昴』と言います」


勇はソファーに座ったまま、江口の報告を耳に入れた。

何秒か黙った後、わかったと小さく頷き返す。

勇にも『FLOW』という店名を聞くだけで、思い当たる節があり、

それはここで語り合うようなものではないことも、わかっていた。


「彼女は、『FLOW』がどういう場所であるのかを知っているのか」

「先日、私の方で報告をさせていただきました。
悠菜さんは、納得がいかないと少しごねましたが、
男のほうは、『FLOW』でのことを知られるのを恐れているようで、
交際を続けることには消極的です」

「そうか……」

「『ブルーアイズ』の真鍋社長も、これからの動きを先取りして、
『STW』との関係を強化することは望むところだと思います。
あちらには3人も息子さんがいらっしゃるので……」


江口は腕時計を確認し、そろそろ準備をと勇に声をかけた。

勇はソファーから立ち上がり、江口が手に取った上着を羽織る。


「そうか……『FLOW』に出入りする男だったのか……」

「はい……」


勇は少し残念そうな顔をした後、

江口に対し、玄関へ車を回すように指示を出し、社長室を出た。

江口は勇とエレベーターの扉まで歩き、ボタンを押した。





勇が社長室を出てから30分後、悠菜は江口の部屋に向かった。

田尾から、広報部員としてパーティーに出席するように言われたと頭を下げる。


「それと……」


悠菜は手帳から『FLOW』の写真を取り出し、それをデスクに置いた。

江口は、写真を受け取ると、気持ちは晴れましたかと聞いていく。


「色々な意味で、疑問は解けました。
でも、気分が晴れたのかと言われたら、それはまだ晴れていません」

「そうですか……」


江口は写真を封筒にしまいながら、これから色々と出会いがあることでしょうと、

悠菜に声をかけた。悠菜は、江口の言葉を黙ったまま聞き続ける。


「社長は先に向かわれました。私達も行きましょう」

「はい」


江口と悠菜は用意された車に乗り込み、先に向かった勇を追うようになりながら、

『ブルーアイズ』が池袋に持つホテルへと向かった。





「畑野君!」

「……あ、はい」


その頃、『salon』の営業部では、定期的に開かれる全体会議が行われていた。

部長である橋場が発表し、

今、交渉中の企業を持つ部員たちがそれぞれに経過を報告する。

橋場は、最後に部長代理として昴に意見を求めた。

周りの社員達が、全て昴に視線を向け、その言葉を待つような状況に、

慌てて資料へ目を向けたが、数分前まで聞こえていた声が、

どんな内容だったのかさえ、整理がつかなくなる。


「畑野君……」

「橋場部長、畑野さんの心に残らないような発表しか、
出来ていないってことです。僕もこれといって、残らなかったというか……」

「ん? そうか?」


笠間の切り返しでその場は丸く収まったものの、

昴は、会議終了後の営業部に居心地の悪さを感じ、すぐに外へ出てしまう。

どこかに行くあてもなかったため、コーヒーショップに入り、

アイスコーヒーの中にある氷が解けていくのをじっと見続けた。

『salon』の営業マンになってから、時間をつぶすようなことをするのは、

あまり記憶がない。いつも次への作戦を練りながら歩いていたため、

時間が足りないと思うことはあったものの、余らせていること自体、

信じられなかった。何も考えないようにしようと思いながらも、

昴の手は自然とポケットに向かい、悠菜から戻されたパスケースを取り出す。

スーツを変えた今日も、なぜか入れてきてしまった。


元の持ち主だった悠菜は、別のパスケースに定期を入れ替え、

すでに仕事を始めているはずで、それと同じように、

自分のこともすでに過去と割り切り、切り捨てられた気がしてしまう。

思い出に浸るのはまずいと、パスケースをポケットに押し込み、

残りのコーヒーを一気に飲み干していく。

隣の客が空になったグラスを手に持ち、席を離れた時、

携帯が揺れ始め、昴は相手を確認した。

メールは『小麦園』の康江からだった。

昴は、昨日悠菜を残して帰ってきたこともあり、あれから何か起きたのかと、

慌てて店を出ると、電話をかける。

何回かの呼び出し音が鳴り、康江の声が聞こえてきた。


「もしもし、昴です」

『あ……昴……』


昴は、昨日自分が『小麦園』を出てから、何か問題が起きたのかと問いかけた。

康江は数秒間の沈黙後、『ごめんなさい』と謝ってくる。


「先生、どうして謝るのですか」

『約束……守らなかったの』


康江は、昴が帰った後、悠菜が残る部屋へ向かい、気持ちを聞くつもりだったが、

そこで悠菜が、昴を責めたため、我慢が出来なくなったことを語る。


『本当はね、悠菜さんが薄々、まだ何かあるのではないかって、
私に探りを入れるために、昴のことを責めたの。本当に怒っていたわけではなくて……』


『FLOW』に渡瀬晴恵が出入りしていたこと、

その女性が、昴の契約者だったこと、

『FLOW』という組織が、パートナー公認のものであること、

自分のミスで、悠菜は結局、本当に全てを知ってしまったのだと、

康江は申し訳なさそうに話し続けた。


「そうですか」

『ごめんなさい、昴。
あなたに絶対に語るべきではないと、そう止めていたのは私なのに。
その私がこんなこと……』


昴は、康江の気持ちを理解し、あまり自分を責めないでほしいとそう言った。

そもそも、自分が『FLOW』に出入りし、隠さなければならない過去を持つことが問題で、

康江や悠菜が頭を悩ませることではないのだと、フォローする。


「それで、彼女は……」


絶対に告げたくないことだと思っていたはずなのに、

事実を知った昴の気持ちは、思っていたよりも複雑にはならなかった。

むしろ、さらけ出したことで、悠菜がどう反応し、

気持ちを変えていくのかが、気になっていく。


『さすがに何も言わなかったわ。今朝は朝食も取らずに出て行ってしまって。
でも……悠菜さん、どこかすがすがしい顔をしていた気がする』


何を聞いても、どこか納得できなかった日々から、

聞きたくなかったことかもしれないが、何もかも知ったことで、

安心しているのかもしれないと、康江は語る。

昴は、またあらためて顔を出しますと挨拶をし、電話を切ると、

ポケットに携帯を押し込んだ。

店の中で涼んだ体温は、数分の電話で一気に急上昇し、

額にはじんわりと汗がにじむ。



『でも……悠菜さん、どこかすがすがしい顔をしていた気がする』



昴は真っ青な空を見上げた後、その足を前へと向けた。





江口に言われるまま、会場へついてきた悠菜だったが、会議とは名ばかりで、

どこか和やかな雰囲気の場所に、10数名の会社関係者が入っていた。

その中には、社長の勇ももちろん入っている。


「お久しぶりです、江口さん」

「こちらこそ……」


江口に挨拶をした男性は、隣に立つ悠菜を見た。

悠菜は、目の前の人物が誰なのかもわからないまま、頭を下げる。


「大串部長、『STW』広報部に所属しております。住友悠菜です」

「住友悠菜です」


悠菜は名刺入れから名刺を取り出すと、目の前の男性に差し出した。

男は、名刺の名前を確認し、すぐに江口を見る。


「あぁ……彼女が住友さん」

「はい、そうです。住友さん、こちらは『ブルーアイズ』の大串統括部長です。
『ブルーアイズ』の大黒柱とも言える方ですよ」

「江口さん、あまり大げさに言わないで下さい。
いざ、仕事をする段階になって、がっかりされては困りますので」


大串はそう言いながらも、

江口の褒め言葉にまんざわ悪い気はしていないようだった。


「今日は緊張なさらずにお過ごしください。今、専務たちも顔を出すと思いますので、
すぐにここへ向かうようにと伝えましょう」


大串は、それではまたと頭を下げると、江口と悠菜の前から去っていった。

悠菜は大串を見送りながら、江口の横顔を確認する。


「江口さん」

「はい……」

「大串部長は、私のことをご存知なのですか?
今、名刺をお渡しした時、そのような雰囲気で……」


全く知らない相手だと思っていたのに、向こうが自分のことを知っていた事実に、

悠菜は、どうしてなのかと問いかけた。


「悠菜さんが、実は社長のお嬢さんであると言うことを、
大串部長はご存知なだけです」


江口は、悠菜が勇の娘であることを、公表したことを認めた。

悠菜は、どうしてそんなことをするのかと尋ねかえす。


「どうして? それはどういう意味ですか」

「どういう意味って。私が渡瀬さんの娘だと、公表しなければならない理由は……」

「それは、事実だからです」


江口は、事実なのだから無理に隠す必要もないし、

これから正式に取引をする会社なのだから、隠しておくほうが信頼関係を作れないと、

そう展開した。


「お付き合いは、会社のトップ同士がすることです。
私の話など、していただく必要はありませんよね」

「そうでしょうか。結局、『salon』もそれを知って、悠菜さんを追い出した。
あなたがどういう立場の人なのか、『STW』の中ではともかく、
他社にはしっかりと知っていただいたほうがいい」

「江口さん……」


江口は、悠菜の訴えを軽くあしらい、さらに歩みを進めた。

悠菜は、そんな江口の態度に、疑問符を浮かべながらついていく。


「悠菜さん、あちらに見えるのが、『ブルーアイズ』の専務を務める、
次男の佑(たすく)さんです。その隣にいるのが、まだ大学院生の三男登さんです。
ご挨拶をしてください」


悠菜が江口の見る方へ目を動かすと、確かに男性が二人会場に現れた。

一人はまだ若く、スーツ姿もどこか浮付いて見えるが、

片方の男性はしっかりと周りを見ながら、招待客と挨拶を交わしている。


「ご長男の悟さんは、すでに結婚されています。
3兄弟みなさん話題も豊富で、楽しい方ですよ」


江口はそう言うと、悠菜の隣から少し右へ動き出した。

その動きに気付いた次男の佑が、悠菜の方を見る。

大串から受け取った名刺をしまうことも出来ないまま、

悠菜は、自分を取り込み始めた大きな渦に巻き込まれまいと、必死に立ち続けた。





仕事を終えた昴の足は、綾音と暮らすマンションではなく、

『FLOW』へ向かっていた。

昨日、悠菜が店に行き、深く酔ってしまったため、

昴はそれをかばい、場所を離れることだけしか出来ず、

朋之にたいしたお礼もしないままになっていた。


好意に甘えたまま、逃げてしまった気がして、

朋之にあらためて謝罪しようと扉を開ける。


「いらっしゃいませ……あ……」


バイトの男性が朋之より先に昴に気付き、ペコリと頭を下げた。


「昨日は、申し訳ありませんでした」

「いえ……僕は……」


昴は頭を下げると、そのまままカウンターへ向かう。

中で支度を進めていた朋之は、何も言わずに席へ座った昴を見て、口元を軽く上げる。


「どうした、昴……無言のまま席に着くなんて。
まさか、この場所に復活するわけではないだろう」

「はい」


朋之はカウンターに1枚のコースターを置き、昴の席を作る。

昴はバッグを横に置き、その場所に座った。





『Flow』
時は誰にも、流れ続ける……
いつも訪問ありがとう。パワーの源、1日1回の『ポチ』……してくださると嬉しいな。

コメント

非公開コメント

江口、優秀だけどね~ーー;

見合いか~?、政略結婚か~?
江口は優秀だけど、だけどね~
こう、何もかもすばやく行動されると・・・
逆に反感を覚えるわーー;

全てを知ってしまった悠菜
全てを知られてしまった昴
これからの二人の関係に目が離せません^^

そうなのです

yokanさん、こんばんは

>江口は優秀だけど、だけどね~
 こう、何もかもすばやく行動されると・・・
 逆に反感を覚えるわーー;

覚える、覚える。
おそらく悠菜も覚えているはず。
二人のこれからとともに、江口にも注目しておつきあいください。