【again】 7 兄弟の微妙な関係

【again】 7 兄弟の微妙な関係

     【again】 7



「ママ……結婚式?」

「エ? どうして?」

「だって、オシャレしてるから」


いつものジーンズとは違う絵里の姿に、大地はとまどう表情を見せた。スーツを着た絵里は、

そんな大地の方を向きニッコリと笑う。


「あのね、大地。ママ、偉い人に褒めてもらうんだよ。頑張りました! って」

「そうなの?」

「そうだよ。だから、大地に新しいリュック買ってあげることになったでしょ?」


大地はうん、うん……と頷き、ランドセルを背負う。


「ちゃんと大地が帰ってくるまでには、戻っているから。ね!」


絵里は大地のシャツの襟を直し、そのまま両手で頬へ触れた。


「うん……褒めてもらったらさ、ママ。ちゃんとありがとうって言うんだよ!」


絵里はいつも言われていることを、得意気に言ってみせる大地がおかしくて、少し笑いながら、

何度も頷き返した。





通勤電車に揺られるのは、何年ぶりだろう。絵里は吊り輪につかまりながら、

東京の真ん中にある、本社を目指す。


「亘、行くぞ」

「……あ、僕は行かないんだ」


その頃亘は、本社の部長室にいた。いつもゆっくりと通勤する亘が、早く来ていること自体、

直斗は不思議に思いながらも、声をかける。


「社長が二人で来るように言ってたけど?」

「いいんだよ、兄さんが行けば。『児島建設』の新ビル挨拶だろ。楓さんだって待っているし。
僕が行っても、何もすることなんてないよ」

「……なんだよ、嫌味か?」


たまに会話をしても、互いにすぐぶつかり合うような言葉になってしまう。


「いや、さすが、期待されている跡取りは違うなと思ってさ。着々と足元固めだもんな」


楓と直斗の関係を知る、亘の挑戦的な言葉に、直斗は心の底が見えるようで軽く笑う。


「お前も本気になったらどうだ? このまま試合終了じゃママが泣くぞ……」


これ以上話しをする必要もない。直斗はそう思い、部屋の扉を思い切り閉めた。

そこで動かされた空気が亘の頬に触れる。亘は手に持っていた紙を、思い切り握りつぶし、

ゴミ箱に投げ捨てた。





絵里は本社のビルの前に立ち、上を見上げて、本当にここに呼ばれたのだろうか……と

もう一度FAXの文面を確かめた。


「はぁ……」


受付で名前を言い、エレベーターへ向かう。2台のエレベーターが両方降りてきたが、

右の方が先に開き始めた。出てくる社員達を見送り、絵里は他の社員達と乗り込んでいく。

その時、左のエレベーターが開き、中から直斗が現れた。


「霧丘、そのまま昼過ぎまで戻れないから……」

「はい……」


そんな直斗の言葉は、あわただしく動く朝の社員達に消され、絵里の耳に届くことはなかった。





「どうぞ……」

「失礼します」


絵里を迎えた亘は、嬉しそうにソファーへ向かい合うように座る。


「やはり、僕の思っていた通りの人でしたね、あなたは」


立派な部屋の弾力がありすぎるソファーは、どうも座り心地が悪く、

沈むようになってしまう体を気にしながら、絵里は亘の方を向く。


「どういう意味ですか?」

「初めて会った時、野菜を並べている姿を見て、絶対にディスプレーの出来る方だと思ったんです。
大川店長が、あのアイデアは池村さんのだと言っていたので」

「独身時代に、ちょっとかじっただけです」


呼びだされた用件は、こんなことなのだろうか……と、絵里はそっけなく答えていく。


「本社に就職しませんか? とりあえずは契約社員としてですが」

「……は?」

「僕のスタッフとして」


亘は自信満々に契約書を絵里の前に置いた。契約社員待遇であるとはいえ、いきなりの提案に、

絵里は信じられずに首を傾げる。


「何をおっしゃっているのか、よく理解できないんですが……」

「何って、あなたを社員に……」


絵里はからかわれているのではないかと、話しを続ける亘の顔をじっと見た。

そんな視線にも動じることなく、亘は自ら出した書類を見直そうと手に取る。


「あの……。この会社は、経営者一族の勝手な思いこみで、この大変なご時世に
社員をポンと増やせるものなんですか?」

「エ……」


絵里は立ち上がり、部屋の隅に置かれている小さな台を持ってくると、自分のハンカチを広げ、

台の上に置き、そこへ座った。


「それ、踏み台ですよ」

「わかってます。でも、このソファー、あまりにも座り心地が悪くて。体が沈んでしまって、
バランスが保てないんです」


そんなことを言われたのは初めてだった。ここへ座る人は、必ず堂々と腰かけ、

背もたれに寄りかかり、自分を誇示するようなポーズをとる。


「お断りします!」


亘はすぐに絵里へ視線を戻し、断られる理由を問いかけた。


「以前にもお話しましたが、私には1年生の息子がいます。もちろん、社員になれば、
お給料も増えますが、その分、拘束時間が増え、子供の下校時刻に間に合わなくなります。
それでは困るんです」

「今は、そういう子供達が集まる場所がありますよね」

「えぇ……。でも私は、少しでも、大地のそばにいてやりたくて。幸い、公営住宅なので、
お家賃は安いですし、職場がスーパーですから、社員割引も使えます。
もちろん、貧乏で余裕はないですが、今は、子供との時間を優先にしてやりたいんです。
ただいま……と言われたとき、おかえり……と言ってやりたいので」

「……」

「ですから、お断りします!」


ハッキリと自分の意見を言う絵里のセリフが終わり、しばらくの沈黙の後、

亘は声を出して笑い始めた。失礼なことをする男だと、絵里は軽く睨み返す。


「どうしてだろう。あなたには、僕が提案したものは、ことごとく否定される」


そんな覚えはない……。絵里はそう思いながら、亘に言い返そうとした。


「最初の時にも話しかけようとしたら、スッと逃げられて。それに、食事会の時も、
こんな会なら、お金をもらった方が嬉しい……うん、そう言った。
僕のために動いてくれないかと言ったことも、思い切り否定されました。で、今日も……」


そう言われてみれば、亘とは常に対立するようなコメントばかり出していたことに

絵里は気付き、話題を変えようとする。


「あ、でも、今回の臨時ボーナスは、すごく助かりました。みんなも喜んでますし……」

「そうですか」


絵里のその言葉に、亘はパッと明るく微笑んだ。こんな大きな会社で、

重要なポストに座る男にしては、なんともいえないくらい嬉しそうな顔をする。


「時給900円なんですよね、たしか」

「はい……」


亘はもう一度契約書を絵里の方へ押し出す。絵里はそれをまた亘の方へ押し返した。


「どうしてもダメですか?」

「今は、考えられません。いずれはもっと働きたいと思っていますが、大地が……」

「じゃぁ、予約だけ済ませましょう」

「エ?」


自分には考えつかないような亘の言葉に、絵里はまた驚かされる。

採用に予約など聞いたこともない。その時、ドアをノックする音がして、秘書らしき女性が、

コーヒーを2つ持って現れた。自分なんかよりもスタイルがよく、

いい洋服を着こなしている女性が、目の前にコーヒーを置く。


「どうぞ……」

「ありがとうございます」


秘書は踏み台に座っている絵里に気づき、驚いた顔をする。


「話し中だ。すぐに出て!」

「……あ、はい……失礼しました」


秘書は頭を下げると、部屋を出て行った。


「息子さんが手を離れて、しっかり働けるようになった時に、採用できるように、予約します」


すぐに返事を寄こさない絵里に、亘はそう提案した。


「ダメですか?」

「ダメです」


また否定された自分の意見。亘は天井を見ると、大きく息を吐いた。絵里はそんな亘を見て、

少しだけ笑顔を見せる。


「篠沢さん、もし、本当にそんなことがあった時には、もっと、もっといい条件で
採用していただきたいので……」

「エ?」

「もしかしたら、条件が倍になるかもしれないじゃないですか。どんな時でも自分を
安売りするものではありません。ですから、今は何を言われても、私が頷くことはないですよ」


そのウイットに飛んだ絵里の返事に、嬉しそうに頷く亘。焦ることなく進めていけばいい……。

そう思いながら立ち上がった。


「少し早めですが、食事に行きませんか? この後」

「エ……」

「もちろん、ランチです。小学生が終わる時間までには、お返ししないといけないのでしょ?」

「……でも」


亘はわざと咳払いをし、絵里の言葉を止める。


「一度くらい、スッと受け入れてもらえないものなのかなぁ。あまり強情なのも、
査定が下がりますよ」

「あ……」


自分の言葉に対しての、亘からの返事だった。

たしかに、そこまで拒否する必要もないかもしれない。二人は顔を見合わせて、笑いあった。





招待されたレストランは、テーブルごとの距離が長く、個室とは言えないまでも、

プライバシーが守りやすい作りになっている。町中にあるような、ごちゃごちゃした店とは、

明らかに違う雰囲気が漂う。


店員がスッと出てきて、慣れた手つきで案内をされ、いかに亘がここの常連であるかがわかり、

絵里は少し緊張した。


「任せてもらっていいのかな? お酒は?」

「ダメです。全く飲めないので……」

「わかりました……」


亘はすぐにウエイターを呼び、オーダーをこなす。社長の息子だけあり、

こういう店では堂々と見えた。

一つずつ運ばれてくる料理を味わいながら、絵里は何度も首をかしげる。


「美味しくないですか……」

「エ?」


亘の言葉に、絵里はハッとした顔のまま上を向く。思いがけないセリフに、

ナイフとフォークを動かす手が止まる。


「さっきから、悩みながら食べているように見えるから。味、あわないですか?」


亘はまるで、大人の気持ちを読み取ろうとする子供のように、どこか不安げに、

絵里にそう問いかけた。


「いいえ、違うんです。これ、白身の魚ですよね。でも、鶏肉のように感じて。
きっと味付けがスパイシーだからなのか……とか、あれこれ考えていたんです。
息子に好き嫌いが多くて、魚もあまり好きじゃないから、どうやって食べさせたらいいのかと。
美味しくないなんてこと、ないですよ」

「……そう。でも、好き嫌いは、誰でもあるんじゃないかな。無理にすすめられても
辛いだけだろうし」


絵里が不満を言ったのではないことを知り、亘は少し安心した表情で、グラスを持つ。


「7年前に亡くなった祖母が羊羹好きで。有名店のものをいつもお土産に持ってきました。
でも、僕はあんこが大嫌いで。いつも、次は違うのを持ってきて! と頼んでいて……」

「あんこが嫌いなんですか」

「はい……。でも、そうだったよね、ごめん、ごめんって言って帰るくせに、次に来ると、
また羊羹なんですよ、土産」


絵里はナフキンで口元を拭きながら、亘の話に入っていく。


「まんじゅうとか、最中なら、皮に逃げることが出来るけど。でも、羊羹は反則だ。
あんこしかない」

「……クスッ……」


こんな立派な男性から、あんこが嫌いだという話しを聞くことになるとは……。

そんな亘の小さな思い出に、絵里は立場も忘れ、つい笑ってしまう。


「祖母が来たってきくと、条件反射で胸焼けがするようになってた、いつの間にか……」


亘もその当時のことを思いだしながら、笑顔を見せた。

この人は、自分の話しを聞いてくれている。亘は絵里の笑顔を見ながらそう思う。


「あ……」


ちょうどその時、直斗と楓も同じ店に入ってきた。楓は入り口向きに座っている亘に気づき、

視線を送る。


「ねぇ、亘さんじゃないの? 珍しい……女性と一緒みたいよ、直斗」


絵里は二人に背を向けているため、直斗はそれに気付かなかった。それでも誰かと肩を揺らし、

楽しそうに話しているのはわかる。あんなふうに楽しそうな亘を見るのは、初めてだった。


いつも何か不満そうにつぶやき、感情をあまり表面に出さない弟。


「ねぇ、直斗。挨拶する?」

「よせよ、楓。デートの邪魔なんてするもんじゃないぞ……」

「……そう……よね……」


直斗にとって、亘がどんな女性と付き合おうが興味のないことだった。

女性の顔を知りたそうな楓の手をつかみ、店の奥へと進んでいく。


「ごちそうさまでした」


全てのコースを終え、絵里はナフキンで口元を拭く。亘は首を横に振り、

気にしないで欲しいとそう言った。


「また、話しをしてもらえますか? あ、いくらとかは言いませんから」

「……」

「僕は、自分が思っているより、世の中のことを知らないようです。
あなたの話しを聞いていると、発見することが多い」

「くだらない話しですよ? こんなの……」


絵里はナフキンを軽くたたみ、テーブルに置いた。


「ターゲットはあなたのような主婦じゃないですか。その気持ちがわからなければ、
店の経営も上手く行かないと思うし……」


ウエイターが二人のテーブルに白い箱を持って現れた。絵里が横を向くと、

一度会釈をしたウエイターは、その箱を絵里の目の前に置く。


「何ですか? これ」

「ケーキです。息子さんに……」


絵里は慌てて財布を取り出そうとした。亘はすぐに立ち上がり、席を離れていく。


「あの、お金払いますから」

「いいですよ、あなたとの授業料です」

「そんな……」

「申し訳ないと思うなら、また、一緒に食事でもして下さい」


なんとなく微妙な感覚に襲われながらも、お礼を言うしか出来ない絵里だった。





8 意地っ張り女の日曜日 へ……




絵里をめぐる二人の男、直斗と亘……気になるぞ……の方、

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