【again】 8 意地っ張り女の日曜日

【again】 8 意地っ張り女の日曜日

     【again】 8



季節は7月に入った。

初めての小学校生活もすっかり慣れた大地は、今日も元気に登校し、絵里はベランダで

洗濯物を干しながら、それを見送る。

始めは心配でドキドキしながら待っていたこともあったのに、子供の成長は本当に早い。

だんだん小さくなっていく大地の背中を見つめながら、絵里はそう思った。


「コンコン……」


元気いっぱいの大地にくらべ、絵里は風邪をひいてしまい、ここ1週間くらい

なんとなくだるい日々が続く。それでも訪れる毎日に見上げた空は、雲一つなく、

今日も太陽が輝いている。


「よしっ! 頑張ろう」


絵里は自分自身に気合いを入れ、いつものようにスーパーへ向かった。





「池村さん、おはよう!」

「あ、おはよう……」


同僚の真希が、絵里の肩をポンと叩き、隣で着替え始める。


「ねぇ、なんだか顔色よくないよ、大丈夫?」

「エ……そう? なんだかここのところ咳が出て。ちょっと風邪ひいたみたい。でも大丈夫。
明日は休みだし、少しゆっくりすれば……」


そんなことを言いながら、絵里は作業帽子を頭に被る。


「そう? 無理してるんじゃないの? 夏カゼは長引くから気をつけて」

「うん、ありがとう」


絵里は心配そうに顔を見ている真希の背中を、軽くポン……と叩いて見せた。


「ならいいけど。ねぇ、夏休みに大地君、どこか行く予定ある?」

「……夏休み? 特に決めていることはないんだけど、どうして?」

「実はね、主人の会社で、親子キャンプっていうのがあるのよ。テント張って、キャンプして、
次の日、近くの遊園地で遊んでくるっていう企画」

「……」

「でね、大人2人に子供3人までOKなの。ねぇ、大地君、私たちと一緒にお泊まり出来ない?
そしたらうちの2人と一緒に連れて行くけど……どう?」


絵里は突然の提案に、少し戸惑った。今まで一度も大地と離れて生活したことなどない。


「時々、うちにも遊びに来るようになって。特に享がさ、弟のように大地君をかわいがるのよ。
ちょっとした夏の思い出に……。そうしたらあなたも1日、休憩になるじゃない。
そうやってカゼひいても、子供を抱えていたら休むことだって出来ないんだから」


確かに真希の言うとおりだった。大地がいなければ、時間に追われ、何かをする必要もない。

しかし、厚意で言ってくれていることはわかっていたが、絵里には即答が出来なかった。

来週までに返事を欲しいからと、結局、真希は説明書だけ置いていく。





「僕、行く! 享と一緒に泊まる!」

「こら、大地。享じゃないでしょ、享君」

「……享……くん……」


絵里は説明書をあちこち指差しながら、大地に自分は行かないのだと言って聞かせた。

心のどこかで、ママといる……。そう言うのではないかと思いながら、大地の顔を見る。


「僕、行く!」


大地の決心は、絵里が思った以上に固かった。





「そうなの。うん……頼んでもいい? もし、困らせるようなら……」


その夜、絵里は真希の家に電話をかけ、大地をキャンプに連れて行ってもらえるように頼む。

離れることに不安がないわけではないが、楽しみにしている大地の気持ちを、

押さえつけるわけにもいかない。


「ママ……おやすみ」

「うん……」


大地を寝かしつけ椅子に座る。気になって体温計を脇に挟むと、8度2分まで上がっていく。

明日は土曜日、ちょうどパートもないので、ゆっくり出来る……。

絵里はそう思いながら、電気を消した。





「霧丘、このビルは結局どうなった?」

「はい、清水不動産と、うちとで最後まで争ったんですが……」

「負けたんだ……」


一等地にあるビルの権利をめぐり、会社が動いていたことは直斗も知っている。

大きな取引をするポジションに、まだいるわけではないが、社長である高次は、

近頃直斗を選んで会議に連れ出すようになる。


直斗と亘。


今まではどっちについていったらいいのかと、迷っていた役員達も、近頃は直斗に会うと、

競うように挨拶をするようになった。


「で、次は……例のプロジェクトの方?」

「はい、具体的に土地の回収も進んでおりますし、あとは役所の方へ……」


直斗の側近である霧丘は、いつものように、ポーカーフェイスのまま説明を加えた。





「ねぇ、亘さん。あなた、どうして家にいるの?」

「……どういう意味?」


家に残っている亘に、母の真弓はイライラする気持ちを抑えられずに文句を言う。


「お父様、今日は朝から会議だって出かけたのよ。その後、あの人も出かけていって……で……」

「……そういうことだろ」


不動産部門、会社の中心部分は兄に継がせる……。その父親の意志なのだろう。

亘はそう思いながら書類に目を向ける。


「だから焦っているんでしょ! あなたも参加しないと。スーパーのことなんて、
前島さんがいるじゃない」

「僕がいいって言ったんだ。昨日……」

「エ?」


亘はカップに入っている紅茶を一口のみ、何やらメモに残す。


「どういうこと?」

「僕はスーパーの方に、集中したいってそう言った……」


そんな亘の言葉に、真弓は見ていた書類を取りあげた。亘は一度大きくため息をつくと、

その書類を、真弓から逆に取り返す。


「篠沢高次の正式な跡取りはあなたなのよ! 亘! どうしてそう欲がないの」


震える母、真弓の手。神戸の裕福な家の出の母は、自分の積み上げたものが、

砂のように消えていくのが怖かった。


父の愛を直斗の母に、積み上げてきた財産を直斗に……。


亘の成長だけを生きがいにし、必死に抵抗しようとしている母の姿が、空しさだけを漂わせる。

亘は、しわになった書類を伸ばしながら、そばにいる真弓に言い返した。


「スーパーだって、立派な仕事だ。地域の人に信頼されることで、会社の信用度も上がる。
どこが悪い?」

「……」

「母さんは、いつまで何を追い続けるつもり? いい加減に気がつけよ!」


こんなふうに母に大きな声を出すのは、久し振りのことだった。母の辛さも知っているだけに、

じっと耐えていた亘だったが、ついに気持ちが弾けてしまう。

真弓は、悔しそうに下を向いたが、結局何も言わずに、部屋を出て行った。





「はぁ……」


絵里の熱はさらにあがる。それでも、大地の体操着や上履きを洗い、洗濯物を干した。

上を見上げた瞬間、クラッと目眩がして、その場にしゃがみ込む。


「ねぇ、ママ。お腹空いた……」

「エ? かめさんのパン、あったでしょ?」

「食べたよ。でも、まだお腹空いた!」


職場がスーパーのため、買いだめをせずに、毎日買い足していたのがあだとなり、

冷蔵庫の中は空に近い状態だった。しかたなく、大地と二人、買い物へ向かう。


「大地、走ったら危ない!」


夏の日差しが眩しいのに、絵里は寒気がし、何度も体に力を入れる。

なんとか買い物を済ませ、戻ってきた時には、体調は最悪だった。


「……はぁ……大地、ママ、ちょっと寝る」

「うん……」


簡単に食べられるものをテーブルに置き、絵里は布団に横になり、うとうとしながら、

夕方を迎えた。





直斗は車を降り、玄関を開けた。いつものように階段を昇ろうとした時、

ちょうどリビングから出てきた真弓と視線がぶつかる。直斗は軽く会釈をし、

2階へ向かおうとする。


「さぞかし、満足でしょうね……。あの人……」


あの人……。直斗の母のことを呼ぶときに、真弓はいつもそう言った。

直斗は、足を止め、思い切り真弓を睨み付ける。


「何? 不満があるのなら、いつでも独立してくれて構わないのよ。それだけの給料も
もらっているんでしょ? 気に入らないこのうちに、いてくれと頼んだ覚えはないけど……」


真弓を無視するように、直斗は階段を昇る。


突然ここへ連れてこられ、一緒に生活をするようになった篠沢家の面々。

仕事のためには誰であっても、思い通りに動かす父、高次。

高次に何も言えず、黙っているくせに、実は息子を必死に押し上げようと奮闘する真弓。

そして、自分の可能性を生かすこともせず、運命に流されようとする弟、亘。


直斗は、この家に入るとき、ただいま……と言ったことがなかった。

ここは、自分の居場所ではない。そう思っていた。着替えを済ませると車のキーを持ち、

玄関へ向かう。


「あら……どちらへ?」


真弓にそう問いかけられ直斗の足が止まる。いつもならしない真弓の態度に、

機嫌の悪さを感じ取る。


「興味がないことは、知らない方がいいですよ。余計に疲れますから……」


直斗はそう言い捨てると、玄関を出た。駐車場に停めてある車に乗り、ため息をつくと、

エンジンをかけ、自分の心が解き放てる場所へ走り始めた。


この世で唯一、直斗本人を愛してくれる祖母の元へ。

明日、大地とまた、キャッチボールでもしよう……そう思いながら。





夜、絵里は強い吐き気に目が覚める。重い体を起こし、台所へ向かうと、テーブルの上には、

大地が食べ散らかしたものがそのままになっている。ゴミ箱にそれを捨て、

大地が脱ぎ捨てていた洋服を洗濯機に入れた。


「うっ……」


絵里は、長く不快な夜を、たった一人で苦しみ続けた。





「……ママ……ねぇ、ママ……」


大地はまだ夜が明けきらない時間に目を覚まし、隣に寝ている絵里を揺らす。


「ママ……だいじょうぶ?」


大地の声に、絵里はかすかに頷く。大地は立ち上がり台所へ向かうと冷蔵庫を開け、

中に入っている子供用の熱さましのシートを取り出した。苦しそうに呼吸をしている

絵里のおでこに、そっとのせる。


「……大地……ごめんね。ママ……ちょっと辛い……」

「……ママ」


絵里が息をする度に、ヒューと聞こえてくる音に、大地はますます不安になり横で泣き始めた。


カタン……と新聞の届く音が聞こえ、大地はすぐに玄関へ向かい、扉を開ける。

足音は聞こえるものの、配達員はもうすでにその場を離れていて誰もいない。

大地は裸足のまま向かいのハナの部屋を、ドンドン……と叩く。


「おばあちゃん、おばあちゃん、起きて! 起きてよ! ママが大変!」


ハナのところに泊まっていた直斗がその声に気付き、扉を開けた。


「大地……どうした?」

「あ、直斗……直斗! ママが死んじゃうよぉ!」

「エ?」


興奮して大泣きしながら、大地は裸足でドタバタと繰り返した。普通じゃない大地の行動に、

直斗は慌てて奧にいるハナを起こす。


「エ? 絵里ちゃんが?」

「あぁ、大地の雰囲気からして、冗談には見えないんだ。ちょっと見てくる」


直斗はすぐに大地と部屋に入り、絵里のところへ向かう。明らかに異常に見えた状況に、

直斗は電話を探し、救急車を呼んだ。


「もしもし……救急車をお願いします。はい、住所は……」


救急車という状況に、大地はますますパニックになり、絵里を揺り動かそうとする。


「ママ! ママ!」

「よせ、大地。おばあちゃんのところで待ってろ。ちゃんとママを病院に連れて行くから、な!」

「いやだ! 僕もママと行く!」


すがりつく大地を引きはがし、直斗はハナのところへ大地を連れていく。


「おばあちゃん、救急車呼んだ。熱が高いみたいだし、呼吸も荒い。日曜日だろ。
この辺じゃどこに医者があるかもわからなかったから……」

「そうだね、その方がいいよ」


大地は、泣きながら直斗の服の裾をつかむ。その手を直斗はしっかりと握りながら、

大地の正面に座り顔を見た。


「しっかりしろ、大地! 先生がちゃんと診てくれる。お前はここで待ってろ」

「いやだ……ママと……行く……」


大地はしゃくりあげながら、絵里のことを心配する気持ちを直斗に訴える。


「ダメだ! ここでおとなしく待ってるんだ、いいな!」

「うっく……」


納得がいかないのか、大地は返事をせずに下を向く。直斗は、さらに両腕を強くつかみ、

念を押した。


「いいな!」

「……う、うん……」


直斗が部屋に戻ると、なんとか立ち上がり歩いている絵里がいた。


「救急車、来るから」

「いいんです、寝ていれば治りますから、断ってください。どうして余計なことばかり……」


そう言いながら、直斗の前を通り過ぎ、絵里は台所で何かを探し始める。


「何探してるんだよ。保険証か?」

「薬……何かあったはず……」

「何言ってるんだ、病院だって。やたらに薬なんか飲んで、ひどくなるかもしれないんだぞ」


直斗の言葉を無視しながら、絵里はあちこちの引き出しを開け始めた。

すると、遠くからサイレンの音が響き、近づいてきたところでそれが止まる。

直斗は窓から救急車を確認すると、絵里の手を引こうとした。


「行くぞ……」

「行かない、大地が……」


絵里は流しに手をかけ必死に抵抗し、つかまれた左手を思い切り振りほどく。


「大地はおばあちゃんのところにいるから。行くぞ……」

「……」


それでも首を振り、絵里は強情に動かない。

直斗は以前、電話で互いに言い合ったことを思い出す。



『ほっといてくれませんか?』



絵里は自分に対して、否定的に出てきたこともあり、言われて腹の立つセリフもあった。

なぜ自分はここにいるのだろう……。一瞬、そう思いながらも、大地の心配そうな顔を思うと、

このまま放り出すわけにも行かない直斗は、もう一度絵里の左手をつかんだが、

またその手を振りほどかれる。


「意地を張るのも、いい加減にしろ!」


直斗はそう言うと、目の前に立っている絵里を抱き上げた。


「……」


その体があまりにも軽く、直斗は一瞬動けなくなる。

背格好は楓と変わらないくらいなのに、どうしてこんなに軽いんだろう……。


「降ろしてください!」

「……」

「降ろして!」


その、振り絞るような絵里の声に、直斗はとりあえず抱きかかえた体を下に降ろす。


「自分で……歩けます……」


絵里はふらつきながらも、小さなカバンを手に持ち、玄関へ向かう。

男の優しさに甘える女……。気がつくと直斗の周りにはそんな女しかいない。

それに比べて、目の前の絵里は、人に頼ることをせずに、自らの足で立とうとする。


強情なくらいの意地っ張りだが、彼女の中にはしっかりと、芯を持った心があり、

悔しそうな顔をしながら、直斗の前を通り過ぎていった絵里の目には、確かに涙が滲む。


絵里が玄関を出た音に、直斗は我に帰る。急いで靴を履いた後、階段を2、3歩進んだ

絵里の前に回り、そのまま腕を引くと体を自分の背中に乗せた。


確かに感じる熱と、明らかに速い息づかい。


「下で待ってるんだ早くしないと。いいか! 落ちるなよ!」


その状況に、絵里は覚悟を決めたように、直斗の首に手を回す。

直斗はそれを確認し、一歩ずつ階段を降りていった。





9 癒されていく心 へ……





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コメント

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きゃぁー!!!

(><)もぉ手に汗握って読んでますっ!
あぁ、こんなに小説にドキドキさせられるのって久しぶりです。
恋愛なんだけどちょっと違うから、もぉおおおおのすごく気になります。
絵里の強さと二人の男性。
あぁっ!
絵里ママが大ピンチ!と、またちょうどよく直斗いるしっ!
この展開がGJです!

PS
とてもブログが気に入りましたので、勝手ながら私のブログにリンクさせて頂きました。
事後報告ですがよろしくお願いします。

きゃぁー!!!

ヒカルさん、こんばんは!


>(><)もぉ手に汗握って読んでますっ!
 あぁ、こんなに小説にドキドキさせられるのって久しぶりです。

な、なんと嬉しいことを……。v-406
【again】を気に入っていただけたのなら、よかったです。


>この展開がGJです!

……すみません、GJってなんですか? 勉強不足でごめんなさい。
教えてくれると、嬉しいのですが。v-410


>とてもブログが気に入りましたので、勝手ながら私のブログにリンクさせて頂きました。

作品を気に入っていただき、リンクしてくださるのは、すごく嬉しいです。
ありがとうございます。

実は、ヒカルさんのブログにも、ちょこっと……そう、電信柱の影からのぞくようにおじゃましたのですが、ランキングのポチのところに『ホラー』とあったので、恐がり、小心者の私は、そのまま戻ってしまったのです。v-399

……怖くないのも、ありますか?

また、お邪魔しますね。


あ・・・(汗)

えっと、スミマセン・・・つい、癖で(汗)
GJ=Good Job!グッジョブ♪と漫画で書いてあってそれから気に入って使ってます(^^;;;

私の作品は、ホラーのつもりはないんですが、ランキングに一応ホラーを入れてみたらなぜかホラーのランキングが一番高いですね。
私も、超スーパー怖がりなんですよ・・・
だから、そんなに怖くないと思います。
んー、ホラーというよりグロテスク?かな。
こわーい話というより、うりゃっと殺人事件がおきています(汗)
あ、2月17日の分は絶対に怖くないですよ~
私の独り言を書いていますから(滝汗)
あ、2月16日も怖くないな・・・6日と7日もですね。
よろしければ、覗いてみてくださいませ(^^;;;)

はい、そうさせていただきます!

ヒカルさん、こんばんは!


>GJ=Good Job!グッジョブ♪と漫画で書いてあって
 それから気に入って使ってます(^^;;;

あ、そうか、そういうことなんですね。ありがとうございます。v-411


>んー、ホラーというよりグロテスク?かな。
 こわーい話というより、うりゃっと殺人事件がおきています(汗)

……グロテスクもダメですって。血を見ちゃダメです。e-473
鼻血くらいまでなら大丈夫ですが(笑)

怖くないところを狙って、読ませていただきますね。
お返事のお返事、ありがとうございました。v-392