KNIGHT2 第10話

★10話




部屋に灯りはついていなかった。理久は、床にあぐらをかいて座っている。

私が布団に潜ってから、どれくらい経ったのかわからないけれど、

理久が戻ってきて、着替えて、ここへ来たのだから、

1時間くらいは過ぎたのかもしれない。


「おばさんが、10分くらい前にうちへ来た」

「……お母さんが?」

「あぁ……いつも明るいおばさんが、なんだか浮かない表情をしているから、
どうしたんですかって聞いたら、いずみが泣いているって」


母は、私の前で辛い顔をすることは出来ないと、気丈に振舞ったが、

理久を前にして、気持ちがゆるんだのだろう。


「健康診断で、『卵巣のう腫』だって言われたらしいな」


お母さんのおしゃべり。

勝手に理久に話してしまうなんて。


「ちゃんと顔を出せ。それは人と話をする体制じゃないだろう」

「話し……したくない」


今、顔を出したら、ボロボロ泣きそうだから、嫌だった。

悔しさと情けなさの混じる涙なんて、見せたくない。


「いずみ……顔を出すんだ」

「うるさい……今は嫌なの! 理久はすぐ先生口調になる!」


言いきかせるような言い方。

それを先生口調と言うのかどうかはわからないけれど、

なんだかそれが今は、とてつもなく嫌味に聞こえてくる。


「なぁ、突然そう言われて、ショックを受ける気持ちも理解できるけれど、
お前がそうイライラしていたら、周りだって迷惑だろ。ちゃんと発見して、
手術なり薬なりで対応できるんだ。あれこれ能書き言ってないで、
先生の言うとおりにしないと」

「……わかっている」

「わかっているなら、出て来い」

「……嫌」

「いずみ」

「不安なの、絶対に大丈夫だって言われなかったの。
何があっても、どう転んでも絶対に大丈夫だって言われないから不安なんだもの!」


そう、私は不安なのだ。

どうこれからが変わってしまうのかがわからないから、不安だった。

『卵巣のう腫』なんて病名は、本当はどうでもよくて、

自分の今が、未来が変わってしまうことが怖くて、ただ小さくなっている。


「不安なのはわかる、だから出て来い」

「……嫌」


なんだか、意地になってきている。

今、理久が何を言っても、絶対に『NO』の返事しか出てこない気がした。



やりとりが止まる。理久からの言葉は戻ってこない。

また、静かな時間だけが積み重なる。



「話をするつもりがないのなら、俺は帰るぞ。
一人で、いつまでも、気の済むまで泣いていればいい」


床に敷かれた絨毯に、理久の足が擦れる音がした。

理久が立ち上がったことがわかる。

どうしようかと迷っている頭を置き去りに、私の手足は被っていた布団をはがした。


「理久……」


理久の背中にしがみつくはずが、待ち構えていた腕に、しっかりと包まれた。

理久は、私が出てくるとわかって、待っていてくれた。


「理久……」

「うん……」


いつも包まれている理久の腕。

そう、私が落ち着く場所は、ここにちゃんとあった。

それまで我慢して押し込んでいた涙が、鍵を外されたようにあふれていく。

怖くて、怖くて、たまらないことを、私は理久に訴えた。


「大丈夫だ、いずみ」

「どうしてそう言えるの? 理久、医者じゃないでしょ」


子供みたいだ。いや、子供以下だ。

理久が受け止めてくれることをわかっているから、

私はわがままに、言いたいことを言っている。


「あぁ、俺は医者じゃないよ、だから病気のことが絶対に大丈夫だとは言わない。
それはプロが考えればいい」

「……だったら、何が大丈夫なの?」


理久の腕の力、スーッと抜けていった。

離されてしまうと顔を上げたら、当たり前だけど理久がいた。


「いずみに、これから何が起きても、どう運命が変わっても、
俺の気持ちだけは変わらないから、大丈夫だってこと」

「……理久」

「それじゃ、ダメか?」



『理久の気持ち』

私が一番大切にしている、大事なもの。



私は何をしていたのだろう。どうしてここに丸まっていたのだろう。

理久のたった一言で、ガチガチだった気持ちが、ほぐれていくことがわかる。


「いずみ」


名前を呼ばれ、あらためて顔を上げると、理久がおでこにキスをしてくれた。

私は、小さく『うん……』と頷き、もう一度理久にしがみつく。


「お前のことは、全て俺が受け止めてやるから。だからウジウジ言ってないで、
先生を信頼して病院に行ってこい」

「理久……」


理久には話したくないなんて言ったのに、

不安でたまらなくて、少し前まで泣き顔だったのに、

一言、一言に、信じられないくらい気持ちが落ちついていく。


「ねぇ理久。これから手術が怖くて、また泣くかもしれないし、
悪い結果が出て、暴れるかもしれない」

「うん……」

「今だってわがままなのに、それよりももっと、嫌な女になるかもしれないよ」

「うん……」


言ってほしくて、あえて私は叫んでいる。

理久の腕の力が、とっても強くて優しいことをわかっているから。


「それでも……気持ち、変わらないでいてくれる? ねぇ……」


怖くてたまらない暗闇から、理久の言葉で、ドンと力強く押し出して欲しい。

私は強がりだけれど、人一倍弱虫なのだから。


「絶対に変わらないでいてやる。お前がわがままで、泣き虫だなんていう姿、
何年見てきたと思っているんだ。そんなことじゃ、びくともしない」

「理久……」

「いずみが、今よりももっと嫌な女になって、泣いても騒いでも、
俺がそばにいる……絶対にいてやるから」



『理久がそばにいてくれる』



「うん……」


指切りの代わりに交わしたキスのおかげで、

全身麻酔も手術も入院も、なんでも出来る気がするから不思議だった。





私は、病院が寄こしたMRIの出来る病院リストを理久に渡した。

そして、以前、おばさんが入院していた病院にしようと思っていることを、

話してみる。


「お袋の? あぁ、そうだな。あそこなら駐車場も広いから車でも行けるし、
ここからバスも通っているから、おばさんも便利だろう」

「うん……」

「俺も、途中下車すれば歩いて行けるし」


ベッドサイドに腰かけながら、理久の声を聞き続けた。

病院のリストが理久の手から、私のところに戻ったとき、

その腕はつかまれ、立ち上がろうと引っ張られる。


「よし、いずみ、下に行こう。おじさんとおばさんが心配しているから。
自分できちんと話をした方がいい」

「……うん」


そうだった。不安にイライラして、膨れた顔のままここに逃げ込んだっけ。


「親に心配かけるなよ」

「……うん」


私はリストを持ったまま、父と母がいるリビングへ降りる。


「いずみ……」

「ごめんなさい、取り乱しました」


母は『全くもう……』と文句を言いながら、それでも安心した顔を見せてくれた。

私の隣に立っている理久に、ビールでも飲まないかと勧めていく。

遠慮しようとする理久に、父がすかさずグラスを取り出した。


「遠慮するな、1杯だけ、飲んでいけばいい」

「あ……じゃぁ、1杯だけ」

「お父さん、理久は明日も学校なの、あんまり飲ませないでよ」

「わかってるよ」


いつもは、私が島本家へ入ることが多いけれど、今日は理久が堀切家へ来てくれた。

私は、父と母に病院のリストを見せ、明日すぐに上司と話をすると約束する。


「いずみ……」

「何?」

「後できっと、今みつかってよかったと、思う時が来るわよ」


確かに、気になる箇所などないと言っていたら、

今頃、何も知らずにいられたかもしれない。

それでも……



『いずみに、これから何が起きても、どう運命が変わっても、
俺の気持ちだけは変わらないから大丈夫だってこと』



まるでプロポーズみたいな、理久のセリフ。

それが聞けただけでも、よかったと思えてくる。


「そうだね」


大雨から強風も加わって、台風かと思った私の心。

理久の登場に穏やかな日差しが戻ったその後、

父は結局、理久に2杯もお酒を飲ませ、最後は母に怒られていた。





「『卵巣のう腫』」

「はい、すみません。健康診断で見つかりまして、担当医から、MRIを受けて、
どうするのか判断をしてもらった方がいいと」

「そうか……」


いつもは私のメールに、堀切しゃん……というふざけた呼び名をつけたり、

やたらに顔文字を連発する部長だけれど、

さすがに笑っていられる状況ではないと思ったのか、

初めて見るくらいの真顔で、『仕事のことは心配するな』と言ってくれる。


「ありがとうございます」


私は部長に頭を下げ、すぐにコンビを組む北沢君に話を振った。

北沢君も同じように、仕事のことは任せてとサインをくれる。


「行かないとならないところも、やることもほぼ覚えましたから」

「そうだね、充電を忘れなきゃ、完璧だよね」

「あ……」


北沢君は笑いながら手を叩き、

私は『CDチェンジ』の役目を果たせなくてごめんねと、さらに言葉を付け足した。





鈴木先生から渡された紹介状と、診察カルテを持ち、私はMRIを受けるため、

それから5日後、病院を訪れた。

音がうるさいという理由で、ヘッドフォンをつけられて、

医者からどういう姿勢を取ればいいのか、説明を受ける。


「すこし狭い場所に閉じ込められるような感じになりますので、
気分が悪くなったりした時には、教えて下さいね」

「はい……」


異様なほど大きな機械が目の前にあった。

この機械から出た後、私を悩ませた病気の元が、

さらに大きな悩みを生むのか、違うのかがわかるはず。

何もすることがないから、目を閉じていると、なぜだか幼い頃のことを思い出した。

お兄ちゃんの野球のバットを勝手に持ち出して振り回していたら、

車に傷をつけお父さんが頭を抱えたこと。

お母さんの化粧品を持ち出して、勝手に口紅をつけた時、

誰かに見せたくて、わざわざ理久を呼んだこと。

『きれいでしょ?』と聞いてみると、理久は困った顔をして首を傾げたっけ。

昔から、ウソはつけない性格なんだよね、理久って。



『いずみに、これから何が起きても、どう運命が変わっても、
俺の気持ちだけは変わらないから、大丈夫だってこと』



そう、理久の気持ちが変わらないように、私の気持ちも変わらない。

だから、怖いけれど、真実を受け止める。そして、絶対に乗り越える。


「堀切さん、終了です」

「はい、ありがとうございました」


MRIを終えて待合室へ向かう。

外は夏真っ盛りで、太陽はまぶしく、空は真っ青だった。





診断の結果、私の腫瘍はほぼ良性だった。しかし大きさが5センチあり、

医者からは手術を薦められる。仕事の方も、特に忙しいわけではないので、

病院のベッドが空く、1週間後に入院と決まった。





第11話


みなさんのおかげで 『ももんたの発芽室』 も5周年を迎えます
これからも、ご贔屓に……(笑)
ポチリ……していただけたら、嬉しいです (@゚ー゚@)ノヨロシクネ♪

コメント

非公開コメント

理久といずみ

拍手コメントさん、こんにちは。

>理久って、やっぱり想像した通りの男前な行動取りましたね♪
 いうみもつらいでしょうね

『大丈夫』という言葉を言って欲しい、
でも、言われても文句を言ういずみ。
解決しないことはわかっているけれど、
こういったやりとりをしていたかったというのが本音かも知れません。


まぁ、甘えも時には許しましょう。

>医療系も詳しいんですね。

いえいえ、とんでもないです。
あちこちのブログを開いたり、用語集を読んだりしながら、
素人知識で書いているだけです。じっくり読むと、アラが出るので(笑)