【again】 9 癒されていく心

【again】 9 癒されていく心

     【again】 9



早朝の騒ぎから何時間経ったのか。絵里の腕には点滴がつき、息苦しさも、少しずつ楽になる。

窓から見える木には小さな鳥が止まり、元気よく鳴くとすぐに飛び立った。


「お世話になりました」


絵里は日頃の過労が重なり、気管支からくる風邪をこじらせた。

直斗は、絵里の言葉に振り返り、ベッドの横に置かれている椅子に座る。


「大地のことは、気にしなくていいから。この際、しっかり体休めて……な」


絵里は自分自身が情けなくなり、許されるものなら、このチューブを引きちぎり、

家に戻りたいと思いながら下を向く。


「池村さん」

「……」

「以前、俺が大地と授業参観のことを約束した時、あなたこう言いましたよね。
自分たちの生活に、勝手に入り込むなと……」


父親代わりに、参観日に顔を出すと言った直斗に、絵里は電話をして文句を言った。


「必死に守ろうとすることも、時には必要かも知れないけど、あなたの頑張りを
知っている人達は、自分の出来る範囲のことで、何か役に立とうとする。
そんな好意を、素直に受け取る余裕があってもいいんじゃないですか?」

「……」

「あなたから大地を奪おうなんて、考える人は誰もいない。そんなことは出来るはずもない。
さっきだって、大地はあなたを心配して、大泣きしたまま、こっちの玄関を叩いていたんだ」

「……」

「あなたに何かあったら……どうしようって……」

「……」


もうろうとする意識の中で、かすかに聞こえていた大地の泣き声。絵里は両手を握りしめ、

小さく頷いた。


「大地は小さいから何もわからないなんてことはない。あいつはちゃんとわかってる。
自分にはもう、母親しかいないことも……」

「……」

「一人しかいない親が、苦しんでいる姿を見ることが、どれだけ辛いことか……」


そう言いながら直斗は、自分の母親のことを思いだす。父親である高次は、

都合のいい時にしか姿を見せなかった。母は、最後まで一人で生きた。


「もっと、自分を大事にしろよ。それがあいつへの責任だろ……。意地張って倒れて、
大地を泣かせるようじゃ、そんな意地に意味なんてない」


直斗は絵里に向かっている自分が、興奮していることに気付く。何も関係ない、

祖母の家の隣に住む親子。それが絵里と大地なはずなのに……。


自分の幼い頃と重なるから、ただそれだけなのか、それとも……。


「……あいつ、待ってるから、とりあえず帰ります」


これ以上、何かを話すと、直斗は余計に絵里を責めそうな気がして、立ち上がり廊下へ向かう。


「……あの!」


直斗が振り返ると、絵里は顔を上げ、真剣な眼差しを向けた。


「大地を……お願いします」


それだけ言うと、出来る限りの気持ちで、頭をさげる。直斗は何も言わず、小さく返礼すると、

病室を出て廊下を歩く。病院から出て携帯を開くと、時間は昼を過ぎていた。

日曜日とはいえ、会議の予定されていた直斗は、その着信記録を開き、ダイヤルを回す。

何度かの呼び出し音の後、聞こえてくる声。


「……霧丘……ごめん。ちょっと2、3日、そっちへ戻れそうもないんだ。
今日の会議と明日の打ち合わせは欠席させてくれ。とにかく、戻れないから……」


何かを聞くと決心が揺らぐ気がして、霧丘の言葉は一切聞かずに、電話を切る直斗だった。





「寝ちゃったんだ……」

「うん、ずっと、泣いてたけどね。泣き疲れたんだろ」


直斗が部屋へ戻ると、大地は祖母の使っている長座布団に寝ていた。目頭に残っていた涙を、

そばにあったティッシュで、直斗はそっとぬぐってやる。


「2、3日、入院だ。急性気管支炎になるところだったって、医者がそう言ったよ。
彼女が無理して体調を崩したから、入院して治せって。彼女は帰りたいって言ったけど、
最後は受け入れてた。医者にもきついこと言われて、落ち込んでたよ」

「そう……一人で頑張っちゃったんだよね絵里ちゃん。もっと助けてあげられたらよかったよ」


ハナはそう言うと、食事の後片付けをし始め、直斗は寝返りをうった大地の汗ばんだおでこを、

もう一度ティッシュで拭く。


「おばあちゃん……」

「ん?」

「俺、大地のそばにいてやるよ……。明日も、世話になっていい?」

「そうしてくれたら、大地君喜ぶよ」


ハナは直斗の方を向くと、嬉しそうに一度だけ頷いた。





「よし、大地。パンツとシャツと、持って移動だ!」

「うん……」


池村家へ入り、大地の洋服を探す二人。今朝は慌てていて、よく見てもいなかったが、

二部屋は、きちんと掃除が行き届いている。陽当たりのいい方の部屋には、大地の机があり、

その横には絵里が手作りした袋が置いてある。その中には、以前、直斗がプレゼントした

グローブがあった。


「この袋、ママに作ってもらったのか」


直斗はその袋を手に取り、大地にそう問いかけた。


「うん。使ったらここにしまうの。大事にしないと、野球が上手にならないって、享君が言った」

「そっか、そうだな……」


直斗は袋を元の位置に戻し部屋を出ると、リビングのTVの上にある、写真を手に取った。

まだ、小さくて手を握りしめている大地を抱く男性と、横に寄り添い笑っている絵里の写真。



『山で遭難して死んだんです……』



ごく普通の幸せそうな家族の写真。そして直斗にはかなわなかった父親の大きな手。

その手に守られるように、大地は抱かれている。


直斗はその写真をしばらく見つめた後、伸彰の顔を人差し指でパチンと弾く。


「あんたの罪は、大きいんだぞ……」


それだけ言うと写真を元に戻し、大地と一緒に池村家を出た。





急な入院に何もすることがなく、絵里はベッドから外を眺める。

大地が生まれてから、こんなにのんびりとしていたことなど記憶になく、

がむしゃらになるほど、空回りするような日々を生きてきた。



『そんな好意を、素直に受け取る余裕があってもいいんじゃないですか?』



絵里は、ふと直斗に言われたことを思い出す。自分は誰よりも頑張らなければならない、

そう信じてきた。でも……もう少し弱虫でも、いいのだろうか。

ガタンガタン……と規則的な音をさせ、1台の電車が目の前を通り過ぎた。





その頃楓は、何度も直斗の携帯電話を鳴らしていたが、全く連絡が取れない。

約束していたはずの食事をすっぽかされ、その謝罪もない。花岡議員の娘、

瑠美となにやら親しそうに話していたことを思いだし、楓の心に黒い雲が浮かび出す。

裏切るようなことはないと思いながらも、いつもどこか遠くを見ているような直斗の態度に、

楓はイライラを募らせた。


直斗は絶対に渡さない……。楓はそう決意を固め、連絡のこない電話を握りしめた。





大地を寝かしつけ、直斗はベランダで煙草を吸う。一日中放っておいた電話の着信を確かめと、

いつもの代わり映えしないメンバー達からの、メールや着信記録があった。

直斗はその誰に電話をかけるでもなく、携帯電話をポケットに押し込む。


片側にいる自分に今は戻りたくない……。

そう思いながら直斗は、空に向かって煙を吐き出した。





「ママ!」


次の日、学校から戻った大地を連れて、ハナが病院に訪れた。絵里はベッドから起き上がり、

丁寧に頭を下げる。


「ハナさん……本当にお世話になってすみません」

「いいんだよ、絵里ちゃん。ゆっくり休めてるかい?」

「はい……」


大地は嬉しそうに絵里にしがみつき、笑顔を見せる。


「大地、ハナさんちでいい子にしてる?」

「うん……。昨日はね、直斗と一緒にお風呂に入ったり、花火もしたんだよ!」

「そう、よかったね」


絵里はその報告を笑顔で受けとめ、大地の頬にキスをする。


「直斗、花火でやけどしたの」

「エ! どこ?」

「指をね、ちょっとだけ……。氷だなんだって大騒ぎしたけど、たいしたことないんだよ、
ね……大地君」

「うん……。直斗ね、病院に入院するって笑ってた」

「そう……」


ハナと大地の笑顔を見ながら、絵里はやけどをして文句を言う、直斗の顔を想像した。





「お世話になりました……」

「いえ、お大事になさってくださいね」


無事3日の入院を終え、病院を退院した絵里は、タクシーに乗り、団地へ向かう。

途中、パート先のスーパーが見え、突然休みを取ったことの申し訳なさに下を向いた。


ハナにお礼を言い部屋へ戻ると、テーブルの上には、大地が着ていた洋服がきちんと洗濯され、

たたまれていた。それを持ち、タンスにしまいながら、絵里は直斗の言葉を思い出す。



『そんな好意を、素直に受け取る余裕があってもいいんじゃないですか?』



あんなふうに、自分に意見を言ってくれる人は、必要なのかも知れない……。

絵里はそう考えながら、大地が帰るのを待った。





「どうだろう、新しいレジの調子は」

「あ、はい。従業員からは、読みがいいと、のきなみ高評価を受けているようなんですが……
実は……」


亘はその時、スーパーの中にいて、店長の話を聞きながらも、視線は野菜売り場へ向かう。

そのまま事務室へ入り、さりげなくタイムカードを確認した。


「……池村さん、休み?」

「エ……あ、あぁ。彼女、ちょっと体調を崩して、入院したらしいんですよ」

「入院?」


絵里を本社へ呼んだ時には、元気そうだったのに、入院したという事実に亘は驚かされる。


「で、容体は?」

「もう、退院しているはずですよ。ただ、今週いっぱいは休みを取ることになって。
ちょっと忙しい時期で辛いんですが、まぁ、彼女には、色々とアイデアをもらったりして……」


亘は腕時計を確認すると、一人で店内へ戻っていく。花売り場へ向かうと、

適当に花を水の入ったバケツから抜いた。


「あの……」

「これで花束を作って。 今すぐ!」


店員は、亘の行動に驚きながらも、すぐに花束作りに取りかかった。





「ママ、大丈夫? 僕、お布団出すよ」

「大丈夫よ、大地。ママ、先生から元気になったよって言われたんだから」


学校から走って帰ってきた大地と、絵里は笑顔で再会する。自分が待っていたことで、

嬉しそうな顔をする大地を見ながら、いつも元気で迎えることが、どれだけ大切なのかを

あらためて感じ取る。


「直斗がね、色々と教えてくれたんだ……ねぇ、ママ、見て!」


自分の部屋から小さな箱を持って来ると、大地はそれを開け、中から小さな鶴を

いくつか取りだした。丁寧に折ってあるものと、見るからに大地がやったものだと

わかるものもある。


「鶴を折って、お願い事をするんだって教えてくれたんだよ。直斗が折ったの……これ。
上手でしょ?」

「……」

「ママが早く元気になりますようにって、お願いしたんだ……二人で」


絵里は、小さな鶴を折りながら二人が話す姿が目に浮かんだ。この3日間、石岡家の二人には、

本当に世話になった。

絵里がその鶴を手のひらに一つ乗せた時、玄関のインターフォンが鳴る。


「はい」


絵里はそう返事をし、玄関へ向かう。


「どちら様ですか?」

「……篠沢です」


篠沢……。その名前で心当たりがある男性は、一人しかいない。絵里が慌てて扉を開けると、

立っていたのは亘だった。


「こんにちは。すみません、こんなふうに押しかけて。体調を崩されたって聞いたので」

「……あ……」


自分の入院のことを聞いた亘が様子を見に来たのだと、絵里は慌ててサンダルを履く。


「すみません、お店にはご迷惑をかけて。もう、すっかりよくなりましたので。
来週からちゃんと復帰します」

「そんなことはいいんです、無理しないで。でも、顔を見たら安心しました」


亘は手に持っていた花束を絵里に差し出した。普通サイズよりも大きな花束に、

絵里は驚き、言葉が出てこない。


「急いで来たので、店の花ですけど……。花なら嫌がる人はいないと思って……」


絵里の背中から、チラッとのぞく大地が見えた。亘はその顔を確認すると少しだけ微笑む。


「名前は?」

「……大地」

「そうか、またな……」


亘はそれだけ言うと、玄関を自ら閉め階段を降りた。絵里はその後ろ姿に慌てて礼を言う。


「すみません、ありがとうございました」


亘はその声に上を向き、嬉しそうに微笑んだ。


「ねぇ、今の誰?」

「エ……」


大地は、直斗ではない男の登場に、少し戸惑っているように見える。

絵里は台所のテーブルに花束を置き、花瓶を探し始めた。


「あのね、ママが働いているスーパーのすごく偉い人なんだよ。あ、ほら、この間、
大地のリュックを買うお金をくれた人!」

「……ママを褒めてくれた人だね」

「あ……そう、そう」


大地はそれを聞き、すぐにベランダの窓を開け下を見た。車を待たせていた亘が、

ちょうどドアに手をかけた。


「お兄ちゃん! ママを褒めてくれて、ありがとう!」

「……あ、大地、そんなところから!」


絵里は慌てて下を確認し、申し訳ありません……と頭を下げる。二人の声を聞いた亘は、

大地に向かって、笑顔で右手を振った。





会議、打ち合わせを終えた直斗は、自分の机の場所に戻り、椅子にもたれかかる。

会社の実権は全て父である高次が握り、まだまだ何も権限のない。

いつもの日々に、3日振りに戻った疲れが、今日はどっとのしかかっている気分だった。


仕事用の携帯と、ハナとの連絡用の携帯。両方を開いてみると、

ハナの携帯に留守電が入っている印があり、再生ボタンを押し内容を確認する。



『池村です。今日、無事に退院出来ました。大地が本当にお世話になり、
直接お礼を言いたかったのですが、出来なくてすみません……』



絵里の声だった。無事退院できたことに、直斗は少しだけ肩の荷が下りる。



『あの……たいしたことは出来ないんですが、ご都合のいい日を教えていただけますか? 
うちで、ハナさんも一緒に、夕食会をと思っています。下手な料理ですが、よろしかったら』



絵里なりのお礼のつもりなのだろう。直斗はすぐに手帳を取りだし、予定の確認をする。


慌てて戻らなくてもいい、時間の取れる日に……。


左手の中指に残る、小さなやけどの跡を見ながら、そう、少しだけ期待している直斗だった。





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コメント

非公開コメント

絵里ママぁ(涙)

あーん(涙)
涙なしでは読めないお話ですね(T-T)
絵里ママすごい!
大地が頑張っているのが目に浮かぶ。
けど、本当は寂しいから寂しいのを我慢してつっぱねてるのも想像ついてしまって(T-T)
直斗もそれをわかっているから、側にいてくれて(T-T)
直斗が、ぱちんって写真を叩いたのが印象的でした。
子供からの言葉、きっと父ちゃんはシュン・・・としてそうです。

こんにちは!

ヒカルさん、こんにちは!


>あーん(涙)
 涙なしでは読めないお話ですね(T-T)

……そうですね、でも、もっと切なくなっちゃうかもv-409
やーめた! って言わないで、着いてきてくださいね。

少しずつ互いのことを知りつつある二人ですが、まだまだ直斗の正体は不明ですし、
絵里の心の奥も不明なのです。

いつも、コメントありがとう!v-410