第1話

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昭和61年、俺たちは思春期まっただ中だった。

子供から大人へ、少しずつ体も心も変化を見せる中学2年の夏、

横浜という聞いたことのある場所から、この田舎へ転校生がやってきた。


「室井美咲です、よろしくお願いします」


自分の名前を名乗るだけという、ごく普通の、当たり前の挨拶だったけれど、

俺の気持ちを大きく変えるには、十分の存在だった。

『陵州』というこの田舎の町に育ち、右も左もみな半分知り合いのような間柄だと、

いくら小学生から、制服姿の中学生になったといっても、

目の前の生き物が、そう……ガキが急に女に変わるわけもなく。


「美咲……」

「うん」


挨拶を済ませ、美咲は俺の横を通りすぎ、玲の横の席へ向かった。

転校が急なことで、制服が間に合わなかったのか、

見慣れたセーラー服姿の中に、一人だけ真っ白いブラウスが新鮮だった。

うっすらと映るブラジャーの形。

現れた転校生は、間違いなく『女』であることを証明した。

それまで、俺の興味はほとんど100%サッカーしかなかったが、

世の中、それだけではないことがわかり、自然と気持ちが高ぶった。


「駿介、なぁ、駿介」

「なんだよ」

「まずいぞ、俺『モミ』の宿題やってない」


数学教師、もみ上げの濃さからつけられたあだ名は『モミ』。

これが学年主任で、やたらに権力がある。

『モミ』に睨まれたら、部活も因縁つけられて、

取れる成績も取れなくなるという噂があった。


「は? 何やっているんだよ、お前。宿題やらないと部活停止だろうが」

「あぁ……」


後ろから部活仲間である榎本の声がして、当たり前のように振り返る。

視線に入れたのは、むさ苦しいニキビ面の男ではなくて、

風を運んでくれた、『転校生』の姿だった。





「あと5周」

「おぉ!」


『坂田中学サッカー部』、別に強豪でもなければ、有名校でもない。

予選に出れば、たまに1回勝てるかどうかの、なんてことない存在。

いや、この街自体が、日本の中で考えてみると、たいしたことのない存在だった。

『お茶』という名産はあるものの、それだって、他の県で作っていないわけでもない。

人間関係も、どこか窮屈で、俺はあまり好きにはなれなかった。


「玲の従兄弟?」

「あぁ……」


転校生の室井美咲は、このあたりで『茶畑』を多く持ち、

商工会でも名前の知られている、金村家の親戚筋だった。

金村家の一人娘、金村玲はわがサッカー部のマネージャーであり、

どんなときにも自分が正しいのだと譲らない、結構お嬢様な同級生になる。


「あいつの家、金持ちだろ。
従業員の住むアパートに、引っ越して来たんじゃないかって、聞いたけど」

「従業員? へぇ……」


中学生の男には、複雑な家庭環境などあまり興味がない。

興味があるのは、あの美咲の心がどこに向かい、どんな男を好むのかということ。

面と向かって聞けたら苦労はないが、そんな大胆なことなど出来るはずもなく……





「おい、玲、荷物ってどれだよ」

「あぁ、もううるさいなぁ。ごちゃごちゃと。
ちょっと黙っていてくれない? 駿介。今きちんと出しますから」


部活動の用具運びのため、自転車で玲の家へ向かう。

いつもなら面倒だからと、他のやつらに仕事を振るところだが、

あえて自分で行動した。

金村家の隣に立つ、『金村園』の従業員アパート。

2階に干されている洗濯物、ピンク色のかわいらしいタオルが揺れていた。


うさぎの模様がついている気がするけれど、美咲のだろうか……


「駿介、ねぇ、これなんだけど」

「ん? あぁ……」


玲と美咲、二人が並んでダンボールを持って現れた。

俺は迷うことなく美咲のところへ向かい、両手でダンボールを受け取ろうとする。


「大倉君、私のよりも玲ちゃんの方が重いから、先に受け取って」


美咲の左側には、それが当然という顔をした玲が立っていた。

そう言われては仕方がない。先に玲のダンボールをもらい、自転車の荷台に乗せる。


「美咲、お前下に置いておけよ、それだって結構重いだろ」

「うん……」

「俺が、積むから」

「ありがとう」


美咲は転校してからすぐに『手芸部』へ入った。部室は3階の一番端。

サッカー部がグラウンドを走っていると、時々顔をのぞかせる。

そんな時はついつい、気付いて欲しくて、かけ声が大きくなった。


美咲は、休み時間には、他の女子たちと笑っているときもあるけれど、

一人で静かに本を読んでいるときもある。

チャイムがなり、ここまでだと思った時には、

押し花のついたしおりを挟むと『ふぅ……』と軽く息を吐く。

榎本のくだらない話を聞いていた俺も、少し遅れて息を吐いた。


「ん? どうした駿介」

「いや……気にするな」


美咲が何をしているのか、どこにいるのか、どうしているのか、

毎日気になって、つい目で追いかけてしまう。


『恋をする』というのは、こういうことなんだ。


サッカーボールを磨くか、公園を走り回るだけだった俺の心の中に、

美咲はどっしりと座り込んだ。



美咲が転校してきた夏を通り過ぎ、季節は秋になる。

ワイシャツだけだった気楽な格好から、学ラン姿の登校がまた始まった。

職員室前の廊下に、文科系部活の作品があれこれ展示され始める。

美咲が作ったのはパッチワークの技術を使った、こぶりのポーチ。

小さな生地を集め配色を考えながら作ったと、説明の紙に書いてある。

あいつは、字も綺麗だ。


「なぁ、榎本。この美咲の作品さぁ、多少模様はあるけれど、
赤と黄色の2色構成だよな」

「ん? まぁ、そういわれて見たらそうだよな」

「だよな……」


榎本にはそれ以上教えなかったが、俺にはその配色と生地の置き方が、

色違いのサッカーボールに思えてならなかった。

この淡い恋心に、もしかしたら応えてくれているのかと思えるくらい、

単純に元気が出てくる。


「うん……絶対にそうだ」


毎朝、教室に入る前、その作品を見つめ、一日の活力を養った。

美咲がそこにいるわけでもないのに、あいつが作ったものと言うだけで、

特別な作品に見えて仕方がない。

美咲の笑う顔、少し照れたような顔、食事をする時に動く口、

とにかく美咲に関わることなら、全て受け入れてしまう。

俺、いったい、どれくらい美咲のことが好きなんだろう。

その日も部活を終え、真っ黒な足を母親にガミガミ言われながら部屋へ向かう。

階段の途中で、汚い靴下は、当たり前のように脱ぎ捨ててやった。

ハンガーを取り出し、学ランをかける。

5つ並ぶボタンの上から2番目を、少し強めに引っ張った。


「あれ?」


ボタンは多少引っ張ったくらいでは、びくともしないらしい。

それとも、うちの母親のつけ方が特殊なのだろうか……。


「くっそぉ……しつこいボタンだな」


そう、俺がこんなことをするのには、当たり前だけれど意味がある。

美術の時間が終わって、教室に戻ると、なぜか榎本の制服を美咲が持っていた。

榎本が脱いでいた制服を着たとき、ボタンがとれかかっているのを発見し、

つけてあげると名乗り出たらしい。

いつもならボタンなんて取れていたっておかまいなしだし、

いや、大事な試合の場面で、簡単にフェイントをかけられ、

抜かれても笑っているディフェンダーなのに、

今日の榎本は、嬉しそうにニヤニヤしていた。

美咲にとっては、深い意味などあるわけがなくて、

榎本がかわいそうだから手を差し伸べたのだろうけれど、

そんな近付き方があったと気付かなかった俺の頭は、ガツンと打ち込まれた気分だった。


「よし……これでどうだ?」


もう一度ハンガーにかけて、そのボタンの揺れ具合を確認する。

美咲は、朝早めの登校をするはずだ。部室にでも寄る振りをして、俺も早めに行こう。

頭の中で、ブツブツと計算を立てながら、その日はさっさと風呂に入り、

眠ることにした。





「なんだよ! これ!」

「なんだよじゃないわよ。あんたの部屋に入ったら、
学ランのボタンが取れかかっているから、昨日ちゃんとつけといたわよ、ほら」

「何してるんだよ、ボケ!」

「ボケ? 駿介! あんた誰に向かってそんなことを言っているのよ。
全くどういう……」

「あぁ、もう! 台無しだ!」


弁当のおかずなんて、いつも同じようなものしか作らなくて、

色彩なんておかまいなしの『茶色』だらけなくせに、

どうしてこんなところに気づくんだ。

せっかく、美咲に頼めるチャンスだったのに。

もし、あのボタン付けがきっかけで、榎本と美咲がいい関係になったら、

俺は一生、お前を恨む!



……と、母親に無言で訴えた。





幸運なことに、榎本と美咲が個人的に近付くことはなく、

かといって俺と美咲が一歩前に出ることもなく、中学2年が終わり、3年になった。

弱いなりにキャプテンとしては、忙しい日々が続く。


「で、どこが出てきそうなんだ?」

「ちょっと待ってよ」


口のうるさい玲は、相変わらずのマネージャーだった。

教室で予選の表を見ていると、扉をトントンと叩く音がする。


「玲ちゃん」

「あ……美咲」


3年になって、美咲と俺はクラスが別になってしまった。

こうなると、共通点があまりなくて、声をかけるタイミングがつかめない。


「これでしょ?」

「あ、そうそう、ありがとう」


美咲は、玲の忘れ物を取りに家まで戻ったらしかった。

梅雨空の中、濡れた制服の肩を、ハンカチで拭いている。


「美咲、わざわざ取りに行ったのか」

「うん……」


美咲が取りに行ったのは、試合の状況をまとめたノートだった。

確かに分析には必要だけれど、サッカー部に関係がない美咲に取りに行かせるなんて、

少しずうずうしいのではないかと、玲に言ってみる。


「エ? そう? だって、忙しいんだもの。色々提出しないとならない書類もあったし、
美咲は手芸部でたいして忙しくないでしょ。無理にとは言ってないわよね。
よかったら行ってくれないって、ちゃんと頼んだでしょ?」

「うん……」


そう、美咲が転校してきてから、ずっと思っていたことだった。

美咲はいつも、玲に遠慮している。

歩くときも、常に玲の後ろを歩き、何かがあればすぐに玲を前に出そうとする。

昔、ダンボールを持ってやろうとした時だって、そうだった。


「美咲、もういいよ、部活行って。そうやって横にいられると気が散る」

「あ……ごめん」


美咲は玲に言われて、慌てて教室を出て行った。

俺はなんだか美咲がかわいそうで、一緒に出ようと立ち上がる。


「駿介はどこに行くのよ」

「人がいると、気が散るんだろ」

「……そういう意味じゃ」

「トイレ!」


玲の、竹を割ったような性格は、嫌いじゃない。

でも、美咲に対する口のききかたや態度は、どうも好きになれない。


「美咲……」


手芸部へ向かおうとした美咲を階段で呼び止め、

サッカー部のことで巻き込んだことを謝った。

一応キャプテンとしては、こうしたことも必要なはず。


「ねぇ、大倉君、これ……」


美咲のポケットから出てきたのは、

サッカーボールの模様を、フェルトで再現した小さなお守りだった。

家で作って、近所の神社で買ったお守りを入れたと話してくれる。


「大会近いでしょ、最後の大会だし、怪我のないようにと思って。榎本君が……」

「榎本が?」

「うん、榎本君が、去年、私がパッチワークで提出した作品を、
大倉君がとっても気に入ってくれていたって、教えてくれたから。
だから……よかったら、もらってくれない?」

「ん? あぁ、あ……うん、うん」


なんだろう、人の頭は、

『その通り』だということをあまりにも唐突に突きつけられると、

パニックを起こすらしい。


「気に入ってくれて……嬉しかった」


中学3年の夏、美咲の作ってくれたお守りのおかげで、

俺たちは初めてベスト8まで勝ち進んだ。

怪我もなく、青春の1ページを終え、そして受験生になる。



美咲への思いは、俺の中でさらに大きく膨らんでいった。




第2話

駿介と美咲、二人の『恋』は、芽を出し、花を咲かせるのか……
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コメント

非公開コメント

その気持ちで……

拍手コメントさん、こんばんは

>始まりましたね~、中学生のころに戻って(転校生だったんで…)、
 読ませていただきます☆

転校生だったんですか。
私は転校したことないのですが、それならば、ぜひ美咲の気持ちになって、
楽しんでください。
FC2小説の方に、美咲から見たお話しも掲載予定です。
また、お知らせしますね。

はじまりましたね。
これからじっくりとおつきあいさせていただきます。

ぜひぜひ

pocoさん、こんばんは

>はじまりましたね。
 これからじっくりとおつきあいさせていただきます。

はい、ぜひぜひお願いします。