第8話

第8話




大学生活は、今までとは比べものにならないくらい自由だった。

始めこそ、やらなければならないことがあれこれあったけれど、

そのおかげで、一人の時間を楽しむ余裕もなく、仲間が出来た。

『村上禎史』は東京の私立高校から、大学に入ってきたやつで、

もうひとりの『舟木憲弘』は、1浪して入学した。


「……ってことなんだよ、やらないか?」

「俺はいい。中学生に勉強を教えるなんて、生意気ざかりにイラつきそうだし」

「そっか、駿介は?」

「俺は……」


どうしようかと思っていたバイトも、禎史のおかげですんなり決まった。

地元では高校まで公立というのが、ほぼ普通だけれど、

東京では私立高校や中学の進学率が増えていて、

大学生を『家庭教師』として雇う親も、多いのだという。

そんなことを目的に入学したわけではなかったが、お受験を目指す親たちに、

わが『東央大』のブランドは、結構評価が高かった。


「で、今日が初顔合わせだった」

『どんな子だったの?』


美咲との電話は、数日おきに続いた。

俺はとりあえず2つのバイトをすることになったことを話す。

一つは禎史から紹介された『家庭教師』。

そしてもう一つは、ファミリーレストランの皿洗い。


『駿介が皿洗い?』

「あぁ、信じられないだろ。家ではやらなかったからね。
でも、夕食が付いてくるから好都合なんだ」


今さらながら、家に帰ると親がいてくれるのは、本当に有り難いことだとそう思う。

ご飯があって、風呂があって、汚れた洗濯ものがいつのまにかたたんである。

口うるさい言葉も、あれこれついてきたけれど、今は静かなだけで、何一つない。

そう、自分が動かなければ、空腹と汚れ物で、倒れそうなくらいだった。


「一応、包丁も買ったんだけどね、まだ一度も使ってない」

『そうなんだ』


店の手伝いをしながら、短大に通っている美咲に、無理は言えないと思いながらも、

俺はすぐにでもこっちへ来いよと、言いそうになる。

隣に住んでいる大学の先輩らしき人が、

しょっちゅうガールフレンドを部屋に入れる姿を見ているからか、

禎史が電車で出会った女の子の、色っぽい姿を想像させる話をするからなのか、

それはわからないけれど。


『連休は、戻るの?』

「いや、バイトで戻れない。まぁ、夏休みかな、戻るのは」

『そっか……』


美咲との電話タイムには、なんとなくセンチメンタルを感じることがあるけれど、

それ以外の時間は、東京生活が絶好調だった。

レストランの皿洗いで、仕事終わりに夕飯を出してもらい、

駅を降りた後、自動販売機でお茶のペットボトルを買う。

そのままアパートへ向かうと、タクシーから隣の住人が降りてきた。

少し遅れて、高いヒールを履いた女性も現れる。

それにしても、もてる男なのかなんなのか、4月に見た女性とはまた別の人だ。


「こんばんは」


女性はこっちに向かってそう挨拶をしてきた。

俺は頭を下げた後、自然に顔を見る。


「大倉君でしょ」


そう、どこかの知らない人だと思っていたのは、同じ経済学部の『林原まな』だった。

林原はふっと笑みを見せると、先を行く男に続き、部屋の中へ消えた。

教授の初授業の日、なぜか課題がディベートだった。

『これからの日本経済をどう動かすのか』という、とんでもなく大きな器をした課題で、

俺は、取り残されそうになる田舎の現状を変えていくためには、

買い物力をつけることだと、咄嗟に浮かんだ話題を取り出した。

同じ班に分けられた林原は、確か人件費をどう抑えるかという話題を披露していたはず。


部屋に入り、テレビを消し、眠る体勢を取るけれど、

隣にあの林原がいると思うと、なかなか瞼が閉じていかない。

安いアパートの割りには、隣の音があまり聞こえないのは、

本当によかったと、その時に思った。





新しい環境に慣れてきた5月の末、思いがけない人物から電話がかかってきた。

相手は、同じく進学のために東京へ出て来た玲で、

週末にでもどこかで会えないかという誘いだった。

俺たちが高校時代、世話になっていた先輩コーチが東京に就職し、

来月結婚することになったと言う話題に、無視は出来なくなる。

玲の言うとおりの場所で待ちあわせをし、現れるのを待っていると、

髪型を変えたあいつが、約束より5分後れで到着した。


「ごめんね、駿介、久し振り」


化粧をした玲を見るのは、初めてだった。

指には薄いマニキュアをつけ、唇にはしっかりルージュがひいてある。

お祝いの食事会をどこでやるのかという本題はすぐに終了し、

玲は、それぞれのひとり暮らし報告をしようと、勝手に話を進めだした。


「大学に近いんでしょ、駿介のアパート。
この間、おばさんに会ったらそう言っていたから」

「お前、帰ったのか、あっちに」

「うん、この間の連休にね。でも、もう休みには戻らないことにする。
電車があれだけ混むとは、思わなかったもの」


向こうに戻ったのなら、美咲の様子も聞きたいところだったが、

それは出来ないことだと、もうずいぶん昔に学んだ覚えがある。


「ねぇ、広さはどんな感じ?」

「広さ? 6畳と小さな台所と、トイレ」

「エ! やだ、それだけ? お風呂は?」

「風呂は近くに銭湯がある」


玲はそんな環境では耐えられないと、相変わらずのマイペース持論を展開する。


「しかたないだろ、親に金を出させているんだ、贅沢なんて出来るか」

「せめて2部屋でしょ、それは贅沢とは言えないって」


2部屋。玲は当たり前のようにそう言った。

『そんな贅沢が出来るのなら』という余計なセリフは、言わないまま心に沈めた。

玲と美咲は立場が違う。

だからこそ、俺は頑張っているのかも知れない。

それでも、久々に聞いたあいつの声は、わけがわからなかったけれど、

また明日も頑張ろうという勇気だけはくれた気がした。





季節が6月に入り、梅雨を迎える。

林原と隣の男性との付き合いは、まだ続いているようだった。

美咲とは相変わらず電話でのつながりが続いていたが、

送られてくる電話料金の請求書に、少し気持ちが沈んだ。

ひとり暮らしは、何をしても、ひとりで抱えなければならない。

それでも、元々東京に詳しい禎史のおかげで、遊びに行けそうな場所は、

あれこれ知ることが出来た。


「美咲、次の休みあたりに、こっちへ来られないのか?」


声だけを聞いているのは、そろそろ限界だった。

姿を見て、触れていたい。単純にそう考えた。

自由に恋愛を謳歌する同級生達に、多少は感化されているのかも知れないが、

それは仕方のない年齢だろう。


美咲からの返事は、いいものにならなかった。

短大の課題があること、店の手伝いがあること、

そして逆に戻ってこられないのかと問い返される。

戻ることが出来ない訳ではなかった。

自由さからいっても、俺の方が身動きが取りやすいのもわかっている。

ただ、大学に入って出来た小さなプライドが、それを許さなかった。

『東京』という自分のテリトリーに、美咲を連れてくること、

それが出来なければ、負けのような気がしたからだ。


「そっちだとさ、何もいいところないだろう。こっちには色々とあるんだよ。
美咲を連れて行きたいし、食べさせたいものもあるんだ」


周りの目を気にしながら、数少ない電車に乗り、

流行など全くお構いなしの店に行くなんて、冗談じゃない。

来月なら何とかなりそうだという美咲の言葉に、

ありもしない余裕をつけたような返事をし、その日の電話は終わった。





最初のディベートと、思いがけないアパートでの再会に、

林原とはそれからもよく話すようになった。

学食で一緒になったりすると、遠慮なしに隣に座り込んでくる。

それでも、玲のようにヒステリックに存在をアピールしないので、

話すのには悪い相手ではなかった。


「倉ちゃんってさ、彼女いるの?」


林原は俺のことを『倉ちゃん』と呼ぶようになっていた。

親しくなっていく中で、質問は唐突に始まっていく。

厳しかった受験を終え、こうして大学生になれたのだから、

青春を謳歌しないとダメだろうと、妙な説教を受けた。


「いるよ、地元にだけど」

「地元? へぇ……それじゃ遠距離恋愛なんだ、そっか、そうなんだ」


林原は、オムライスのケチャップ部分をスプーンで全体に薄くのばしている。

デートは東京と田舎、どっちでするのかと続けて問いかけてきた。


「親戚の家に世話になっているから、なかなかこっちには出てこられないんだ」

「あら……そうなの?」

「うん」


今日の唐揚げ定食は、学生の1番人気だ。

味噌汁も具が多く入っていて、値段を考えると得だと思う。


「そっか、たまには抱きしめて寝たいよね、彼女のこと……」


口に入れた鶏肉が、逆流しそうになった。

そう、隣の部屋に出入りしているのだから、それくらいはわかっていたけれど、

そう男女の話を堂々とされると、答えに詰まる。


「ちょっと残念だ。倉ちゃんがフリーだったら、友達に紹介しようと思っていたのに」


林原は『青蘭女子』に通う友達を紹介したかったと、笑っていた。

『青蘭女子』と言えば、お嬢様学校としても有名な大学だったはず。

どんな人だったのか知りたい気持ちを抑え込み、唐揚げをまた一つ口に入れた。


大学の講義は、楽しいものと苦痛なものが混在する。

午後の授業を担当する教授の名前を聞くだけで、睡魔が襲ってきた。

『パブロフの犬』とは、こういうことだろう。

隙間だらけの頭は、林原の言ったセリフだけを、何度も何度も繰り返し、

俺の頭に突き刺してくる。

『たまには抱きしめて寝たい』という感情を、女が理解するのだとしたら、

美咲の心の中に、ほんの少しでも、

『抱きしめられたい』という思いは芽生えているのだろうか。

そんな考えを巡らせていると、体の中であれこれ問題が起きそうで、

一度背伸びをすると、大きく息を吐いた。





『ごめんね、母が入院してしまって』

「入院?」


6月の終わりに約束した上京日を前に、美咲からの連絡があった。

急に暑くなってきたことに体力がもたなかったのか、

倉庫の中でお母さんが倒れてしまったと言う。

それでもこっちへ来いとは言えず、また次のチャンスをと受話器を置く。


本音は、ものすごく落ち込んだ。

いや、精神的に非常に辛かった。

自由になりたくて、自由にさせたくて、東京という場所を目指したのに、

何一つ自由になったものはない。

俺は、『晴日台』で撮った写真を持ち、

美咲の笑顔を忘れないように、しばらく見続けた。




第9話

駿介と美咲、二人の『恋』は、芽を出し、花を咲かせるのか……
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コメント

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どうかな?

拍手コメントさん、こんばんは

ご質問の答えですが、はい、私は女性です。
プロフィールにも書いてありますが、男の子2人を育てる主婦です。

>わからなくなっちゃって・・・、からかわれてるのか、
 遊ばれてるのか気になっちゃって・・・。

えっと……これは、私が拍手コメントさんをからかっているかどうかということかな?
そんなつもりは全くないのですが。
何か、気に障ることを書いてしまったのなら、ごめんなさい。
文字だけだと、うまく伝わらないこともあるのかもしれません。

でも、ほっとしてくださったと書いてあるので、大丈夫……かな?

切なく、優しく……です

ナイショコメントさん、こんばんは

>なんか、切ないですね・・二人の恋は。

ありがとうございます。切ない……と感じてもらえるのは嬉しいですね。
今の時代とは少し違う、ちょっと昔の恋愛に、これからもお付き合いください。

ハンデ

拍手コメントさん、こんばんは

そうでしたか、そういうことだったんですね。
親しい人なら気になるところですよね。

『生い立ちのハンデ』をつけるのは、
そこから救わなければという思いが出しやすいからかもしれません。
なんとかしてあげようとするんですよね。

私はマイペースに続けています。
拍手コメントさんこそ、無理なくおつきあいくださいね。