【again】 11 秘密のデート

【again】 11 秘密のデート

     【again】 11



「ママ、ほら早く!」

「うん……」


夏休みの最後、絵里は久し振りに伸彰の実家に向かう。今の団地に越す前は、毎月一度、

顔を出していたのだが、場所が遠くなり大地が小学校に入ってからは、初めてのことだ。


電車に乗り継ぎ、家が近づいていく度、絵里の不安な気持ちが増していった。


「おばあちゃん!」

「大地……よく来たね」


家の前で待ちかまえていた姑は、大地を抱きしめ、何度も何度も頬をなでた。

絵里はそんな姑に深々と頭を下げ、挨拶をする。


「あ、犬だ!」

「大地が来るからね、おばあちゃん犬を飼うことにしたんだよ」

「エ……本当? わーい……」


広い客間には、大地に買ってくれたのだろうと思えるおもちゃや、本が置かれ、

大地は嬉しそうにそれを開けると、あれこれいじり始める。


「突然引っ越してしまったから、寂しかったのよ」

「……すみませんでした。役所の方から急遽空きが出たと言われて、
時期もちょうどよかったので、ご相談もなく」

「いいのよ。あなたが決めればいいことだし、どうせ、私の言うことなんて、
聞いてくれるような人じゃないじゃない」


クッションとなる伸彰がいなくなってから、ますますストレートになっていく姑の口調に、

絵里は何も言い返すことが出来ず、目の前のお茶を飲み大地を目で追った。


「夕飯、食べていく?」

「あ、いえ……、今日団地の役員会議がありまして。すみません」

「そう……」


ここで食事をするくらいなら、一人で冷蔵庫の残り物を食べた方が、気楽だと思った絵里は、

咄嗟にそれらしくウソをつく。


「じゃぁね、大地。おじいちゃんとおばあちゃんの言うことを、ちゃんと聞くのよ」

「うん……ママ、またね!」


絵里はもう一度姑に頭を下げた後玄関を閉め、広い庭を出た。家の裏に回った時、

中から大地の嬉しそうな笑い声が聞こえ、一瞬足を止める。


これでいいんだ……。

そう自分に言い聞かせるように、絵里は一歩ずつ駅に向かって歩いた。





それから3日。いつものように仕事を終えた絵里は、帰り支度をし始める。


「エ……大地君いないの?」

「うん、亡くなった主人の実家に行ってるの。向こうの両親も会いたいだろうし、
私も少し羽を伸ばせるしと思って」

「そうだよ、そうそう。池村さん、たまには好きなもの食べて、好きなことしなよ」


同僚の真希は着替えながら、絵里が『小さな夏休み』を取れたことに笑顔を見せた。





絵里はいつもの道を、自転車で走りながら、大地がいないのだから、自由に羽を伸ばそうと

思ったが、結局どこに行ったらいいのか見当もつかず、昨日も一昨日も、

一人でテレビを見ているだけになる。


学生時代や会社員として働いていた時には、時間が足りないくらい行きたい場所があったのに、

絵里の生活は、いつの間にか大地を抜きにしては、成り立たなくなった。


駐輪場に自転車を止め、ふと階段横の花壇を見ると、枯れている花が目立って見え、

絵里はその花を抜き、あちこちに生えている雑草も抜きはじめた。


少しだけと思いながらも、やり始めると止まらなくなり、

家から小さなスコップと袋を持ち出し、花壇をいじり出す。

土の匂いと、花の色に、時間を忘れて取り組んでいると、いつの間にか日が暮れた。


「こんばんは」


その声に絵里が振り向くと、立っていたのは直斗だった。絵里は存在を確認し軽く頭を下げ、

また花壇に視線を移す。


「池村さん」

「はい」


直斗は少し笑いながら、人差し指で自分の鼻の頭に何度か触れたが、意味のわからない絵里は、

つい直斗の顔をじっと見てしまう。


「あ……鼻の頭、汚れてますよ」

「エ……」


絵里は慌てて、左腕で鼻を拭いた。汚れが腕につくことはなく、同じことを何度か繰り返す。

そんな絵里から視線を外し、階段を昇りかけた直斗は、途中で一度足を止めた。


「大地は部屋ですか?」


夕食までの時間を、大地と過ごそうかと、直斗は絵里に問いかけた。


「大地は主人の実家に……」

「あ……」


そういえば食事会の時に、そう言っていたことを思い出す。それだけ答えると

絵里はまた作業を始め、直斗は階段を昇った。





直斗はたばこを吸いながら、ハナの部屋からベランダへ出て、大きく伸びをする。

下を見ると、そこには相変わらず花壇と格闘している絵里がいて、そのうち、

近所の子供が2人そばに寄り、絵里の作業を手伝い始める。

3つあった花壇は、やがてすっかり綺麗になった。


何も物音を立てずにいると、階段を昇ってくる絵里の足音が聞こえ、隣の玄関が開く音がする。

またすぐに、階段を降りていく足音が聞こえ、手伝った子供達の前に、絵里が再び現れた。


それぞれにお礼なのか、絵里はお菓子のようなものを、子供達に手渡し、

3人は楽しそうな笑顔を見せ、しばらく話し続ける。


やがてまた足音がし始めたので、直斗は絵里の到着にあわせるように、玄関を開け、問いかけた。


「すみません」

「ひゃ……」


思いもよらないタイミングで開いたドアに、絵里は驚き小さな声をあげる。


「祖母、どこかに出かけてますか? こんな時間にいないのは、珍しいので」


携帯を出し確認すると、時刻は夕方の6時をすでに過ぎていて、絵里は自分がパートから戻り、

2時間も花壇をいじっていたことに、今さらながら驚き顔になる。


「あの、今日は大正琴のお仲間と会うって……今朝、言われてましたけど……」

「大正琴?」


今朝、ゴミを受け取りに行った絵里は、ハナから楽しそうにそう告げられたことを、

直斗に話す。


「あ……そうなんだ。じゃぁ、遅いんだな、きっと」

「なんだか、お仲間の息子さんが、お店を経営しているからって。きっと、
食事も済まされてくるんじゃないですか?」


絵里の言葉に、直斗は納得したように頷いた。それを確認した絵里は、

玄関を開けようと手を伸ばす。


「池村さん」


まだ何か……と絵里が振り返ると、直斗は玄関を出て、カギをかけ始めた。


「大地がいないなら、あなたも一人でしょ? 俺も、一人みたいだし、夕食、一緒にどうですか?」

「あ……でも……」


突然の誘いに、ついそう言い返してしまう絵里だったが、断る理由が見つからず、

結局直斗と食事に向かうことになった。





直斗の車はうるさいエンジン音もなく、静かに走り続ける。乗り心地のいい高級車に、

絵里は以前不思議に感じたことを思い出した。



『直斗さんの職業は……』



大地の授業参観に来てくれた時の、スーツ姿。そして、この車。親しくなっていくのに、

直斗は自分の日常を何も語ったことはない。


「何か好き嫌いはありますか?」

「いえ……」

「じゃぁ、大丈夫だな」


直斗は納得するようにうなずき、さらにスピードを上げ始める。車の免許もない絵里にとって、

空まで届きそうなビルが立ち並ぶ、華やかな場所へ向かうことは、大地が生まれる前まで、

遡らないと記憶にないくらい久しぶりのことだ。


「あ、あんなビルがいつの間に……」


直斗はその声に隣に座る絵里を見る。いつも自転車で走り、自転車で戻る絵里は、

自分と楓が出歩くようなこんな街に、不思議そうな視線を向けている。


「もう、2年も前からありますよ」

「……あ、そうなんですか。私、本当にこんな方へ来るのは久しぶりで……」


小さな空間の中で、必死に生きている親子の母親。病院へ運ぼうと抱き上げた時の軽さは、

直斗には衝撃的なものだった。

女が一人で子供を育てていく辛さが、直斗にも、あの軽さで伝わってきた日。



『なんでそんな男に援助してもらうんだ! 俺は大学なんて行かなくたってよかったんだ』



高次から金をもらい、生きてきたという母に持った嫌悪感から、亡くなる前の1年間は、

母とほとんど口も聞かなかったことを思い出す。


互いの胸のうちを知らぬまま、二人を乗せた車は、高速を走り続けた。





直斗が連れて行ってくれた店は、夜景の綺麗な場所にあるビルの中で、

いかにも常連そうに迎えられる直斗に、絵里の疑問は益々募る。


「めずらしいですね、女性を連れてなんて……」


そう店長に言われ、直斗の方を向く。

背も高く見栄えもする直斗に、特定の女性がいないなんてことは、考えられない。

絵里はカウンターに腰かけ、メニューを見ながらそう考えた。


「素敵な作りになってますけど、ようするに焼き鳥屋さんですから」

「エ……あ、はい……」

「あはは……そりゃそうだけど。かなわないな、直斗さんには」


おまかせで注文を済ませ、目の前で出来ていく料理を見ている直斗に、

先に話しかけたのは絵里の方だった。


「直斗さん、一度うかがってみたかったんですけど、いいですか?」

「……なんですか?」


問いかけられることは好きではなかったが、この状況で嫌がるわけにもいかず、

直斗はとりあえず頷きながら、絵里の方を向く。絵里はウーロン茶を一口飲み、話し始めた。


「ハナさんに直斗さんのことを聞いた時、どんな仕事をしていて、
どこに住んでいるのかも知らないって、そう言われたんですけど。
大地と、遊んでくださる時も、日曜じゃなくて、平日だったり……。
あの、失礼かもしれませんですが、ご職業は何を……」


『石岡直斗』と『篠沢直斗』の境界線のような質問に、直斗は絵里の方を向きながら、

どう答えようかと考える。


「あ、すみません……いいんです。言いたくないことは言わなくても」


すぐに答えを返さない直斗に、絵里は慌てて質問を否定し、誤魔化かそうとした。

そんな絵里を見ていた直斗は首を振り、こう告げる。


「不動産です」


それだけで全てがわかることはないだろうと、直斗はそれだけ言い、

絵里と同じようにウーロン茶を一口飲んだ。


「不動産……あ、そうか。やっとわかりました。あぁ……」


全ての謎が解けたかのように、絵里は嬉しそうな笑顔を見せた。


「何がわかったんですか?」


単純に絵里がどう言葉を捕らえたのかが聞きたくて、直斗はそう問い返す。


「優秀な営業マンなんですね、直斗さんは」


絵里は、中から出てきたタレの焼き鳥を串から外しながら、そのまま話し続けた。


「そうか、だから平日も時間があるんですね。いえ、あの……、大地の保育園時代、
友達のお父さんが、不動産の営業マンで、あれって、歩合制っていうか、
優秀な人は収入も多いんですよね。水曜とか木曜がお休みで……あぁ、そうだったんですか」


絵里の言っているのは、その辺の駅前にあるような専門店なのだろう。

ちょっとした勘違いに、直斗は少しおかしくなり、その顔を隠すように、わざと逆方向を向く。


別にそういう店舗をいくつも束ねている不動産業者だと、バラす必要などどこにもなく、

そのまま絵里の話しに、乗っていこうとする。


「そうですね、結構優秀な営業マンなんですよ」

「ご家族連れとか多いですよね、家を買うのって。だから、子供の扱いも上手なんですね……
そうか……」


以前は、頑固なくらいの警戒心を持っていたくせに、今日の絵里は、

疑いもなく直斗の説明を受け入れる。


自分は信用されている……絵里の態度に、直斗はそう思い始めた。


「じゃぁ、俺も質問していいですか?」


これ以上、自分のことを聞かれたくないのと、以前より素直に自分を見ている絵里に、

直斗は問い返すことにする。絵里はなんでしょうかという表情で、直斗を見ると、

少しだけ姿勢を正し椅子に座り直した。


「以前、大地と授業参観へ行く約束をした時に、強く否定されましたよね。
自分は再婚をしないんだと。あれはどうしてなんですか? するかしないかは別としても、
否定の仕方に、すごく違和感があって……」


明るかった絵里の表情が、とたんに変わる。

少しだけ下を向いた絵里の方を見つめ、直斗はその問いの答えを待った。


「義母と約束をしたんです」

「……約束?」


絵里は無言のまま、小さく何度か頷き、少しだけ苦笑する。


「伸彰が亡くなったのは、絵里さんが止められなかったからだ……と、
義母は、今でもそう思っているので」


絵里はそう言いながら、左手薬指の指輪に触れ、辛そうに下を向く。

直斗のグラスの中にあった氷が溶け、カランと一度だけ音を立てた。





小さな画廊に立ち寄った亘が、車を停めライトを消すと、中から初老の男が現れた。

少し周りが暗いからかすぐにわからないようで、じっとこっちを見る。


「神尾先生、亘です」

「おぉ、亘か。久し振りだ。どうした」

「仕事帰りなんですけど、そのまま家に戻る気にならなくて。で、つい、フラフラっとここへ」

「そうか」


神尾は以前、美術大学の教授を務めていたが、今は趣味のように絵を描いて暮らしている。

亘は神尾の作品が好きで、高校時代は、よくここへ出入りしていた。


「少しは余裕が出来たのか? ここへ来るなんて」

「ある意味、そうだと思います」


大好きだった絵を諦め、父と母が言う経営学科へ進んだ亘は、その思いを断ち切るため、

ここへの出入りをやめていた。


「また、描きたいんだろう」


その言葉を聞き、少しだけ微笑む亘の表情を見た神尾は、戸棚の奧から画材を取り出す。


「お前のものは、取っておいてあるぞ。きっと、こんな日が来ると思って」

「……先生」


学生時代、時間を忘れるほど夢中になっていた絵のことを思い出しながら、

亘は使い込んだ筆やパレットに懐かしそうに触れる。


「ずっと近頃頭に残っている表情があって。それをどうしても描いてみたくなったんです」

「表情? じゃぁ、モデルがいるんだな」

「……はい。女性の顔です」


亘は真っ白なキャンバスを手に取り、以前見せてくれた素敵な笑顔を持つ一人の女性へ、

想いを巡らせた。





12 大きなカゴの鳥たち へ……





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コメント

非公開コメント

お姑さん・・・冷たい(T-T)

えーん、あのお姑さんがいる限り絵里さんはずーっと呪縛にとらわれてしまう
と、涙涙です。
 そっそりゃぁ、息子をなくして悲しいとは思うけれど
それを人のせいにするなんて・・・その方が楽かもしれないですけどね。
直斗!救って絵里をー!!と、叫んでいます。
あと、大地が帰ってくるかどうかが・・・心配ですぅ(T-T)
続きを楽しみにしています!!

永遠のテーマ、姑VS嫁

ヒカルさん、こんばんは!


>えーん、あのお姑さんがいる限り絵里さんはずーっと呪縛にとらわれてしまう
と、涙涙です。

ねぇ……。人の言葉は怖いものです。息子を亡くして冷静ではいられないだろうけど、
まぁ、今は何も言えませんが、続きをよろしくお願いします。v-290