第19話

第19話




一緒にテレビを見ながら笑った部屋で、笑い声など少しもない時間を過ごす。

梨花は、俺の方に背を向けると、膝を抱えてしまった。


「自分が、何をするために東京へ来たのか、それを考えたんだ。
みんなと楽しく学生生活を送っていた時間も、それはそれで必要だったし、
充実していたけれど、このまま終わったらダメだって、近頃そう思うようになった」


伝わえなければならないけれど、無理に伝えようとは思わなかった。

正直に語るしか、俺には出来ない。


「ある人を救いたくて、窮屈な地元をどうにかしたくて、それで東京へ来た。
その気持ちが、戻ったんだ」


美咲を救いたくて、美咲を縛り付けようとする地元をどうにかしたくて、

俺は東京へやってきた。


「よりなんて戻るかどうかはわからない。
それでも、もう一度スタートラインに立ちたくなった」


梨花と付き合っていたらきっと、俺は甘えた人間になるだろう。

優しくて心が広くて、こちらの思いを、なんでも叶えようとしてしまう。


「彼女が苦労していることを知って、いたたまれたくなった。
それが、正直な気持ち」


どちらも傷つけないで済む方法なんて、あり得なかった。

1年前、誘われたままに抱きしめた罪は、自分で背負わなければならないのだから。


「いいも悪いも、結局、倉ちゃんは真面目なんだね」

「……そうなのか」

「そうだよ。もっと気のきいた言い方だってあるし、誤魔化しようだってあるのに、
その人への思いが、ずっしり伝わって来ちゃうじゃない」


心の隅に、いつもあり続けた、美咲への思い。

俺は梨花にただ申し訳なくて、下を向く。


「あのお守りをくれた人なの? その人」


梨花がお守りを入れた箱を、見つけたことがあった。

俺はそれを咄嗟に捨てようとして、逆に怒られた。


「うん……」

「そっか、そうなんだ。なんだかあの時にも、嫌な予感がしたの」


梨花は抱えた膝を少し揺らしながら、必死に捨てようとした俺の顔が、

あまりにも真剣で、気になったと言い始める。

確かに、あの頃は『美咲を忘れなければならない』と必死だった気がする。

逆を言えば、意識していたということになるのだろうが。


「もう……いいよ、倉ちゃん」


梨花はそう言うと俺に立ち上がるように指示をした。

立ち上がり、口をしっかりと閉じ、こっちを見て欲しいと要求される。

準備が出来たと言おうとした瞬間、梨花の張り手が左頬を捕らえ、

パシンと渇いた音が、部屋に響く。


「一つだけ、約束して欲しいことがあるの」


俺は目を閉じたまま、一度だけ頷いた。





「これで全てです」

「はい」

「向こうには先につけると思いますけど、一応、友達がいますので」


梨花の出してきた約束とは、引っ越しをすることだった。

顔が見えて、生活している様子がわかると辛いというのは、理解出来る。

何もかも入れ替えて、もう一度スタートしたいと願う俺にもそれは必要に思えて、

雰囲気の気に入っていた、憲弘の住む方へ動くことを決める。


12月、初めての日曜日。

俺は、東京へ出て来てから住み続けた部屋を出ることになった。





「ありがとな、憲弘」

「いいって、いいって」


引越しは無事に終了した。休みだと言うのに一日中付き合ってくれた憲弘に感謝し、

ダンボールだらけの部屋で、缶ビールを開ける。

数本用意したビールを見ながら、一度息を吐いた。


「俺、今日でしばらく禁酒」

「は?」

「……と決めた」


何か厳しいことをすることが、今の自分には必要に思えた。

弱い自分が出てしまう気がして、禁酒を選ぶ。

憲弘は、そこまでやる必要があるのかと聞いてきたが、俺はあると返事をする。


「あと、1年だからさ。振り返ったり、悩んだり出来るのも」


若気の至りなんて言葉が、ピッタリくる学生時代は、あと1年と言ってもいい。

最後の締めくらい、満足して終わりたい。


「そっか……駿介がそう思うなら、やった方がいいな」

「あぁ……」


男2人だけの、引っ越し祝い飲み会は、荷物から布団だけを引っぱり出し、

結局朝を迎えることとなった。





「結構、風通しもいいじゃないの」

「そうだろ」


引っ越しから3日後、実家から母親が上京した。

急に引っ越しを決めたのは、何かがあったのかと聞いてくる。

俺は、風呂なしも堪えるようになったと言い、残りの荷物を片付ける。


「ねぇ、本当に前のアパートと2000円しか違わないの?」

「そうだよ、そう言っただろ。探せばこういう場所があったってことなんだよ。
出てくる時は、大学に近い方がいいと思って、反対路線なんて見なかったし」

「まぁねぇ、部屋探しのために泊まるわけにもいかなかったしね」


母親は、荷物を片付けている振りをしながら、実はチェックをしているように見えた。

俺は、変なことをするのなら、手伝ってくれなくていいと言ってやる。


「変なことって、どういうことよ。気になるでしょ、年頃の息子を持っているんだから」


男には責任があるのだと、母親は作業しながら語り出す。

同じ女として、女の子を傷つけるようなことをしたら許さないからと、

正義感まで振りかざした。


「あぁ、そうですか、では思う存分どうぞ」


女物の下着も、お揃いの歯ブラシも、何も出てくるわけがない。

梨花は、こっちに荷物を置いたりはしなかった。

母親は、俺の堂々とした態度に探偵気分が覚めたのか、

買ってきた缶コーヒーを開けて、飲み始める。


「いいのか? チェックは」

「もういい」


少し残念そうな、それでいて安心したような母親の顔が、妙におかしくて、

どこか美味しい物でも食べにいこうかと、誘ってやった。





その年の暮れは、東京で一人過ごすことを決めた。

恭介が受験であることも理由にあったが、『一人』になりたかった。

自分を見つめ、自分に問いかける時間が、必要だとそう思った。

カップ麺の年越しそばを食べ、初日の出を部屋から見る。

正月気分が抜ける頃に、散歩ついでに神社を探し、小銭を賽銭箱に放り込む。

どこからきたのかわからない野良犬が、なぜか俺に向かって威嚇のポーズを取る。

新年早々噛みつかれてはたまらないので、さっさとその場所を明け渡した。



新年が開けても、大学はすぐに受験シーズンに突入するため、

あまりスケジュールはきつくない。レポートなど提出するものを早めに仕上げ、

就職指導の担当がセッティングしてくれたOB達の話を聞きに行く。

やはり早めに希望を絞り、対処法を練っていくこと、

それが一番大変だけれど、確実なのだと自信を持った。





3月の頭に、恭介が無事『陵州大学』に合格したことを知る。

祝いに戻ってこいと言われ、わかったと返事をした。

今回の里帰りには、大きく深い意味がある。

不精にしていて伸びたヒゲをサッパリと剃り、特急列車に飛び乗った。





「おめでとう、恭介」

「いやいや、兄貴ほどではないですから」


何を言っているんだと、軽く頭を叩く。

親父もいつもより酒の進みがはやく、母親はお金がまたかかると愚痴りながらも、

やり遂げたという充実感が、あるように思えた。

大倉家は、全体が祝福ムードだった。

俺は、ちょっと外出すると自転車に乗り、

近くのクリーニング店前にある公衆電話に向かった。

テレフォンカードを差し込み、度数があることを確認する。

銀色のボタンを一つずつ間違えないように押し続け、相手のコールを聞いた。

先に電話に出たのは、美咲のお母さんだった。

名前を名乗ると、久し振りだったからなのか、一瞬声が止まる。

それでも美咲はいると返事をもらい、また静かな受話器を握り続ける。

カチッという音が聞こえ、表示されている度数が減っていく。

外を歩く男性と目があったので、すぐにそらした。


東京にいる時、電話をしようかと思ったが、

その場で断られると実家に戻ることすら嫌になりそうで、あえて今日までかけなかった。

恭介には悪いが、今回の里帰りのメインは、どちらかというとこっちの方で、

たった数秒待たされているだけで、鼓動がどんどん速くなる。


『はい……』


確かに、美咲の声だった。

その瞬間、鼓動の速さは限界までと思えるくらいになり、

受話器を持つ手まで震え始める。


「ごめん、急に電話をして」

『ううん……』


向こうが会話を広げてくれるわけがなかった。

俺は、3日間、こっちに滞在するので、どこかで会える時間がないかと尋ねる。


「立ち話でいいんだ。仕事が忙しいのなら、店まで行く」


場所なんてどこだって構わない。話が出来る場所であれば、どこだっていいのだ。

美咲が来てくれること、話を聞いてくれることが重要なのだから。


「仕事は休めないの。休憩時間なら、少し……」

「うん、何時ならいい?」


門前払いにならないことは決定し、まずはよかったと胸をなで下ろす。

美咲に指定された時間を、頭で何度も繰り返し、公衆電話の受話器を置いた。

まだ、汗ばむ季節でもないのに、緊張したからなのか、徐々に汗が増えていく。

電話ボックスから出てくると、外の冷たい風が、妙に気持ちよく感じられた。





次の日、指定された時間に、『金村園』へ向かった。

店の奥にある工場から、数名のパートが姿を見せる。

俺が立っていることに気付いた人が、見たことがあるようなという顔をして、

数秒後に納得したのか頷いた。

名前は知らないが、俺も顔は知っている。

少しだけ頭を下げて、美咲が出てくるだろうと思える、店の裏を見続けた。

美咲は、エプロンを外しながらこっちへ来てくれた。

こうして向かい合って話したのは、どれくらいぶりだろう。


「ごめんな、忙しいのに」

「ううん……こっちこそごめんなさい。ここへ呼んだりして」


俺は、そんなことはないと首を振りながら、逃した時間を取り戻したいと、

本気でそう思った。




第20話

小さな芽を出した駿介と美咲の『恋』、強い風に倒されず、花は咲くのか……
いつも訪問ありがとう、ポチリ……していただけたら、嬉しいです (@゚ー゚@)ノヨロシクネ♪


コメント

非公開コメント