第20話

第20話




3月とはいえ、風はまだ冷たかった。

時折、こちらの気持ちなどおかまいなしに強く吹き、美咲の髪の毛が頬を隠す。


「頭、大丈夫なのか」


夏、恭介から聞いた事故のことを、俺が知っているとは思わなかったのか、

美咲は驚いた顔をした。


「恭介が、偶然見たらしいんだ、駅でのこと」

「そうだったんだ」


美咲の表情を見ながら、嫌な記憶を呼び起こしてしまったと後悔するが、

出した言葉は戻らない。


「もう大丈夫。何度か検査もしてもらったけれど、問題ないから」

「そうか……」


大丈夫だという言葉に、とりあえず安心したけれど、

それと同時に、押さえてきた感情が、前へ前へ出ようとする。

自分の心に落ちつけと言いながら、美咲の顔を確かめた。


「今日、ここへ来たのは、聞いて欲しいことがあったからなんだ」


俺は、あらためて、自分がなぜ東京へきて欲しいと願ったのか、

そのことを話した。窮屈な場所から美咲を解放してやりたかったこと、

そのためにはどんな努力も出来ると、本気で考えていたこと、

勢いで言ったわけではないこと、それを全て告げる。

美咲はわかっていると、何度も頷いてくれた。


「でも、押しつけているだけで、美咲の気持ちには応えていなかったって、
やっとわかったんだ」


美咲がここを出たいと思ったときに、それを支えてやれるように自分がしておくこと、

俺がしなければならないのはそこだったと、もう一度語る。


「気持ちが伝わらないことにイライラして、もういいと言ったのは俺の方なのに、
メチャクチャずうずうしいことはわかっていて、恥ずかしいこともわかっていて、
それでもここへ来た。伝えなかったら一生後悔すると、そう思ったからさ」


選択権があるのは、美咲の方だと、そう話した上で、

俺はもう一度やり直してくれないかと、そう問いかけた。

美咲は黙ったままで、少し困った顔をする。


「困るよな、それは……」

「あまりにも急なことだから」


そう、美咲には急なことだろう。

俺にとっては、何ヶ月も考え続けてきたことだとしても。


「美咲、俺、東京で就職する」


ここへは戻ってこないことを、美咲にしっかりと告げた。

もちろん里帰りはあるだろうけれど、生活の拠点はそのまま東京に残すつもりだった。


「やりたいことがある。付きたい仕事も絞り込んだ。
そのためにこの1年間、頑張るつもりだから……」


東京へ向かった最初の気持ちを、もう一度思い出す。

聞いてはくれているだろうが、美咲は黙ったままで、何も返事は戻らない。


「これ……」


俺が差し出したのは、新しい電話番号と住所だった。

美咲はその小さな紙を受け取り、中を見る。


「気持ちの整理をつけてからの答えでいい。電話、待っているから」


それだけを告げると、その場を離れた。

すぐに頷いてくれるとは思っていなかったし、そんなに甘い物ではないことくらい、

考えてきた。

本当は、もっとあれこれ言いたかったけれど、言えば言うほど、

気持ちが伝わらなくなる気がして、出なくなった。





言うことは言った。やれることはやった。

そう思うことしか出来ないまま、俺は東京へ戻った。





大学4年の幕が開いた。

キャンパスを歩いても、年下ばかりが増える。

まだ慣れていなくて、あちこちをキョロキョロしている学生を見ると、

自分にもこんな時代があったのかと、おかしくなった。


時は、永遠に続くと思われていた景気のバブルがはじけはじめ、

今まで予算のことなど気にしなかった会社も役員も、

先の見えない状況に、あれこれ条件をつけ、お金を出し渋るようになった。

それでも、回るところには、金が動くようになっていて、

決まった公共工事と、その影響ではじかれた公共工事の一覧が、経済新聞に載っていた。

決定工事の中に、聞き慣れた場所の表示を見つける。


本来は、国道何号線という正式名所なのだが、地元では『一高通り』として通っている。

俺たちが慣れ親しんだ通学路は、幹線道路へ続くための補助道路として、

拡張工事の本格的な予算が形づけられた。


「確かにな、流通にとってまずは道路」

「あぁ……面接でも、提出論文でも、ここがポイントだと思っているんだ」


俺が目指す『ボルテックス』は、運輸省や建設省の歴代OBが、

外部役員として名を連ねるのが当たり前の会社だった。

逆に、それだけ業界に幅をきかせていることの証明でもあり、

動いた計画が、途中で倒れることの少ない企業だ。

『ボルテックス』が新しい流通の形を目指し、

地方に物流の拠点を作る計画はすでに公表されていて、

この数年間で、どこに決定するのか、その候補地選びが始まるという予測記事も、

経済新聞を購読し、読み進めているうちに、見つけることが出来た。


「へぇ……大倉君は、そこを攻めるのね」

「あぁ……まさかさ、1年の1番最初の授業で咄嗟に口にした企画を、
4年も経って練り直すことになるとはね」


林原は、それは俺の気持ちの中に、ずっとしまわれていたものなのだろうと、

そう結論づけてくれた。確かに、あの時は咄嗟だった気がしたけれど、

これほど具体的ではなかったが、本当は幼い頃から思っていたのかも知れない。

もっと暮らしやすく、もっとたくさんの人が来てくれるにはどうすればいいのか、

俺だけではなくて、地元で生活する人たちは、みな同じようなことを思っている。


休みになると、ベランダへ出て、風に吹かれるのが好きになった。

本当なら、お風呂上りにビール片手もいいのだろうが、

引越し以来、お酒は全て断っている。

緑の香りが向かってくると、ふと幼い頃のことを思い出した。

虫取り編みを持ち歩くのが、陵州に育つ子供たちの定番で、

田んぼを持つ地元の大人たちは、子供らが虫や小さな魚を追いかけてしまい、

芽や稲を荒らすと、時々大きな声で怒ったりもした。

電話が鳴り出し、思い出の中から現実へ戻る。

受話器を上げると、聴こえてきたのは憲弘の声だった。

風呂のボイラーが壊れたというS0Sに、俺は援助を申し出てやる。

夕方までには向かうというセリフに、いつでもどうぞと言ってやった。


「さて、あいつが来るのなら買い物でも行くか」


財布を片手に部屋を出ようとしたとき、また電話が鳴り出した。

憲弘の予定に変更でもあるのかと思い受話器をあげる。


「もしもし」

『……もしもし』


たるんでいた気持ちが、一気に引き締まる。

かけてきたのは、美咲だった。


「うん……」

『急にごめんね、今、東京にいるの』


俺の予定は、急に変更された。

リラックスしていた服装を脱ぎ捨て、ジーンズに足を通す。

気持ちが焦りすぎて転びそうになりながらも、財布と鍵を持ったかどうかだけは、

きちんとチェックした。


「よし」


部屋の前に張り紙を貼る。

今日中には戻ると言う、とんでもない幅広いメッセージだったが、

それしか約束できなかった。





美咲は、東京に来ていた。

『金村園』の仕事で来たわけではなさそうで、

きっと、3月に聞いたことの答えを出すつもりだと、そう思った。

ダメなのなら、電話で済む。

こうして来てくれたのはいい方向ではないかと思いながらも、

美咲の性格なら、顔を見て謝ることもあるだろうと気持ちが揺れる。

吊り輪をつかみながらも、顔だけはもっと先へ進みたいと、

進行方向から目をそらすことが出来なかった。





美咲が来ていると連絡をくれた場所は、どちらかというと住宅地に近い場所だった。

駅前の喫茶店で待っていてと言ったつもりだったが、

美咲は改札を出てすぐの場所に立っていて、小さなショルダーバッグを肩にかけ、

行きかう人を見ていた。


「美咲!」


俺の声にあげてくれた顔は、3月に会ったときよりも穏やかに見えた。

二人で店に入り、それぞれが注文する。

美咲は、急に呼び出してしまって申し訳なかったと謝った。


「そんなことはいいんだ」


ウエイトレスが俺にコーヒーを、美咲にオレンジジュースを置く。

そして頭を下げると、すぐに立ち去った。


「ごめんね、ずいぶん遅くなってしまって」


どんな返事になろうが、それを真摯に受け止めよう。

ほんの数秒の間に、俺はそう思った。


「駿介が3月に来てくれて、もう一度やり直そうと言ってくれたとき、
本当はすごく嬉しかったの。もう、そのまま『はい』と答えたいと思ったくらい」


体全体から、大きく力が抜けていくのがよくわかった。

普通に暮らしていたつもりだったのに、何枚も鎧をつけていたのかと思うくらい、

身軽になる。


「でも、次の瞬間に、あの日のことが頭に浮かんでしまって」

「あの日?」

「私、一度、東京へ行ったの」


美咲の言葉に、玲が言ったことを思い出した。

1年前の2月、美咲が一人で東京に出てきたと言ったのは、本当だった。


「もしかして、アパートの前で待っていたのか」

「うん……もう、終わりだって言われたのにね、
急にもう一度会いたいって思うようになって、気付いたら、電車に乗っていた」


やはり、梨花が気付いたことは、美咲のしたことだった。

俺を待つ間に、共同の廊下を掃除し、ゴミをまとめてくれたのは美咲だった。


「会えば……話をとことんすれば、きっとわかってくれると思った。
でも、私の前に駿介が現れたときには、隣に女の人がいて……」


実家から米が送られて来たと梨花に話し、自転車で一緒に取りに来た。

美咲はその姿を見ていた。


「駿介も、隣にいた彼女も、とっても幸せそうだったの。あぁ、そうか、
なんとかなると思っているのは、私だけだったんだって……」


美咲は俺たちがアパートに近付く直前に、階段を下りた。

あの頃は、確かに一番美咲から気持ちが離れていた頃だろう。


「彼女は? どうしてしまったの?」


美咲の言葉に、どれだけ自分がむごいことをしたのかと、気持ちが重くなる。

それでも、前に進むことしか出来ないと、顔を上げた。


「彼女とは、秋に別れた」


梨花の背を向けた姿と、頬が赤くなるほど叩かれた感覚が、頭の中に浮かんだ。




第21話

小さな芽を出した駿介と美咲の『恋』、強い風に倒されず、花は咲くのか……
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