第30話

第30話




杏奈さんはその日、スケッチの構図を決める作業に取り組み、何枚かの写真を撮った。

俺は予定になかったが、そのまま『金村園』に向かうことを決める。

1時間ほど前、ここを通っていった玲の親父は、俺の隣に杏奈さんがいたことを見て、

確かに笑った。

杏奈さんが誰なのかわからなかったにしても、美咲ではないことは確かで、

また余計なことを言われることを避けたかったからだ。

それと同時に、冗談でも俺のことを杏奈さんの相手にと言ってくれた部長に対し、

美咲がいることを、間接的に杏奈さんから伝えて欲しいという意図もある。


「ごめん杏奈さん。すぐに用事を済ませるから」

「いえ……」


偶然とはいえ、榎本の家の漬物を見つけた。

これを土産だと言えば、美咲も喜んでくれるだろう。

俺は駐車場に車を止め、店の中をのぞく。店にはパートの女性が一人いて、

美咲の姿は見えなかった。


「美咲なら、お兄ちゃんと注文を取りに行っています」


後ろから聞こえてきたのは玲の声だった。

振り向くと、一応『金村園』の制服に身を包んでいる。

さすがに少しは手伝いをするようになったらしい。


「あ……そう」


玲と話をする気にはあまりなれなかった。

どうせまた美咲の悪口を言うに決まっている。


「あの人誰? 噂の部長の娘さん?」

「うるさいな、変な言い方をするな」

「あら、変な言い方って何よ。同級生の出世だもの、いいことでしょ」


車の中に座っている杏奈さんに向かって、玲は頭を下げた。

杏奈さんは中にいるのが申し訳ないと思ったのか、車をわざわざ下りて、

頭を下げている。


「福山部長のお嬢さんですか?」

「あ……はい」


杏奈さんには罪はない。

わざわさ聞いていく玲が悪い。


「玲には関係ないだろう」

「関係はないですよ。でも、別に知ったっていいでしょ。
へぇ……それなりに色々あるのね、駿介も」

「それなり? 別に何もないよ」


玲は俺が頼んでもいないのに、自分が俺の同級生であること、

少し前まで東京に住んでいたことを、杏奈さんに対して勝手に語りだす。

人の慌しい話が苦手の杏奈さんは、すっかり玲に押されっぱなしだった。


「駿介は結構慌てものなんですよ。だから、よろしくお願いしますね」

「あ……いえ……その」

「玲、余計なことを言うな!」


失敗した。連れてこなければよかった。

美咲がこの時間にいないなど、全く予想もしていなかった。

俺が困った顔をしていると、玲は手に持っていた袋をいきなり取り上げる。


「ほら、貸しなさいよ。美咲に渡せばいいんでしょ」

「あ……うん」


どうして漬物なのかと玲に聞かれ、一応榎本の店だと話をしてやった。

玲も『坂田中学』の同級生で、しかもサッカー部のマネージャーだ。


「榎本君?」

「うん……あいつ、三田村の方へ越したって聞いたから。
今日、偶然サービスエリアで見つけたんだ。2袋あるから、1つはお前にやるよ」

「へぇ……そうだったんだ、どうしたんだろうとは思っていたのよ、
また商売しているんだ、よかったね」

「うん」


美咲に対してはとんでもなくおかしな態度を取る玲だけれど、

榎本の話を聞いた時には、本当に嬉しそうな顔を見せた。

同級生のことは、いつになっても気になるものだ。

結局、後から電話するということで、俺は大倉家に車を向けた。

美咲と会いたかったのは山々だが、そもそも予定外の行動だ。

いつ戻ってくるかもわからない人を待つのは、杏奈さんに失礼だろう。

その夜、うちで夕食を済ませた杏奈さんをホテルまで送り届け、

車は奥さんが到着するまでホテルで預かってもらうことにする。

そして俺はタクシーで駅へ向かい、日帰りで東京へ戻ることになった。





東京のアパートへ戻り、時計を見ると、夜の11時を示している。

それでも、どうしても気になり、申し訳ないと思いつつ、美咲の家へ電話をした。

美咲も薄々感じていたのか、1度目のコールですぐに出てくれる。


「ごめんな、こんなに遅く」

『ううん……きっとかかってくると思っていたから』

「そっか……」


俺は、榎本の家の漬物を、玲から渡されたのかと尋ねてみる。

美咲は確かに受け取ったといい、『よかったね』と口にした。


「うん……」


あいつが地元を逃げるように出て行ってから、1年近くになる。

どこにぶつけたらいいのかわからない怒りを、思い切り浴びせられたけれど、

それでも、あいつとの思い出はそれに勝るほど数がある。


「なぁ……」

『何?』

「おじさんや玲に、余計なことを言われなかったか?」


美咲のことが気になった。

あいつは絶対に泣き言を言ってこない。『大丈夫』だとか、『気にしないで』とか、

そういう相手に気をつかうセリフが、体中にしみ込んでいる。


『何かって?』

「俺が杏奈さんを連れて、『金村園』に顔を出したから」


美咲に会いに行ったのに、会えなかった。

誤解されたくないという思いからしたことなのに、うまくいかなかった。


『部長のお嬢さんが、とてもかわいらしい方だったって、玲ちゃんが言っていたけど』

「うん」

『そうなんだって、軽く返しただけよ』


こんな電話の会話では、その言葉を信用するしかない。

俺は美咲に、なぜ杏奈さんを連れて行ったのかを説明し、

誤解のないようにと付け加えた。





杏奈さんのスケッチは無事終了し、3日後、東京へ戻ってきた。

向こうでは迷惑をかけましたと、実家にはすぐ、部長の奥様から電話が入り、

たいしたことは出来なかったと、母親は受話器を持ったまま、何度も頭を下げたと、

恭介から連絡をもらう。


『なぁ、兄貴』

「なんだよ」

『話の続きを語ろうか?』


なんとなくは予想がついたものの、その事実にはとんでもなく大きなヒレがついていた。

『晴日台』で、俺たちに会った人たちは、

やはり事業展開に何か影響があるのではないかと口々に噂し、

そして、一度は消えかけた部長の娘さんとの婚約話が、その上に張り付いた。

杏奈さんが大倉家を訪れたのは、挨拶ではないかとか、

俺がそれによって出世をするのではないかというような、

根も葉も何もない話が、勝手に膨らんでしまう。


「ホテルへ押しかけた?」

『あぁ、次の日、お嬢さんがホテルを出ようとすると、
薮本さんが勝手にタクシーを横付けしてあったらしくてさ』


俺は、誰にも言わなかったのに、

なぜ、杏奈さんが2つ先の駅にあるホテルへ泊まったことを知っていたのだろうかと、

つぶやいた。恭介は簡単なことだと笑っている。


「簡単?」

『薮本さんと、あのホテルのオーナーは幼なじみなんだって』


狭い……田舎は色々と狭すぎる。

杏奈さんは電車で行きますと言ったらしいが、あの性格で押し切れるわけもなく、

結局、薮本さんの思うままに送り迎えとなってしまった。

次の日は、気を使った奥さんが、きちんと車を呼び、料金を払ったと聞かされる。

なんのために車をホテルに置いたのか、それでは何も意味がない。


「いったい、いつまで浮かれているんだ、あの町は……」

『兄貴がツーショットなんて見せるからだよ』

「ツーショット? 恭介、お前……」

『わかってるよ、それは違いますって、毎日言って回っているから。
まぁ、それを信じるのかどうかは、わからないけどね』


わが家族の口から真実を広めてもらうしか、今のところ方法はない。

俺は『頼むな』と言い、そしてその電話を切った。





話はどこでどう転ぶのかわからない。

スキャンダルで退いた大臣に代わり、『エコ』を訴えた若手の議員は、

その『エコ』企業から賄賂を受け取っていたことがわかり、

政権全体が揺るがされるような大騒ぎが起きる。

企業との密着な関係から票を得ている与党は、確実な票を失うわけにはいかないと、

『ボルテックス』が待機させていた工事に、一気にGOサインが出されることになった。

少し足踏み状態だった工事は、一気に進み始める。

しかし、もう一つの懸案事項は、急にストップがかかってしまった。


「契約無効?」

「うん……」


東京へ出てきた美咲に聞かされたのは、

お父さんが契約を済ませたはずのアパートの大家が、

過去の事件を知り、無効にしてほしいと願い出てきた話だった。

現在の社長が、かばうようなことを言ってくれたが、大家は首を縦に振らず、

引越しは流れてしまう。


「どうしてそんな話が出てきたんだ」

「今、また探しているの。だから少し出てくるのが遅れるかもしれない」

「うん……」


美咲は、俺の質問に答えようとはしなかった。

その代わりというわけではないが、これからどこかに出かけないかと言い始める。


「どこかって?」

「駿介のアパートもいいけれど、たまにはホテルにでも泊まりたいなって」

「ホテル?」


美咲は、夜景が綺麗に見えるような都心のホテルに泊まって見たいと言い始めた。

俺は明日仕事があると言うと、そこから出社すればいいと譲らない。

美咲らしくない、押しの強さ。


「私、ずっと我慢ばかりしてきたでしょ。
なんだか近頃、気持ちが落ち込んでばかりなの。気分転換にもなるし……ダメ?」


どこか違和感を感じながらも、贅沢だなんて言えなかった。

美咲は、高校時代からずっと、何かのために動いている。

『金村園』のため、父親と母親のため、そして俺のため。

確かに我慢ばかりしてきたというのは本当で、気分転換になるというのなら、

その思いをかなえてやりたいという気持ちも、俺にはあった。


半年前にリニューアルしたホテルに、予約もなしで向かってみると、

思っていたよりも簡単に部屋が取れた。

贅沢がしたいと言った割には、最上階はもったいないと、

それよりランク下の部屋を選び、エレベーターに乗る。

隣に並ぶ美咲の顔は、本当に嬉しそうだった。

付き合い始めてからの月日を思い出し、

どうして今までこういうことをしてやらなかったのかと、自分で反省する。

カードキーを差し込み、部屋へ入ると、美咲は一番最初にカーテンを開けた。


「うわぁ……」


東京タワーが目の前に見える。

他にも並ぶ高層ビルたちが、競争するようにライトをつけ、

下を走る車も、出来る限りの光りで演出に加わった。




第31話

小さな芽を出した駿介と美咲の『恋』、強い風に倒されず、花は咲くのか……
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