第34話

第34話




美咲はやはり『妙谷温泉』へ来ていた。

両親との思い出がある場所。しかし、それはすでに5日前のことだということがわかる。


「5日前ですか」

「うん。ここで仲居でも下働きでも何でもしますから、雇ってくれませんかって、
ねぇ……そうだよね、この子」


暖簾の中にいた仲居さんが数名顔を出し、そうだそうだと頷いてくれた。

今時、直訴してくる人などあまりいないため、印象に残っているらしい。


「でもね、妊娠しているって聞いて、それはダメだって断ったんだよ」


妊娠……

やはり美咲は、子供が出来ていた。


「うちにもね、子供を抱えて仕事をしている人はいる。保育園も町にはあるしさ、
産んだ後ならなんとでもなるけれど、まだ妊娠3ヶ月くらいだというから、
それは無理だよって」


3ヶ月。

美咲のお母さんが見た、具合が悪そうにしていた姿というのは、

つわりだったのだろう。


「ここは山奥だしね、何かがあって産婦人科となると、車でも1時間以上かかるからさ、
ちょっと保障できないよって、そう言ったら寂しそうな顔をしたけれど、納得してくれて、
1泊していったんだよね」


両親との思い出がある旅館に、美咲は一人で宿泊し、次の日ここを出て行った。

旅館の女将さんは、とりあえず『観光協会』と一番大きなホテルの名前を教え、

聞くだけ聞いてみたらとアドバイスをしたという。

俺はその足取りをたどるように、『観光協会』へ向かい、

美咲が来た事実を聞き、ホテルの支配人さんにと会った。


「うん……そうだね、彼女だ」


支配人は、最初の旅館が言ったことと、ほぼ同じようなことを美咲に伝えていた。


「こんな田舎で探すよりも、意外に東京のような大きな場所の方が、
色々と道はあるんじゃないのかって、そう言ったんだよ」

「東京……ですか?」

「僕はね、人情映画が好きでさ。ほら、よくあるじゃない、小料理屋の女将さんの話し。
旅で出会った見知らぬ人の苦労話を聞いて、よし、私がひと肌脱ごうってやつ……
お兄さん知らないか?」


小料理屋の女将さん、人情映画。

さすがにこの年で、好んで見ることはない。

まる1日かけた『妙谷温泉』での時間も、美咲の足取りを少し知っただけで、

今の場所につながるようなものは、見つからなかった。



しかし、美咲が本当に妊娠していること、

そして、その事実を俺には告げないまま、姿を消してしまったこと、

本人不在のまま明らかになる真実だけが、肩にのしかかった。





状況の報告を終え、東京に戻る。

仕事はこっちの事情などお構いなしに、順調に進んでいた。

あらたに大臣となった人の後押しもあり、『ボルテックス』の事業開拓は、

経済新聞などにも特集を組まれるほどになり、その中心部分を担っている福山部長も、

とんでもない忙しさの中にいた。


「はい、駿くんどうぞ」

「ありがとう」


あれほど就職には向かないのではと思われていた杏奈さんが、

都内の会社に内定したという連絡をもらったのは、3日後のことだった。

福山部長が俺を誘ってやれと言ってくれたらしく、

久しぶりにインターフォンを鳴らすと、ちょっぴり大きくなった柚奈ちゃんが、

出迎えてくれた。


俺の目の前に、大皿料理があれこれ並びだす。

部長は先に会社を出たが、すぐに戻れないところを見ると、

許可がおりないのだろうか。


「美咲さんだっけ? ご両親、お引越しできそうなんでしょ」

「あ……はい。そうでした。部長のおかげで助かりました。
ありがとうございました」


そうだった。家に上がる前に、言わなければならないことだったのに。


「いえいえ、主人も話を聞いて、何か役に立てばと思っただけでしょうから、
ねぇ、落ち着いたらうちにもつれてきて。杏奈がね、『陵州』で、
大倉君の彼女に会えなかったのだけが残念だって、ずっと言うのよ」


俺は『はい』と言おうとしたが、その言葉は口から出て行かなかった。

本当に心配してくれている人たちに、ウソはつけない。


「実は……」


わかっている。話でもどうにもならないことだと。

それでも、胸の中にしまいこんでおくことが、出来なかった。

美咲のことを心配し、家族のことを心配してくれた福山部長のご家族だから、

今、現実の話を、そのまま語ってしまう。

美咲は今、どういう状況にあるのかわからないこと、

その責任は全て、自分自身にあること。

奥さんは食事の支度をする手を止めて、俺の話しに耳を傾けてくれる。


「それじゃ……一人で?」

「はい……」


奥さんは、福山部長が冗談で言ったことが、大きくなってしまい、

結局、迷惑をかけたと申し訳なさそうな顔をする。

俺は、それは違いますときちんと否定し、『陵州』という場所が抱える、

もっともっと大きなものがあるのだと、説明した。


「警察にも届けたの?」

「はい……お願いしてあります」


そう、お願いはしてあるものの、成人した女性を探すというのは、

そう簡単なことではなかった。しかも、誘拐されたわけでもなければ、

事件に巻き込まれている可能性も少ない。

自分の意思で消えてしまった人を見つけることは、こちらが考えているよりも、

やっかいなことだった。





部長の家で食事をご馳走になり、電車に揺られてアパートへ戻る。

どこかに何か、美咲が訪れた形跡がないかと、見回すことが日課になった。

留守番電話の録音マークがあると、もしかしたら美咲ではないかと鼓動を速め、

受話器を強く握るが、ほとんどが実家かレンタル店からのお知らせで、

力が入った状態から、一気に抜けていく。

カレンダーは8月から9月に入り、美咲が待ち望んでいたはずの引越しが行われ、

美咲のお母さんは8年ぶりに夫婦で一つ屋根の下に暮らすこととなった。

以前住んでいた場所とは違うが、駅から10分ほど歩いた場所にあるアパートは、

日差しのよく入る3DKになる。

俺は、引越しが無事に終了したとお母さんから連絡を受け、

あらためて挨拶に向かうことにした。


「申し訳ありません」


美咲のお父さんに会うのは、初めてだった。

出来たらこんなふうに会いたくはなかったが、それも自分の責任であり、

ただ謝罪するしかない。

顔をあげてくださいと言われ、視線にとらえたその顔は、目元が美咲によく似た、

優しそうな男の顔だった。


「大倉君……そんな謝罪はしなくていい」

「いや、でも」

「家内から、美咲と君の話は聞きました。美咲は君が支えてくれたからこそ、
『陵州』で頑張ってこられたのだと……頭を下げるのは、私のほうです」

「いえ……」


ここに笑っている美咲がいるのなら、お父さんの言葉をありがたく受け取るところだが、

それは受け取れないことくらい、自分が一番わかっている。

たとえ、支えていたのが俺であっても、それは過去のことになってしまった。


「大倉君」

「はい」

「私はね、美咲があなたの子供を授かって、初めて自分で行動したのだと、
そう思っているの」


美咲のお母さんは、美咲は今まで、自分を最後にして、いつも我慢してきたといい、

その思いは一生抜けることがないのだろうと考えていたことを語ってくれた。


「初めて『守らなければならない人』が出来て、勇気を出したのよ。
ここを出るんだって……」


美咲は、妊娠をしたことで強くなったのだから、決して人生を諦めたりはしないと、

逆に励まされた。気持ちの整理がついて、落ち着けたときに、

きっと連絡があるはずだと、肩を叩かれる。


「器用じゃない子なんです。どうかもう少し待ってやってください」


『待つ』ことなら待てる。

しかし、美咲は本当に俺のところへ戻ってくるだろうか。

俺の子供を妊娠したのなら、どうして東京へ連絡しないのか、

もしかしたら、美咲の意に反した形で、誰かに気持ちを弄ばれでもしたのではないかと、

考えても仕方がないことまで、あれこれ浮かび上がる。

口には出せない思いだけが膨らみながら、また日常生活に戻った。





「それでは、今日の打ち合わせを終わります。何かあるか」


書類を閉じ、ファイルに押し込む。

『ボルテックス』は国内での事業拡大に士気が上がり、

更なる土地を求め、海外にも進出することが発表された。

駿介の会社だと思うと、こっちまでわくわくするよと禎史や憲弘から連絡が入り、

久しぶりに東京で会わないかと、話しが盛り上がった。

大学時代の仲間と、その後の話が出来るのは、近頃落ち込んだ自分にとって、

ちょっとしたリフレッシュになるかもしれない。

カレンダーが進むことは、美咲の状況が変わることでもあって、

嫌な思いだけがしていたけれど、

少しだけ進むことも悪くないのではと思える午後だった。





『陵州』の視察から戻った高瀬先輩に写真を渡される。

建物の骨組みは出来上がり、さらに形が明らかになっていく。

流通をリードするための『一高通り』の拡張工事も終了し、

どんどん『ボルテックス』を迎えるための準備が整っていく。

胸ポケットに押し込んでいた携帯が揺れ始め、俺は通話ボタンを押した。


「もしもし……」

『もしもし……お前のビルはでかいな、駿介』


その声を聞いた瞬間、心臓が大きく音を立てる気がした。


『今、東京に出てきているんだ。目の前の喫茶店にいる。
社内に入っていこうかとも思ったけれど、迷いそうだから、お前が出てこいよ』

「……榎本……」


家の買収騒ぎで、『陵州』を出て行った榎本からの連絡に、

俺は、電話をつないだ状態のまま、『ボルテックス』を飛び出していた。




第35話

小さな芽を出した駿介と美咲の『恋』、強い風に倒されず、花は咲くのか……
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