1 かわいくない女 【1-5】

【1-5】

次の日は雨。

傘から落ちる雨のしずくで濡れた駅の構内を、滑らないようにして歩く。

地下鉄の駅を上がれば、すぐに職場というのは、こんな天気の日には本当に便利だと思う。

セキュリティーカードをかざし、扉を開け、そのまま更衣室へ向かった。

同じくらいの時間に来た同僚達と挨拶を交わし、席へ向かうと、

主任に呼び止められる。


「有働副支店長のところへ……」


避けておきたい声を、また聞かなければならない。

その日の天気と同じように、私の心に重い湿気がまとわりついていく。

それでも断る理由はどこにもないため、私はすぐに指定された場所へ向かった。

昨日と同じようにノックをし、扉を開ける。

梶本君が私よりも先に、中へ入っていた。


「米森さん、忙しい朝に申し訳ないが、今日からしばらく梶本を使って、
『成和』側から持ち込んだ顧客リストと『東日本』のリストの照らし合わせを
お願いしたい」


有働副支店長から言われたのは、

駅を挟んだ形で支店同士が向かい合っていた『東日本』と『成和』が合併し、

同じ店舗で取り扱うことになった取引先のリスト整理だった。

基本的には合併前に打ち合わせをしていたが、

中には、両方に口座を持っている取引先もあり、

引き落としの確認を機械任せにしない方が、問い合わせの対応もしやすいという。


「わかりました。まだシステムに慣れていないところもありますので、
梶本君に教えてもらいます」

「いえ、こちらこそ、『森口支店』のことはわからないことが多いので、
教えてください」


梶本君は、昨日エレベーターのある場所で会ったときと同じように、

明るい笑顔でそう返してきた。


「梶本、しっかりと指導してもらえ。米森さん厳しいそうだぞ。
曲がっているものは、たとえ数ミリでも許さないくらいにな」


突然の言葉に、梶本君は驚くような顔をする。

副支店長……いや、謙の目は、また私の心の中を見透かそうとしていた。



彼の部屋にあった、スタンドの角度が変わることが嫌だった。

朝、目覚まし時計を動かすときに、手が触れてしまい、

角度が変わるのだと謙は笑ったが、

私はベッドの上で重なり合う自分たちを照らす光が、

どこを向くのかを、常に気にしていた。


「数字にこだわるのは、この仕事を選んだ以上、仕方がないことだと思いますが」


謙はそれはその通りだと意見を認め、

終了した時点でもう一度報告を入れてくれと、私達を送り出した。





ゼロの数、日付の確認、とにかく目に入るもの全てが数字の羅列。

1時間資料を見続けて、少し休憩を入れた。

梶本君は立ち上がり、大きく背伸びをする。

目の前に立たれると、身長も高く、

どうして『モデル』という華やかな世界を選ばなかったのか、それが気になった。


「はい、コーヒー。砂糖とミルクは横にあるけれど」

「すみません、ありがとうございます。俺、どっちもいらないです」


梶本君はブラックを好むらしく、

私はスティックシュガーを半分ほどカップに入れ、軽くかき混ぜる。

資料を置いた場所から離れた椅子に、間を一つだけ空けて座った。

私が浮かんだ疑問を尋ねると、彼は悩む素振りもなく、すぐに答えを返してくる。


「疲れる?」

「はい、友達の勝手なエントリーで、
『北大』のミスターコンテストなんてもので優勝して、
それからは、興味心でとりあえず仕事を数本しましたけれど、
やればやるほど疲れてしまって。元々、目標があったわけでもないですし、
絶対にという強さもなかったからでしょうね」


梶本君は、正式に契約を更新し、さらなる舞台を目指そうと言ってくれたスタッフに、

自分には向かない世界だと宣言し、潔く足を洗ってしまった。

収入は、アルバイトでやっていたモデル時代の半分になりましたと、笑っている。


「半分に? もったいないじゃない」

「……ですかね。俺にはそれでも、今の方がいいです。
なんだか縛られることが多くて、面倒でした」


縛られるというのは、どういうことだろう。

少しその先を知りたい気もしたが、あまり深く聞くのは、

逆に興味を持っているように思えるので、やめておくことにした。

私が梶本君の過去を知ったところで、仕事の効率もあがるわけではないのだから。


私のカップの中にあるコーヒーは、そろそろ終了する量なのに、

梶本君のカップはなかなか減っていかない。

どうせ同じ仕事を進めていくのだからと、それからは少しゆっくりと飲むようにして、

歩みを揃えた。





「ねぇ、梶本さんはいつならOKですか?」

「いや、特にないですよ、いつでも」


いつもなら仕事など面倒だと言って、避けて通ろうとする高野さんが、

『東日本』と『成和』の合流歓迎会だと言い、幹事を自ら引き受けた。

その半分を梶本君に押し付け、積極的に時間を作ろうとする。


「俺はあまりここら辺を知らないので、店の選択は任せます」

「そう? そうですか?」


私はいつもの通り長いデスクの端に座り、自分が作ってきたお弁当を広げた。

そこへ会議を終えた副支店長2人が、急に入ってくる。

少し歓迎会の打ち合わせで浮かれていた空気は、一瞬で張り詰めた。


「『東日本銀行』は休憩室が広いですね」

「そうですね」


謙と一緒に、『成和』から副支店長として入ってきたのは、

『東日本銀行』と道路を挟み、向かい合うように立っていた、

『成和銀行』の閉鎖された支店にいた人だ。

しかし、来年の3月には定年が決まっているベテラン行員。

特にこれから何かをして、出世しようなどという気持ちもなさそうで、

仕事を任されているというより、謙へ引継ぎをしているように見える。

結局、『東日本銀行』とのバランスがあるため、山田支店長を上に置いてはいるが、

森口支店を実質的に仕切るのは、やはり彼なのだとあらためて思った。


「みんなは昼食を買ってくるの? それとも作ってくるの?」

「朝は起きるだけで大変なので、お弁当まで出来ませんよ。
それに、駅前のお弁当屋さん、結構美味しいですし、
ワンコインランチなんですけど、種類が多くて……」

「私も、1年目は母に頼んでいましたけれど、今は買いに行きます」


高野さんと井上さんは、

揃ってこのあたりの店は美味しいところが多いと、語り続ける。

二人とも料理はあまり好きではないらしい。


「そうか、二人ともお弁当を作らないのか。男は女性の手料理に弱いんだぞ」


この意見に、高野さんと同期の井上さんが、そんな考え方は古くないかと言い返した。

謙は、二人の考えに首を傾げる。


「梶本も思うだろ、女性の手料理は魅力的だって……」


若い女子行員に押され助けを求めたのは、

同じようにランチを買ってきた梶本君だった。


「梶本さんも、そう思いますか?」


高野さんは、お気に入りの梶本君の意見はどうなのかと、不安そうに聞き返す。

梶本君は愛想笑いを浮かべた後、そんなにそこにはこだわらないと控えめに言った。




【1-6】

かわいくない女に、素敵な恋は訪れるのか……
ぜひ、最後までおつきあいください。
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