2 余計なことをする男 【2-5】

【2-5】

「そう毎回睨むなよ。乗る電車が同じなのは仕方が無いだろう」

「別に睨んでいるわけではありません。二次会には行かれないのですか」

「上司が出て行く会など、若手が望まないことくらいわかっているからね」


そこからは何も語ることなくホームへ降り、入ってきた電車に乗った。

週末の少し遅めの車内は、飲み会を終えた人たちや残業を終えた人たちで、

いつもよりも混雑している。

私は、奥へ進もうとするがなかなか思うようには入れず、

中途半端な場所で止まってしまった。

ベルが鳴り、電車はゆっくりと動き出す。

私は、なんとかつかまる場所を探し、居場所を確保した。

景色など何も見えない地下鉄の中で、ほとんどの人が黙ったまま揺れに身を任せる。

少しきつめのカーブにさしかかったとき、思いがけない負荷がかかり、

私の手が吊り輪から離れてしまった。

揺れに引きずられそうになった体は、謙に支えられる。

そして私は、彼の腕に包まれた。


見覚えのある顔と、聞き覚えのある声と、

そして懐かしい香りが、私の気持ちをまた乱していく。


「無理をするな、寄りかかってくれたらいい」


それでも、その行為を受け入れる気にはなれず、無理やり体を動かそうとしたが、

周りの人から何をしているのかという目を向けられる。

これ以上、無理に動くのは難しそうだった。

謙の手が私の首筋を捕らえ、ネックレスに触れる。



その時、私はあることを思い出した。



形が気に入っていて、長い間身につけているこのネックレスは、

彼が誕生日に買ってくれたものだった。

向かいあう謙の顔には、それをわかっているという軽めの笑みが出ていて、

私は思わず下を向いてしまう。


「今は、これでいい……」


次の駅で人が動き、私は謙の腕から逃れると、少し先にある吊り輪に捕まった。

謙は人の流れと一緒に、電車を降りていく。

ここで乗り換えて帰るのだと、目だけが男を追いかけた。

駅員の声が響き、出発の音がする。

一瞬の時を終えた電車は、また別の場所に向かって走り出した。

見えていた謙の姿は、あっという間に消えていく。





失敗した。

私はこのネックレスが彼からのプレゼントであることなど、すっかり忘れていた。

ヒールをカツカツさせながら部屋に戻り、ちぎれてもいい勢いで首から外すと、

腹が立つからとテーブルに放り投げる。

さらにスーツを脱ぎ捨て、私はそのままベッドへ向かった。

二度と振り返らないと決めていた過去なのに、謙の腕の力を思い出すと、

どうしようもない感情が起こり始め、私は体を丸める。


嫌なのに……あんなふうにまた裏切られることがわかっているのに、

謙が『愛している』のは自分だけで、私のことなどその思いを遂げるだけの存在。

それでも……



あの時が戻るのなら……

あの悦びがまた、私を貫くのなら……



そう思う身体をどうにかしようと立ち上がり、お風呂場へ向かう。

全てを脱ぎ捨て、体にシャワーを浴び続ける。

謙に抱く思いを、流してしまいたい。



私はどうしようもないものを引きずっている、自分の体を抱きしめた。





仕事をしながら、何げなく前を向く。

謙は当たり前のように目の前を歩き、他の行員に声をかけた。

仕事の仕方、報告の仕方、デキル上司として完璧な動きを見せる。

私は必死に彼から目を逸らすが、気付くとその唇に思いが向かってしまう。

このままでは、ダメなのに……





「有働副支店長って、単身赴任なんですか?」

「あぁ……合併して、どれくらいで落ち着くのかわからなかったからね、
家は妻の実家に近いし、しばらくは単身赴任だ」

「それは寂しいですね」


いつものように食事をしているのに、聞きたくない話が耳の中に勝手に入ってくる。

謙はあの後、どこかのマンションに一人で戻ったのだ。


「寂しいかぁ……いや、寂しいと思う暇はないよ。仕事が忙しくて」

「そうですか……」


井上さんは、憧れに近い眼差しで謙を見ていた。

冗談だとは思うが、私がお世話をしにいきましょうかと、声をかける。


「井上さんが?」

「はい、私が副支店長のために動きます」

「それはありがたいけれど、嫁入り前の娘さんを、男一人の家に出入りさせるのは、
たとえ上司でも遠慮しないとね」

「エ……やだ、副支店長、私のこと襲っちゃうつもりですか?」


謙はそんな話題にも、おもしろくユーモアをまじえて返していく。

どこまでもスマートな対応は、昔と変わらない。



『一緒に、飲まない?』

『いや……部屋へ呼ぶのは失礼だろ』



あくまでも紳士的に振舞うのが、彼のやり方だ。

洒落た場所で心を許しあい、寂しげな顔を見せられると、

女は彼を自分が守ってあげなければならないのではないかと、思ってしまう。

あの頃の私もそうだった。

彼は苦しんでいるのだと勝手に思い込み、自分を差し出した。

一緒に感じあうことが増えていけば、私がいずれ、一番になれるのだと、

そう疑わなかった。



『東日本をやめる事になった』



別れは突然にやってきた。いつもと変わらない日の中で、

彼は自分の居場所が変わるのだとそう宣言し、私の前から消えていった。



そばにはいなかった、別の人を選んで……



そう、頭ではわかっている。

だけれど、もう一人の自分が、彼の声と、そしてささやく言葉に、

また後戻りをしようとする。

その日はほとんど誰とも話さないまま、仕事を終えるとすぐに支店を出た。




【2-6】

昔の彼と、隣の後輩に振り回される歌穂……
『恋』する気持ちは、どこかに落ちているのか。
1日1回、読みましたの拍手、ランクぽちもお願いします(@゚ー゚@)ノヨロシクネ♪


コメント

非公開コメント