3 愛だけに生きる女 【3-1】

3 愛だけに生きる女


【3-1】

ここがなんというホテルで、どういう料金の部屋なのか、

私の頭は、余計なことを考えてしまう。

名前も知らない、どこに住んでいるのかもわからない男は、

初対面だと言うのに、挨拶をして名刺を交わすこともなく、

いきなり私の身体をベッドに押し倒した。



社会人としては、完全にマイナス点だと思う。



目の前にいる男は、何度かキスをして、人から服をはぎ取ると、

あらわになった肌に唇を押しつけ、嬉しそうに舌を動かしていく。

そしてとりあえず程度に指を遊ばせた後、状況に納得できたのか、少し微笑んだ。


ベルトを外す音が、天井を見つめる私の耳に届く。

これから私は、名前も住所も知らない男を受け入れることになるのだろう。



『感覚』だけを、得るために。



そして男は視界の中に戻ると、私の脚を開き堂々と割り込んできた。

思わず、口から吐息が漏れる。



私はもっと、お酒に弱いかと思っていた。

隣にこの男が座ってから、こうなることは予想していたけれど、

あれだけ飲んでしまえば、何もわからなくなるだろうとそう思っていた。

身体は自由が効かないのに、頭だけはなぜかしっかりしている。


『感覚』だけが、身体に伝わればよかったのに、

残されていた思い出だけが、消えてしまえばそれでよかったのに、

目の前で、嬉しそうに荒い呼吸をする男の顔が、妙な気分にさせていく。


私は、自分が二つに割れてしまったような気分だった。

心地よさと無の世界がここに共存し、目だけは冷静に男の動きを追っていた。

私が出会ってしまったのは、人ではなくて、盛りのついた犬だろうか、

激しい息づかいだけが耳に届き、『愛の言葉』も『力強いセリフ』も何一つなく、

ただ必死に欲望だけをあらわにし、目の前で揺れている。


「はぁ……」


そう……きっと上に重なっているのは、人の形をした犬なのだろう。

だとしたら、私も同じ犬になって、『メス』としての思いを出せばいい。

心地よさだけを追い求めて、後のことなど、考えなければいい。

男の動きが少しゆっくりになり、与えられた動きに慣れてきた頃、

私は自ら腰を浮かし、刺激を深く受け入れる。

自然と唇からは声が漏れていき、男は私の身体を支えると、

少し汗ばむ胸元に強く唇を当てた。


所詮、男と女の関係など、満たされたらそれで終わるもの。

長い間、何も感じさせなかった私自身に、別の感覚を刻み込めば、

謙への思いと、刻まれた記憶はきっと、消えていくはず。



あの人を見て、嫌な気持ちになったのは、

また『抱きしめて欲しい』などという、くだらない感情が出てしまったからだ。

謙は私のことなど、本気で愛したことはないのに。


顔なんて見なければいい。犬でも猫でもかまわない。

何をして欲しいなど、何も言わなかった。

私はただ、男の言うままに横になり、そしてメスになり続ける。

2つの胸を揺らし、男を受け入れ、そして力尽きて動かなくなるまで、

ただその行為につきあった。





ここに来てから、どれくらいの時間が経っただろう。

生ぬるいような空気と、どこか湿った匂い。

全てを終え横になり、長めの息を吐き出した男は、そこで初めて私に名前を聞いた。


「名前?」

「あぁ……」

「東山花子」

「……本当に?」

「さぁ……」


この先などあなたに求めもしない。だから私はウソをついた。

『東花子』。『東日本銀行』の記帳台。記入例に書かれている名前。

そのままだとまずいので『山』を足した。

こんなことになった後まで、頭が冷静に動いているのが、自分でも腹だたしい。


「花子さん……か」


私の適当な受け答えに、男はどういうつもりなのかを見抜いたらしく、

うつぶせになったままの私の背中に、最後のキスをする。


「互いに楽しめて……よかったよ。ゆっくり、休んで……」


身支度を整え、現実の世界に出て行く男の顔を、私はその後見ることもしなかった。

私にとっても彼は、もう終わった人。

それから10分後、バッグを持った男が、部屋を出て行く。

私は体の向きを変え天井を見ると、放り投げられていたケットを身体に巻いた。



バカなことをした。



人に言われなくても、間違いなく自分でそう思う。

でも、してみてどうなるのか、試したかったのだから仕方がない。

その時だけは確かに、何もかもを忘れていた気がするが、

こうして静かになると、結局、思い出すのは数分前の男のことではなかった。

起き上がりシャワーに向かい、浴びせられた思いは、全てこの場所に流していこう。

そう決めて立ち上がると、埃が鼻をくすぐったのか一度だけクシャミが出た。





ホテルの玄関を出て、駅へ向かい、

時刻どおりに入ってくる電車に揺られ、最寄り駅に近付いていく。

頭は冷静に働いているはずなのに、気分の悪さだけが強くなってきた。

電車の揺れが後押しし、気を抜くと座り込みそうになる。

さすがにこの後、また知らない男にどこかへ連れて行かれるとしたら、

身体が持ちそうもない。私は、酔っている素振りなど見せないようにして、

車内に立ち続け、そして必死に足を踏ん張り、いつもの駅までたどり着いた。


流れていく人たち、見える景色。

ここは知っている場所という安心感からだろうか、

さらに気分が悪くなっていくけれど、どうしたらいいのかわからない。

無理して歩くと、本当に吐いてしまいそうだった。

私は、最終バスが行ってしまった、誰もいないバス停のベンチに腰を下ろし、

少しゆっくりと息をした。



【3-2】

『愛されたい』という思いは、誰にもあるものだけれど、
年齢を重ねた歌穂は、そう素直に言えなくて……
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