3 愛だけに生きる女 【3-5】

【3-5】

「いいですね……」

「何が?」

「風に吹かれているってことがですよ。川の近くだから、風を感じるでしょ?
休みって気分になりませんか? 今」

「カレンダーが日曜だからね」


私は残りのジャスミンティーを口に入れ、そして喉の奥へと押し込んだ。

隣の梶本君は、手すりに両手を乗せ、何が嬉しいのか少し笑っている。


「何? 何を笑っているの?」

「いやいや」


人のことを笑っている梶本君。

頭がとんでもない寝癖だけれど、その姿が何かに見えて気になった。

なんだっけ……


「ねぇ、お風呂の調子はどう?」

「あ、はい。あれからは大丈夫です。その後、洗濯機の排水が詰まって、
床をあやうく水浸しにしそうになりましたが、なんとか……」

「水びたし? やだ……しっかりしなさいよ」

「そうですね」


床を水浸しになんてしてしまったら、それこそ大家さんからお金を請求されるし、

下手をしたら出て行ってくれと言われてしまうかもしれない。

結構、大変な経験だったはずなのに、梶本君の表情は、まだ笑っている。



それにしても……前と後ろにあるあの寝癖……



なんだっけ、イメージがあるのに、名前が……



そう、そうだ、思い出した。

昔のアニメ、『鉄腕アトム』。

確かあんなふうに、前と後ろが跳ねていた気がする。


「クッ……」

「ん?」


普段、あまり笑っていないからだろうか、

止めようと思うと、どうしても止まらなくなる。

またあれこれ聞かれると面倒だから、別のことを考えようとしているのに、

ダメ……頭から離れない。


「何か俺、おかしいですか」


梶本君がおかしいのではなくて、寝癖がおかしいのだと言いたいけれど、

私は手を振り、何でもないと繰り返す。


「何でもないのに、それだけ笑います?」

「……ごめん……」


結局、『鉄腕アトム』について語ると、梶本君はどこかで見た記憶はあるけれど、

アトムの姿をすぐには思い出せないと言い出した。


「思い出せない? ウソ、あれだけインパクトあるのに?」

「いや……」

「何回か、アニメ見たことない?」

「イラストはどこかで……」

「そっか……」



時代が違った。



確かに、あのアニメを見た記憶があるのは、もっと年齢が上の人だろう。

何回かリバイバルされた気がするけれど、それも結構昔のことだし。

私でさえ、アニメなのか雑誌なのか、アトムを知ったのがどこなのか、

ハッキリしない。


「無理ですよ、俺、米森さんのように『リアルタイム』で見てませんし」


『リアルタイム』? 失礼な。


「失礼ね、私そこまで年齢重ねてませんけど」

「あはは……冗談ですよ。再、再、再、再、再放送くらいですか?」

「……再、再、再……」


梶本君と同じと言うのは、やっぱり気が引ける。


「……放送くらいかな」


控えめに、『再』を2つ少なく言ってみた。

くだらないことに張り合って、互いに顔を見合わせる。


「そっか、そんなに寝癖ひどいですか」

「ひどいわよ、そんな姿でデートしたら、彼女に嫌われちゃうから……」


梶本君は寝癖に手で触れながら、いつも同じ場所が飛び跳ねるのは、

寝方に問題があるのかどうかと言い始めた。

朝はいつも、寝癖との格闘から始まるらしい。


「まぁ、彼女いないですから、嫌われませんけどね」


また、どうでもいい情報が、一つ手に入った。

梶本君は今、彼女がいないそうだ。彼をご贔屓にしている高野さんは、

この情報を知っているのだろうか。


「米森さん……」

「何?」

「そんなふうに笑っている方が、素敵ですよ」


梶本君って、思いついたことを全て言い切らないとならない性格なのだろうか。

それとも、初めて出会うような人にも、平気で声をかけられるタイプなのだろうか。

あ、そうか……そうに違いない。

だから、ご近所の情報も、色々と知っているのだろう。


「……ありがとうございます」

「いえいえ……」


なぜかお礼を言ってしまった。

どうでもいい日曜日に、どうでもいい朝が来て、

ただジャスミンティーを飲んでいただけなのに、

なぜか少しだけ心が温かくなった気がした。





父の見舞いになど行くこともなく、その後1週間くらいして、

母から退院の連絡があった。

戻ってこないかと誘われたが、帰らないと返事をする。

その場限りの繕った笑いを見せても、互いに空しさが残るだけ。

私が父と会う時間は、母に渡してあげる。

どうしようもない親不孝な娘だと、二人で嘆けばいいのだから。





カレンダーは7月に入る。

『合併』であれこれ動いていた支店も、落ち着きを見せ始め、

『森口支店』は統制の取れた支店として、本部からの評価も高かった。


「はい、それではこちらからまた……」


それもこれも全て、『成和銀行』から期待され、

この場に送り込まれた謙の評価になるはず。

無理矢理の愛を埋め込んで、過去を流そうとしたけれど、

心ごと変えることが無理だとわかり、私は毎日をとにかく重ねていく努力だけをした。



【3-6】

『愛されたい』という思いは、誰にもあるものだけれど、
年齢を重ねた歌穂は、そう素直に言えなくて……
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コメント

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うふふ

拍手コメントさん、こんばんは

>元彼、年下のお隣さん、歌穂はどちらを選ぶのかな
 それとも、他の人かな。

うーん、ここには書けません(笑)
どうなるのか、読みながら確認してください。
コメント、ありがとうございました。