3 愛だけに生きる女 【3-6】

【3-6】

「ね……いいでしょ」

「まぁ……うん」


出会いの『春』から、活動的な『夏』になり、

高野さんは梶本君をよく誘うようになった。

同じように成和から来たメンバーや、同期の井上さんなど、

数が膨らむと飲み会にも発展しやすいのか、金曜日の夜など、

シャッターが閉まってからは、時計ばかりを気にしている。


「それでは、お先です」

「お疲れさまです」


4、5人の行員達が、あれこれ話をしながら扉を開け、街の中へ消えていった。

私も、身支度を整えて帰ろうと思ったが、

休憩室の雑誌が出されたままになっていることに気付き、それを片付ける。

今日の担当は誰だっただろう。

ゴミ箱の中身も、まだ残ったままだ。


「あ、米森さん、お疲れ様」

「あ、お疲れ様です」


ゴミの袋を出し、縛る手を止め、熊沢課長に頭を下げた。

課長は、少し疲れたと言いながら、メガネを外し、軽く目頭を押さえている。


「いやぁ……『大橋酒店』の資産管理書類、一つ訂正印が抜けていてね、
大慌てで連絡が入ったんだよ、少し前に」

「訂正印が?」


『大橋酒店』は、この近くで昔から酒屋をしているが、

店舗裏にビルを持ち、いくつかの会社に貸している。

家賃収入の方が、酒店の収入よりも、数倍大きかった。

現金主義を貫いているため、常に連絡が入り、大きな金額を直接取りに来る。


「確認はしたはずなのですが」

「あぁ……ちょうどね、『東日本』と『成和』の合併があれこれ動いていた時だったし、
ちょっと隙間が生まれたんだろうな。少し前に有働副支店長が謝りに行ったよ」

「副支店長が?」

「うん……あれこれ言い合うよりも、スパッと頭を下げた方が早いって、
すぐに出て行った。いやぁ……あの決断力だろうな、彼の凄さは」


私のからんだ書類のミスに、謙が頭を下げに向かった。

上司なのだから当たり前だと言えばそれまでだけれど。


「……そうですか」


熊沢課長から、事実を聞いてしまったのに、

知らないふりをして先に帰ってしまうのは、いくらなんでも無責任な気がする。


「副支店長は、どれくらい前に出られたのですか?」

「ん? えっと、30分くらい前かな」


30分前。

だとすると、スムーズに話が終われば、19時過ぎには戻るだろうか。


「あ、そうそう。有働副支店長は、昔『東日本』にいたそうだね。
私は長い間、東北方面の支店にいたから、彼を知らなかったけれど」


私が初めて勤務したのは、同じ東京でも、もっと都心の中心部だった。

謙は同じフロアに立ち、窓口業務の入金や出金の管理を、後方から担当していた。



『とっととやれよ、姉ちゃん、動きが遅いんだよ』



当時も、若いこと、そして女であることを理由に、

窓口であれこれ文句を言う客がいると、迷うことなく前に出て、私達をかばってくれた。

判断が素早く、的確に動けるところは、昔と変わらない。

あの時は、1年で彼の方が先に異動していった。


「はい……私が初めて赴任した支店で後方担当をされていたので、
色々とお世話になりました」

「だそうだね、ここに米森さんがいて、昔を思い出したとそう言っていたよ」


昔を思い出した……か。

思い出したのは、当時の顔ではないはずだと思いながらも、

私は口には出さず、そう心でつぶやくだけにする。



それでも、申し訳なかったと謝るため、休憩室を片付けながら、

帰り支度をし、謙が戻るのを待った。





時計が夜の7時を半分ほど回った時、階段を上がる音が聞こえてきた。

私は席を立ち、謙を出迎える。

扉を開け、そこに私がいたことに謙は驚いたようだった。


「……まだ、残っていたのか」

「すみませんでした、副支店長にご迷惑をおかけしたこと、熊沢課長からお聞きして、
せめて謝罪をしてから帰ろうと、そう思ったものですから」


仕事で迷惑をかけることは、私の本意ではない。

プライベートも割り切って頑張ると、あの日のカウンターでそう宣言した。

だからこそ、ここはしっかり言わないと。


「米森さんの間違いだと、言い切れるミスではないよ。
どう説明されたのかはわからないけれど」

「いえ、『大橋商店』を長く見てきたのは、私ですから」


私の返事に、謙は納得したように頷いた。

謙は、人というものはどんなに丁寧に色々と見直しても、

必ずミスは出てくるとフォローしてくれる。


「間違えることが問題なのではなくて、間違えた後どうするかが、問題だと思っている」

「はい」

「これが僕の仕事だ。上に立つ以上、責任も引き受けないとね」


謙は、もう遅いからと私に声をかけ、残した仕事を片付けると、扉に手をかける。

そのまま閉まるのかと思った扉は、謙の手で止まったままになった。


「一言、言ってもいいかな」

「はい」

「灯りがある場所に戻るのは、気持ちが落ちつくものだね……ありがとう」


歓迎会の日、私は謙が一人で駅を歩く姿を見た。

どこかのマンションに、夫婦で暮らしているのだろうと思っていたのに、

彼は単身赴任だと、そう言っていた。



「本当に、一人でいるの?」



聞かなくてもいいことを、自分から聞いてしまった。

聞いた後、どうするのかも何も決めていないのに。

暗い部屋に戻る時、少し寂しくなる気持ちは、私にも理解出来るからかも知れない。


「あぁ……一人だ」


深く、重い、あの優しい声に、

謙が一人でいるという事実に、また気持ちが乱れそうになった。


「行員たちの手前、こちらに呼ぶようなことを言ったけれど、本当はもう終わっている。
妻は、『東京』に来る気はないと、そう言っていたからね」


私は肩にかけたバッグの紐を、強く握りしめる。

謙にもその緊張感が伝わったのか、すぐに顔色を変え、『お疲れ様』とそう言った。



【4-1】

『愛されたい』という思いは、誰にもあるものだけれど、
年齢を重ねた歌穂は、そう素直に言えなくて……
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