5 心が揺れる女 【5-3】

【5-3】

午前中に掃除や洗濯を済ませ、昼食を取った後、私は『ジュピター』へ向かった。

扉を開けると、矢部さんが『いらっしゃい』と笑顔で迎えてくれる。


「何にします? ブレンド?」

「はい」


私は先日旅をした箱根でのことを、同じく旅好きの矢部さんに聞いてもらった。

ゆっくり休めたので、気持ちを入れ替えることが出来たこと、

今『箱根』は外国人に人気のスポットで、土産物も、ずいぶん様変わりしていたと、

付け足していく。


「へぇ……いいなぁ、やっぱり行きたいな、旅」

「いいですよ、これから秋になれば紅葉も見られますし、また、絵になりますし」

「そうそう、そうよね……」


私の前に、ブレンドのコーヒーが置かれ、いい香りが鼻に向かってくる。

隣にあるシュガーボックスから、さじ半分くらいの砂糖を中に入れ、

軽くかき混ぜた。


「あ、そうそう、米森さんの後輩君、
いや、どうかな、もしかしたら恋人一歩手前くらいなのかな?」

「恋人?」

「そう、ほら、そうそう梶本君。この間来てくれたのよ。
米森さんが箱根へ行く予定だった日」


梶本君は、先週末このお店に初めて顔を出し、コーヒーを飲んだ。

カウンターに座り、シフォンケーキをセットで出してあげると、

私の名前を挙げたらしい。


「美味しかったって宣伝してくれたのでしょ? 彼がそう言っていた」

「あぁ……はい。本当に美味しかったので」


梶本君はここに座り、食べてみたかったと言ったらしい。


「米森さんを知っているの? って聞いたら、同じ銀行で働いているんですって。
そうなんだって話が盛り上がって、米森さんがとっても楽しい人だって聞いたのよ」

「私の話ですか」

「そうよ。自動販売機を蹴り飛ばしてしまったこととか、
普段は無表情に近いくらい、真剣な顔で仕事をしているのに、
どうでもいいポイントで笑い出すと、止まらなくなるくらいよく笑うこととか……」


私が梶本君に見せたことのある顔を、彼は矢部さんに語っていた。

全く、この店に来て、人のことを話題にしなくてもいいだろうと思いながら、

コーヒーに口をつける。


「今日は旅行で箱根に行くらしいよと、私も負けずに米森情報を出したら、
知っていますって言うでしょ。あら、あなたたち一緒に住んでいるのって、
思わず言ってしまったのよ。そうしたら、隣なんですって……」

「あ、はい。偶然隣だったんです。今までは職場が別だったので、
通勤時間も合わなかったから、全然会ったこともなかったんですけど」

「そうしたらね、彼がポツリ……と言ったの。一人で行くって言っていましたけど、
どうなのかな……って、ちょっと心配そうに」


恋人と行くのかと、そういえば梶本君に聞かれたことを思い出す。


「大丈夫よ、申し込みも一人だったし、一人で行くのよって言ってあげたの。
私は彼女が旅行代理店に来た時のことも知っているし、
ここでその話もしたんだって教えてあげて。
彼には女が一人旅をしたくなる理由なんて、きっとわからないのね」


矢部さんは、別のお客様にコーヒーを出し、

またカウンターの中へ戻ってきた。梶本君がここへ来たことも知らなかったし、

私のことを話題にしたことも、全く知らなかった。


「そうしたら嬉しそうに笑ってた。ねぇ、彼いくつ?」

「えっと、26だって……」

「うふふ……いいじゃない、年下の彼。背も高くて結構イケメンだったし、
どうよ、米森さん、大人の女の魅力でゲットしちゃえば!」

「は?」


梶本君をゲット?

私は矢部さんが冗談で言っていることはわかっていたものの、

なんだか話しだけが浮き上がりそうで、恥ずかしくなる。

こういう時は、どうやって話題を変えたらいいのだろう。

ムキになると認めているようで、タイミングがつかめない。


「あ、そうだ、今日、ここらへんで花火大会なんだってね」

「そうです、規模はそれほど大きくはないですけど」

「隣同士なんでしょ、いいじゃない。お酒でも飲みながら一緒に花火大会見たら?
花火が綺麗ですねなんて言ったら、いえいえ、米森さんの方が綺麗ですよ……
なぁ~んて! ねぇ、どうどう?」


矢部さんは一人で盛り上がり、私に梶本君を薦めてくる。

3組のお客様が来店し、そちらのオーダーを取りに行き少し忙しくなると、

私が努力などしなくても、恥ずかしい話題は自然と流れていった。





『ジュピター』を出た後、ある程度まとめて食料を買い込むためスーパーに寄った。

とりあえず小さな花火大会とはいえ、地元にすればそれなりのイベントで、

店頭では唐揚げだのおすしだの、すぐに食べられるものが並びだす。

矢部さんに妙なことを言われたからだろうか、

ベランダで自分がお酒を飲み、花火を見る光景が浮かぶ。

そのとき、隣のベランダから梶本君が姿を見せる可能性もあるわけだけれど、

以前、朝、偶然話をしたように、また、近所の話をすることもあるだろうか。

そんな確信も予定も計れないことを思い浮かべながら、店内を歩いていると、

カゴの中には鶏のもも肉が入っていて、

缶ビールもいつもより少し本数が増えていた。



【5-4】

動き出す恋模様。雨は心を濡らし、花火は心を照らす。
歌穂の『心』は……ゆっくりと歩き出しているようで……
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