6 目の前にいる男 【6-2】

【6-2】

私は、忘れ物でもしたのだろうかと、思わず持ち物を確認する。


「米森さん」

「ごめん、私、何か忘れた?」

「いえ違います。これから……どうですか?」


『これから』と言われて、一瞬意味がわからなかったが、

すぐにそれが謝罪食事の誘いだと理解する。


「今日、案外あっさり終わりましたね」

「ごめん、梶本君。今日は……」


予定があるので、までは言わなかったが、

梶本君にもどういう意味なのかは伝わったようで、

『それじゃ、また』と笑顔で会釈される。


「ごめんね」

「いえ……」


私はそのまま更衣室に入り、ロッカーを開けると、小さな鏡で自分の顔を見る。

浮かれたような顔をしていないだろうかと、しばらく見続けた。





『TWIN HOTEL』のロビーへ向かったのは、約束の5分前にした。

あまり早くから待っているのも、期待していたみたいで癪だったし、

だからといって遅れるのも、嫌だったからだ。

謙との時間を持つたびに、私はどこか構えてしまう。

『負けたくない』という思いが、揺れそうになる自分を支えてくれている気がする。


先に着いていた謙は、深めのソファーに座り、なにやらファイルを開き、

難しそうな顔で読んでいた。


「副支店長」


仕事ではないのだから、『副支店長』と呼ぶ必要はないのかもしれない。

それでも、私は、謙とは呼べなかった。


エレベーターに乗り、連れて行かれたのはモノトーンを基調にした新しそうな店で、

謙が名前を告げると、一番奥の席へ通される。

完全な個室ではないけれど、十分プライバシーが守れる作りになっていた。

互いに席につき、周りを見ると、その店がどういうものなのかがわかる。


「中華なの?」

「あぁ……少し雰囲気が違うけれど、今日は中華にした。
ナイフとフォークもいいけれど、箸で食べたいと思ってね」


中華といっても、大皿に山盛りで取り分けるのではなく、

完全なコース形式になっている。

始めに出されたのも紹興酒などではなく、『赤ワイン』だった。


「この店は、『赤』の方がいいものを揃えているから」


静かな空間の中で、前菜が4品運ばれ食事がスタートした。

確かに美味しい。


「どう? 好みに合う?」


私は謙にわかるくらいの角度で頷き、箸を進めた。

謙はそれはよかったと口元を緩める。

料理が前菜から野菜料理に変わり、肉料理の後、メインの魚が運ばれ、

ふたを開けると、蒸し焼きになった白身魚が、美味しそうな匂いをさせた。

少し食べきるのが難しいかと思っていた私の胃袋に、きちんと場所を確保する。


「たいしたことをしたわけではないのに、これでは逆に赤字ですね」

「いや……正直、あそこまで体調を崩すと思っていなかったから助かったよ。
何も買いに行けなかったし、洗濯ものも溜まっていたし」


片付けたお酒の缶や書類。

入れ替えた空気と、洗った洗濯物。

謙が本当に一人でいることを、私は実際に感じ取った。


「別れるための話を始めたいと、連絡をした」


謙は、離れている奥さんと別れの話をし始めたとつぶやいた。

私は下を向いたまま、特に何も言い返さずにいる。

何かを言えば、巻き込まれてしまう気がしたからだ。


「君に再会する前から、妻への気持ちは離れていたけれど、
でも、始めに話した通り、歌穂がまだひとりでいることを知って、
より気持ちが動いたことは確かだ」


謙が副支店長として目の前に立った時は、本当に消えてしまいたいと思った。

名前も知らない男に全てを許したのも、自分の中で目覚めようとする気持ちを、

封じ込めたかったから。


「君は、決めた人がいるとそう言っていた。それは本当のことなのか?」


急に誘われた『1杯だけの会』。

あのとき、こちらの心理状態を見抜こうとした謙に、

私は、付き合っている人がいるのだと、ウソをついた。


「……うん」


乗った船を、簡単に下りることなどしたくない。

フリーであることを告げてしまえば、その目の奥に、何かが見えてしま気がするから。


「そうか」


ナイフやフォークだと、どうしてもそちらに集中してしまうけれど、

使い慣れている箸だからなのか、食事はスムーズに進んだ。

小骨を取り、白身魚の淡泊だけれど、後からじわりと余韻を残す味に、

どうやったら再現できるだろうかと考えていく。


「どんな人?」


謙は、自分の食事を続けながら、そう軽めに聞いてきた。



【6-3】

『恋する気持ち』を伝える方法は、人それぞれ
押すべきか、引くべきか……悩む歌穂の思いはどこに……
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