7 守られている女 【7-2】

【7-2】

『でも、俺はあなたが好きですから』





どうしてあんなふうに言葉を出せるのか……

考えれば考えるほど、わからなくなった。



仕事を終えて、私の足が向かったのは、自分の部屋ではなく『ジュピター』だった。

同じ独身女性同士、矢部さんは、どういう恋愛をしてきたのだろう。

恋はまだまだこれからという気持ちなのか、もう疲れてしまったと思っているのか、

なぜか聞いてみたくなる。


「いらっしゃいませ、仕事の帰り?」

「はい」

「どうぞ」


いつものようにカウンターへ座り、『ブレンド』を注文した。

今日は『キリマンジャロ』だと説明をされたが、豆の違いをわかるほど、通ではない。


「何、仕事で失敗でもした? 少し表情が暗いし。
いや、米森さんはそういうことでここに座るタイプじゃないな、きっと」


矢部さんは、私の顔をわざと見続け、そう軽く言った。

私の心は、すぐに見抜かれそうだ。


「矢部さんは、今、『恋』をしていないんですか?」

「『恋』? あら、唐突に聞くわね」


矢部さんは、そういう話をするのなら、いつまでも他人行儀に矢部さんと呼ばず、

思い切って『響子さん』と言ってくれないかと私に提案した。

確かに、構えている呼び方だと、心の深くまで聞きだすのは、難しい気がする。


「米森さんの名前は……」

「私は歌穂です」

「そう、じゃぁ、歌穂さん。これからはそう呼ぶね」

「はい」


響子さんは私の前に、少し深めのカップを置いた。

いつもよりも縦に長いカップ。


「空気に触れる面が少ないから、冷めにくいと思うのよ。少しゆっくり飲んで、
ゆっくり……話をしてくれればいいからね」


どこで生まれて、どんなふうに育ったのかも知らないもの同士、

だからこそ、何も構えることなく打ち解けられるのかもしれない。

知っているのは自分たちのことだけで、知りたいことも自分たちのことだけ。

親が何をしていようが、どこに住んでいようが、全く関係がない。

私は、響子さんと向かい合うと、心から余分な力が抜けていく。


「真剣に恋をして、それがうまく行かなくて。気付いたら素直に『恋』をすること自体、
心のどこかで拒絶しているような気分なんです」

「うん……」

「何もかも考えずに、人を好きになりたいと思っても……そうならなくて。
気付いたら32になっていました」


結局、一人でいることが楽だから、また傷つくのが嫌だから、

私は踏み出すことが出来なくなった。

裏切られるくらいなら、はじめから期待しなければいい。

そんな女に近付く男は、確かにいないだろう。


「いるんだ、好きな人」


好きな人……きっとそうなのだろう。

否定しようとし続けたけれど、今も自分の全てが、謙に向かっていきそうになる。

『愛している』とささやかれたあの日が、戻るかもしれないと思うと、

気持ちだけはどんどん前へ行きそうになる。


「少し、色々ある人で……」

「既婚者?」


響子さんはそういうと、この年齢で『色々』というのは、これじゃないのかと言い当てた。

私はその通りだと頷き、苦笑いになる。


「向こうは?」

「別れようと思っているみたいですけれど、でも、どうなるのか……」


どうなるのかはわからない。

昔、一緒にいた頃だって、遠距離恋愛の彼女と別れるつもりだと言っていたのに、

結局、私の前から消えた人だ。


「そういう相手なら、気持ちを寄せていくのは、待てるなら、待った方がいいと思うな」

「待てる?」

「そう、言葉だけを信じて、体を重ねたら傷つくのは女だし、
相手に歌穂さんが離婚の原因だと言われるのも、嫌でしょ」


謙が正式に奥さんと離婚するまで、決して踏み込まない。

当たり前の答えだけれど、響子さんに言われると、妙に納得がいく。

今、謙の誘いに流されたら、私は余計な恨みを買うことになるだろう。


「私もさ、経験あるのよ不倫」


響子さんは壁にかかる時計を見ると、店を閉めるねと外にあった札を中に入れた。

入り口にある小さなレースのカーテンで窓を覆っていく。


「わかっていたからね、相手が結婚しているって。
だから、それでもいいとそう思っていたの。私は今がよければそれでいいって。
でも、欲が出てくるのよね。その人の一番になりたくなる」


一番になること。

確かに、そうかもしれない。割り切っていると言っていても、割り切れなくなる。

他の人のところへ戻ることを、許せなくなる。


「だから私は言ったの。奥さんと別れて欲しいって」

「それで……」

「ダメだった。だからこうなっているのよ」


響子さんは、使い終えたカップを洗いながら、男という生き物は、

体と口が別の人格を持っているものなのだと、そう宣言した。


「『愛している』なんて言って、平気でキスしてくるくせに、
その口がまた、平気で『ごめんなさい』だもの。
で、こっちが悩んでいるのにも関わらず、すぐに抱きしめようとする。
どう? 身勝手でしょ?」


カチャカチャと音がして、洗われたカップが、ケースに並ぶ。

私はまた一口、コーヒーを飲んだ。



【7-3】

それぞれの立場はあるけれど、全てを取り払えば、一人の男と女。
歌穂のまわりも、慌ただしく動いていく……
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