8 策略に乗る男 【8-3】

【8-3】

「あ、はい、そうなんです。家に戻ってきたらカギがないことに気がついて。
自分が無くした可能性? いえ、ないです。朝はきちんと入れましたから。
仕事中はバッグを持ちませんし、カギにも一切触っていません」


説明をし終えて電話を切ると、どっと疲れてしまい、私は玄関先に座り込む。


「何か飲みますか?」

「ううん……いい」


とにかくカギがない以上、たとえ隣でも部屋に入ることは出来ない。

こうなったら、ここからタクシーを呼び、実家に戻るしかないのだろうが、

いったいいくらかかるだろう。

部屋はすぐそこだと言うのに……

この壁さえ、通り抜けられたら、入れるのに。

そんなことを思っていた私の頭は、ある考えを思いついた。


「ねぇ、ちょっとだけあがっていい?」

「あ、いいですけど」

「ありがとう、すぐに出て行くから」


そう、梶本君の部屋は私の部屋の隣だった。

不用心だと言われそうだが、3階だということもあり、

ベランダの窓のカギは閉めていない。

私はベランダを開けて、とりあえずバッグだけはそこに置く。

今日はこのことを予想したわけではないが、パンツスーツだ。

気持ちさえしっかりさせれば、何とかできる。


「何をするんですか」

「ここから隣に……」


真ん中には壁があるけれど、柵は鉄製でしっかりしている。

これを乗り越えて隣に移れれば、どうにかなる。


「米森さん、無理ですよ、危ないです」

「大丈夫よ、ほら、この柵、ゆすってもびくともしないし」


私はとりあえず梶本君のベランダにある柵を、何度か揺すってみる。


「何言っているんですか、滑って落ちたら死ぬかも知れないのに」

「死なないわよ」

「わからないですよ、下、コンクリートなんですよ」

「ん?」


言われて下を見ると、確かにコンクリートの地面が見えた。

冷たくて固そうな雰囲気。


「きっと、骨折くらいで……済むんじゃないかな」

「何言っているんですか。頭から落ちたら受身も取れないんですよ」

「でも……」


目の前まで戻って来ているのに、部屋に入れないなんて嫌だと、

私は梶本君が止めるのを聞かずに、片足だけ柵にかけた。

いざ外の景色がハッキリわかると、高さに気持ちが縮んでいく。


「米森さん、ダメです」


梶本君は私をつかみ、ベランダの中に戻した。

ぐらついた体は、梶本君にしがみつくようになりながら、下へ降りる。


「やめてください。ここから顔を出して話すのとは違うんですよ。
3階なんです、急な風でも吹いたら、手が離れることだってあるんですから」

「そうだけれど」

「それに、なんとか部屋に戻ったとして、もしカギを犯人達が持っていたら、
どうするつもりですか」

「……どうする……って」


そうだった。無くなったカギの行方は、ハッキリしていない。

もし、誰かが持って行った、もしくは拾っていたとしたら、

そう思うと、確かに安心して眠れる気がしない。


「明日にでも管理会社に連絡して、理由を話して、カギを変えてもらった方がいいです」


そう梶本君に強く言い切られてしまい、私はとりあえず頷いた。

部屋に入れないとなると、選択肢は一つしかなかった。

ここからタクシーに乗って、実家に戻ること。

母の顔を見たくはないし、もし間違って父がいるようなことになったら、

どこかで野宿した方がましかも知れない。


「米森さん」

「はい」

「今日だけ、ここにいますか?」


梶本君は廊下側の入り口前に座り、そう言った。

『梶本君の部屋』に泊まるという選択肢は、全くなかったが、

これから実家に戻ることや、どこかのホテルを探すことに比べたら、

一番手っ取り早く現実的でもある。


「まぁ、嫌ですよね」


梶本君は、自分で提案してくれたくせに、自分で結論も出してしまった。

嫌なのかと聞かれたら、正直、気持ちは半々だと思う。


「ごめんね、せっかくの提案なのに。すごくありがたいんだけど、
それでいいのかどうか、ちょっと……自信がないと言うか……」


いいのかどうか、自分で決断がつかない。


「いいのかってどういうことですか。別に法律を犯すわけでもないですし、
あ……そうか、俺が襲うかも知れないってことですね」


梶本君はそう言いながら笑うと、冷蔵庫から缶コーヒーを取り出した。

そのうちの1本が、私の手の中におさまっていく。


「無理にとは言いませんよ。正直言うと、俺も半々ですから」

「半々?」

「半分は困った米森さんを泊めてあげよう。で、あとの半分は……」


梶本君は缶のプルをカチンと開け、私の方を見る。


「半分は、これがチャンスだから襲ってしまえ……ってことです」


あまりにもあっけらかんと言われてしまい、かえってどうでもよくなった。

梶本君が口にするほど、その半分の確率は、低い気がする。

『襲います』なんて宣言した後に襲った話など、昔話でも聞いたことがない。


「へぇ……そうなんだ。半分なのね、確率。では、受けて立つことにします」


梶本君の言葉に、一気に気持ちが楽になった。

私は申し訳ないけれど、明日の朝が来るまで、

ここにいさせて欲しいと、あらためて頭を下げる。


「言いましたからね、半々だって」

「聞きました、半々だって……」


私は、自信たっぷりにそう返事をすると、

梶本君からもらったコーヒーのプルを開け、冷たさを味わっていく。


「これでよかったらありますけど、着替えますか?」

「ありがとう、借ります」


梶本君のスウェット。

私よりも背が高いのだから大きくて当たり前だけど、色々なところが有り余っている。

それでも、スーツ姿で寝転ぶより、気持ちが休まりそうな気がする。



「洗濯して返すからね」

「はい」


座っていた場所に戻り、缶コーヒーを握りしめた。

私は奥の壁に寄りかかり、梶本君はずっと、同じ場所に座っている。

上にかける毛布を借りることにしたため、とりあえずそれを膝掛けのようにし、

少し落ち着いた気持ちで、冷たいコーヒーにまた口をつけた。



【8-4】

目を見て話をしてみても、心の中までは見抜けなくて。
歌穂は一人、戻らない日々を思いため息をつき……
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