9 今に気づいた女 【9-5】

【9-5】

「これでいい?」

「そうです、アドレス出ましたよね」

「うん」


携帯の番号とアドレスの交換。

ここのところ、新しい知り合いが出来ることもなく、やり方などすっかり忘れていた。

結局、その日は私の部屋でピザを取ることになった。

簡単なつまみ程度は作り、テーブルに乗せる。


「携帯の番号さえ知っていたら、待たせてしまうこともなかったのに、
本当にごめんなさい」

「もういいって言いましたよね。そんなに何度も謝らなくても」


数時間前までの慌ただしい流れに比べて、時間がゆっくりと流れていく。

この心地よさは、きっと、お酒が入っているだけではないだろう。


「この間、銀行の前で待っていた人は、小林さんと言うの。
私の父がね、自分の『心理学』の勉強会を開いて、そこに来てくれた人」

「勉強会?」

「そう……うちの父親、大学教授でしょ、講演会とか頼まれるのよ。
人の心をどう見るのかなんていう、もっともらしいことを得意げに話して」


一番救いの手を必要としていた私達には、

全く見向きもしない人なのに。


「ようするに、32にもなった娘を建前で心配して、少しいい人だと思った小林さんを、
私に押し付けようとしているわけ」

「小林さんというのは、どんな方ですか」

「ん? どんな方? あぁ、総合病院……えっとどこだったかな、
とにかく内科医だって。実家が病院だとかなんとか……」


小林さん、それなりにあれこれ話してくれていたのに、全く覚えていない。

申し訳ないけれど、ほとんど記憶にない。


「内科医」

「そう、でも私には、お付き合いをするつもりもないし、
だからもう会いませんって、挨拶をしてきた」


挨拶と言えるほど、しっかりしたものではなかったが、

とにかく最低限、気持だけは伝えたつもり。


「本当にお付き合いする予定は、ないのですか」

「……うん。いい人なのだろうけれど、私には……」


私が男の人に持っていて欲しいものを、小林さんは持っていない。

ただそれだけなのだと思うけれど、それは他では埋められないほど大きいものだから。


「これ、美味しいね、思っていたより……」


梶本君は、何か考え事をしているのか、無言になってしまった。

静かに食べたいのかと、私も余計なことを言わないまま、何分かが過ぎていく。

それでも、無言の時間に違和感があり、私は他の飲み物を出そうかと声をかけた。


「……あ、いいです。もう……」

「もう? もうって?」

「今日は、これで帰ります」


梶本君はそういうと、食べかけていたピザだけ口に押し込み、

飲み干したチューハイの缶を握りつぶした。

私は時計を見た後、まだそんなに時間が経っていないし、

ピザも余っているのにと言ってみる。


「いや、これで……」


何か、梶本君の気に障るようなことを言ったのだろうか。

今日、どうして戻ってこられなかったのか、そのことを隠さず話したつもりだったのに、

急に態度が変わってしまった。


「ねぇ、梶本君」


下を向いたままの彼が扉を閉め、ガシャンと音がしたあと、私は一人になった。

やっぱり、時間通りに帰らなかったことを、怒っているのだろうか。

適当に話しをあわせていたけれど、もうどうでもよくなったということだろうか。

残ったピザの蓋を閉め、グラスを流しに片付ける。

確かに、約束は守れなかったけれど、それはそれで仕方がないと言ってくれたのは、

梶本くんだったはず。

スポンジに洗剤をつけて、洗い始めたが、すぐに水を止める。


「ったく、もう!」


私は手を拭くと、一度大きく呼吸をして、玄関を出た。

何が気にいらなかったのか、どういう言葉が嫌だったのか、

それはハッキリさせてもらいたい。

急にトーンを下げて出て行くなんて、気になってしまって眠れない気がする。

隣のインターフォンを鳴らすと、梶本君の声が聞こえてきた。


「米森です。ちょっと開けて。聞きたいことがあるの」


数秒無言の時間があり、インターフォン越しの会話は終わった。

開けないのなら、ここを叩いて、大きな音をさせてやる。

私の右手が扉に届きそうになったとき、梶本君が玄関を開けてくれた。



【9-6】

ピンチのあとにチャンスあり。ようはそれをつかめるか!
32歳、歌穂の『恋する思い』は、何をつかむのか……
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