11 愛に向き合う女 【11-3】

【11-3】

「米森さん」

「何?」

「俺、いつ君づけから卒業出来ますか?」


『梶本君』と『米森さん』

お付き合いを始めたものの、互いに今もそう呼んでいる。

『卒業』と言い出した梶本君の口は、少しだけ拗ねているように見えた。


「卒業……したい?」


梶本君はそれは当然だと言いたげに、大きく頷いた。


「うーん……」


名字で呼び合うことが、距離を近づけない気がするという思いは、確かに理解できる、

でも、職場が一緒なだけに、間違って名前で呼んでしまったら、

一瞬で行内が静まりかえるだろう。



『歌穂』 『圭』



それはそれで大変なことになる。


「こうして二人でいる時には、苗字やめましょう」

「やめるの?」

「はい。分けられますよ」

「でも……」


私は、使い分けが出来る自信がない。

申し訳ないが、何かを期待している梶本君に向かって、しっかりと首を振った。


「ダメってことですか」

「ごめん。意識して使い分けして呼べばいいだろうけれど、
ちょっとした瞬間に呼んでしまったら、職場の空気が悪くなりそうでしょ」


私はともかく、梶本君の評価が思い切り下がりそうだ。

なぜ米森なんだと、きっとあちこちから責められるに決まっている。


「そうですか? 俺は聞きたいですけどね、『圭! 後方フォローして……』っていう、
米森さんのピシッとした言葉」


梶本君は、少しツンとした態度を見せ、そうセリフを言った。

私がそんなふうに、ツンツンしているとでも言いたいのだろうか。


「私、そんな態度で言う?」

「いや、言うというより、言ってほしいなぁ……と」

「言ってほしい?」

「はい……」

「もう、ふざけないで」


眩しいビルとビルの隙間に、空が見える。

明るすぎて隠れてしまう『満天の星』の代わりに、飛行機が飛んでいった。

光と音、この時間なら、今日最後の飛行機かもしれない。



見えた物が見えなくなると、一瞬で寂しさが増していく。

なぜだろう。私は今、ひとりではないのに……



「どうしたんですか? 急に立ち止まって」

「うん……」


もっと知ってほしくなった。

共有出来るものが増えていけば、

今は名前を呼べなくても、不安も減るような気がしてしまう。


「ねぇ、聞いてくれる?」

「はい」

「私、あなたにウソをついていたの」

「ウソ?」


そう、ウソをついていた。

梶本君は、どんなことなのかと、少し真顔に変わる。


「マンションのエレベーターで、初めてすれ違った日のこと、覚えている?」


『東日本』と『成和』が合併し、挨拶をした後、

私は梶本君とエレベーターですれ違った。


「覚えていますよ。隣同士だったんだって、驚きましたから」

「そうね……2ヶ月もわからなかったのだから、おかしいわよね」


あの部屋に住んで8年も経つのに、確かに会ったことのない人は、

まだ何人もいる。


「……その日が、何か?」

「うん、『竹原川花火大会』のこと、聞かれたでしょ? 楽しみにしているのかって」

「あぁ、はい」


梶本君は、記憶をたどりながら、頷いてくれた。


「私、その時、見たり見なかったり、あまり気にしていないってそう言った。
覚えている?」

「はい、確かに」

「本当はね、そうなの。あの『竹原川花火大会』が見られるから、
だからあの部屋を借りたの。理由は梶本君と一緒、
だからあなたからそう言われた時、実は嬉しかった。
同じ思いを持つ人がいたんだって、そう思った」

「……そうだったのですか」

「うん……。家族など顧みなくなった父が、まだ、私を大事にしてくれていた頃、
一緒に見たのが、あの花火大会だった」



『見えない、見えないよぉ……』

『ほら、歌穂』



「父に抱かれて見続けた、花火の綺麗な輪と光と音。見物客の歓声。
それが強烈に残っていたの。だから、毎年じっと見ていた。
私も、『愛されていた頃』があるんだよねって……」


今の父と母の関係では、二度と戻らない日。

あの『花火大会』を見ている時だけは、架空の時間を作り出せた。

一人で花火を見ている自分が、あの幸せだった頃の自分に、戻れているような、

そんな錯覚の中で、漂うことが出来た。



【11-4】

『恋』に振り回されたあの日も、
『恋』にほっとした今日も、どちらも私……
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