【again】 17 嵐が来る前に

【again】 17 嵐が来る前に

     【again】 17



「行くぞ!」

「大地、まっすぐ投げろよ」


ハナが退院しここへ送り届けた直斗と、大地はキャッチボールをしながら、楽しそうに笑った。

初めの頃はほとんど取れなくて、転がるボールを追いかけていた大地も、

近頃は少しずつ形になってきている。


「絵里ちゃん」

「何? ハナさん。どうしたの?」


ハナの部屋の窓から二人の様子を見ていた絵里だったが、呼ばれた声にすぐ振り返り、

ハナのそばへ行く。


「大地君、大きくなったね。どんどん少年っぽくなって」

「そうですか? 毎日見ているからなのか、もっとこうして欲しいなんて
不満なところばかり探してましたけど。でも今、直斗さんとキャッチボールしている姿を見て、
私も少しそう思ってました」


仕事をしていて、側にいてやれる時間が少なかったからか、休みとなると自分から離れなかった

大地が、ここへ越してきてから友達を作り、子供の世界をどんどん広げていっている。

そんな成長は絵里にとって、嬉しくもあり、寂しくもあった。


「絵里ちゃん、あなたは本当に立派なお母さんだ。私はずっとそう思ってきた。
だから大地君もいい子に育っているし、周りには自然に、応援しようとする人が集まってくる」

「……ハナさん」

「いい人で、いい母で……」


語りかけてくれるような、ハナの優しい言葉はいつも、絵里の心の中に張り詰めていたものを

少しずつほぐし、そして溶かしていく。


「でもね、絵里ちゃん。あなたのこれからの人生、全部母親でなくてもいいんだよ。
たまには、母親を離れたとしても、間違ってなんてないんだからね」


ハナはベッドに座り微笑んだ。絵里はその横に腰かけると、ゆっくりとハナの右手に触れる。


「辛いとき、一緒に泣いてくれる人を、もう一度捜したっていいんだから。
一人で全部受け入れる必要なんて、ないんだからね、絵里ちゃん」


この人はわかっている。絵里はそう思いながら、無言のままハナの手を握りしめた。

自分にさえまだ見えていない心の中も、見抜かれているのかもしれない。

そんなふうにさえ思えてしまう。


絵里はそのハナの言葉に、小さく頷きながら、懸命に笑って見せた。





その日は4人で食事をし、絵里と大地は部屋へ戻った。病院からの書類などの記入を終え、

直斗はハナの顔を見に、ベッドの横へ立つ。


「帰るんだろ、直斗」

「うん、ごめんな、ゆっくり出来なくて」

「何言ってるんだよ。大丈夫だよ」


以前手渡していた電話番号を登録し、直斗はハナの手に携帯電話を持たせた。


「いい? 何かあるようだったら、ここを押して。番号が登録されているから、
すぐ俺に連絡が取れる。池村さんにも頼んであるから、彼女にも……」

「直斗……」


ハナが横になっていた体をゆっくりと起こそうとしたため、直斗はそれを支え、

そばにあったカーディガンを背中からかけてやる。


「何?」

「あんた、おばあちゃんのことはほどほどでいいから、自分のことを考えなさい。
前にも言っただろ、結婚したい人はいないのかって」

「あ、うん」


あの頃より、少しずつ現実になっている結婚の話だったが、ハナに説明するのは難しく、

直斗はその言葉に少しだけうつむき、黙ってしまう。


「怖がらずに人を愛しなさい。愛せると思う人が出来たら、あれこれ考えずに、
自分をさらけ出しなさい」

「……」

「素直になれば、ちゃんと見えてくるものがある」


語りかけてくるようなハナの言葉を、直斗は何も言わず聞いている。


「一人になるんじゃないよ……直斗」

「おばあちゃん、なんだよ。そんなこと急に……」


今までハナが、こんなことを直斗に言うことなどなく、まるで言い忘れのないように

しているようで、直斗はだんだん切なくなる。


「なんだろうね。直斗が小さい頃には、社会人になってくれるところまで見れたら、
もう思い残すことなどないと思いながら生きてきたのに。近頃はもう少し長生きできないかと、
考えるようになってるんだよ」


医者からは、ハナに何も言ってはいないとそう言われていたが、しかし、すでに自分の寿命を

わかっているようなハナのセリフに、直斗の心が締め付けられる。


「当たり前だろ。これからまだまだ長生きしてもらわないと、困るんだよ」


直斗はあえて明るい声を出し、しんみりとした空気を取り去ろうとする。


「もう一つだけ、見たい物があったんだけどねぇ」


ハナはそれだけ言うと、ただ黙って微笑み、何かを考えているようだった。

直斗は表情を見られると、不安を悟られそうで、ハナの方を向くことなく、

窓から雲に隠れそうな月を眺めた。





年も暮れていき、スーパー各店舗も歳末セールに追われている。亘は従業員やパートから

取りあげた、報告書を読みながらリビングに座る。


「直斗、直斗はどうした!」

「さぁ……」


どこからかの電話を切った後、高次は慌てるように直斗を探す。あいかわらず直斗のことは

何も感心のない母、真弓がそばにいて、そしてその直斗が、リビングに顔を見せた。


「直斗! おい、児島建設の社長から正式に話を進めて欲しいと連絡が来たぞ」

「……エ?」


亘は聞こえてはいたものの、あえて無視するように下を向き続けている。


「何をボーッとしてるんだ。楓さんとの縁談だ。こちらからと思っていたのに、
わざわざ社長の方から連絡を寄こしてくれたんだぞ」


何も言わない直斗の顔を、その時初めて亘は見た。計画通りにことが進んで、

さぞかし得意気なのだろうと思っていたが、その顔はどこか寂しく、沈んでいるように見える。


「児島建設のお嬢さん? まぁ、それを向こうから?」

「あぁ、うちもあの会社と親戚になれば、さらに大きくなれるチャンスが来る。
それでなくても、この後、児島建設の親戚筋が大臣候補になるのは、間違いないんだからな」


母、真弓はその発言に直斗を一度見ると、大きくため息をついた。

世の中のことをあまり知らない真弓でさえ、それがどういうことを意味するのかは、

ハッキリと理解できるからだ。


「……来年の春まで……」


消えそうな直斗の声に、高次が気付き、振り返える。


「その話は、来年の春まで待ってもらえませんか?」

「は? 何を言ってるんだ直斗。もう、あれこれ考えるのはやめなさい。
楓さんと結婚すればいいことなんだ。お前だって、それを望んでいただろう。来年の春って……」


児島楓。初めて参加したプロジェクトのパーティーで、見かけた女性だった。

生まれながらにお嬢さまで、スタイルもよく、どこにいても目立つ人だった。


あの人の横に並べるような男になりたい。

直斗はそう思いながら自分を磨いてきたのだ。その当時、付き合っていた男と別れ、

自分の元に楓が来たとき、なんとも言えない優越感に浸ることが出来た。

今まで自分を見下げてみていた男達が、楓の存在を知り、態度を変えていったのも事実だ。


「見届けたいことがあるんです」


予想外の直斗の言葉に、書類をめくろうとしていた亘の手が止まる。


「桜が咲く頃には、答えが出ると思うので」


そう言うと、直斗はリビングを出ていき、階段を昇ると部屋へ戻った。部屋の隅にある

テーブルの上に置かれた『ミント飴の袋』と『携帯電話』。


ハナを送り出してから……。

そして、あの二人の1年を見届けてから……。


直斗の心の中にある、小さな想いが、また少しずつ形を見せ始めた。





「母さん……」


高次の発表で、全ての力が抜けたように真弓はソファーに座り込んだ。

亘はそんな真弓の横に座ると、ひと言声をかける。


「あなたが優しすぎるから悪いのよ、亘。あんな男に全て持っていかれるなんて。
一体、私はなんのために、辛い思いをして、ここにいたのか」


壊れかけた家族の城を、必死に守ろうとした母の想い。


「気付いてただろ最初から」


亘は持っていた書類を封筒に入れながら、冷静にそう語る。


「父さんが、兄さんを連れてきた時から、こうなることはわかってたんだ。
最初は認めたくなくて、あれこれもがいてみたけど、何をしても辛くなるのは自分だけで、
周りは何も動かなかった」

「亘……」

「僕には、あんなふうに父さんの野望を追いかけるだけの気持ちも、力もないよ。
今のままでいいと、本当にそう思っている」

「あの男がトップに立ったら、それすらも出来なくなるかもしれないのよ、亘」

「母さん。いくらなんでもそれはないよ。会社は一人じゃ動かない」


直斗の母を愛し続けた父、その父の愛を盗られたままだった母、真弓の嘆き。


「母さん、もうつかめないものを追うのはやめよう。自由なんだよ、思うままに生きたらいい」

「思うままって」

「好きなことを見つけて、楽しめばいいことだ」


自分たちは新たな道を進んでいこう……。亘はすがすがしいくらいの笑顔で、

真弓の肩を引き寄せた。





ハナの病状も落ち着いたまま、クリスマスの日がやってきた。いつもに比べ、総菜売り場も

ケーキ売り場も賑わっていて、パートの絵里はフル回転に動き、食品の補充と、

ケーキ注文の手渡しをこなす。


「池村さん」

「はい、いらっしゃいま……あ、すみません……」


声をかけてきたのは亘だったのに、絵里はつい客に対しての返事をしてしまい、

慌てて口を右手で覆う。


「いいんですよ。今日は忙しいことを知っていて来たんですから」


この間、一人でやってきて、楽しそうに店長と語っていた前島が、今日はしっかりと亘の側に、

難しい顔をしてついているのが、絵里はなんとなくおかしくなる。


「サービス向上の提案、ありがとう。年明けに5人表彰されますが、池村さんも入りました」

「エ……あのお年寄り配送サービスのことですか?」

「はい。態勢が整い次第、取り入れていくつもりです。……で」


笑顔だった亘の表情が変わり、絵里はつい、告白された時のことを思いだし、下を向く。


「表彰が済んだら、僕の部長室へ寄ってください。渡したい物があります。それに……」

「……」

「話したいことがありますから」



『好きなんですよ……』



あの時の表情と、今の亘の表情が絵里の目の前で重なる。


「待ってます」


絵里はその言葉に、何も返事をしないまま、ただ亘が事務室へ向かっていくのを、

見つめ続けるだけになった。





目が回りそうな一日を終え、絵里はケーキを買い、急いで家へ戻っていく。


「お帰り、絵里ちゃん」

「ごめんなさい、ハナさん。結構、お店も混むからなかなかあがれなくて」

「そうだよね、今日は」


大地は以前、ハナの部屋を飾ったように、折り紙などで部屋を飾り付けはじめた。

ハナも楽しそうに大地を手伝い、今日は直斗を呼び、ハナの退院祝いとクリスマス会を

池村家でやることになった。


「直斗、何買ってきてくれるかな」

「エ……やだ。何言ってるの、大地」


絵里はエプロンをつけながら、隠れて直斗におねだりをしていた大地の方を向き、

少し怖い顔をする。


「だって、クリスマスプレゼントくれるって言ったもん。成績上がったら」


大地は折り紙で飛行機を折り、楽しそうに飛ばす。そんな姿を見ながら、

ハナが明るい声で問いかけた。


「あ、大地君。成績よかったんだね」

「……えへへ」

「本当に? どれ? 見せてよ」


絵里のその言葉を待っていたかのように、大地は得意気に、ランドセルから成績を取りだした。

好きだった算数だけでなく、体育や国語の成績も確かにあがり、担任からの言葉も、

しっかりした発言が出来ると、いい評価になっている。


「すごぉい、大地、頑張ったね!」

「うん!」


食卓の椅子に立ち上がり、成績表を両手で上にあげ、大地は嬉しそうに笑った。





直斗が到着すると、大地は成績表を見せ、学校で習った鍵盤ハーモニカを何度も披露する。

ハナはその大地の熱演に精一杯の拍手を送り、絵里は台所に立ちながら、食事の準備を続けた。


「はい、大地! 約束のプレゼント」

「やったぁ!」


食事を終えると、直斗は大地の前に箱を置き、大地は包装紙を嬉しそうに取る。


「すみません、いつのまにかプレゼントなんて、言っていたようで」


絵里が申し訳なさそうにそう言うと、直斗は少しだけ首を振り、気にしないで欲しいと

合図する。


「サンタさんからも届くだろうけど、これは直斗の約束だもんな、大地」

「うん、頑張ったらねって言ったもんね、直斗」

「大地!」


直斗に甘えるのが当然のような大地の口調に、絵里は慌てて大地をしかる。


「いいじゃないの、絵里ちゃん。大地君頑張ったもんね」

「うん……」


大地の開けた箱の中から出てきたのは、スポーツメーカーのスニーカーと揃いの帽子だった。

直斗はその帽子を手に取り、大地の頭にかぶせてやる。


「うん、似合うぞ、大地。きっともっと野球が上手になる」

「……本当? ありがとう、直斗!」


ジーンズに似合いそうなスニーカーを、大地が嬉しそうにテーブルの上に置き、

絵里はその靴を手に取った。


「ありがとうございます。すみません、いつも……」

「……あなたにも」

「エ……」


直斗はそう言うと、テーブルにもう一つの箱を乗せた。大地と同じ包装紙に、

今度はピンクのリボンがついている。


「頑張ったらプレゼントをするって、大地に約束したんです。あなたも母親として
頑張ったじゃないですか」

「……」

「これ、ママの?」

「うん、ママのだよ。開けてごらん、大地」


突然のことに絵里は黙ったままその箱を見つめ、大地は嬉しそうに床に箱を置き、

同じように包装紙を破いていく。


「あ、ママも靴だ! 僕とお揃い!」


大地の靴と同じメーカーの、履きやすそうなスニーカーがそこにあった。

まさか自分へプレゼントがあるとは思っていなかった絵里は、お礼すら口から出なくなっている。


「この間、夕飯をごちそうになった時、玄関にこれと同じメーカーの靴があったので。
同じならサイズさえわかればいいだろうと。気にいってもらえるか、わからないけど」

「すみません。私にまで、気をつかってもらって」

「いえ……」

「何もしてないのに、いつもいただくばかりで」


自分の存在を認めてもらえているような気がして、絵里は少し涙声になっていき、

そんな表情を見ていたハナは、その靴を手渡しこう告げた。


「絵里ちゃんはいつも、心でお返ししてくれるじゃないの。この間だって、お布団、
お日様のいい匂いがしたんだよ」

「ハナさん」

「ママ、お日様に干したんだもんね!」

「……うん」


手渡されたスニーカーが、滲んで見えなくなり、絵里は慌ててそばにあったタオルで目を拭いた。


「ママ、履いてみて! 僕もほら……」


大地はいつのまにか、もらったスニーカーを部屋の中で履き始める。


「あ、大地君、お部屋だよ」

「いいですよ、ね! 大地。ママも履いてみる!」


絵里ももらったスニーカーを履き、大地と並んで立ち、食卓に座る二人の方を向いた。


「似合う、似合う!」


並んだ絵里と大地に、ハナは嬉しそうに微笑み、両手で拍手をする。



『この場所は……いつまでここにあるのだろう』



直斗は嬉しそうに笑っている絵里の顔を見つめながら、そう思う。





4人が笑いあうように、過ごせたのは……この日が最後になった。





18 告白返し へ……





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