【again】 18 告白返し

【again】 18 告白返し

     【again】 18



年が明け、またいつもの日々が始まった。ハナの容体は年末も安定したままで、

今はゆっくりと時を過ごしているように見える。


「ママ、行ってきます」

「あ、大地。カギ持ってる?」

「うん、持ってるよ。さっきも言った」


大地はランドセルを揺らしながら、カギは入っているんだと絵里に向かってポーズをとる。


「はいはい。なるべく早く戻るつもりだけど、家にいる時も、ちゃんとカギは閉めておいてよ」

「わかってるってば!」


大地はハナに編んでもらった手袋をして、玄関を勢いよく飛びだすと、元気に学校へ走っていき、

絵里は洗濯物を干し終えると、着替えを済ませ、ハナの部屋へ向かった。


「ハナさん、おはよう」

「おはよう絵里ちゃん……あらまぁ、今日はお出かけなの?」


いつものジーンズ姿で現れるだろうと思っていた絵里が、珍しくスカートを履いていることに、

ハナは驚いた顔をする。


「今日はね、本社へ行くことになってるの。ねぇハナさん。ハナさんのおかげで、
表彰されることになったのよ、私」

「エ……」


絵里の言っている意味がわからずに、ハナは少し困った顔をした。


「あ……ごめん、ごめん。気にしないで。えっと、ゴミ、これだけ?」

「あぁ、そうだけど。絵里ちゃん、素敵な洋服来ているのに、ゴミ運ばせちゃ悪いよねぇ」

「素敵なって……何言ってるのよ! じゃ、行ってきます」


いつものように階段を下り、絵里は自転車でパート先ではなく、駅へと向かった。





本社の2階にある会議室では、絵里の他にも表彰されるパート達が、椅子に座って待っている。

自分より年上の人もいれば、同年代の人もいるようで、それぞれ時計を見たり、携帯を開いたり、

落ちつかないのは同じようだった。うしろの扉が大きく開き、絵里が顔を向けると、

両手にあれこれ持った社員が二人と、前島が現れた。


「今日はこちらまで、ご苦労様です。まず始めに、社内報の撮影がありますので、
ここへ並んでいただけますか?」


絵里達は遠慮しあいながら5人で並び、社員が向けたカメラに収まっていくと、

その後は簡単なインタビューがあり、一人ずつ表彰された。


「ありがとうございました」

「失礼します……」


表彰を終えたパート達が、会議室を出て、階段から下へと向かっていく中、

絵里は一人エレベーターの前に立つ。以前、訪れた亘の部屋は6階で、

先に開かれた左の方に乗ると、階数を示すボタンを押した。


そこには、1階から乗ってきたと思われる女性が一人立っていて、高級そうな甘い香りが、

絵里の鼻に届く。耳元のイヤリングを直したその指は長く、爪も綺麗に手入れされていて、

絵里は、水仕事で傷も多い自分の手を、思わず隠した。


絵里と同じ2階から、エレベーターに乗った何人かの男性社員が、その女性に頭を下げ、

そんな姿に、役職のある人なのだろうかと、絵里はもう一度、視線を向けた。

透き通るような白い肌を持つ女性は、絵里の視線に気付いたのか、問いかけの目を向けたが、

エレベーターが5階に到着すると、会話を交わすことなく、先に下りた。


亘のいる6階で下りた絵里は、まっすぐに部長室へ向かい、扉を2回ノックする。


「はい、どうぞ」

「失礼します……」


絵里の姿を確認し、嬉しそうに笑う亘がそこにいた。


「すみません、わざわざお呼びだてして。僕が店へと思ったんですが、
落ちついて話しも出来るような環境ではないし、このチャンスにここへ来てもらいました。
あ……ソファー、変えましたよ。池村さんが沈まないように」

「エ……あ、本当だ」


以前来た時、座り心地の悪いソファーに文句をつけた絵里だったが、

今度のソファーは座っても体が沈むことなく、楽な姿勢を取ることが出来た。


「あ、そうそう。これ……ありがとうございました」

「……いえ」


入院の見舞いをしてくれた亘へのお返しに、絵里が作ったドイリーが花瓶の下に敷かれている。


「今考えてみたら、初めて作った作品を送っちゃうなんて、ずいぶんずうずうしいなって」

「どうしてですか? 僕はこれが届いた時、同じことを考えていたのかなと思って、
すごく嬉しかったのに……」

「エ……」


亘はドイリーを元の位置に戻すと、自分の机の下から取りだしたA4サイズの板を、

絵里の目の前に置いた。それは青色の布にしっかりと包まれていたが、

亘は右に左にその包んである布を開く。


「あ……」


現れたのは、絵里の笑っている顔を描いた油絵で、思いがけないものの登場に、

絵里は不思議そうに亘を見つめてしまう。


「あのドイリーが届いた時、ちょうどこの絵を描き始めた時でした。置かれている現実は現実で、
でも、それに巻き込まれているだけの自分じゃなくて、そういったものから離れた何かを
してみたい……そう思って、久し振りに筆を持ったんです」

「篠沢さんが、これを描いたんですか?」

「はい。僕の本当の希望は、こっちの道へ進むことでした。でも、ちょうど進路を決める頃、
兄が家に来て、母はパニックになりました」


以前、絵里の店へ急に訪れた亘が、何気なく話そうとした家族のことだった。

絵里はその発言を止めることなく、静かに聞き始める。


「以前も言いましたが、僕には4つ年上の兄がいます。存在はもっと前から知ってはいましたが、
きちんと会ったのは10年前でした。だから兄弟と言っても、幼い頃に一緒に遊んだり、
ケンカしたりなんて思い出はありません。なぜなら、母親が違うからです」

「……」

「僕の母は正式な父の配偶者ですが、本当に愛されていたのは兄の母なんです。
それは幼い頃から僕にもわかってました。母はいつも戻ってこない父を待ち、
一人で寂しく泣いていた……そんな記憶があります」


亘は、そんな過去のことを思いだしているのか、少し寂しげに笑い、

絵里は子を持つ母としての気持ちを、揺り動かされる。


「誰とも競争したこともなく、何でも望む物は与えてもらいました。幼いながらに、
あれこれあるものは、みんな自分のものになるんだ……。どこかそんな思いもあった気がします。
でも、そこにライバルが急に現れて、あっという間に持ち去られました」

「……」

「最初はなんとかしようと、自分なりにあがいてもみたんですが、始めから経営学科で学び、
優秀な成績を評価されて、家に入ってきた兄と、そんな競争の中に入ったこともなかった僕では、
勝負にならなかったんです。でも、母にはそれが認められなくて。父の愛も、父の跡取りも……
自分が守りたかったものが全て、なくなっていくことが怖かったんだと……。
必死に僕を押し上げようとする母が悲しくて、筆を持つことをやめたんです」


絵里が目の前にある絵を取り、じっくりと眺めると、優しいタッチで描かれている自分の顔は、

おだやかで幸せそうに見えた。


「それでも、なんとか自分を認めさせようと、必死に父の言うとおり頑張ってはみましたが、
思い通りにはならなくて。結局、僕のそばで働いている従業員も、命令はすべて
父から出されたものに従っているだけ。素通りなんです。始めから僕の言うことなど、
誰も聞こうとはしていなかった」

「……」

「そんな時、あなたに出会いました。野菜なんて、どう並べたって査定が変わることもないに、
あなたは手を抜くことなく、その場で出来る最高の仕事をしようとしていた。
それがすごく印象に残ったんです。だから、聞いたんですよ。僕のために動いてくれないか……と」


食事会の時、いくらなら動いてくれるのか……と言った亘のことを、絵里も思い出し、

笑顔を見せる。


「そうでしたね……よく覚えています」

「でも、お金で動く人しか知らない僕は、結局あなたもお金で動かそうとした。
だから、嫌な顔をされて、避けられた……」

「避けた……のかもしれません」

「ワイン1本分のお金のために、一生懸命働いて、自分の仕事に誇りを持っているあなたを
見ながら、僕の考えが変わっていったんです。別に頂点に立つ必要なんてないんだな……と。
つかめないものまで、つかもうとする必要はないんだとそう思いました」


亘は話しながら何度か軽く頷いていたが、何かに気付いたように、いきなり顔をあげた。


「あ……池村さんにはどうでもいいことですよね。また迷惑だって怒られそうだ。
そんなことをあれこれ言いたくて、呼んだんじゃないんです」


そう言いながら亘は座り直し、絵里は申し訳なさそうにそう言った亘の顔を見ながら、首を振る。


「人に自分のことを語るのって、勇気がいるものですよね。でも、話しが出来るようになると、
すごく楽になることがあるし、聞くだけでよければ、ここで聞きますよ。迷惑だなんて言いません。
私も、少しだけですけど、心に余裕が持てるようになったので……」


その絵里の笑顔を見ながら、亘は以前疑問に思ったことを、問いかけた。


「池村さんにも何かきっかけがあったんでしょ? 最初に会った頃のあなたは、
こんな趣味を持つ余裕なんて、ないように見えていました。まっすぐで、凛としていたけど、
ガチガチで……」

「そうなんです。主人が亡くなってから、ずっと意地だけ張って生きてきました。池村の両親には、
大地を引き取らせてもらえないかと言われたり、仕事を探して、家を探して……、
毎日に明け暮れているうちに、余裕がなくなって。人の話を受けとめることも出来なければ、
逆に自分のことを話すこともせずに。全部背負って生きてみせるって……そんな気持ちだけでした」

「そんなことがあったんですか」


亘は、自分に否定的だった出会った頃の絵里を思い出しながら、また少し距離が近くなった

気がして、優しく微笑み返していく。


「でも、ある人に言われたんです。あなたが頑張っていることを認めている人は、
自分の出来ることで何か協力しようとする。そんな好意を受け取る余裕があっても
いいのではないかって。私、そんなこと言われたのは初めてでした。でも、そうやって
自分から周りに歩み寄ると、少しずつ心に余裕が出来るのがわかったんです」


ある人……。その言葉を聞いた瞬間、絵里を動かした人物の存在が気になり始め、

亘は表情を変える。


偶然に引っ越した団地の隣に住んでいた、石岡家二人との出会いが、自分を間違いなく

変えてくれた。そんな絵里の脳裏に、直斗の言葉が、スッと浮かび上がる。


「その人は……どんな方なんですか?」

「エ……」

「あなたを変えた人は、一体どんな人なんだろう」


亘はそう言いながら、絵里をまっすぐにみつめた。そんな亘の視線に、

心の中を見抜かれそうになった絵里は、思わず下を向いてしまう。


「隣に住むおばあちゃんとそのお孫さんなんです。始めは私より年下かと思ってたんですけど、
うかがったら同じ歳でした。まだ、独身なのに子供の扱いが上手くて、
大地なんてよくキャッチボールをして遊んでもらうんです。言いたいことは……
言いたいように言うし……」



『あなたがいくら母親でも、それを頭から否定されることはないはずだ!』



授業参観に行くと行ったことを否定した絵里に、直斗はこう、電話で思い切り言い返した。


「人のことも遠慮なしに怒るんです……」



『もっと、自分を大事にしろよ。それがあいつへの責任だろ……』



無理して倒れた後の病院で、そう強く責められたこと。直斗が自分たちに与えてくれた出来事を、

絵里は話しながら一つずつ思いだした。亘はその人のことを嬉しそうに語る絵里の顔を、

その間も、じっと見つめる。


「その人は男性なんですか?」

「……あ、はい」


絵里の中にある、淡い想いに亘は気付いていくが、それでもさらに問いかける。


「好きなんですか? その人を……」


絵里はその問いに、驚かされた。『直斗を好きなのか……』、そう問いかけられた時、

胸の奥で何かが外されていく気がしてしまう。


「……好き……というより」


左手の薬指にある、伸彰との指輪に触れながら、絵里はなんとか冷静さを保とうとする。


「尊敬しているのかもしれません」


その言葉がふさわしいのかどうかは、よくわからなかったが、絵里は亘がくれた油絵を

もう一度手に取り、キャンバスに触れていく。


「こんな素敵な笑顔、私、見せているんでしょうか……」


自分の心の中を、追求されているようで、絵里は話しをそらそうとした。


もう一度、想いを告白するためにここへ呼んだのに、絵里の中には、小さいのかも知れないが、

別の男性への気持ちが、芽生えていた。それでも、そんな絵里を見つめたまま、亘はこう告げた。


「あなたはそれ以上の笑顔をしていると、僕は思ってますよ」


その言葉に、絵里は絵から視線を外し、少しずつ亘の方を向く。


「あなたが好きです。ずっとその想いを持ち続けながら、この絵を描きました。
池村さん、僕は……」


その時、扉を叩く音がして、すぐに聞き慣れた声が絵里の耳に届いてきた。


「亘、会議の資料にサインだけくれないか?」


その声が誰なのか、すぐにわかった絵里だったが、まさかと思っていた出来事に、

鼓動が速まりだし、後ろを振り返るのが怖くて、身動きが取れなくなる。


「あ……接客中だったのか。悪かったな」

「いや、いいよ。もう出るから……」

「そうか……」


下を向いている絵里の横を、書類を持った直斗が通り過ぎ、亘はソファーから腰をあげ、

直斗の持つ書類に、すぐにサインをした。


「読まなくていいのか」

「いいよ、この間のビル関係の資料だろ。もう、不動産部門に今さら、何も言うことはないし、
父さんだって兄さんがいればいいと思ってるんだ」

「そんな言い方はよせよ」

「いいんだよ、僕には興味のないことだ。この後、児島建設に行くんだろ」

「あぁ……」


直斗は亘から書類を受け取ると、絵里に気付かないまま、部屋を出て行こうとしたが、

亘のひと言が、その歩みを止める。


「池村さん、この後、食事に行く時間くらいはありますよね」


その名前に驚き直斗が振り返ると、背を向けてソファーに座り、

下を向いている女性がそこにいた。


「ここじゃ、まずいようなコーヒーしか出てこないですから、行きましょう」

「……はい」


小さな声の持ち主に直斗は気付き、その場で立ちすくんでしまう。

後ろに立っている直斗の気配を感じた絵里が、ゆっくりと立ち上がり振り返った時、

二人の視線が初めて重なった。


絵里は精一杯の笑顔を作り、直斗に頭を下げる。


「……こんにちは」

「……」



『お坊ちゃまが来たのかと思っちゃった……』



直斗を初めて見た真希の、軽く言った一言が、絵里の中で思い出され、精一杯作った笑顔が、

崩れていく。



『職業は不動産です……』



以前、食事に出かけた時、確かに直斗からそう聞いていたが、しかし、営業マンだと言ったことを、

否定することなく受け入れてくれたはずだった。


突然現れた状況に、信じていた何かが削り取られるような感覚に襲われながら、

絵里は自分の身をどうしていいかもわからずに、その場に立っている。


見つめ合い辛そうな顔をする絵里と直斗の姿に、微妙な空気を感じとった亘は、

初めて状況に気付かされる。



『好きなんですか? その人を……』

『好きというより……尊敬しているのかもしれません』



絵里の心に入っていったのが、兄だったのではないかと、亘はすぐに直斗を見たが、

直斗はそんな視線に気付かないまま、切なそうに下を向く絵里を見つめる。


出会いから10ヶ月の時が経ち、初めて3人の線がつながった瞬間だった。





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コメント

非公開コメント

この回は・・・

こんばんは。

この回はこなければいい、と思いながら でも時間の問題で 
三人が初めて同じ場所に立った回でしたね。

絵里と直斗の目の前でドアが閉まったような感じ。
そして亘の前に道ができたような感じでした。

積極的に自分の話をしていく亘とあえて語らない直斗。
対照的な二人。
それぞれを受け止めていた絵里には
その『語り』が聞きたくなかった。聞きたかった。になっていたのでは・・

これからの展開が重くなってきて ひたすら春を待つ気分だわ。 

二人の違い

azureさん、こんばんは!


>この回はこなければいい、と思いながら でも時間の問題で 
三人が初めて同じ場所に立った回でしたね。

はい、みなさんに『この話はどこへ行くのでしょう』と言われながら、18話でやっとスタートを切った3人です。

亘はとにかくまっすぐで、直斗は状況を選ぶ……

二人の生きてきた道の違いかなと。


>これからの展開が重くなってきて ひたすら春を待つ気分だわ。 

そう、重いんだけど、でも、サークルのカウントも、ここからの方が高いんだよぉ……。
みんなため息……が好きなんだよね、きっと。

Σヽ|゚Д゚|ノ

こっここで会ったが百年目… のような展開…
亘がなによりかわいそう
絵里は直斗に対する思いが微妙ですね。。。
あっちゃったよ・・・ あっちゃったよー!と叫んでますとも。ハイ

ここからがスタートさ!

ヒカルさん、こんばんは!

ここであったが……って、そうそう、そうなの。
ここからが、このお話の本当のスタートと言ってもいいかもしれない。


>亘がなによりかわいそう

亘ファンが多かったんですよ、これ。
今まで王子様のような亘君が、ここからグーッと変わっていきますので、そこら辺も見てやってください。