2 幸せの一歩 【2-4】

【2-4】

「お母さん、センチメンタルに言ってもダメだからね」

「おぉ、晴美。来たのか」

「来たわよ。途中でお母さんに会ったの。その話を自慢げにするから、
歩に無理に薦めるなって、私からも言ったのに」


工場の事務所に顔を出してくれたのは、半田家の一人娘晴美さんだ。

年齢は僕よりも5つ年上で、2年前に結婚した。

ご主人は、工場に出入りしていたメーカーの営業マンで、

今はここから1時間くらいの場所に住んでいる。


「歩、お母さんのウソ泣きに騙されたらダメだからね」

「晴美!」


僕は一人っ子のため、兄弟はいない。

晴美さんの存在は、昔から頼れる姉のようなものだった。


「いい? 結婚はさぁ、絶対に好きになった人としたほうがいい。
見合いが悪いとは言わないよ。でも、まだ歩は自分の力で探せる年齢だもの。
恋する気持ちを、しまいこむのはもったいないって」



『恋する気持ち』



「偉そうなことを言って。あんただって、うちに出入りしていた人と結婚したでしょう」

「また、そういう言い方をする。
あのねぇ、川本は確かにうちに出入りしていたにはいたけれど、
それは意味が違うでしょ。悪いですけど、私はちゃんと『恋』をしたもの」

「恋ねぇ……」

「あ、何よ、娘の生き方を笑ってるわね」

「笑ってなんていませんよ」


晴美さんのご主人『川本さん』。背は高いけれど、細身で無口な人だ。

社長も奥さんも、何を考えているのかわからないとよくぼやく。

僕には誠実さがあふれているように思えるけれど、人の印象はそれぞれだ。


「『恋愛』なんてものはね、頭で動かそうとしているうちは絶対にダメなものなのよ。
『心』が勝手に動くものなの」

「頭? は? 心?」


晴美さんの言葉に、奥さんは一つずつ表情を変えながら、首を傾げている。

同じ女同士だからなのか、こんなやり取りを見ていると、

親子というよりも姉妹に見えた。


「……あぁ、もう。わからない人間は、黙っていなさいって。
歩、出会いなんてね、どこに転がっているかわからないから、
今の年齢で、見合いになんて逃げたらダメよ」


晴美さんの強い押しに、奥さんはそれ以上何も言わず、『見合い話』は終了した。





夜7時。

時計を確認する。

本来なら、仕事も区切りがついたしシャワーも浴びたので、

このまま帰りたいところだけれど、今日はそうもいかない。

『パール』を椎名さんに手渡さないと。


「遅いわね」

「道路でも混んでいるのでしょう」


時計が7時を20分近く過ぎた頃、椎名さんの車が入ってきた。

工場の隅に止めると、すぐに運転席が開く。


「ごめんなさい、本当にすみません」


椎名さんは、自分が決めた時間なのに遅れて申し訳ないと、

その場で何度も頭を下げてくれた。僕は大丈夫ですよと声をかけ、

ダンボールの中にいた『パール』を抱き上げる。


真っ白いふわふわの子犬。

これでやっと、僕の任務が終了。


「よかったな、パール。いい人にもらってもらえて」


用意していたわけではない。本当に、自然とそう言葉が出てしまった。

僕から強く勧めたわけではなく、彼女の方が『パール』を気に入ってくれた。

そのいきさつが、押し付けにならなかったことで、

途中放棄ということにはならないだろうと、思ったことは事実だからだ。

後部座席には、『パール』を迎えるための買い物をしていたのか、

あれこれ袋が入っていた。

水のみ用のボトル。エサの皿。ベッドになるような丸いクッションに、

くわえたら音が鳴りそうなおもちゃ。


血統書なんてなくてもいいと言ってくれたことで、僕はすごく楽になった。

たとえは犬のことだったはずなのに、この椎名さんが、

どんな人とも明るく話す人ではないかと、そう思えたからだ。


「それじゃ、『パール』をよろしくお願いします」

「はい……」


椎名さんは僕から『パール』を受け取り、嬉しそうに鼻をつけた。

『パール』も嬉しいのだろう。彼女の鼻を舐めている。


「『パール』。ほら、よく見て」


椎名さんは、『パール』の顔を僕の方に向けた。

小さくて黒い瞳が、キラキラと光っている。


「この人が、あなたを救ってくれたのよ。よかったね、『パール』。
後藤さんに見つけてもらって……」



『見つけてもらって……』



「どこで過ごすようになっても、命の恩人の顔を忘れちゃダメだからね」



僕と『パール』の時間など、これからの長さを考えたら、たいしたことはない。

それでも、椎名さんの言葉に、気持ちを持っていかれそうになった。

あの日、鳴いていた子犬を茂みから救い出してやって、

本当によかったと思えてくる。

そして、心の中を表してくれる彼女の優しさにも、感謝したくなる。


「いいですよ、僕の顔なんて忘れても」


強がりでもなんでもなく、僕は心の底からそう思えた。



【2-5】

小さな白い犬がもたらせた出会い……
歩の周りで、少しずつ風が動き始める予感。
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