3 汚れた手 【3-2】

【3-2】

亡くなった母は、とても明るい人だった。

僕が小さい頃は、父が車好きだったため、家族でドライブをすることがよくあり、

その頃、カーステレオではよく洋楽がかかっていた。

子供なので、英語の歌詞など何もわからないけれど、

後部座席で寝そべりながら聞くのは当たり前で、

そのおかげだったのだろうか、学生時代、英語の成績は悪くなかった。

今でも、流行のアイドルの曲を聴くより、

こうして流れていくような英語の歌詞を聴いているほうが、落ち着く気がする。

少しずつ渋滞から抜け出した車は、やがて順調な走りに変わった。





『MORINAKA』の地下にある駐車場。

僕が納車するものと同じものが並んでいる場所へ向かい、

ギアをバックにして、駐車スペースに下がっていく。


「うわぁ……」


車と車の間から、いきなり人が出たのでブレーキを踏むと、

バックするとは思っていなかったのか、驚き顔の女性に、何度も謝られた。


「ごめんなさい、すみません!」

「椎名さん」


窓を開けて声をかけると、彼女は僕の顔をじっと見た後、

さらに驚いたのか一歩後ろへ下がった。


「あれ? どうしたのですか? どうしてここへ」

「この車の納車です。急に予定が変わったらしくて、僕がここへ」

「納車……あぁ、そうなのですか。すみませんでした。
私、まっすぐに出て行くのかと思ってしまって、後ろを走ろうと」

「いえ、いいですよ、どうぞ」


前でも後ろでもいいから、早くその場を抜けて欲しい。

人がそばにいるのは、駐車がしづらい。


「あの……」

「はい」

「後藤さんは、納車をしてどうするのですか」

「どうするって……僕はまだ仕事があるので、工場に戻ります」

「他に寄り道せずに、すぐに戻ります?」

「まぁ……はい」

「でしたら、ここで待っていてください。私、工場へ送りますから」

「いえ、いいです」

「いえいえ、送りますから! 待っていてくださいね」

「あ……椎名さん」


僕は車の中、彼女は外にいたため身軽に走り出し、

駐車場から上へ向かうエレベーターの方へ消えてしまった。





『MORINAKA』の地下駐車場で、椎名さんと偶然に会った。

彼女はすぐに戻るのなら、送っていくと言い残し、消えてしまった。


「待てって言われても……」


途中になっていた駐車を済ませ、僕は書類を持ちすぐに追いかけたが、

エレベーター前に彼女の姿はなく、上に行ったエレベーターはまた下に動いている。

これでは、何階で下りたのかすらわからない。


「参ったな、送ってくれなんて、頼んでいないのに」


するべきことだけを済ませ、さっさと出て行きたいのが本音だった。

彼女と一緒の時に、また拓にでも会ったら、余計な感情を持たせかねない。

僕はエレベーターに乗り、1階で下りると受付に向かう。

座っていた女性が、すぐに立ち上がってくれた。


「すみません、『半田自動車整備』です。納車に来ましたので、総務部へ」

「『半田自動車整備』様ですね。はい……少々お待ちください」


受け付けの女性に、目の前のソファーで座って待つように言われ、

僕はとりあえず腰かけた。

ガラス張りの玄関。観葉植物があちこちにあり、風通しはいい。

その時僕は、椎名さんのアドレスを知っていたことを思い出した。

待っているわけにはいかないとメールすれば、

先に帰ってしまっても、失礼にはならないだろう。


「は?」


携帯を開いてみると、僕がメールを打つ前に、すでに彼女からのメールが届いていた。



『椎名です。お願い事があるので、必ず駐車場で待っていてくださいね』



先手を取られた。

お願い事がどういうことなのかを聞けば、余計に帰りにくくなるし、

かといって、無視してしまうのも気が引ける。


「はぁ……」


僕はそのまま携帯をしまい、受け付けの方を見る。

座っていた女性が、その場で立ち上がった。

正面玄関から数名の足音が聞こえてくる。


「お帰りなさいませ」


その声の届く先を見ると、秘書と社員に囲まれた伯父が、

何やら報告を受けながら入ってきた。

僕は座っているのも申し訳ないと思い、その場で立ちあがる。


「それは、谷原の方で処理……」


伯父の視線が、ソファーの前にいる僕の方へ向かう。


「歩……」

「すみません、お久しぶりです」

「あぁ……どうしたんだ」


伯父を取り囲む数名の男性が、一斉にこちらを見た。



【3-3】

一度だと思っていた偶然が、ふと気づくと重なっていた。
僕の手に刻まれた時間と、そして……
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