3 汚れた手 【3-3】

【3-3】

僕がどういう人間なのかを知っている人と、知らない人がいるようで、

上から下へと微妙に目が動く。

スーツ姿の人たちばかりが並ぶ中で、確かにこのラフな格好は妙だろう。


「今日は納車に来ました」

「納車? そんなことはうちの社員がするだろう」

「はい、いつもはそうしていただいてますが、
今日は特別に何か動きがあったようで、で、僕が……」

「特別な動き……」

「社長、『桜並木店』の方へ、急遽視察が入りまして」

「あぁ……今朝のことか」

「はい。車を出すようにと、部長が判断したそうです」


『部長』

おそらく拓のことだろう。


「そうか、それはこちらの都合で悪かったな、歩。
お前たちにも色々と仕事の割り振りがあるだろうに」

「いえ……」


伯父は、そばに立つ秘書の延岡さんに合図をすると、僕に向かって手招きをする。


「30分くらいなら時間がある。上でお茶でも飲もう」

「あ……いえ、でも……」

「久しぶりに来てくれたんだ、私がそうしたい。いいだろう」


結局、断ることが出来ないまま、僕は伯父のいる社長室へ上がることになった。





『MORINAKA』

創業時から定評のあった高級ジュエリーと、

伯父が社長となってから、新しいデザインを取り入れた一見正反対の戦略は、

独身女性のおしゃれから、結婚指輪へ、さらに続く長い顧客を勝ち取った。


株式も上場し、テレビの提供もいくつかある。

日本の中で存在感を示す企業の、社長室。

本来なら、僕には縁も何もない場所だった。


母が亡くなって、もう十数年。普通ならつながりも切れてしまうはずなのに。

伯父とのつきあいは、それからの方が深い。


「それでは、これは私のほうで。印を押して戻します」

「すみません」


本来、総務部に持っていくはずの書類を、社長室にまで取りに来てもらった。

頭を下げるのはこちらのほうなのに下げられてしまい、あらためて僕も頭を下げる。


「アイスコーヒーでいいか」

「はい」


深めに身体の沈む落ち着かないソファーに座りながら、

僕は奥さんに頼まれたパンフレットを、テーブルの上に置いた。


「この間、少し時間があったので、景子たちの墓参りに行ってきた」

「はい」

「相変わらず、綺麗な花が供えてあった。りつさんがしてくれているのだろう」

「……はい」


父と母の墓は、僕らの住むアパート近くにある市民墓地のため、

祖母は毎日のように墓の周りを掃除し、花を供えている。


「歩」

「はい」

「お前も順調に頑張っているようだな。半田さんからも先日、そう聞いたよ」

「順調なのかはわかりませんが、なんとか……」

「いや、きちんと仕事をして、2級の整備士資格を取得して、
さらに1級を目指していると聞いた。たいしたものだ」


『1級を目指している』と言われ、少し気が重くなった。

社長は、伯父の手前、そう話したのだろう。

『整備』は高い資格がなければやれないというものではないが、

1級の整備士がいる工場は、請け負える仕事も他とは違ってくる。


「すぐには受からないと思います。難しいので」


日々の仕事に追われ、

さらに上を目指すことが、どこか置き去りになっている自分の現状を、

つい、正当化するようなことを言ってしまった。

やらなければならないことはわかっているのに、

僕は近頃、一番下であることに甘えているかもしれない。


「まぁ、時間がかかるのは当たり前だ。いいじゃないか、一生の仕事なのだから」

「はい……」


男同士、しかも普段からよく会っているわけでもないのだから、

そんなに話が弾むわけがなかった。

それでも、伯父といる時間が苦痛に思えないのは、

やはり母という共通点があるからだろうか。

届けてもらったアイスコーヒーを飲みながら、互いに話のきっかけを探す。


「あ、そうだ、すみません、これ」

「ん?」

「車のパンフレットだそうです。
うちの工場に出入りしている業者が置いていったようで。
奥さんが申し訳ないけれど、頼まれた以上、一応渡すだけ渡しておかないと、
電話などかかるかもしれないからと……」

「あぁ……延岡に渡しておこう」


よかった。そんなものはいらないと、拒絶されてもおかしくはない。


「社長といっても、私が全て決めているわけではないから、結果は保証できないぞ」

「はい」


伯父は立ち上がると内線のボタンを押し、秘書を務める延岡さんを呼んだ。

延岡さんはすぐに扉をノックして、中へ入ってくる。


「何か」

「あぁ、これを……」


僕が運んできたパンフレットは、そこで手渡された。


「すみません。お忙しいところを」

「いえいえ」

「半田自動車整備に出入りしている業者だそうだ。
内容の検討だけはしてみてくれ」

「はい」

「それと……」


社長と秘書という間柄で交わされる会話が、目の前で始まった。

動くことも出来ず、僕はアイスコーヒーを飲み続ける。

職場で休憩時に飲むインスタントとは、全く違う味がした。


「わかりました」

「頼む」


話が終了した後、延岡さんは別の封筒を僕に差し出した。



【3-4】

一度だと思っていた偶然が、ふと気づくと重なっていた。
僕の手に刻まれた時間と、そして……
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