5 思惑の渦 【5-2】

【5-2】

「あ、そうだ。後藤さんはスーツを新調する予定などないですか? これもご縁です。
もしよかったら、うちでお安く作りますよ」

「それなら一緒に時計もどうですか。イタリア製のいい皮が入ってきていて、
職人が丁寧に作っているものがあるのですよ。数が少ないレアものになります。
拓にもそれを勧めていて、あなたも……」

「すみません、僕は……」


かみ合うわけがない。

杉尾さんも、岸田さんも気をつかってくれているのだろうが、

スーツなどをオーダーする予定はないし、

時計も携帯で時間がわかれば十分な生活をしている。

伯父は、年が近いのだからとここへの参加を勧めてくれたが、

最初からこうなることはわかっていた。


「スーツなど普段は着ませんし、時間も携帯で知ってしまうので時計もあまり……」

「携帯?」


杉尾さんは、僕の方を見た後、すぐに顔をそらした。

なんだろう。別におかしなことを言っているはずもないのに、

空気が固まりだす。


「後藤さん。ビジネス……あ、いや、商談をする時に、携帯は表に出せないものでしょう。
相手に対して、急かしているようで失礼ではないですか。
そういうときにも時計は身につけられないのですか」


ビジネス、商談……

そう言われても……


「そうですね。仕事柄、手に余計なものをつけないので。自然とそうなりました」


さび付いた部品を取り出したり、油のついた工具を洗ったりするのに、

時計を腕にしていては、邪魔で仕方がない。

時間も必要なときはあるけれど、仕事が終わるという区切りの方が、

僕には重要だった。


「ふっ……」


拓が笑った。

息が抜けるような音だったけれど、僕にはそう思えた。


「隆文、敦之、申し訳ない。歩が来ているからと思って紹介したけれど、
お前たちとはちょっと、合わないのかもしれないな」


拓は、ビジネスチャンスを作ろうとしている二人に対し、

僕がそういう相手ではないのだと、説明した。

二人は顔を見合わせて、黙ってしまう。

世の中には、こういう人もいるのだと、少しは感じてもらえただろうか。


「歩……」

「ん?」

「お前も社会人になっているのだから、
いい年齢になって学生みたいに携帯で時間を知るなんて、そんなことを言うなよ。
ビジネスの世界ではさ、しっかりした時計くらいしていないと、
人としてのレベルを、そこで計られてしまうものなんだぞ」


『ビジネスの世界』

拓は、僕が生きている世界が、どういうものなのか、知っているはずだ。

今更ながら、拓がどうしてここへ来るように言ったのか、判る気がした。

椎名さんに近付くなと言っていたのも、こうして見る景色が違うのだと、

目の前で納得させるためだろう。

大きなお金を扱うこともなければ、時間に追われ交渉ごとをすることもない。



僕は……

あの日の『パール』のように、血統書のない生き物だと、そう思われている。



「どこがいけないの?」



僕の後ろに立っていた椎名さんが、数歩前に出た。


「遥……」

「どうして携帯で時間を知ってはいけないの? ビジネスってそれが全て?」

「遥、お前」

「拓ちゃんのしていることも、岸田さんや杉尾さんがしていることも、
ビジネスでしょうけれど、後藤さんがしていることも、立派な仕事なのよ。
人にはそれぞれ大事にしているものがあるの。互いの世界を知らないのに、
自分のことが正しいと訴えるのは、間違っているとしか思えない」


椎名さんは僕の手から『ウーロン茶』のグラスを奪うと、

後ろに立っていたウエイターに渡した。

そして僕の左手を持ち、拓の前に突き出していく。


「後藤さんは、この手で、毎日車の調子を見ているの。
整備士の人たちが、微妙な感覚まで研ぎ澄ませて、
おかしいところがないかどうか見てくれているから、
私たちは変な事故にならずに、車を運転出来ている。
そういう中でこうして怪我もしてしまうのよ。ここに、イタリア製の時計が、
ついていないことがおかしいの?」

「遥ちゃん、僕達はそういう意味で言っているわけでは……」

「会社の経営をしていなければ、それに関わっていなければ、何か問題がある?」

「遥ちゃん……」


杉尾さんがそう椎名さんに話したとき、さらに大きな拍手が沸き起こり、

壇上に伯父さんが立った。

『MORINAKA』がみなさんのおかげで、今日という日を迎えられたと、

しっかり挨拶をする。


「後藤さん」

「ん?」

「行きましょう」


会場の視線が全て前に向いたことがわかり、椎名さんは僕の手を握ったまま、

会場を出てしまう。


「あの……どこへ」

「遠慮なく息が吸えて、素敵な景色が見えるところです」


エレベーターホールに向かい、当たり前のように上へ向かっていく。

僕はどうすることも出来ないまま、彼女と一緒に上へ向かった。



【5-3】

僕の居場所は、ここではない……そう歩が気づくとき、
近かった人の温かい手が、とても遠くに感じられて……
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