5 思惑の渦 【5-4】

【5-4】

「行きましょう。椎名さんは戻ってください。
あなたが戻らないと、僕が悪いものだと思われますから」

「悪いもの?」

「はい。あなたと僕が外へ出たことを見ていた人がいたかもしれません。
二人がいなくなっていたら、僕達のことを説明してくれる人がいませんから。
勝手な想像でも否定できなくなります」


『半田自動車整備』は、間違いなく『MORINAKA』の恩恵を受けている。


「うちは、『MORINAKA』に世話になっています。
正直、伯父や拓に、余計な感情を持たれたくないので」


椎名さんも薄々気づいているのだろう。

自分の身の周りで動いていることを。


「変な言い方だったらすみません。でも、僕はあくまでも会社の仕事として、
ここへ来ましたから」

「あ、いえ……」


僕が立ち上がったことで、椎名さんも立ち上がる。

レジに向かうと、店員が金額をあらためて示し、

僕はお金の代わりに2400円のレシートを受け取った。


「ごちそうさまでした」

「いえ……」


店の前から数歩進み、エレベーターの前に立つ。

ここからも、最上階の素晴らしい景色が、目に入ってきた。

都心に建つ、一流ホテル。

僕には、これからもおそらく縁のない場所だろう。

下から上がってくるエレベーターは、あと数秒で扉を開ける。


「椎名さん」

「はい」

「先ほどは、ありがとうございました」

「先ほど?」

「はい。スーツのことや時計のことを聞かれて、正直、返答に困っていたものですから」


そう、僕には普通のことでも、相手には別次元のことで、

言葉が違うと理解できないような、そんなすれ違いが存在した。


「僕の仕事について、理解していただけているのはありがたいなと思いました。
どうでもいいような手の傷も、誇らしく思えたことは事実です」

「……はい」


彼女が僕の仕事を説明してくれたとき、色々な感情を抜きにして、

嬉しかったことは事実だった。世の中にはトップではない場所で動く人たちもいて、

その人たちにも、全て色々な生活がある。

椎名さんは、わかってくれてよかったというような、明るい顔を見せた。


「でも、人には、『生きていく場所』というものがあると思います」

「……場所?」

「はい」


地球は一つだ、同じ重力の上で人は生きている。

でも、見えない壁と、見えない段差が、この世には存在する。


「あなたにも気付かないだけで、そういった思いが入っているはずなんです。
ごめんなさい、嫌味を言っているわけではありません」

「……どういう意味ですか」

「僕は、この場所のアイスコーヒーの値段が、1200円だったことに正直驚きました」


僕が生きている世界では、ありえない金額。

僕が関わっている人たちは、間違いなくこういったお金の使い方をしないだろう。

椎名さんは意味をつかみ損ねていたようだが、数秒後に表情を変える。


「……こんな小さな男です」


エレベーターが到着し、僕らは黙って乗り込んだ。

下りていく間に、誰も入ってくる人がいなかったため、中は静かなまま下りていく。

新作発表会が行われている会に到着し、椎名さんは先に降りた。


「後藤さん」

「失礼します」


僕らの間で扉が閉まり、エレベーターは1階へ向かう。

奥さんに頼まれた『バウムクーヘン』は、持って帰ることが出来なかった。





「プリン?」

「すみません。成り行きで『バウムクーヘン』をもらい損ねました」


代理出席を終えた後、報告をするために工場へ戻った。

晴美さんが来ていて、奥さんと2時間ドラマの再放送を見ながらお茶を飲んでいる。


「歩、いてもたってもいられなくなったのでしょう」

「晴美」

「あの雰囲気は語る相手でもいないと、息苦しいもの」


晴美さんは、自分が以前出席した時にも、どこにいたらいいのか、

あれこれ考えてしまったと笑ってくれる。


「お母さんが妙な気を回すからよ」

「ちょっと、晴美」

「お母さんはね、歩を参加させたかったみたいよ。
ほら、なかなか出会いがないのでしょ? この工場で働いていると。
なんだか、子犬を通じて、ちょっといい女の子が来ていたって……」


子犬を通じての女の子。

椎名さんのことだろう。


「社長の娘なんて、出会わせたって無駄だって、そう言ったのに。
何かしないとウズウズするのでしょう」

「あぁ、もう、晴美はうるさいの」


何が用事があると言ったのは、お芝居だった。

奥さんは、僕をあの場に送り出し、何かしらの動きを期待したのだろう。

晴美さんの言うとおり、場所選びが違いすぎる。


「晴美さんの言うとおりですよ。僕には無縁の世界です」

「そうだよね、歩」

「そんなことないのよ。歩は……」


晴美さんに心の中を言い当てられたのが悔しかったのか、

奥さんは何か言い返そうとして言葉を止める。


「ほら、せっかく歩が買ってきてくれたのだから、食べよう、食べよう」

「はいはい」


『RONDOのカスタードプリン』

僕は、暑苦しいネクタイを外し、スーツのポケットに押し込んだ。



【5-5】

僕の居場所は、ここではない……そう歩が気づくとき、
近かった人の温かい手が、とても遠くに感じられて……
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